学位論文要旨



No 217281
著者(漢字) 廣出,充洋
著者(英字)
著者(カナ) ヒロデ,ミツヒロ
標題(和) トキシコゲノミクス技術を用いた薬物誘発性ラット肝毒性解析
標題(洋) Toxicogenomics approach to investigate drug-induced rat hepatotoxicity
報告番号 217281
報告番号 乙17281
学位授与日 2010.01.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17281号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,泰弘
 東京大学 教授 明石,博臣
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 准教授 久和,茂
内容要旨 要旨を表示する

創薬過程において実験動物を用いた毒性試験は、臨床試験開始時の安全性担保の面で有用である。しかし、実験動物を用いた前臨床試験で安全性が確保されても臨床試験以降で副作用が見出され、開発中止あるいは市場から回収される医薬品は少なくない。また、近年はハイスループットスクリーニングなどの創薬技術の進歩と医薬品の安全性への要求度の高まりに伴い、医薬品の(特に研究開発の初期段階での)安全性試験の効率化への必要性が高まっており、一度に数万の遺伝子に関する発現レベルを検出できるDNAチップを用いたトキシコゲノミクスは、毒性発現の早期予測・機序解明への手掛りが得られる技術として期待されている。

産官学の共同研究として2002年から開始されたトキシコゲノミクスプロジェクト(製薬企業15社、国立医薬品食品衛生研究所及び医薬基盤研究所)では、肝・腎毒性を有する150化合物を暴露したラットの肝臓及び腎臓、ラット肝細胞、ヒト肝細胞に関する網羅的遺伝子発現情報(GeneChip(R)、アフィメトリックス社)を取得し、臨床検査や病理組織学的検査を含む従来の毒性データと併せたデータベースを構築している。本研究では、そのデータベースを用いて古典的な毒性学的指標((1)血液学的検査:血液凝固因子異常、(2)血液生化学的検査:高ビリルビン血症、(3)病理組織学的検査:リン脂質症)に関連して発現変動を示す遺伝子群をバイオマーカー候補として選抜し、その候補遺伝子群を用いた毒性予測及び毒性評価を試みた。

第一章 血液凝固因子異常

血液凝固異常(プロトロンビン時間及び活性化部分トロンボプラスチン時間の延長、血中フィブリノゲン濃度の低値)を引き起こした8化合物(クロフィブラート、オメプラゾール、エチオニン、チオアセタミド、ベンズブロマロン、プロピルチオウラシル、Wy-14,643及びアミオダロン)を陽性化合物とし、それらを反復投与した肝臓サンプル(3, 7, 14あるいは28日間投薬)を分析対象に用いた。一方、肝毒性起因ではなく薬理作用として直接、血液凝固異常を引き起こすアスピリンを陰性対照化合物として用いた。これらの化合物は何れも、血液生化学的検査では重篤な肝障害を示す肝逸脱酵素(ASTあるいはALT)の高値は認められなかった。統計学的手法を用いて、8化合物に共通する344遺伝子セットを抽出した。この遺伝子セットを用いた主成分分析の結果、大部分の陽性化合物投薬群のサンプルが対照群のサンプルから用量依存的かつ経時的に判別された。 一方、陰性化合物であるアスピリン投薬群のサンプルは対照群のサンプルから分離されなかった。

抽出された遺伝子は主に脂質代謝関連あるいは細胞障害関連であった。また、血液凝固に関連する遺伝子(血液凝固因子、serine proteinase inhibitor (serpin)、vitamin K epoxide reductase complex subunit 1 (Vkorc1))の大部分は陽性化合物投与群で発現が低下していた。血液凝固に関連する因子の大部分は肝臓で産生され、肝機能障害と血液凝固不全の関連性が報告されている。また、vitamin Kはこれらの血液凝固因子産生に必須であることも知られている。さらに、α1-Antitrypsinなど血液凝固カスケードの反応の大部分はserpinに支配されている。従って、陽性化合物投与群では肝機能障害によりこれらの血液凝固に関連する遺伝子の産生が低下したと推察される。一方、陰性化合物であるアスピリンでは、これらの遺伝子の発現変動は少なかったことから、今回抽出された遺伝子セットを用いることにより、薬理作用に基づく直接的な血液凝固不全と肝障害に起因した血液凝固不全を判別出来ると考えられた。

