学位論文要旨



No 217278
著者(漢字) 千原,康裕
著者(英字)
著者(カナ) チハラ,ヤスヒロ
標題(和) 音響刺激による眼周囲の前庭誘発筋電位に関する臨床的検討
標題(洋)
報告番号 217278
報告番号 乙17278
学位授与日 2009.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17278号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,信彦
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 狩野,方伸
 東京大学 准教授 郭,伸
 東京大学 講師 柿木,章伸
内容要旨 要旨を表示する

めまい、平衡障害を生じる原因のうち、末梢前庭障害(内耳障害)は大きな割合を占める。末梢前庭は、半規管・耳石器(球形嚢・卵形嚢)および前庭神経よりなる。半規管は頭部の回転加速度、耳石器は直線加速度および重力を感知し、体平衡の維持に働く。末梢前庭の急性障害は「めまい感」として知覚され、回転性めまいやふらつき、歩行障害などの平衡障害が生じる。平衡障害の治療方針決定のためには、末梢前庭のどこに障害部位があるのか同定することが重要となる。新しい前庭機能検査として、音響刺激によって眼周囲から記録される誘発電位に近年注目が集まっている。

前庭誘発電位(Vestibular Evoked Myogenic Potential:VEMP)は、強大な音響刺激等を行ったときに、頸筋、中でも胸鎖乳突筋(sternocleidomastoid muscle; SCM)に誘発される筋電位として、1992年にColebatchらによって初めて報告された(前庭誘発頸筋電位:cervical VEMP or cVEMP)。それまでの耳石器機能検査としては、直線加速度刺激の負荷などが試みられてきたが、十分な直線加速度を与えるには大型の高価な装置が必要となるため、一般的な臨床検査としては普及していない。これまでの臨床研究および動物実験からcVEMPの主たる神経経路は、球形嚢-下前庭神経-前庭神経核-内側前庭脊髄路-胸鎖乳突筋(SCM)運動神経核-副神経-SCMと考えられている。cVEMP検査は、市販の誘発電位測定装置で測定可能であり、簡便で侵襲の少ない検査であることから、耳石器(球形嚢)の機能を調べる方法として近年急速に普及した。

耳石器は頸筋以外にも外眼筋や四肢筋とも連絡し、体平衡の維持に寄与しているため、最近では頸筋以外からもVEMPを記録する試みがなされるようになった。2005年、Rosengrenらは音響刺激によって眼周囲に出現する誘発電位を報告し、前庭障害で反応が消失することからこの誘発反応をocular VEMP (oVEMP)と命名した。oVEMPもこれまでのcVEMPと同様に前庭機能検査としての臨床応用が期待されている。

本研究ではoVEMPの臨床応用に向けて、Rosengrenらの先行研究ではまだ明らかにされていない、(1)気導音刺激によるoVEMPの特徴、(2)新しい骨導音刺激によるoVEMPの特徴、(3)音響刺激(気導音・骨導音)によるoVEMP反応の起源の詳細、の解明を行うことを目的とした。

研究(1)では気導音刺激によるoVEMPの至適記録条件を健常被検者で検討し、臨床応用の可能性を疾患群で検討した。健常被検者として、めまいや平衡障害の既往がない10名を対象とした。関電極を下眼瞼に、不関電極を関電極の1~2 cm下方に貼布し、音響刺激によって得られる電位を加算平均して記録した。最初の2相性の反応(陰性波nI-陽性波pI)の潜時と振幅を解析の対象とした。気導音刺激によるoVEMP反応は刺激から約10 msec前後の短潜時でnI、約15 msec前後の潜時でpIが得られ、またその反応は、上方注視時に増大し、click音刺激よりもshort tone burst (STB)音刺激で増大し、刺激耳と対側眼で優位な反応が得られることが判明した。この至適条件をもとに疾患群の検討を行った。末梢前庭障害が判明している12症例(前庭神経炎3症例、メニエール病3症例、遅発性内リンパ水腫1症例、聴神経腫瘍5症例)にて、気導音刺激によるoVEMP反応を記録し、従来のcVEMP検査の結果と比較した。oVEMPは、cVEMPと同様に患側耳刺激時に反応の低下・消失を認める傾向にあり、両者には有意な関連を認めた。また聴力の低下をきたさない前庭神経炎症例においても、患側ではcVEMP・oVEMP反応の消失を認めた。健常被検者の結果より気導音刺激によるoVEMP反応の起源としては、耳石器-外眼筋間のoligosynapticな神経経路の存在が示唆され、また、対側の反応が優位であったことから、脳幹内での交叉経路が考えられた。疾患群による検討で、気導音刺激によるoVEMP検査は、前庭機能検査としての感度は91.7%で従来のcVEMP検査と同等の結果であった。

音響刺激には、気導音刺激とともに、骨導音刺激がある。骨導音は気導音よりも刺激器や測定条件の違いが記録波形に反映されやすく、現在のところ研究者間で骨導音刺激による統一したoVEMP記録法は確立されていない。研究(2)ではIwasakiらの方法を用いてoVEMP記録を行い、健常被検者による検討で骨導音刺激によるoVEMP記録の左右非対称性を求め、その結果をもとに臨床応用の可能性を検討した。健常被検者として、67名を対象とし、疾患群として、末梢前庭障害が判明している34名(一側前庭神経切断後11症例、上前庭神経炎13症例、聴神経腫瘍10症例)を対象とした。疾患群には、従来の前庭機能検査である温度刺激検査(上前庭神経系の検査)と気導音cVEMP検査(下前庭神経系の検査)も行い、比較検討した。健常被検者からは全例で両眼からoVEMP反応が得られ、左右非対称性は40%以内におさまることが判明した。疾患群では、一側前庭神経切断後症例では全例で対側眼の反応が減弱しており、脳幹内交叉経路の存在が判明した。上前庭神経炎症例では、13例中12例で骨導音oVEMPの結果は温度刺激検査の結果と一致したが、気導音cVEMPの結果と一致したのは1症例のみであった。聴神経腫瘍10症例で、骨導音oVEMP検査と温度刺激検査の結果が一致したのは10症例中7症例であったが、骨導音oVEMP検査と気導音cVEMP検査が一致したのは1症例のみであった。両者の結果は、骨導音oVEMPが下前庭神経系よりは上前庭神経系の機能を反映していることを示唆する。

