学位論文要旨



No 217277
著者(漢字) 木原,隆典
著者(英字)
著者(カナ) キハラ,タカノリ
標題(和) 血管平滑筋細胞の分化制御と間葉系幹細胞の石灰化形成に関する研究
標題(洋)
報告番号 217277
報告番号 乙17277
学位授与日 2009.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17277号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 村田,昌之
 東京大学 教授 石浦,章一
 東京大学 教授 太田,邦史
 東京大学 准教授 松田,良一
 東京大学 准教授 坪井,貴司
内容要旨 要旨を表示する

生命は個体を維持するため、柔軟で頑強な恒常性維持システムを構築している。特に血管は様々な組織に張り巡らされ、組織との間で物質交換、栄養と情報を与え、老廃物を回収する。血管は内膜、中膜、外膜の三層構造をしており、内膜は血管内皮細胞が血管の内側を覆っており、中膜には血管平滑筋細胞が血管壁に加わる張力を配分している。外膜は線維芽細胞が血管壁を外部から守ると同時にその強度を維持している。血管の機能不全を引き起こす疾患として動脈硬化がある。動脈硬化は動脈が硬くなる、内腔が塞がる、脂質や石灰貯まるなどする疾患であり、その症状は多彩である。特に大動脈や中動脈で見られるアテロームプラークを形成する粥状動脈硬化について研究が進められている。

粥状動脈硬化発症のメカニズムとして、Ross による「障害応答説」が良く知られている。これによると、動脈硬化の発症は血管内皮細胞の障害から始まる。血管内皮細胞がLDL や高血圧などの障害因子によって障害を受けると、そこから白血球が内膜内へ侵入、侵入した白血球はマクロファージへと分化し、様々なサイトカインの放出により炎症反応を生じる。炎症反応に応答する形で中膜中の平滑筋細胞が収縮型の表現型から未成熟な増殖型に形質転換し、内膜内に遊走する。また、血中に存在する骨髄由来幹細胞が血管内膜内に侵入し、未成熟な増殖型平滑筋細胞へと分化する。こうして内膜内に侵入したマクロファージや平滑筋細胞が酸化LDL を取り込むことで、脂質滴を溜め込んだ泡沫細胞となり、アテロームプラークを形成する。

しかし、こうした症状は急激に進行するわけではなく、悪化と回復を繰り返す可逆的なものである。炎症反応や、血管平滑筋細胞の遊走、骨髄由来幹細胞の侵入は創傷治癒過程の一環である。しかし慢性的な炎症反応のため、動脈硬化においては血管内膜内における平滑筋細胞の増殖や遊走が結果として閉塞や炎症反応を惹起しており、平滑筋細胞の分化・表現型の制御が動脈硬化の治療への一つのアプローチとなる。また、動脈硬化の合併症状の一つである石灰化の形成メカニズムとして、平滑筋細胞が骨芽細胞様細胞に形質転換することで石灰化が生じると考えられている。しかし血管内膜内には骨髄由来幹細胞が侵入しており、骨髄由来幹細胞の一つである間葉系幹細胞は平滑筋細胞や内皮細胞、骨芽細胞など幅広い細胞に分化することができる。そのため、慢性的な病変組織の環境下で間葉系幹細胞が骨芽細胞へと分化し、異所的な石灰化を生じている可能性も考えられる。

そこで本研究では、1)血管平滑筋細胞の分化・表現型制御がどのように行われているのか、2)骨髄間葉系幹細胞の形成する石灰化組織はどのような構造を形成するのか、について研究することで、動脈硬化の症状の進行時に見られる、細胞を機軸とした生命現象の可能性を探った。

1)平滑筋細胞分化を制御する転写因子に関する研究

血管平滑筋細胞はその表現型を増殖型と収縮型とで転換することで、血管の恒常性維持に重要な役割を果たしている。増殖型・収縮型の表現型の制御は、遺伝子発現を中心に研究が進められ、特に近年、SRF (serum response factor)を起点とした収縮型平滑筋細胞特異的遺伝子発現制御について、そのco-factor 群であるMRTF (myocardin related transcription factor)ファミリーがどのように平滑筋細胞の分化・表現型を制御しているのか研究が行われている。その一方で、培養環境から平滑筋細胞の表現型を制御する因子として、基底膜環境、特にIV 型コラーゲンゲルが収縮型平滑筋細胞の表現型に重要であることが明らかにされている。そこで本研究では、平滑筋細胞の分化および表現型を制御する転写因子群、特にMKL1 を中心に、その機能制御について検討を行なった。