第二章 高ビリルビン血症

血液中の総ビリルビン(TBIL)及び直接型ビリルビン(DBIL)の高値を示した7化合物(ゲムフィブロジル、ファロイジン、コルヒチン、ベンダザック、リファンピシン、シクロスポリンA及びクロルプロマジン)を陽性化合物とし、それらを反復投与した肝臓サンプル(3, 7, 14あるいは28日間投薬)から統計学的手法にて、7化合物に共通する59遺伝子セットを抽出した。この遺伝子セットを用いた主成分分析の結果、大部分の陽性化合物投薬群のサンプルが対照群のサンプルから用量依存的かつ経時的に判別された。文献的に高ビリルビン血症が報告されている18化合物をテスト化合物として同様に59遺伝子セットを用いて主成分分析をした。その結果、それらの内12化合物(メタピリレン、チオアセタミド、チクロピジン、エチニルエストラジオール、α―ナフチルイソチオシアネート、インドメタシン、メチルテストステロン、ペニシラミン、アリルアルコール、アスピリン、イプロニアジド及びイソニアジド)は陽性化合物と同様に陽性と判別された。また、主成分1はTBILあるいはDBILと高い相関性を示した。さらに、コルヒチン、ベンダザック、クロルプロマジン、ゲムフィブロジル及びファロイジンは、ビリルビン高値が認められていない単回投与24時間後の肝臓サンプルにおいても遺伝子セットで判別可能であり、高ビリルビン血症を予測出来る可能性が示された。

血液中のビリルビンが増加する原因/機作は、医薬品による毒性に限定しても様々である。今回、特定の機作に限定せずに様々な化合物でみられたビリルビン高値に関連する遺伝子セットを抽出した。それらは主に脂質代謝関連、トランスポーター、ユビキチン・プロテアソーム関連などであり、陽性化合物投薬群ではそれらの遺伝子発現はいずれも減少傾向を示した。ビリルビン上昇に対するフィードバックにより、これらの遺伝子セットの発現が減少した可能性が考えられる。

第三章 リン脂質症

肝臓の病理組織学的検査の結果、リン脂質症が認められた5化合物(アミオダロン、アミトリプチリン、クロミプラミン、イミプラミン及びケトコナゾール)を陽性化合物とし、それらを反復投与した肝臓サンプル(3, 7, 14, 28日間投薬)から統計学的手法にて、5化合物に共通する78遺伝子セットを抽出した。この遺伝子セットを用いた主成分分析の結果、大部分の陽性化合物投薬群のサンプルが対照群のサンプルから用量依存的かつ経時的に判別された。また、文献的にはリン脂質症の報告があるものの今回の実験では肝臓の病理組織学的検査ではリン脂質症が確認出来なかった6化合物(クロラムフェニコール、クロルプロマジン、ゲンタマイシン、パーヘキシリン、プロメタジ及びタモキシフェン)に関しても、陽性化合物と同様に陽性と判別された。一方、病理組織学的にはリン脂質症と類似した空胞病変(中性脂肪、グリコーゲンなどの蓄積)を示した8化合物(四塩化炭素、クマリン、テトラサイクリン、メトフォルミン、ヒドロキシジン、ジルチアゼム、2-ブロモエチルアミン及びエチオナミド)は、主成分分析によりリン脂質症陽性化合物とは異なる変動を示した。さらに、反復投与でリン脂質症を示したいくつかの化合物において、リン脂質症が病理組織学的には認められない単回投与24時間後の肝臓サンプルにおいても主成分分析によりリン脂質症を予測出来る可能性が示された。

以上の結果から、それぞれの毒性指標についてバイオマーカー候補となる遺伝子群が統計学的手法により選抜された。それらの遺伝子群は、古典的な毒性学的指標に随伴しており、用量相関的及び経時的に遺伝子の発現が変動した。また、肝毒性が陽性の化合物及び陰性の化合物を判別することが出来た。さらに、古典的な毒性評価法で毒性フェノタイプを検出できない単回投与24時間後の肝臓サンプルの遺伝子変動解析においても毒性が早期に予測出来る可能性も見出された。トキシコゲノミクスのデータ解析手法は大別すると、(1)supervisedな手法(SVMなどの判別分析)と(2)unsupervisedな手法に分けられる。化合物の作用の機作あるいは特徴が明確な場合、前者の手法は有用である(発がん性予測など)。しかしながら、古典的な毒性指標に基づく表現型は多因子性であり、陽性あるいは陰性の厳密な線引きが難しい場合が多い。また医薬品の場合、毒性発現に至るか否かは曝露量及び曝露後の経過時間に依存し、毒性の表現型は軽微な初期変化から重篤な終末像まで連続的である。従って、unsupervisedな手法であるPCAなどの半定量的な分類法がトキシコゲノミクス研究に有用である場合が多い。今回の研究により、トキシコゲノミクスによる肝毒性の予測・評価の可能性と今後のトキシコゲノミクス研究の展望が示された。

