学位論文要旨



No 217260
著者(漢字) 千野,聡子
著者(英字)
著者(カナ) チノ,サトコ
標題(和) 建材からの空気質汚染物質の二次放散原因と知覚空気質への影響物質解明に関する研究
標題(洋)
報告番号 217260
報告番号 乙17260
学位授与日 2009.11.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17260号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 立間,徹
 東京大学 教授 大岡,龍三
 東京大学 教授 岸,利治
 東京大学 准教授 火原,彰秀
内容要旨 要旨を表示する

本研究では、塩化ビニルの可塑剤として使用されるフタル酸ジ-2-エチルヘキシル(DEHP)が加水分解し、2-エチル-1-ヘキサノール(2E1H)が生成、床面から高濃度で2E1Hが放散する事例に着目した。2E1Hは室内空気汚染物質として世界保健機関(WHO)により報告されている物質であり、知覚空気質へも影響を与えるとされる。

1980年代の欧米では、シックビルディング症候群と言われる建物の室内環境が原因となり生じる様々な健康被害が問題となった。日本においても1996年頃よりシックハウス症候群としてこの問題は大きく扱われた。シックハウスの原因は、住宅の高気密・高断熱化に伴う換気量の低下や不足、新建材と呼ばれるプラスチック材料などからの化学物質の放散とされている。国内では建材などからの揮発性有機化合物(VOC)による室内空気質汚染に対する研究、対策が行われ、その結果ホルムアルデヒド、トルエンなど厚生労働省により室内濃度指針値が示された物質に関しては、新築住宅において濃度が低減した。しかし、居住者が持ち込んだ家具からの汚染物質の放散、代替物質による汚染などの問題は尽きない。また、建材など製品には直接使用されていない物質の放散(二次放散)による問題も生じている。

本研究で着目した2E1Hの放散は、この二次放散にあたる。DEHPは沸点385°Cであり、準揮発性有機化合物(SVOC)に分類されるが、高い沸点を持つため材料から放散しても壁面などに吸着しやすく、気中濃度はVOCと比較してそれほど高くならない。一方、DEHPの加水分解物質である2E1Hは沸点184.7℃であり、VOCに分類される物質である。DEHPからより揮発しやすい2E1Hが生成、放散することにより、室内空気質は悪化する方向に傾く。建物内では、アルカリ性であるセメントを含むコンクリートやセルフレベリング材といった床下地に直接DEHPを含む塩化ビニル製の床仕上材を貼り付け、内装仕上げとすることが多い。乾燥していない床下地に床仕上材を張り付けた場合や台風、水漏れといった浸水事故後、カビが生えていないにもかかわらず、悪臭が問題となるケースではDEHPの加水分解により生成した2E1Hが原因物質とされており、知覚空気質に影響を与える。さらに、2E1Hが原因と考えられるシックハウスの症例が報告されている。しかしながら、既往研究の多くが加水分解、すなわち床下地の水分と2E1Hの放散の関係性に着目しており、それ以外のファクターについて研究されているものは少ない。また、2E1H放散による知覚空気質への影響まで調査している研究はない。

本研究では良質な室内空気質を確保することを目的として、DEHPを含む塩化ビニル製の床仕上材を施工した床面からの2E1Hの放散性状の把握と放散するにおい物質の特性を評価した。放散性状を把握することにより、放散を抑制する方法や対策を検討することが可能となる。においの特性評価により、2E1H以外のにおい物質の確認を行い、知覚空気質への放散物質の影響を考察した。本研究では既往の研究と同じく、床下地の水分が2E1Hの放散性状に与える影響を調査し、使用されている建材が2E1Hの放散性状に与える影響を確認した。最後ににおい嗅ぎガスクロマトグラフィー(GC-O)により、床面から放散する化学物質のにおいを評価し、建材からのにおいの特性の評価を試みた。

本論文の構成及び各章のまとめを以下に示す。

第1章 序論

本研究の対象となるDEHPの加水分解による2E1H放散のメカニズムと空気質汚染の問題について触れ、本研究の目的を述べた。

第2章 室内汚染化学物質と放散量測定方法

室内汚染化学物質による問題と国内外での取り組みをまとめた。次に、化学物質の放散のモデル式を概説し、さらに建材からの化学物質放散量測定方法に関して紹介した。さらに2E1H放散に関する既往研究をまとめ、本研究の既往研究との違いを示した。

第3章 室内のにおいと評価方法

においを感じるメカニズム、においの特性、評価尺度、においの評価方法など、においに関する基礎的事項をまとめた。においに関する既往研究を紹介し、GC-Oによる建材臭の評価に関する既往研究をまとめた。