IV 型コラーゲンゲル上でA7r5 平滑筋細胞株を培養したところ、二方向に伸長した紡錘型を示し、アクチン骨格のダイナミクスが上昇していた。このことは、IV 型コラーゲンゲルによってアクチン骨格が直接制御を受けており、その結果、平滑筋細胞は収縮型表現型を示す可能性が示唆された。

MKL1 はアクチン骨格の状態によってその活性が制御されている。マウスMkl1 はN 末端側256 アミノ酸までの部分(Mkl1-N256)で核移行が行なわれる。セミインタクト細胞を用いてMkl1 の核移行条件を検討した結果、Mkl1 とアクチンの結合の解離が必要であり、アクチンが解離した状態で始めて核移行分子によってエネルギー依存的に核移行することがわかった。また、Mkl1 のアクチンの結合はそのC 末端側によって制御されていることが示唆された。

Mkl1 の機能制御を行なっている分子の同定を目指して、Mkl1-N256 に結合する分子をマウス肝臓抽出液からpull down assay とpeptide mass fingerprinting にて解析したところ、Spt16,Nucleolin, Radixin, ATP citrate lyase の4 分子を同定することができた。Spt16 はSsrp1 と結合し、FACT (facilitate chromatin transcription)複合体としてクロマチンシャペロンの機能を有する。

免疫沈降の結果、Spt16 は確かに細胞内においてMkl1 と結合していることが見出され、さらにSpt16 はMkl1 と協調的にSrf 制御下の遺伝子発現を活性化させることが判った。これは、Mkl1はSpt16 と結合することで、クロマチン中の遺伝子発現を活性化させていることを示している。こうしたSpt16 による協調的な転写活性化はMyocardin においても見られたが、Mkl2 では見られなかった。実際に、Mkl1 によって活性化される平滑筋細胞特異的遺伝子発現がSpt16 を必要とするのか検討するため、Spt16 のsiRNA を用いて内在性Spt16 のノックダウンを行ったところ、Mkl1 によるSM α-actin の発現誘導が抑制された。以上より、MKL1 は核内においてSRF制御下にある遺伝子発現を活性化させるのに、FACT 複合体を誘導することで、遺伝子のクロマチン構造のリモデリングを行い、その発現を活性化させることが明らかとなった。

平滑筋細胞の分化および表現型制御機構において、IV 型コラーゲンゲルによる平滑筋細胞内のアクチン細胞骨格のダイナミクスの活性化、それに関連する形でMKL1 の核移行制御と、核内におけるMKL1 によるクロマチン制御下の平滑筋細胞特異的遺伝子発現の活性化が、収縮型平滑筋細胞分化に重要であると思われる。

2)間葉系幹細胞によって形成される石灰化組織に関する研究

生体における骨組織の形成は高度に制御されており、その形成機構は、間葉系細胞から分化した骨芽細胞が基質小胞を分泌し、基質小胞中でハイドロキシアパタイトの核形成が生じる。さらにそこから派生する形でハイドロキシアパタイト結晶が集まった石灰球が形成され、石灰球からコラーゲン線維等を中心に組織の石灰化が生じ、骨組織が形成される。骨髄中に存在する間葉系幹細胞は、生体外において骨芽細胞へ分化し、石灰化を生じる。本研究では間葉系幹細胞の骨分化培養時に形成される石灰化構造物について、その構造的特徴の解析を行なうことで、これら石灰化と生体内における骨及び異所性部位における石灰化との関連性について検討を行なった。

ラット間葉系幹細胞によって形成される石灰化構造物を観察したところ、培養基質上に直接石灰化構造物が接着して形成され、細胞はその表面を覆っていた。また、石灰化物の中には骨細胞様細胞も見られた。こうした構造は生体中の骨組織と類似である。

I 型コラーゲン線維の石灰化組織に対する機能を検討するため、間葉系幹細胞の骨分化培地中にI 型コラーゲン分子を添加した。I 型コラーゲンの添加により間葉系幹細胞からの骨芽細胞への分化、石灰化の形成が促進された。さらに石灰化構造物を観察すると、培養基質表面付近ではセメントラインのようなI 型コラーゲン線維を含んでいない石灰化の層が見られ、その上部石灰化層はI 型コラーゲン線維を含んでいた。I 型コラーゲン線維を含んだ石灰化層中のカルシウムイオンの濃淡を画像処理にて解析したところ、I 型コラーゲン線維にカルシウムの粒子状構造物が結合している様子が観察された。

