学位論文要旨



No 217282
著者(漢字) 今村,啓爾
著者(英字)
著者(カナ) イマムラ,ケイジ
標題(和) 土器から見る縄文人の生態
標題(洋)
報告番号 217282
報告番号 乙17282
学位授与日 2010.01.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17282号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,宏之
 東京大学 教授 大貫,静夫
 東京大学 准教授 熊木,俊朗
 東京大学 教授 辻,誠一郎
 國學院大學 准教授 谷口,康浩
内容要旨 要旨を表示する

この論文は東北地方・関東地方・中部地方における縄文時代の前期末から中期初頭にわたる土器の分析を通して縄文時代人の生態と社会のありかたを究明したものである。

第I部(序論)では筆者の40年にわたる縄文土器研究の中で,土器についての問題意識と研究の目的,土器の分析方法がどのように展開してきたか,本論文全体の構成とともに説明される。

第II部(縄文土器の構造的把握)は,縄文土器研究の方法を論ずるが、とくに土器型式の構造とその時間的変遷を理解するために,1個の土器の器面に文様を加えていく順序の把握が重要であること(2A章),土器の器面に文様を配置するときのきまりの理解が不可欠であることが多くの実例とともに解説される(2B章)。

第III部(地域と年代による基本的編年)では,土器型式の時間的な変化とその区分・配列であり,土器研究・縄文時代研究の土台になる編年が論じられる。具体的には前期の諸磯式(3A章)と十三菩提式(3B章・3C章),中期の五領ヶ台式(3D章)の時間的変化と各段階の特徴が図鑑解説的に具体的かつ詳細に語られ,従来文様の乏しさから研究が遅れていたこの時期の粗製土器についても1章を立てて論じられる(3E章)。

第IV部(系統的変遷の把握)は,上記編年の時間的変化のありかたを分析的に解明し,複数の系統性のからみあいの中で土器がどのように変遷していくかを,中部高地前期末の松原式土器(4A章)と東北地方前期末の大木6式(4B章)を材料にして示される。

第V部(土器系統の動きと人間集団)は,以上の準備を土台にし,とくに土器の系統移動という現象に注目し,縄文人の活動・生態・社会が幅広く論じられる本研究の中心的部分である。まず前期末・中期初頭という時期が人口の大きく減少する衰退期であり,人間が生き延びるために生業のありかたを変え,生存のために広い地域を移動しなければならなかった時期であり,この状況がこの時期の土器現象の基本的背景として存在することが論じられる(5A章)。具体的にはまず南関東で,続いて北関東で起こった急激な衰退が,中部高地系土器の関東への進入・展開の背景にあることを示し(5B章),次の十三菩提式になると各地の土器系統が次々に中部高地や関東地方に流入して共存するさまが解明される(5C章)。一方この前期末になっても東北地方中・南部では安定が維持され,そこにごく少量の北陸に起源をもつ鍋屋町系統が内陸経由で進入するが,その移動を通して,土器の伝統がどのように維持され,変化しつつ人とともに動いたかが解明される(5D章)。そしてさらに特殊で顕著な現象として,日本海の海岸線に沿って北陸の漁撈集団が現在の秋田市周辺まで進出し,故郷との間で往還を維持し,東北地方の日本海岸を北陸系土器で染め上げる状況,さらにこの往還によって東北地方北部の土器のスタイルが北陸に持ち帰られ北陸で広がる現象が指摘される(5E章)。衰退の起こる時期は関東地方と東北地方の間にかなりの時間的なずれがあったけれど,中期中葉に向けての安定化は東北地方・関東地方・中部高地においてほぼ一斉に,急速になされ,大規模な集落が増加するが,このときに土器系統の動きはにぶくなり,小地域間の地域色が顕著になり,地域ごとに固有の土器系統が並び立つ。この変化は生活の安定の背景にあったのが土地に密着する植物質食料の豊富化にあることを暗示する(5F章)。

第VI部(土器から見る縄文人の生態)は,以上のように土器を材料として組み上げられた本論文が,土器の詳細な記載ゆえに読みにくく,全体像が見えにくいであろうことに配慮し,材料である土器の記述をできるだけ取り去ることによって縄文人の生態と社会の生き生きとした姿を描写することを狙ったもので,まず土器製品の移動・作り手の移住・情報の伝達の関係について考察した後,この時期の土器系統移動をいくつかの形に類型化する。地域的な遺跡群の衰退と土器系統の移動の間には密接な関係があること,衰退の背景に気候の悪化がある可能性が高いが,それが直接生活に影響したわけではないことが論じられる。土器は文様に手の込んだ精製土器より粗製土器のほうが分布が狭く,日常的な活動範囲に近いと考えられる。前後の時期と比較するともっとも移動性が高かったとみられる時期ですら,縄文人の日常的な活動範囲は,従来想定されたのよりずっと狭い場合が多かったと推定される。縄文人の集団は相互にきわめて開放的な関係にあり,このような社会のありかたと縄文時代の人間の移動性の高さに基づく土器情報の強い伝達力が,実際には人の移動があまりないと考えられる遠距離間でも土器文様の類似を生みだす。この情報伝達力が,縄文土器の広い地域で共通性を維持する特色につながり,それが土地に固定され他集団と緊張関係を持ちやすい弥生時代・古墳時代初期の社会とその土器のありかたとの根本的な違いを生みだす。この点で,5F章で明らかにされた縄文中期中葉の繁栄期の土器の分布のありかたは,植物質食料生産民をイメージさせること,等々が論じられる。

従来,縄文の社会や生態は,土器といった物言わぬ静的な遺物から解明することが困難であることから,未開民族の民族誌や人間の行動理論などに大きく依存して語られる傾向が強かった。このような方法にも重要な効用が認められるが,縄文時代が本当にどのような時代であり,どのような人間の生態と社会があったのかは,縄文時代の資料だけが確実に物語る。本論文の眼目はまさにそこにあり,世界にならぶもののない充実した考古資料の蓄積がある縄文時代について,膨大な量の遺物の分析と実証的な読み取り,時間的変化の過程の観察からこの問題に迫ったものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、東北・関東・中部地方の縄文時代前期末~中期初頭に展開した、縄文土器の分析を通して浮き彫りにされた土器系統・型式の実際に基づき、往時の人間活動の実態を読み解こうとする意欲的かつ完成度の高い研究である。申請者はこれまで40年間以上にわたって一貫して縄文時代の土器型式研究を推進し主導してきたが、その過程で発表してきた上記テーマに関する諸論文をまとめた本書は、それ自体が縄文土器型式研究の学史を体現しており注目すべき成果と言えよう。

本論文は6部から成り、書き下ろしの序論第I部と結論の第VI部を除けば、分析に相当する第II~V部は、申請者がこれまで一貫して発表してきた既発表論文(補論も含む)から構成されている。

第I部と第II部で、縄文土器型式研究の方法について確認した後、第III部では、対象地域の考古学的年代軸を確定する分析作業としての編年を確定させている。申請者の目的は、人間活動の動態把握にあるので、既存の年代幅よりも精度の高い編年網を確立せねばならない。そのため、まず関東地方前期後葉の諸磯式から前期末の十三菩提式を経て中期初頭の五領ヶ台式に到る細別編年を縦軸として定め、続いて第IV部では、これらの諸型式・系統に密接に関係する中部・東北地方の北白川下層式・松原式・踊場式系統・大木6式といった同時期型式・系統の相互影響関係と言う横軸を確定させている。第V部では、この編年的な関係態に基づいて、精緻な土器系統の読み解きを展開する。さらに結論に当たる第VI部では、きわめて急激かつ広範囲に移動する人間集団の実像を明らかにし、その背景には、安易な環境決定論では説明できない縄文時代の各地域・時期の歴史的個別性が存することを明らかにした。

本論文は、縄文時代前期中葉と中期中葉という繁栄期の狭間にあって、これまでほとんど本格的な研究が試みられてこなかった前期末~中期初頭の衰退期に焦点をあて、綿密かつ長期にわたる周到な分析の積み重ねにより、縄文土器型式研究がもつひとつの到達点を示しえたと評価できよう。人間活動の動態の背景となる「生態」に関する言及が少なかったのは残念であるが、これは申請者も言及するように、型式研究を越えた生態論等の分野の課題でもあり、本論文の意義を損なうものではない。

以上より、本委員会は、博士(文学)の学位を授与するにふさわしいと認めるものである。

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