第4章 床面からの化学物質放散量に建材中の水分が与える影響

塩化ビニル床材単体からの放散量とセルフレベリング材に塩化ビニル床材を施工した複合建材からの2E1H及びVOC放散量を測定した。続いて、2E1HがDEHPの加水分解により放散すると考えられることから、セルフレベリング材の含水率と2E1H放散量の関係を求めた。さらに、磁気浮遊天秤を使用してセルフレベリング材の水蒸気吸着等温線を測定することにより、含水率と水分の存在状態の関係を調べ、2E1H放散量との関係性を考察した。

その結果、塩化ビニル床仕上材単体からのDEHPの酸化等によると思われる2E1Hの放散を確認した。床面からの加水分解による2E1Hの放散量は、ある程度時間が経過した後に増加し、塩化ビニル床仕上材単体よりも放散速度が高く、建材内部で生成した2E1Hが放散していると考えられる。本研究で使用したセルフレベリング材は含水率が4%程度を境に、それ以上の含水率を有している場合は液水が支配的であり、それ以下では水蒸気が支配的であると考えられ、床面からの2E1H放散量は、床下地材の水分の状態が液水が支配的である場合に増加し、水蒸気が支配的である場合は増加しない。床面からの2E1H放散への対策として、床下地となるセルフレベリング材やコンクリートの水分管理は非常に有効な手段と考えられる。

第5章 床面からの化学物質放散量に建材が与える影響

2E1Hの放散に使用する建材が与える影響、特に使用する床仕上材の2E1Hの拡散性状や接着剤の成分に着目した。各種床仕上材を使用した場合の2E1H放散傾向を把握するため、床仕上材の2E1Hの有効拡散係数を測定した。次に床仕上材単体とセルフレべリング材に床仕上材を貼り付けた複合建材からの2E1H放散量を測定した。また、床仕上材用の接着剤が床面からの2E1H放散に与えている影響を検討するため、接着剤の種類と2E1H放散速度の関係を求め、さらに化学分析により接着剤成分の分析を行うことで接着剤由来の2E1Hの放散を考察した。結果から得られた知見は以下のとおりである。

1.塩化ビニル床仕上材の有効拡散係数の測定

推定有効拡散係数推定値はクッションフロアが最も大きく、ビニルタイルがクッションフロアのおよそ7%程度の値となり、最も小さな値となった。床仕上材を構成している材料の特性が、床仕上材内での2E1Hの拡散性状に大きく影響を与える。

2.接着剤の分析および放散量測定

一部のアクリルエマルジョン系接着剤には2E1Hを基とするエステル化合物が使われており、2E1Hそのものが存在する。さらに接着剤中のモノマー、ポリマーが加水分解し、2E1Hが生成する。そのため、一部の接着剤より2E1Hの一次放散が認められた。また、接着剤単体の放散試験でも2EHAや酢酸2-エチルヘキシルといった2-エチル-1-ヘキシル基を持つ化合物の放散が認められ、成分分析の結果と一致した。

3.異なる種類の床仕上材、接着剤を用いた複合建材からの放散量測定

接着剤に含まれる2E1Hの量や樹脂の量によって、床面からの2E1Hの放散速度は変化する。床下地が乾燥していても、接着剤の一次放散によって、床面からの2E1Hの放散はある程度の期間続く場合がある。使用する接着剤の種類によっては、高含水の床下地に塩化ビニル床材を施工しても2E1H放散量は増加しないことがあり、原因として、接着剤に含まれる成分がアルカリ水とDEHPの接触を阻害している可能性がある。長期にわたる複合建材からの2E1Hの放散は、接着剤由来よりも床材に含まれるDEHPの加水分解による影響が大きいと推測される。タイルカーペットを高含水の床下地に貼り付けた場合、他の床仕上材よりも2E1Hが放散しやすい傾向があった。

第6章 におい嗅ぎガスクロマトグラフィーを用いた建材由来のにおい物質の評価

GC-Oにより塩化ビニル床仕上材、接着剤、セルフレベリング材を組み合わせた複合建材からのにおいの特性の評価を行った。におい物質の中には同定が不可能な物質もあったが、GC-Oにより様々なにおい物質が確認され、建材臭を評価することが可能であった。養生期間や建材の含水率の違いによって、GC-Oで検出されるにおい物質のにおいの印象は異なった。化学物質の放散速度と検出頻度に関係性は見られなかったが、物質の臭気閾値、パネルのにおいに対する順応などが影響していると考えられる。さらに、低濃度の物質や検出器で検出されないような物質であっても、パネルがにおいを申告することが確認された。GC-Oでは濃縮された状態の化学物質がパネルに提示されるため、実際のにおいにどの程度寄与する物質であるか判断は難しいが、臭気閾値の低い物質の放散が実験結果より示唆された。また、放散速度が高い物質であっても、パネルによってはにおいを感じない場合が認められた。パネルのにおいに対する感度の差も結果に影響していると考えられる。今後の実験では、各パネルのにおいに対する感度を何らかの方法で確認するべきと思われる。

第7章 結論

本論文のまとめと課題について述べた。床仕上材のDEHP含有量と2E1H放散量の関係、複合臭と分離臭の関係を明らかにすることが今後の課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「建材からの空気質汚染物質の二次放散原因と知覚空気質への影響物質解明に関する研究」と題して、近年、建物の気密性の向上と室内換気量減少の傾向から特に問題が顕在化した室内の建材からの揮発性化学物質放散現象の特性把握に関して検討を行ったものである。

検討として、第一に床仕上げ材として使用される塩化ビニル製床材からの揮発性化学物質放散に着目し、塩化ビニルの可塑剤として使用されるフタル酸ジ-2-エチルヘキシル(DEHP)が加水分解し2-エチル-1-ヘキサノール(2E1H)が生成され、床面から高濃度で放散される事例に着目している。二次放散にあたる2E1Hが原因と考えられるシックハウスの症例も多く報告されているが、放散を抑制する方法や対策を検討するためにこの放散性状を解析するもので、床下地の水分が2E1Hの放散性状に与える影響を調査し、使用されている建材が2E1Hの放散性状に与える影響を確認している。また第二の検討として、2E1Hが知覚空気質に影響を与える物質であることに着目し、におい嗅ぎガスクロマトグラフィー(GC-O)により、床面から放散する化学物質のにおいを評価し、建材からのにおいの特性の評価を試みている。においの特性評価により、2E1H以外のにおい物質の確認を行い、知覚空気質への放散物質の影響を考察するほか、GC-Oでの建材臭の評価方法に対する課題を明らかにしている。

本論文の構成は以下の通りである。

第1章では、本論文の導入として、研究背景となる塩化ビニル製床材などからの2E1Hの二次放散の問題点と知覚空気質(におい)の評価方法の問題点を明らかにし、本研究の目的及び方向性を示している。

第2章および第3章では、本論文の基礎的知識となる建材からの化学物質の放散モデル、化学物質放散量測定法、においの特性、においの評価方法などを概観している。

第4章では、床下地の水分が2E1Hの放散性状に与える影響を化学物質放散量測定により調査し、2E1Hの放散速度と床下地の含水率の関係を明らかにしている。また、床下地の水分特性を調査するため、床下地の水蒸気吸着等温線(平衡含水率)を測定し、放散速度と床下地の含水率の関係を考察している。

第5章では、建材が2E1Hの放散性状に与える影響を実験結果から検討するため、床仕上げ材の2E1H拡散係数の測定、建材の一次放散および二次放散の影響に着目した放散試験、接着剤の成分分析の結果を示している。2E1H放散メカニズムに対する新たな知見として建材の一次放散および二次放散の影響を明らかにし、2E1H放散のリスクを低減するための方法を提案している。

第6章では、本研究の二つ目の目的であるGC-Oでの建材臭の評価を試みている。機器分析では検出できないようなにおい物質であってもヒトの知覚で評価可能なことを示し、GC-Oを用いた建材臭の評価の有効性を明らかにしている。また、パネル(においの評価者)のにおいに対する応答の違いにより、評価結果に差が生じることなどを明らかにし、評価方法の問題点として指摘している。

第7章では、本論文の結論をまとめ、今後の課題を示している。

本論文は、研究例の少ない塩化ビニル製床材などからの2E1Hの二次放散に関する影響因子を調査し、2E1Hの放散による室内空気質の汚染リスクを低減させる方法を提案している。本論文の結果および提案は、建築物の設計・施工段階で大いに役立つと期待されるほか、材料開発においても参考になる。さらに本論文では、GC-Oによる建材臭の評価手法の基礎的検討を行い、評価方法の問題点を洗い出している。本論文で試みられた建材臭の評価手法は、すでに確立されている建材からの揮発性化学物質放散試験法を拡張したもので、建材臭の評価手法として合理的であり、結果として指摘されている問題点も、今後の同分野の研究開発の方向を定めるものとなっている。以上より、本論文は室内の空気質特に知覚空気質に関わる設計・施工・評価に大きく貢献するものであり、建築環境工学の発展に寄与するところ大である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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