このことは、骨組織で見られるような石灰化構造物においては、初期石灰化にI 型コラーゲン線維は基質として機能しないが、拡大進行時には、I 型コラーゲン線維が基質として機能することを示している。

一方で、ヒト間葉系幹細胞の形成する石灰化構造物の構造を調べたところ、細胞層中にカルシウム粒子が集合しており、ラットで見られたような培養基質に対する配向性も骨細胞様細胞も見られなかった。また、I 型コラーゲン線維に対する性質もヒトとラットで異なっており、ヒトの場合は細胞周辺にI 型コラーゲン線維が存在する場合、そこから石灰化が形成されることがわかった。

このように、ヒトとラット間葉系幹細胞で、生体外で形成される石灰化組織の構造が異なっており、特にヒト間葉系幹細胞によって形成される石灰化組織は、生体内の病変組織において見られる異所性石灰化に類似していた。

このことは、骨組織と骨以外の組織における石灰化において、石灰化形成の基質となるエピタキシー環境が異なることを示している、と同時に、粥状動脈硬化時等で見られる異所性石灰化は、炎症患部に侵入した間葉系幹細胞が、周辺環境の影響で、骨芽細胞へと分化し、エピタキシー制御されないままに石灰化を形成した結果である、といった可能性を新たに提起する。

血管平滑筋細胞の分化・表現型制御も、間葉系幹細胞による組織形成も、組織の恒常性維持、特に創傷治癒過程に必要な機能である。いずれも自身の表現型を制御することで、組織の再構築を行ない、病状の回復を目指す。血管平滑筋細胞の分化・表現型はアクチン骨格を介した制御が重要であり、間葉系幹細胞では周辺の環境形成が重要となる。これが慢性炎症環境、さらには病変組織環境により、平滑筋細胞の分化・表現型制御の破綻と間葉系幹細胞の分化制御の破綻が生じていることが考えられ、その結果として、粥状動脈硬化の進行と石灰化という合併症が生じている可能性が見出された。

審査要旨 要旨を表示する

動脈硬化の進行は様々な細胞が関与するが、平滑筋細胞の分化制御や疾患後期で見られる石灰化物形成機構など不明な点が多い。本論文は、血管平滑筋細胞の分化制御メカニズムの解明と間葉系幹細胞の形成する石灰化物の解析を行い、さらに生体内でのこれら細胞制御の機構について動脈硬化の観点から広く考察したものである。

まず、平滑筋細胞の分化制御メカニズムの解明を目指して、平滑筋細胞分化のマスター遺伝子候補であるMKL1 に着目し、その機能制御について検討を行なった。MKL1のN 末端部分に結合する分子をマウス肝臓抽出液から抽出し、peptide mass fingerprinting 解析にて4種類同定した。そのうちの一つであるSPT16 はSSRP1 と結合し、FACT 複合体を形成し、ヌクレオソーム中の遺伝子発現の進行に寄与する。SPT16はMKL1 と結合することで、協調的にSRF 制御下の遺伝子発現を活性化させることが判明した。また、そのノックダウンアッセイの結果から、MKL1 によって活性化される平滑筋細胞特異的遺伝子の発現に、SPT16 が必要であることがわかった。以上より、平滑筋細胞分化において、アクチン細胞骨格の制御を介して、MKL1 の活性化、それに続くSPT16 によるクロマチン制御下の平滑筋細胞特異的遺伝子発現の活性化が重要であることが新たに見出された。

次いで、間葉系幹細胞によって形成される石灰化組織の構造及び石灰化物のI 型コラーゲン線維に対する特性を解析することで、生体内の骨及び異所部で形成される石灰化物の形成機構解明を行なった。骨分化培養条件下で、ラット間葉系幹細胞が形成する石灰化組織は生体の骨組織で見られる石灰化組織と構造的に類似であったのに対し、ヒト間葉系幹細胞の形成する石灰化組織の構造は、生体内の病変組織等で見られる異所性石灰化に類似していた。このことから、骨と異所部における石灰化はそのエピタキシー環境が異なっており、動脈硬化で見られる異所性石灰化は、炎症患部に侵入した間葉系幹細胞が、周辺環境の影響で骨芽細胞へと分化し、エピタキシー環境を形成できないまま石灰化を形成した結果である可能性が新たに提議された。

本論文は、動脈硬化における平滑筋分化及び間葉系幹細胞の石灰化に関わるメカニズムを明らかにしたと同時に、病態進行における細胞内部の情報伝達機構の撹乱と同時に起こる細胞を取り巻く環境の重要性について、新たな問題を提議することができた。従って、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク