学位論文要旨



No 217275
著者(漢字) 石坂,智路
著者(英字)
著者(カナ) イシザカ,トモミチ
標題(和) カニクイザルおよびビーグル犬を用いた薬剤誘発性 QT 延長症候群の in vivo 評価に関する研究
標題(洋)
報告番号 217275
報告番号 乙17275
学位授与日 2009.12.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17275号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 准教授 桑原,正貴
 東京大学 准教授 堀,正敏
内容要旨 要旨を表示する

体表面から得られる心電図上のQT間隔は心室筋の細胞内活動電位の持続時間(action potential duration、APD)の平均的長さを反映していると考えられている。このQT間隔が著しく延長することは致死性の多形性心室頻拍(Torsades de Pointes、TdP)に繋がる可能性が高くなることを示唆し、QT延長症候群として臨床的に重要な疾患として考えられており、その原因により先天性、後天性あるいは特発性のQT延長症候群に分類される。先天性QT延長症候群は緩徐活性型遅延整流K+電流(IKs)、急速活性型遅延整流K+電流(lkr)、Na+電流(INa)、内向き整流K+電流(IK1)が関連する心筋のイオンチャネルに遺伝子異常があることが報告された。後天性QT延長症候群の原因は抗不整脈薬、抗生物質などの薬剤の服用、低カリウム血症などの電解質異常、著明な徐脈、糖尿病などの自律神経異常をきたす疾患など様々である。Vaughan Williams分類でIa群あるいはIII群に分類される抗不整脈薬はそのK+チャネル、特にIKr阻害作用により心室筋の活動電位持続時間及び不応期を延長させることでリエントリー性不整脈を停止あるいは予防する。しかし、このIKr阻害作用により逆頻度依存性にAPD延長が誘発され、薬効として期待する頻脈時のAPD延長作用は減弱し、逆に徐脈時に著しいQT間隔延長を誘発することでTdPを発症させる可能性が高くなる。さらに、フェノチアジン系抗精神病薬、抗ヒスタミン薬、抗生物質、消化管運行調節薬、高脂血症治療薬といった非循環器系薬剤によってもQT間隔延長を伴うTdP誘発が報告され、薬剤誘発性QT間隔延長症候群が注目されるようになった。これらi薬剤の多くがIKRに関与するHERG(human ether-a-go-go-related gene)チャネルを抑制することが知られている。従ってヒトが服用する機会のある全ての薬剤でIKr阻害作用によるQT間隔延長及びTdP誘発の可能性が存在するため、日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)で作成されたヒト用医薬品の心室再分極時間遅延(心電図QT間隔延長)の潜在的な可能性を評価するための安全性薬理試験ガイドライン(S7B)に述べられているように、被験物質をヒトに投与する前に安全性薬理試験として非臨床試験の段階でHERGなどがコードされた発現Ikrチャネルタンパク質を介するイオン電流への影響の評価(In Vitro IKr Assay)、QT間隔など心室再分極の指標の測定(In vivo QT Assay)、深い理解もしくは追加知識を得られるフォローアップ試験などから統合的に薬剤のQT間隔延長リスクを評価することが求められている。特にIn Vivo QT Assayでは、マウス、ラット及びモルモットはヒトの膜電流系とは異なるため、非げっ歯類を用いることが望まれる。その中でも背景データの豊富なイヌを選択することがしばしばだが、霊長類、特にカニクイザルをヒトとの代謝相似性や器官相同性を根拠として選択するケースも増えている。従って心血管系安全性薬理試験ではビーグル犬及びカニクイザルが重要な実験動物種となる。

そこで本研究では、薬剤誘発性QT延長症候群を的確に捕捉できる非臨床試験を確立することを目的に下記の検討を行った。まず各種化合物の電気生理学的及び血行力学的作用の評価実績が多いハロセン麻酔下のビーグル犬を用いた心血管系評価法の技術を導入し、IKr阻害作用を有するベプリジル及びdl-ソタロールに対する反応を検討した(第1章)。さらに、QT間隔延長作用を有さないが、降圧に伴う反射性頻脈によりQT間隔が変動することが考えられるジヒドロピリジン系Ca2+チャネルブロッカーであるアゼルニジピン及びアムロジピンを同モデルで評価し、心室ペーシングによる心室再分極過程の評価の有用性を検討した(第2章)。これらの評価技術をカニクイザルに応用し、dl-ソタロールに対する電気生理学的反応性を検討した(第3章)。さらに、ICHで作成された医薬品に関する安全性薬理試験ガイドライン(S7A)で推奨されている無麻酔・非拘束下での評価を両動物種に適用し、dl-ソタロールに対する反応性を検討した(第4及び5章)。最後に、雌のカニクイザルを用いて薬剤誘発性QT間隔延長作用に対する感受性の年齢差を調査した(第6章)。

