学位論文要旨



No 217273
著者(漢字) 加藤,佳久
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ヨシヒサ
標題(和) バイオフィルム形成緑膿菌とグリコペプチド低感受性黄色ブドウ球菌に関する基礎および臨床的研究
標題(洋)
報告番号 217273
報告番号 乙17273
学位授与日 2009.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17273号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 徳田,元
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 准教授 横田,明
 東京大学 准教授 葛山,智久
 東京大学 准教授 西山,賢一
内容要旨 要旨を表示する

1.序諭

ヒトに感染症を引き起こす細菌は、生体内の様々な環境下で抗菌薬や宿主の防御機構による攻撃に耐えながら生存している。多くの病原細菌は、その旺盛な増殖力から生じる突然変異や遺伝情報のやり取りにより抗菌薬に耐性を獲得する能力に長け、ときにはバイオフィルムの形成により抗菌薬のみならず宿主の免疫機構に対して抵抗性を示す。近年、黄色ブドウ球菌や緑膿菌による院内感染が多発するなか、耐性菌の出現を押し止めることは困難で、新薬の創出も困難な状況にある。我々は細菌と闘うため、難治性・耐性の原因となる細菌の戦略について知識を深め、既存の抗菌薬の性能を理解し適正に使用していく必要がある。本研究は、難治性感染症の代表例である緑膿菌バイオフィルム感染症と、最も注目されている耐性菌の一つであるグリコペプチド低感受性黄色ブドウ球菌への対策を基礎と臨床から検討した。

2.バイオフィルム形成緑膜菌に関する研究

細菌は、ストレス環境下などにおいて自身が産生する菌体外多糖に覆われた強固なバイオフィルムを形成する性質を持つ。バイオフィルムを形成した細菌が抗菌薬や宿主の免疫機構に抵抗性を示す機序として、抗菌薬の通過阻害、細菌の遺伝子発現の変化や増殖速度の低下、多糖類などのポリマーによる細菌表面のマスキングが挙げられ、バイオフィルムは慢性の難治性感染症における病態形成と遷延化の原因となる。

緑膿菌の分離頻度が高い尿路バイオフィルム感染症の治療法を目指し、invitroでバイオフィルムを形成した菌を殺菌し得る抗菌薬療法を検討した。生体内での尿流を考慮し、ロビンスデバイスと呼ばれる装置にて人工尿中で緑膿菌を灌流させることでシリコンディスク上にバイオフィルムを形成させる実験系を導入した。抗菌薬を含有する人口尿の灌流時には、菌体成分の蓄積による影響が生じないよう、新鮮な人口尿を一方向に灌流させた。また、強固なバイオフィルムを形成した菌を均一に分散させることは困難なため、コロニー形成による菌数測定法の代わりにATP量を指標とする評価系を取入れた。その結果、キノロン系薬(DNA合成阻害剤で、尿路感染症の起因菌に対し広い抗菌スペクトルと強い殺菌力を示す)とボスホマイシン(細胞壁合成の初期段階の阻害剤で、ユニークな作用機序と単純な化学構造が特徴的である)の併用によるATP量の減少がみられ、電子顕微鏡下でもバイオフィルムの破壊像が観察された。本併用効果は、新たに上市されたキノロン系薬を含め、ヒトの尿中で到達し得る薬剤濃度で得られることが明らかとなった。

次に、臨床病態を模倣した動物モデルとして、非侵襲的手法によりラット膀胱内に留置したポリエチレンチューブに緑膿菌バイオフィルムを形成させるモデルを導入し、新たに薬効評価系を確立した。その結果、キノロン系薬単剤でもバイオフィルム中の菌数は減少することが明らかとなったが、3日間連続投与しても完全な除菌には至らなかった。そこで、キノロン系薬にボスホマイシンを併用したところ、キノロン系薬単剤に比べさらに菌数が減少し、電子顕微鏡下でもバイオフィルムの破壊像が認められた。

バイオフィルム感染症の動物モデル作製に関する報告は幾つかあるが、バイオフィルム形成の場として臓器内に何らかの異物を留置するなど、臨床の病態とかけ離れたものが多い。また、留置の際、開腹・開胸手術により誘発される生体反応や動物への負担が問題である。今回のモデルは、これらの問題を解決できるものであり、抗菌薬療法の適応を見極める上で有用と考えられる。併用効果の機序に関しては、ボスホマイシンが菌の細胞壁に損傷を与えることでキノロン系薬の菌体内移行が容易になるためとの報告がある。ホスホマイシンには、負電荷を帯びた菌体外多糖と反応せずバイオフィルム内への通過性に優れ、バイオフィルム内の環境に近い嫌気性条件下で本剤の菌体内取り込みに関与する輸送系の発現量が増加する特徴がある。今後、キノロン系薬とホスホマイシンの併用療法の臨床応用が期待される。

3.グリコペプチド低感受性黄色ブドウ球に関する研究

院内に蔓延するメチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)の特徴は、メチシリンなどのβ-ラクタム系薬だけでなく多剤に耐性を示すことであるが、近年では治療の切り札とされるグリコペプチド系薬(バンコマイシン、テイコプラニン)に対してもバンコマイシン高度耐性株(VRSA)が出現し、その脅威に対し特別な注意が喚起されている。各国で作成されたガイドラインに基づくバンコマイシンの適正使用などにより、幸いにもこの株の分離頻度はごく稀だが、バンコマイシンに低感受性を示す株(いわゆるVISA)の出現による治療失敗例が増加傾向にある。VRSAの耐性化機構(腸球菌由来のvanA遺伝子の獲得)と異なり、低感受性の獲得は内因性で、細胞壁の肥厚など細胞壁合成系の異常が原因であることが明らかとなりつつある。一方、一部の実験的変異株や臨床分離株の解析により、低感受性の獲得は複数の突然変異の蓄積によると考えられているが、VISAに特徴的な普遍的にみられる変異は明らかとなっておらず、遺伝子レベルでの解明には遠い段階にある。

グリコペプチド低感受性の機構をより明らかとするため、VISAで変異がみられる遺伝子領域のうち、二成分制御系(細胞膜上のセンサーと細胞質に局在するレスポンスレギュレーターにより構成され、外部からの何らかの刺激に対し、リン酸化を介したシグナル伝達により遺伝子発現を制御し応答する機構)に着目した。二成分制御系とグリコペプチド耐性との関連は、バンコマイシン耐性腸球菌など他菌種でも示唆されており、またβ一ラクタム系薬など他の細胞壁合成阻害剤の耐性との関連も報告されている。従って、二成分制御系は、細胞壁に受けた損傷を感知し、酵素や基質輸送系の発現を制御することで、グリコペプチド系薬を含む細胞壁合成阻害剤への耐性発現に関わると推測される。この仮説を検証するため、先ず薬剤含有平板にて生育したコロニーからグリコペプチド低感受性株を実験的に取得し、二成分制御系センサーを中心に低感受性への関与が疑われる遺伝子の配列を網羅的に解析した。その結果、イミペネム(β-ラクタム系薬)含有培地よりグリコペプチド低感受性株が高頻度に分離され、vraS(細胞壁合成を正に制御するセンサー)の上流に位置する機能未知遺伝子yvqFに1アミノ酸置換を伴う変異が初めて見出された。yvqFに変異のない残りの株からは、vraSに1アミノ酸置換を伴う変異が見出された。次にこれらの変異株からさらに耐性度の上昇した株を作製したところ、yvqFあるいはvraSの変異に加え、転写アテニュエーターであるLytR-CpsA-Psrfamilyに属し膜タンパク質をコードするmsrR、あるいは推定の金属結合モチーフを持つ膜タンパク質をコードするtcaAに変異が見出され、これまで知られていなかった複数の変異の組合せが明らかとなった。最も注目すべきことは、臨床分離株においても、グリコペプチド(特にテイコプラニン)低感受性のほぼすべての株よりこれらの遺伝子領域に何らかの変異が見出されたことである。今回、疫学的な手法で変異の重要性を明確にするとともに、様々な遺伝的背景を持つ臨床分離株で共通して変異がみられる遺伝子領域を初めて明らかとした。将来的には遺伝子診断技術を用いた特定の変異の検出により、MRSA感染症の治療への有用な情報の提供に繋がると期待される。

耐性化を認知し、その進行を防ぐという観点から、基礎を臨床に結びつけることが重要と考え、ある病院で経験したテイコプラニン低感受性のMRSAの流行を事例として検討した結果、低感受性の原因としてvraS変異を明らかとした。さらに、vraS変異株が流行した原因を当院における抗MRSA薬の使用実績から探った結果、グリコペプチド系薬の使用量と本変異株の分離頻度との間に関連性が認められた。一方、タンパク質合成阻害剤であるアルベカシン(アミノ配糖体系薬)の使用量増加に伴いvraS変異株は鎮静化し、vraS変異株の動向は、院内で使用される抗菌薬の選択圧と密接に関連していることが明らかとなった。また、vraS変異株を含むテイコプラニン低感受性株が分離された患者18症例について、過去の臨床記録に遡って解析したところ、テイコプラニン投与群での菌消失率は50%と他剤で治療した場合と比較して低く、本変異により治療効果が低下することも裏付けられた。今回の解析から、薬剤感受性パターンをモニタリングしながら作用機序の異なる抗MRSA薬をバランス良く使い分けることで、特定の耐性菌の出現を抑制できることが示唆される。その結果、現状よりMRSA感染の治療効果が高くなることが大いに期待される。

4.総括

バイオフィルムに対するボスホマイシンの効果は、アミノ配糖体系薬との併用でも報告されており、今後はボスホマイシンを中心とした併用療法のさらなる検証を行うことが重要である。また、今回確立したモデルは、バイオフィルム阻害剤の探索など新たな予防法・治療法の開発にも応用が期待される。黄色ブドウ球菌のグリコペプチド低感受性に関与する新規変異の発見は、耐性化機構の解明に繋がる鍵になると考えられる。特に、yvqFやvraS変異株の出現には、β-ラクタム系薬の使用がリスク因子の一つになっていることが示唆され、VISAがどのように出現するか解明する手がかりになると考えられる。また、このようなVISAの出現に繋がる変異を初期的な段階で検出することは、適切な治療薬の選択と院内での耐性化の進行を防ぐ際の一助になり得ると期待される。

審査要旨 要旨を表示する

病原細菌は抗菌薬に対する耐性を遺伝的に獲得し、またバイオフィルムを形成して宿主の免疫機構に抵抗性となる。細菌が難治性・耐性となる理由を理解し、抗菌薬を適切に使用することが、病原細菌による院内感染に対処するために重要である。本研究は、難治性感染症の代表例である緑膿菌バイオフィルム感染症と、最も注目されている耐性菌の一つであるグリコペプチド低感受性黄色ブドウ球菌への対策を基礎と臨床から検討したものである。

第1章は序論であり、研究の背景・意義を述べている。第2章では、緑膿菌の分離頻度が高い尿路バイオフィルム感染症について、抗菌薬療法をinvitroで検討している。バイオフィルムは、菌体外多糖に覆われた強固な構造体である。人工尿中で緑膿菌を灌流させることによりシリコンディスク上にバイオフィルムを形成させ、その後抗菌薬を含有する人口尿を灌流させた。ATP量を指標として細菌量を測定した結果、DNA合成阻害剤で尿路感染症の原因菌に対し広い抗菌スペクトルと強い殺菌力を示すキノロン系薬と、細胞壁合成阻害剤であるボスホマイシンを併用すると、それぞれの薬剤の単独使用では減少しなかったATP量が大きく減少した。また、両薬剤を併用すると、バイオフィルムが破壊されることが電子顕微鏡下で観察された。

第3章では、動物実験により抗菌薬療法を調べている。ラット膀胱内にポリエチレンチューブを留置し、緑膿菌バイオフィルムを形成させる実験系を構築し、キノロン系薬とボスホマイシンの併用効果を調べた。その結果、キノロン系薬とボスホマイシンの併用効果が動物実験で初めて明らかとなった。以上の結果から、併用効果の機序を考察し、ボスホマイシンは菌体表層構造に影響を与え、その性質を変化させることによりキノロン系薬の菌体内取り込みを上昇させると結論している。

第4章では、バンコマイシン低感受性黄色ブドウ球菌(VISA)出現の原因を遺伝子レベルで明らかにしている。メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)は、メチシリンなどのβ-ラクタム系薬だけでなく、多剤耐性を示すことが大きな問題となる。治療の切り札とされるバンコマイシンなどのグリコペプチド系薬に対しても、バンコマイシン高度耐性株(VRSA)が出現し大きな問題となっている。この株の分離頻度はごく稀だが、VISAの出現による治療失敗例が増加傾向にある。VRSAは、vanA遺伝子の獲得が原因であるが、VISAの出現は内因性で、細胞壁の肥厚など細胞壁合成系の異常が原因であることが明らかとなりつつある。一方、VISAに普遍的にみられる変異は明らかとなっておらず、遺伝子レベルでの解明が課題となっている。細胞壁合成系の遺伝子発現に関与することが多い二成分制御系の遺伝子に特に注目し、実験的に分離したグリコペプチド低感受性株では、細胞壁合成を正に制御する二成分制御系のセンサー遺伝子vraSの上流にある機能未知遺伝子yvq7に変異があることを初めて明らかにした。さらに、vraSや、そのレスポンスレギュレーターであるvraRなどに変異を持つグリコペプチド低感受性株を高頻度に分離している。これらの結果を基に、YvqFがVraSRと相互作用して働く三成分制御系システムをモデルとして提出している。

第5章では、ある病院においてグリコペプチド系薬テイコプラニン低感受性として分離されたMRSAの遺伝的背景を調べ、低感受性の原因としてvraS変異を明らかとしている。さらに、vraS変異株が流行した原因を抗MRSA薬の使用実績から探り、グリコペプチド系薬の使用量と本変異株の分離頻度との間の関連を明らかにしている。

以上、本論文は、難治性・耐性となった病原細菌の遺伝的原因を明らかにし、またそれに対する対処法を基礎と臨床から検討し、明らかにしたものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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