学位論文要旨



No 217256
著者(漢字) 飯田,彩
著者(英字)
著者(カナ) イイダ,アヤ
標題(和) 酢酸菌のクオラムセンシングシステムに関する研究
標題(洋)
報告番号 217256
報告番号 乙17256
学位授与日 2009.11.06
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17256号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 大西,康夫
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 西山,真
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

近年、様々な微生物が細胞密度に依存して標的遺伝子の転写を制御する細胞間コミュニケーションシステムを有していることが報告されている。このシステムはクオラムセンシングシステムと呼ばれ、二次代謝物質の生産、発光、運動性、プラスミドの伝達、毒素生産、バイオフィルムの形成などの重要な機能を制御していることが知られている。微生物は、自らが生産し、細胞内外に拡散するシグナル物質の濃度によって、細胞密度を感知する。多くのグラム陰性細菌は、アシルホモセリンラクトン(AHL)をシグナル物質としたクオラムセンシングシステムを有している。AHLに依存したクオラムセンシングシステムではLuxRファミリーとLuxIファミリーの2つのタンパク質が重要な役割を果たす。LuxIファミリーのタンパク質はAHL合成酵素として機能し、AHLを合成する。細胞密度の増加に伴って、AHLの濃度が増加すると、AHLはAHLの受容体であり、転写制御因子として機能するLuxRファミリーのタンパク質と結合して複合体を形成する。この複合体は標的遺伝子のプロモーター領域にある結合配列lurboxに結合して、標的遺伝子の転写を活性化する

酢酸菌はグラム陰性の好気性細菌で、エタノールや様々な糖を有機酸に酸化する能力を有している。この酸化反応は酸化発酵と呼ばれ、特にエタノールを酸化して酢酸にする反応は酢酸発酵と呼ばれる。酢酸菌の中でも、Gluconacetobacter属とAcetobacter属は、高いエタノール酸化能と酢酸耐性能を有することから、食酢の製造に広く利用されており、食酢製造を効率的に行なうため、酢酸生産能の高い菌株の育種が望まれている。そこで、本研究では、食酢製造への応用を目標として、多くの微生物で重要な機能を制御するクオラムセンシングに着目し、研究開始時には全く解析が行なわれていなかった酢酸菌のクオラムセンシングシステムの解析を行なった。

【結果】

1.酢酸菌Gluconacetobacter intermedius はクオラムセンシングシステムによって酢酸発酵を制御している

レポーターアッセイとLC/MS分析により、G.intermediusが3種類のAHLを生産することを示した。また、G.intermedizasNCI1051から、lurl、lurRのホモログであるginI、ginRをクローニングし、塩基配列を決定した。ginIの転写開始点の上流にはLuxRファミリーのタンパク質の結合配列であるluxboxと相同性の高い配列が存在した。転写解析によって、既知のluxR/luxIと同様、gin1の転写はGinRによって正に制御されていることが示唆された。また、RT-PCRにより、ginlの転写単位を調べたところ、gtnIはginIのすぐ下流に存在し、89アミノ酸からなる機能未知の小さなタンパク質をコードするginAとオペロンを形成していることが示唆された。以上より、G.intermediusNCI1051は、AHL依存性で、GinI/GinRから成るクオラムセンシングシステムを有していることが示唆された。加えて、Ginl/GinRクオラムセンシングシステムの標的遺伝子としてgin1のすぐ下流に位置するginAを見出した。

次に、遺伝子破壊により、GinI/GinRクオラムセンシングシステムが何を制御しているかを調べた。ginI破壊株、ginR破壊株をエタノールを含む培地で培養したところ、野生株に比べて、両破壊株の生育が向上した。一方、エタノールを含まない培地で培養した際には野生株と破壊株で生育の違いは見られなかった。従って、この生育の向上は酢酸発酵の基質であるエタノールに依存しており、ginI、ginRの破壊が酢酸発酵に関与していることが予測された。そこで、ミニジャーファーメンターを使用して、酢酸発酵能を比較したところ、ginI破壊株、ginR破壊株は、野生株と比較して、酢酸の生産量が顕著に増加し、酢酸菌のクオラムセンシングシステムが酢酸発酵に関与していることが示唆された。更に、GinI/GinRクオラムセンシングシステムの標的遺伝子として見出されたginAの破壊株でも同様の試験を行なったところ、野生株と比較して、ginI、ginR破壊株と同様、酢酸生産量の増加が見られた。また、野生株と比較して、ginI、ginR、ginAの破壊株の培養液は、特に対数増殖期において、食酢製造時に問題となっている培養中の発泡が顕著に減少することがわかった。以上の結果から、酢酸菌G.intermeditasは3種類のAHLに依存したGinIIGinRクオラムセンシングシステムを有しており、GinAを介して、酢酸菌の特徴的な性質である酢酸発酵とグルコン酸発酵を含む酸化発酵に加え、消泡活性を負に制御していることが示唆された。この結果はクオラムセンシングと酢酸発酵の関与を示した初めての報告である。