第1章ではハロセン麻酔イヌモデルを用いることによりベプリジル及びdl-ソタロールにより誘発される心電図上のQT間隔延長作用、即ち心室再分極過程の延長を良好に検出することができた。また、心室の電気的ペーシングにより一定心拍数下で評価することで、心拍数の変動の心室再分極過程への影響を排除することができた。さらに、単相性活動電位、心室有効不応期及び再分極終末相など心室再分極に関する詳細なデータも取得でき、本モデルの有用性が確認された。また、ベプリジルとdl-ソタロールの血行力学的及び電気生理学的作用の差異を詳細に検討した結果、両剤を臨床で使用する上での薬理作用及び安全性面に関する基礎データを取得できた。第2章では、洞調律下においてアムロジピン投与後に反射性頻脈に伴うQT間隔及びQTcの変動が誘発されたが、心室ペーシング下では再分極過程に対する有意な影響は認められなかった。本モデルが心拍数変動のQT間隔への影響を排除して薬剤誘発性QT間隔延長を正確に評価できる系であることが示唆された。さらに、アムロジピンにより誘発された反射性頻脈がアゼルニジピンでは認められなかったことは、臨床における治療方針の選択の上でも有用なデータになるものと考えられた。第3章では、ハロセン麻酔サルモデルにおいてもdl-ソタロールにより誘発される心室再分極過程の延長を感度よく検出できることが確認でき、安全性薬理試験において本モデルをフォローアップ試験として利用することも可能であると考えた。さらに、第1章でのハロセン麻酔イヌを用いた実験結果と比較検討したところ、恥阻害剤によるQT間隔延長に対する感度はビーグル犬よりもカニクイザルの方が高いことが示唆された。一方、心室ペーシングにおいて刺激周期が長い方がdl-ソタロールを投与した際の単相性活動電位の延長が大きかった点はカニクイザル及びビーグル犬で共通しており、心室の電気的受攻性の程度の指標となる再分極終末相にはほとんど変化が無かったこと、dl-ソタロールのβ及びIKr阻害作用によると考えられる心拍数の低下が認められたことも共通の所見であった。s第4章では、無麻酔・非拘束下でのカニクイザル及びビーグル犬においてもdl-ソタロールの静脈内投与によりQT間隔、QTcB及びQTcFの延長が検出されることが確認された。無麻酔・非拘束下での評価はS7Aにおいても推奨されており、実験者の技術の差を含めた実験施設問差も少なく、薬物動態学的プロファイルを含めた他の一般毒性試験からの情報の関連性が考察でき、臨床における投与経路と揃えられることからもコアバッテリー試験として有用と考えられる。また本剤によるQT間隔の延長幅及び延長率を検討したところ、ビーグル犬よりもカニクイザルの方が大きかったことから、ハロセン麻酔モデルと同様にサルの方が薬剤誘発性QT間隔延長作用に対する感受性が高い可能性が示唆された。従って、非げっ歯類として非臨床試験においてよく用いられている両種間に上記のような差があることは薬剤誘発性QT延長のリスク評価を行う際に有用なデータとなると考える。第5章では、ハロセン麻酔モデルと無麻酔・非拘束モデルとの比較を行った。カニクイザル及びビーグル犬のいずれにおいてもハロセンのK+チャネルに対する阻害作用及び自律神経系活性の抑制に起因すると推察される薬剤誘発性QT間隔延長作用に対する感受性の高さがハロセン麻酔下で認められ、その作用はビーグル犬よりもカニクイザルの方が高いことが示唆された。しかし、ハロセン麻酔モデルの感度の良さは適度なものであり、薬剤誘発性QT延長作用を検出するためのモデルとして適切であることが示された。第6章では、老齢カニクイザルの方が若齢カニクイザルよりも薬剤誘発性QT間隔延長作用に対する感受性が高いこと、また加齢がQT間隔の日内変動に影響を及ぼすことが示唆された。通常医薬品の安全性試験で使用されている動物は若齢の動物が多いが、安全性評価においては年齢による感受性差をより慎重に考慮すべきであると思われた。

以上の研究により、非臨床において安全性薬理試験として医薬品の心血管系に対する安全性を評価する上でビーグル犬あるいはカニクイザルを用いた無麻酔・非拘束下での評価法はコアバッテリー試験として有用であることと、その評価法で得られた結果に対してより専門性高い科学的判断を提供するハロセン麻酔下での循環器系試験法はフォローアップ試験として有用であること示す知見が得られた。また、薬剤誘発性QT間隔延長作用の検出感度にはビーグル犬とカニクイザルにおける種間差、無麻酔・非拘束下と麻酔下におけるモデル間差、使用する動物の年齢の影響があることも示唆された。これらの成果は心血管系に対して安全性の高い医薬品の開発に大いに資するものと思われた。

審査要旨 要旨を表示する

近年、薬物の副作用による心臓突然死が医療および医薬開発研究分野で大きな問題になっており、医薬品開発および安全性試験においては、日米EU医薬品規制調和国際会議(ICH)のガイドラインに基づく一定の試験を実施することが必須となってきている。薬物の副作用による心臓突然死症例では、患者の心電図記録においてQT間隔の延長を伴うことが多いことから、薬物の潜在的リスクを心電図QT間隔に関連した各種の指標を用いて評価するようになった。すなわち、非臨床段階における安全性薬理試験として、In Vitro IKr評価系及びIn Vivo QT評価系で薬剤誘発性QT延長症候群のリスク評価を行うことが求められている。本研究論文では、In Vivo QT評価を行うための感度の良い安定した評価モデルを作製とそれらを用いた実際の薬物評価を詳細に検討したものである。

第1章ではハロセン麻酔イヌモデルを用いることにより、ベプリジル及びdl-ソタロールにより誘発される心電図上のQT間隔延長作用、即ち心室再分極過程の延長を良好に検出することができた。単相性活動電位、心室有効不応期及び再分極終末相など心室再分極に関する詳細なデータも取得でき、ハロセン麻酔を用いた本モデルの有用性が確認された。また、ベプリジルとdl-ソタロールの血行力学的及び電気生理学的作用の差異を詳細に検討した結果、両剤を臨床で使用する場合に有益な薬理作用及び安全性面に関する基礎データを取得できた。

第2章では、洞調律下と心室ペーシング下のいずれがQT間隔及びQTcの評価に適しているかについてアムロジピンを用いて検討した。その結果、心室ペーシングモデルが心拍数変動のQT間隔への影響を排除して薬剤誘発性QT間隔延長を正確に評価できる系であることが示唆された。さらに、アムロジピンにより誘発された反射性頻脈がアゼルニジピンでは認められなかったことは、臨床における治療方針の選択の上でも有用なデータになるものと考えられた。

第3章では、ハロセン麻酔サルモデルにおいてもdl-ソタロールにより誘発される心室再分極過程の延長を感度よく検出できることが確認でき、安全性薬理試験において本モデルをフォローアップ試験として利用することも可能であると考えた。さらに、第1章でのハロセン麻酔イヌを用いた実験結果と比較検討したところ、IKr阻害剤によるQT間隔延長に対する感度はビーグル犬よりもカニクイザルの方が高いことが示唆された。一方、心室ペーシングにおいて刺激周期が長い方がdl-ソタロールを投与した際の単相性活動電位の延長が大きかった点はカニクイザル及びビーグル犬で共通しており、心室の電気的受攻性の程度の指標となる再分極終末相にはほとんど変化が無かったこと、dl-ソタロールのβ及びIKr阻害作用によると考えられる心拍数の低下が認められたことも共通の所見であった。

第4章では、無麻酔・無拘束下でのカニクイザル及びビーグル犬においてもdl-ソタロールの静脈内投与によりQT間隔、QTcB及びQTcFの延長が検出されることが確認された。本剤によるQT間隔の延長幅及び延長率を検討したところ、ビーグル犬よりもカニクイザルの方が大きかったことから、ハロセン麻酔モデルと同様にサルの方が薬剤誘発性QT間隔延長作用に対する感受性が高い可能性が示唆された。

第5章では、ハロセン麻酔モデルと無麻酔・無拘束モデルとの比較を行った。カニクイザル及びビーグル犬のいずれにおいてもハロセンの心筋K+チャネル阻害作用及び自律神経系活性の抑制に起因すると推察されるQT間隔延長作用への高い感受性がハロセン麻酔下で認められ、その作用はビーグル犬よりもカニクイザルの方が高いことが示唆された。しかし、ハロセン麻酔モデルの感度の良さは適度なものであり、薬剤誘発性QT延長作用を検出するためのモデルとして適切であることが示された。

第6章では、老齢カニクイザルの方が若齢カニクイザルよりも薬剤誘発性QT間隔延長作用に対する感受性が高いこと、また加齢がQT間隔の日内変動に影響を及ぼすことが示唆された。通常医薬品の安全性試験で使用されている動物は若齢の動物が多いが、安全性評価においては年齢による感受性差をより慎重に考慮すべきであると思われた。

これらの研究により、非臨床段階での循環器安全性薬理試験としてビーグル犬あるいはカニクイザルを用いた無麻酔・無拘束下での評価法はコアバッテリー試験として有用であるが、より専門性の高い科学的知見を得るためにはハロセン麻酔下でのQT延長試験法がフォローアップ試験として有用であることが明らかになった。

以上を要するに、本研究は心血管系に対して安全性の高い医薬品の開発を進める上で貴重な方法論を提供するものであり、学術上、応用上の貢献が少なくない。よって審査委員一同は本研究論文が博士(獣医学)を授与されるにふさわしいものと認めた。

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