以上の研究(1)、(2)より、末梢前庭疾患群で音響刺激によるoVEMPが前庭機能を反映することが確かめられたが、一方で、oVEMPが前庭以外の機能を反映しないかどうかについては、十分に確かめられていない。特に、眼球運動による眼振図(眼電図)の混入、blink reflex(顔面神経活動)の混入、蝸牛神経由来の電位の混入が否定できない。研究(3)では、臨床的にoVEMPの起源を明らかにする試みを行った。新たに健常被検者として12名を対象とし、疾患群として、障害部位が判明している15名の症例(眼球あるいは眼窩内容手術後4症例、末梢性顔面神経麻痺5症例、両側重度感音難聴6症例)を対象とした。刺激音については、気導音・骨導音の両者ともそれぞれ使用した。一側の眼窩内容物が無い場合は患側のoVEMP反応が消失した。しかし、一側眼球のみ摘出され外眼筋が保存された症例では患側も健側と同様のoVEMP反応を示した。以上よりoVEMP反応の生成には、眼球の有無は関係ないが、外眼筋の有無は決定的であることが考えられた。また、顔面神経麻痺症例と難聴症例ではoVEMP波形に健常被検者との違いは認められず、(短潜時の)oVEMP波形には、顔面神経や蝸牛神経の活動は関与しないことが示された。本研究(3)より、oVEMP反応の起源が、前庭神経→外眼筋、という経路にあることが強く示唆された。研究(1)、(2)の結果と総合すると、oVEMPは前庭機能を評価する臨床検査として妥当であると考えられる。本研究はoVEMP検査が新しい前庭機能検査として発展するための基礎となる成果と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、めまい平衡障害の診断に寄与する前庭誘発筋電位(Vestibular Evoked Myogenic Potential:VEMP)について、すでに実用化されている頸筋由来の電位(Cervical VEMP: cVEMP)に対して、近年注目を集めている外眼筋由来の電位(Ocular VEMP: oVEMP)についての臨床的検討であり、下記の結果を得ている。

1. 研究(1)では気導音刺激によるoVEMPの至適記録条件が健常被検者で明らかにされ、疾患群で臨床応用の可能性が示された。気導音刺激によるoVEMP反応は刺激から約10 msec前後の短潜時で陰性波、約15 msec前後の潜時で陽性波が得られ、またその反応は、上方注視時に増大し、click音刺激よりもshort tone burst (STB)音刺激で増大し、刺激耳と対側眼で優位な反応が得られることが判明した。疾患群では、末梢前庭障害が判明している12症例(前庭神経炎3症例、メニエール病3症例、遅発性内リンパ水腫1症例、聴神経腫瘍5症例)が検討され、気導音刺激によるoVEMPは患側耳刺激時に反応の低下・消失を認めた。健常被検者の結果より気導音刺激によるoVEMP反応の起源としては、耳石器-外眼筋間のoligosynapticな神経経路の存在が示唆され、また、対側の反応が優位であったことから、脳幹内での交叉経路が示された。疾患群による検討で、気導音刺激によるoVEMP検査は、前庭機能検査としての感度は91.7%で従来のcVEMP検査と同等の結果であることが示された。

2. 研究(2)では骨導音刺激によるoVEMP記録を行い、健常被検者による検討で骨導音刺激によるoVEMP記録の左右非対称性を求め、その結果をもとに臨床応用の可能性を検討した。健常被検者からは全例で両眼からoVEMP反応が得られ、左右非対称性は40%以内におさまることが判明した。疾患群では、一側前庭神経切断後症例では全例で対側眼の反応が減弱しており、脳幹内交叉経路の存在が判明した。また、上前庭神経炎や聴神経腫瘍症例による検討では、骨導音oVEMPが下前庭神経系よりは上前庭神経系の機能を反映していることが示された。

3. 研究(3)では、臨床的にoVEMPの起源を明らかにする試みが行われた。健常被検者と障害部位が判明している疾患群(眼球あるいは眼窩内容手術後症例、末梢性顔面神経麻痺症例、両側重度感音難聴症例)について検討が行われた。一側の眼窩内容物が無い場合は患側のoVEMP反応が消失するが、一側眼球のみ摘出され外眼筋が保存された症例では患側も健側と同様のoVEMP反応を示した。以上よりoVEMP反応の生成には、眼球の有無は関係ないが、外眼筋の有無は決定的であることが示された。また、顔面神経麻痺症例と難聴症例ではoVEMP波形に健常被検者との違いは認められず、oVEMP波形には、顔面神経や蝸牛神経の活動は関与しないことが示された。本研究(3)より、oVEMP反応の起源が、前庭神経→外眼筋、という経路にあることが強く示唆された。研究(1)、(2)の結果と総合すると、oVEMPは前庭機能を評価する臨床検査として妥当であると考えられる。本研究はoVEMP検査が新しい前庭機能検査として発展するための基礎となる成果と考えられた。

以上、本論文は新しい前庭機能検査としてのoVEMPにつき、気導音刺激と骨導音刺激のそれぞれについて、臨床応用の可能性を示した。また、その誘発反応の起源について、臨床的検討から神経経路を同定し、今後の臨床応用へ重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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