審査要旨 要旨を表示する

安全性試験(GLP)は臨床試験開始時の安全性担保に必須である。しかし、実験動物の試験で安全性が確保されても臨床試験以降で副作用が見出され、開発中止や市販後の市場から回収される医薬品は少なくない。ハイスループットスクリーニングなどの創薬技術の進歩と医薬品の安全性への要求が増加し、GLP効率化への必要性が高まった。一度に数万の遺伝子の発現レベルを検出するDNAチップを用いたトキシコゲノミクスは毒性発現の早期予測・機序解明への手掛りが得られる技術として期待されている。産官学の共同研究で2002年開始されたトキシコゲノミクスプロジェクトでは、肝・腎毒性を有する150の化合物を暴露したラットの肝、腎、ラット肝細胞、ヒト肝細胞に関する網羅的遺伝子発現情報を収集し、臨床検査や病理組織学的検査等、従来の毒性データと併せたデータベースを構築した。本研究ではデータベースを用い古典的な毒性学的指標に関連して発現変動を示す遺伝子群をバイオマーカー候補として選抜し、その候補遺伝子群を用いた毒性予測及び毒性評価を試みている。

第1章では血液凝固異常を引き起こした8化合物を陽性化合物とし、反復投与した肝臓サンプルを分析対象とした。肝毒性起因でなく薬理作用として直接、血液凝固異常を引き起こすアスピリンを陰性対照化合物とした。統計学的手法を用いて8化合物に共通する344遺伝子セットを抽出した。この遺伝子セットを用いた主成分分析の結果、大部分の陽性化合物投薬群のサンプルが溶媒投与対照群のサンプルから用量依存的かつ経時的に判別された。抽出された遺伝子は脂質代謝あるいは細胞障害に関連したものであった。また、血液凝固に関連する遺伝子の大部分は陽性化合物投与群で発現が低下していた。血液凝固に関連する因子の大部分は肝臓で産生され、肝機能障害と血液凝固不全の関連性が報告されている。陽性化合物投与群では肝機能障害によりこれらの血液凝固に関連する遺伝子の産生が低下したと推察される。一方、陰性化合物であるアスピリンでは、これらの遺伝子の発現変動は少なかったことから、今回抽出された遺伝子セットを用いることにより、薬理作用に基づく直接的な血液凝固不全と肝障害に起因した血液凝固不全を判別出来ると考えられた。

第2章では血液中の総ビリルビン及び直接型ビリルビンの高値を示した7化合物を陽性化合物とし、反復投与した肝臓サンプルから統計学的手法で共通する59遺伝子セットを抽出した。主成分分析の結果、大部分の陽性化合物投薬群のサンプルが溶媒投与対照群から用量依存的・経時的に判別された。文献的に高ビリルビン血症が報告されている18化合物をテスト化合物として同様に59遺伝子セットを用いて主成分分析をした。その結果、それらの内12化合物は陽性化合物と同様に陽性と判別された。数種の医薬品はビリルビン高値が認められていない単回投与24時間後の肝臓サンプルでも遺伝子セットで判別可能であり、高ビリルビン血症を予測出来る可能性が示された。

第3章では肝臓の病理組織学的検査でリン脂質症が認められた5化合物を陽性化合物とし、反復投与した肝臓サンプルから統計学的手法で共通する78遺伝子セットを抽出した。主成分分析で大部分の陽性化合物投薬群が溶媒投与対照群から用量依存的・経時的に判別された。文献的にリン脂質症の報告があるものの今回の実験では肝臓の病理組織学的検査ではリン脂質症が確認出来なかった6化合物に関しても陽性化合物と同様に陽性と判別された。一方、病理組織学的にリン脂質症と類似した空胞を示した8化合物は、主成分分析によりリン脂質症陽性化合物とは異なる変動を示した。反復投与でリン脂質症を示したいくつかの化合物において、リン脂質症が病理組織学的には認められない単回投与24時間後の肝臓サンプルにおいても主成分分析によりリン脂質症を予測出来る可能性が示された。

以上の結果から、各毒性指標についてバイオマーカー候補となる遺伝子群が統計学的手法により選抜された。それらの遺伝子群は古典的な毒性学的指標に随伴しており、用量相関的及び経時的に遺伝子の発現が変動し、肝毒性が陽性の化合物及び陰性の化合物を判別することが出来た。さらに古典的な毒性評価法で毒性フェノタイプを検出できない単回投与24時間後の肝臓サンプルの遺伝子変動解析においても毒性が早期に予測出来る可能性が見出された。

以上のように、本研究ではトキシコゲノミクスという新しい手法を用いて、医薬品の毒性評価、毒性予測、作用機序の推測を可能にしたものである。今回の研究によりトキシコゲノミクスによる肝毒性の予測・評価の可能性と今後のトキシコゲノミクス研究の展望が示された。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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