学位論文要旨



No 217272
著者(漢字) 北村,昭浩
著者(英字)
著者(カナ) キタムラ,アキヒロ
標題(和) β-1,6-glucan 生合成阻害物質の発見とその性状解析
標題(洋)
報告番号 217272
報告番号 乙17272
学位授与日 2009.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17272号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 教授 北本,勝ひこ
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 堀内,裕之
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

病原性真菌は皮膚や粘膜の比較的軽度の感染症から生命を脅かす深在性真菌症まで多様な疾患の原因菌であり、臨床現場に様々な問題をなげかけている。これに対し、既存の抗真菌薬は数、種類ともに限られており、新規作用機作を有する薬剤の開発が望まれている。真菌細胞に特徴的な細胞壁は選択性の観点から魅力的な標的である。真菌細胞壁は主にβ-1,3-glucan、β一1,6-glucan、マンナンおよびキチンで構成されているが、マンナン合成経路は真核生物に共通性が高いため抗真菌薬の標的として好ましくなく、β一1,3-glucanおよびキチンはすでに複数の阻害物質の報告がある。一方、β一1,6-glucanの生合成経路は比較的最近になって解析が進んだ経路であり、真菌選択的で生育に必須な酵素が複数あると考えられているものの阻害物質の報告は無い。そこで、筆者らはβ一1,6-glucan生合成阻害物質の獲得を目的とした本研究に着手した。

【病原性真菌におけるKRE6ホモログのクローニング】

まず、β一1,6-glucan阻害物質に期待される抗真菌スペクトルを検証する目的で、その合成酵素の一つと考えられているKRE6の種々の病原性真菌における存在を検証した。その結果、Candidaalbicans(代表的な病原性酵母)およびAspergillusnidulans(菌糸状真菌)でのホモログの存在が確認された。また、種々のCandida属菌種からKRE6ホモログの一部(あるいは全部)をクローニングして遺伝子配列を比較した結果、これらのホモログ間での高い相同性が確認されたことから、β一1,6-glucan阻害物質は幅広く真菌に作用する可能性が高いと考えられた。

【β一1,6-glucan阻害物質獲得のためのアッセイ系の確立】

次いで、β一1,6-glucan阻害物質獲得のためのアッセイ系の確立に着手した。アッセイ系確立のための最大の問題点はその生合成に関与する遺伝子の情報は多数あるが、各遺伝子がコードしている酵素の具体的な機能が明らかにされていないことである。このため、酵素レベルでのアッセイ系の確立は現状では困難である。一方、β一1,6-glucanの酵母細胞内での役割に関しては多くの知見が得られていた。β一1,6-glucanは細胞壁タンパク質の一部を固定するためのアンカーとしての役割を担っており、β一1,6-glucanの生合成が不十分になるとこれらの細胞壁タンパク質は細胞外へ流出する。また、これらの細胞壁タンパク質は特徴的な配列を持つ遺伝子にコードされたGPIタンパク質とよばれるものであり、この配列の特徴を利用して任意のタンパク質を細胞壁(あるいは細胞膜)に固定化する技術が確立されていた。これらの知見を応用し、筆者らは真菌細胞壁(または細胞膜)にGreenFluorescentProtein(GFP)を固定したアーミングイーストを作出し、薬剤作用時にアーミングイーストから流出するGFPの量を指標としてβ-1,6-glucan合成阻害物質をスクリーンするアッセイ系を確立した。本アッセイ系の資質を既存抗真菌薬および各種遺伝子破壊株を用いて評価した結果、本アッセイ系ではβ-1,6-glucanに加えてβ-1,3-glucan、マンナン等の細胞壁成分合成に関与する種々の酵素の阻害物質を幅広くスクリーンできる一方、タンパク質、核酸、脂質等を標的とする阻害物質はスクリーンされないことが示唆された。また、各種遺伝子破壊株から流出したGFPの分子量を比較した結果、破壊した遺伝子に依存した特徴的な分子量変化が観察された。したがって、薬剤作用時に流出したGFPの分子量を観察することにより、その薬剤のおおまかな作用機作の推定も可能と考えられた。以上の結果から、本アッセイ系はβ一1,6-glucanを含む真菌選択的な標的を有する新規物質を早期に選抜できるスクリーニング系であると考えられた。

【β-1,6-glucan阻害物質の獲得】

そこで、本アッセイ系を用いて低分子ライブラリー約10万検体を対象としたHTS(HighThroughput Screening)を実施した結果、興味深いプロファイルを有するD75-4590を獲得することができた。S.cerevisiaeを用いてD75-4590の作用機作解析を行なった結果、D75-4590の作用により1)[14C]glucoseのβ-1,6-glucan画分への取り込み量が選択的に減少する、2)細胞外に流出したタンパク質に付加されているβ-1,6-glucanが著しく減少する、3)β-1,6-glucan関連遺伝子破壊株に見られる特徴的な形態変化(多出芽形態)を示すことなどが明らかとなった。さらに、D75-4590耐性菌を作出して遺伝子変異を解析した結果、KRE6の変異による顕著な耐性化が確認された。以上の結果から、D75-4590はKre6pを一次作用点とする特異的なβ-1,6-glucan合成阻害剤であると考えられた。

【D75-4590誘導体の抗真菌活性評価】

旧第一製薬内で種々のD75-4590誘導体が合成され、D11-2040、D21-6076等の高い抗真菌活性を示す化合物が獲得された。これらの化合物の抗真菌活性プロファイルを多面的に評価した結果、以下の事実が明らかとなった。

1.D75-4590誘導体はinvitroでCandida属に幅広く活性を示し、既存薬耐性菌にも有効だが、Cryρtococcusneoformansや菌糸状真菌に対しては活性を示さない。

2.D11-2040およびD21-6076はどのCandida属菌種に対しても非常に低濃度で作用を示すが、その増殖阻害率は菌種により大きく異なりC.albicansやCandidatropicalisに対する効果は非常に弱い。

3.D21-6076はC.albicansおよびCandidaglabrataのマウス全身感染模型で明瞭な薬効を示す。

4・C・albicansに対してD11-2040と既存抗真菌薬とを併用すると、既存薬のMIC値を低下させる、作用を増強するなどの種々の効果がin vitroおよびin vivoで観察される。

5.D11-2040と既存抗真菌薬とのinvitroでの併用効果はC.neoformansやAspergillzasfumigatusにおいても、弱いながら認められる。

以上の結果から、D75-4590誘導体は少なくともCandida属に幅広く効果を示すとともに、既存薬の効果を増強する特性も有り、新規抗真菌薬母核としての十分な有用性があると考えられた。

【D21-6076の薬効発現機序解析】

D21-6076のC.albicansに対するinvtiro増殖阻害作用は弱いにもかかわらず、明瞭なinvivo薬効が認められたことから、D21-6076のinvivo薬効には増殖阻害活性以外の効果が関与していることが推察された。そこで、D21-6076の薬効発現機序解析に着手した。C.albicnasの病原性に関与する種々のタンパク質はβ-1,6-glucanを介して細胞壁に固定化されていることが種々の文献情報で明らかとなっている。D21-6076の作用によりこれらのタンパク質は細胞外に流出すると考えられることから、本化合物のinvivoの効果は真菌症の発症機序に対する阻害作用に起因する可能性があると考えられた。そこで、C.albicansの動物細胞への定着、菌糸状生長といった発症に必須な現象を模倣した種々のinvitro系でD21-6076を評価した結果、いずれの評価系においても強い阻害効果が観察されるとともに、これらの阻害作用の強さとβ一1,6-glucan阻害作用の強さに明確な相関性が観察された。以上から、D21-6076の薬効発現にはβ一1,6-glucan阻害に基づく真菌症発症機序に対する効果が深く関与していることが示唆された。

以上、筆者は本研究を通じて、真菌細胞壁を作用点とする薬剤を効率的にスクリーンするアッセイ系の開発およびこれを用いた世界初のβ一1,6-glucan阻害物質獲得に成功するとともに、その誘導体の性状および新規抗真菌薬母核としての有用性をinvitro,invivo両面から明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

真菌は多様な疾患の原因菌であり、臨床現場に様々な問題をなげかけている。これに対し、既存の抗真菌薬は数種類ともに限られており、新規作用機作を有する薬剤の開発が望まれている。本論文は新規抗真菌剤標的として細胞壁成分の一つであるβ-1,6-glucanに着目し、その生合成阻害物質の獲得と解析を試みたものであり、11章からなる。

第1章の序論および第2章の試験材料および方法に続き、第3章ではβ-1,6-glucan合成酵素の一つと考えられているKRE6の種々の病原性真菌における存在を検証した。その結果、CandidaalbieansおよびAsperg771usnidulansでのホモログの存在が確認された。また、種々のCandida属菌種からKRE6ホモログの一部をクローニングして遺伝子配列を比較した結果、これらのホモログ間での高い相同性が確認された。

第4章ではβ-1,6-glucan阻害物質獲得のためのアッセイ系の確立を試みた。β-1,6-glucanは細胞壁タンパク質の一部を固定するためのアンカーとしての役割を担っており、β-1,6-glucanの生合成が不十分になるとこれらのタンパク質は細胞外へ流出する。また、これらの細胞壁タンパク質は特徴的な配列を持つ遺伝子にコードされたGPIタンパク質とよばれるものであり、この配列を利用して任意のタンパク質を細胞壁(または膜)に固定化する技術が確立されていた。これらの知見を応用し、真菌細胞壁(または膜)にGreenFluorescentProtein(GFP)を固定したアーミングイーストを作出し、薬剤添加時にアーミングイーストから流出するGFPの量を指標としてβ-1,6-glucan合成阻害物質をスクリーンするアッセイ系を確立した。本アッセイ系の資質を既存抗真菌薬および各種遺伝子破壊株を用いて評価した結果・本アッセイ系ではβ-1,6-glucanに加えてβ-1,3-glucan、マンナン等の細胞壁成分合成に関与する種々の酵素の阻害物質を幅広くスクリーンすることが可能であると考えられた。また薬剤作用時に流出したGFPの分子量を観察することにより、ヒットした薬剤のおおまかな作用機作の推定も可能と考えられた。

第5章では、上記のアッセイ系を用いたHighThroughputScreeningにより獲得したD75-4590の作用機作解析を行なった。その結果、D75-4590をSaecharomyces cerevisiaeに作用させると1)[14C]glucoseのβ-1,6-glucan画分への取り込み量が選択的に減少する、2)細胞外に流出したタンパク質に付加されているB・・1,6・glucanが著しく減少する、3)β-1,6-glucan関連遺伝子破壊株に見られる特徴的な形態変化(多出芽形態)を示す、などの事実が示された。さらに、D75-4590耐性菌を作出して遺伝子変異を解析した結果、KRE6の変異による顕著な耐性化が確認された。以上の結果から、D75-4590はKre6pを一次作用点とする特異的なβ-1,6-glucan合成阻害剤であると考えられた。

第6章ではD75-4590誘導体であるD11-2040およびD21-6076の抗真菌活性プロファイルを多面的に評価した・その結果、D75-4590誘導体はinvitroでCandida属に幅広く活性を示し、既存薬耐性菌にも有効だが、Cryptococcus neoformansや菌糸状真菌に対しては活性を示さないこと・Candida albieansに対する増殖阻害率は非常に低いもののマウス全身感染模型では明瞭な薬効を示すこと、既存抗真菌薬との種々の併用効果がinvitroおよびin vivoで認められること、などが示された。

第7章ではD21-6076のC.albicansマウス感染模型における薬効発現機序を解析した。C.albicnasの病原性に関与する種々のタンパク質はβ一1,6-glucanを介して細胞壁に固定化されていることが種々の文献情報で明らかとなっている。D21-6076の作用によりこれらのタンパク質は細胞外に流出すると予想されることから、本化合物のinvivoでの効果は、その真菌症発症機序に対する阻害作用に起因している可能性があると考えられた。そこで、C.albicansの動物細胞への定着、菌糸状生長といった発症に必須な現象を模倣した種々のinvitro系でD21-6076を評価した結果、いずれの評価系においても強い阻害効果が観察された。第8帝では総括、第9章では考察が述べられており、第10章では謝辞、第11帝では引用文献が記載されている。

以上、本研究は、真菌細胞壁を作用点とする薬剤を効率的にスクリーンするアッセイ系の開発、β-1,6-glucan阻害物質の獲得、その誘導体の性状および新規抗真菌薬母核としての有用性をinvitro,invivo両面から明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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