2.クオラムセンシングシステムの制御下にあるOmpAファミリーのタンパク質GmpAの酢酸発酵への関与

Ginl/GinRクオラムセンシングシステムの標的遺伝子を同定し、Ginl/GinRクオラムセンシングシステムによって、どのように酢酸発酵が制御されているのかを明らかにすることを目的として、二次元電気泳動によるプロテオーム解析を行なった。その結果、GinI/GinRクオラムセンシングシステムに応答するタンパク質を見出した。このタンパク質をコードする遺伝子をクローニングし、塩基配列を決定したところ、このタンパク質はOmpAファミリーのタンパク質であることが判明し、GmpAと命名した。gmpAは3つの隣あった相同性のある遺伝子gnpABCを含む遺伝子クラスター中に位置していた。このクラスターはGluconaeetobacterpolyoxogenesなどの食酢製造菌に特異的に存在した。GmpAはβ一バレル型の膜貫通ドメインを形成するN末端領域に特徴があり、表面に露出したループの1つに余分な配列を有しているが、その後の解析により、この配列がgmpAの機能に重要であることが示唆された。転写解析によって、3つの隣あったgnp遺伝子のうち、gmpAの転写だけがGinI/GinRクオラムセンシングシステムによって活性化されることが示された。さらに、gmpAはGinRによって直接制御されているのではなく、このクオラムセンシングシステムの標的遺伝子として同定された89アミノ酸のタンパク質GinAを介して制御されていることが示唆された。次に、gmpA破壊株を作製し、酢酸発酵への影響を調べた。その結果、gmpA破壊株はginA遺伝子の破壊株と同様に、野生株に比べて酢酸の生産量が増加し、同時にグルコン酸の生産量も増加した。以上の結果から、gmpAはGinAを介して制御され、クオラムセンシングシステムによる酸化発酵の抑制に関与していることが明らかになった。GmpAは外膜タンパク質として機能し、酢酸やエタノールの耐性に関与しているのではないかと考えられるが、その詳細の解明は今後の課題である。

3.クオラムセンシングシステムの制御下にある4つの遺伝子の解析

gmpA以外のGinAの標的遺伝子を同定し、クオラムセンシングシステムによる酢酸発酵の制御機構を明らかにすることを目的として、近縁種であるG.polyoxogenesのDNAマイクロアレイを使用したトランスクリプトーム解析を行なった。その結果、GinAによって誘導される4つの新規な遺伝子(gltA、pdeA、pdeB、nagA)を同定し、遺伝子破壊により、酸化発酵と消泡活性への関与を調べた。4つの遺伝子のうち、nagA(putativeN-acetylglucosamine-6-phosphatedeacetylase)の破壊は予想外なことに、生育速度の減少をもたらした。一方、gltA(putativeglycosyltransferase)とpdeA(putativecyclic-di-GMPphosphodiesterase)は酢酸発酵とグルコン酸発酵を含む酸化発酵に負の影響を与えることが示された。更に、gltAは消泡活性を抑制していることも示唆された。pdeB破壊株は何の表現型の変化も示さなかった。これらの結果は、gmpA以外に、少なくとも2つのGinA誘導性遺伝子(gltA.pdeA)がGinl/GinRクオラムセンシングシステムによる酸化発酵の抑制に関与しており、クオラムセンシングシステムによる酸化発酵の抑制には複雑なメカニズムが存在することを示していると考えられる。

【総括】

本研究では、酢酸菌がAHL依存性のクオラムセンシングシステムを有していることを初めて明らかにした。そして、酢酸菌G.inter〃2edizLsNCI1051において、GinI/GinRクオラムセンシングシステムが、GinAを介して、酢酸菌の最も特徴的な性質である酢酸発酵、グルコン酸発酵を含む酸化発酵を負に制御していることを明らかにした(下図)。加えて、クオラムセンシングシステムが、食酢製造時に問題となる発泡にも影響を与えていることを見出した。クオラムセンシングシステムによる酢酸発酵と消泡活性の制御機構には不明な点が残されているものの、本研究で得られた知見は、酢酸菌の育種に有用であり、食酢製造への応用が期待される。

1) Iida, A., Ohnishi, Y. & Horinouchi, S. (2008) Control of acetic acid fermentation by quorum sensing viaN-acylhomoserine lactones in Gluconacetobacter intermedius. J. Bacteriol. 190: 2546-2555.2) Iida, A., Ohnishi, Y. & Horinouchi, S. (2008) An OmpA family protein, a target of the GinI/GinR quorum-sensing system in Gluconacetobacter intermedius, controls acetic acid fermentation. I Bacteriol. 190: 5003) lida, A., Ohnishi, Y. & Horinouchi, S. (2009) Identification and characterisation of target genes of the GinI/GinR quorum-sensing system in Gluconacetobacter intermedius. Microbiology. 155: 3021-3032.

図,酢酸菌GintemediusNCI1051のクオラムセンシングシステムのモデル図

審査要旨 要旨を表示する

酢酸菌はグラム陰性の好気性細菌で、エタノールや様々な糖を有機酸に酸化する能力を有している。この酸化反応は酸化発酵と呼ばれ、特にエタノールを酸化して酢酸にする反応は酢酸発酵と呼ばれる。酢酸菌の中でも、Glucouacetobacter属とAcetobacter属は、高い工タノール酸化能と酢酸耐性能を有することから、食酢の製造に広く利用されており、食酢製造を効率的に行うため、酢酸生産能の高い菌株の育種が望まれている。一方、近年、多くの微生物において、低分子シグナル物質を介して菌体密度を感知するクオラムセンシングシステムによって様々な遺伝子の発現が制御されていることが明らかになってきているが、酢酸菌のクオラムセンシングについてはほとんど解析が行われていなかった。このような背景のもと、本論文は食酢製造への応用を目標として、酢酸菌のクオラムセンシングに関して解析した研究について論じたものであり、三部からなる。

第一部では、クオラムセンシングシステムと酢酸菌についてこれまでの知見をまとめている。

第二部、第1章では、GluconacetobacterintermediusNCI1051が、3種類のアシルホモセリンラクトン(AHL)を生産し、GinI/GinRから成るクオラムセンシングシステムを有していることを示した。加えて、GinI/GinRクオラムセンシングシステムの標的遺伝子として、ginlのすぐ下流に位置し、89アミノ酸の機能未知のタンパク質をコードするginAを見出した。次に、ginl破壊株、ginR破壊株、ginA破壊株では、酢酸とグルコン酸の生産量が野生株より増加することを示した。また、これらの破壊株の培養液では、食酢製造時に問題となる発泡が野生株と比較して顕著に減少することを示した。以上より、GinI/GinRクオラムセンシングシステムはGinAを介して、酢酸菌の特徴的な性質である酢酸発酵とグルコン酸発酵を含む酸化発酵および消泡活性を負に制御していることを明らかにした。この結果は、クオラムセンシングの酸化発酵への関与を示した初めての例であるが、酢酸菌のクオラムセンシングの制御が酢酸発酵と消泡活性の両面で食酢製造に応用可能なことを示した点でも重要である。

第二部、第2章では、GinI/GinRクオラムセンシングシステムの標的遺伝子をさらに同定し、GinI/GinRクオラムセンシングシステムによって、どのように酢酸発酵が制御されているのかを明らかにすることを目的として、二次元電気泳動によるプロテオーム解析を行った。その結果、GmpAと名づけたOmpAファミリーのタンパク質がGinI/GinRクオラムセンシングシステムに応答して生産されることを見出した。そして、転写解析によって、gmpAの転写がGinAを介してGinI/GinRクオラムセンシングシステムによって活性化されることを示した。次に、gmpA破壊株を作製し、酢酸発酵への影響を調べた。その結果、gmpA破壊株は、野生株に比べて酢酸の生産量が増加し、同時にグルコン酸の生産量も増加した。以上の結果から、GinAを介して活性化されるgmpAは、クオラムセンシングシステムによる酸化発酵の抑制に関与していることが示された。

第二部、第3章では、gmpA以外のGinAの標的遺伝子を同定し、クオラムセンシングシステムによる酢酸発酵の制御機構を明らかにすることを目的として、近縁種であるluconacetobacterpolyoxogenesのDNAマイクロアレイを使用したトランスクリプトーム解析を行った。その結果、GinAによって誘導される4つの遺伝子(gltA、pdeA、pdeB、nagA)が同定された。遺伝子破壊により、酸化発酵と消泡活性への関与を調べた結果、これら4つの遺伝子のうち、gltA(putativeglycosyltransferase)とpdeA(putativecyclic-di-GMPphosphodiesterase)は酢酸発酵とグルコン酸発酵を含む酸化発酵に負の影響を与えることが示された。更に、gltaは消泡活性にも負の影響を与えることが示された。このように第3章では、酸化発酵に関与する複数の遺伝子がGini/GinRクオラムセンシングシステムの制御下にあることを明らかにしている。この発見は酸化発酵の条件に適応して進化したGintermediusにおけるGinI/GinRクオラムセンシングシステムの重要性を強く示唆するものである。

第三部では、研究を総括するとともに、今後の展望について論じている。

以上、本論文は酢酸発酵と密接に関与している、酢酸菌のクオラムセンシングシステムについての研究成果をまとめたものであり、学術上ならびに応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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