学位論文要旨



No 217290
著者(漢字) ルシル ベレス アバド
著者(英字)
著者(カナ) ルシル ベレス アバド
標題(和) 生体由来材料開発のためのカッパ・カラギーナンの放射線分解に関する研究
標題(洋) Radiolysis Studies of Kappa Carrageenan for Biobased Materials Development
報告番号 217290
報告番号 乙17290
学位授与日 2010.01.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17290号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 勝村,庸介
 東京大学 教授 寺井,隆幸
 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 准教授 工藤,久明
 日本原子力研究開発機構 ユニットリーダー 玉田,正男
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、フィリピン等海洋資源に恵まれた東南アジア諸国に産生する天然生体由来の高分子の放射線加工に対し、高分子材料の放射線化学の観点から学術的知見を与え、新規な機能付与や新材料開発のための基礎を与えることを目的としている。天然由来の高分子のなかでも、フィリピンが世界の生産量の大半を占める、海藻由来の高分子であるカッパ・カラギーナンを対象に、放射線化学的研究を行った。

1.序論

カッパ・カラギーナン高分子を低分子量化させたオリゴマーが、HIVウイルスやヘルペス(疱疹)、腫瘍等への対抗性、抗酸化作用などの生物活性を有することがよく知られている。また、放射線を照射したカッパ・カラギーナンを用いて、植物成長促進剤や、創傷被覆材、放射線プロセスにおける照射済表示指標材などの新しい実用化がすすめられている。本論文は、放射線の吸収線量200kGyまでの範囲において、カッパ・カラギーナンの反応性、構造変化、ゲル化挙動、高分子の凝集サイズなどの変化を研究し、上記の諸実用機能と関連付けて、生体由来材料の開発に資することを目的としている。

2.カッパ・カラギーナン水溶液の放射線化学の初期過程に関する研究

電子線パルスラジオリシス法を用いて、カッパ・カラギーナンと、水の放射線分解による中間活性種である水和電子やOHラジカルとの反応性を、それぞれの化学種の吸光度の、パルス状電子線照射後十マイクロ秒程度までの時間変化から評価した。

カッパ・カラギーナンは水和電子とは反応性が低いことが示された。むしろ、水溶液の粘度が高くなるため、水和電子の減衰が遅くなることが示された。OHラジカルとの反応速度定数は、中性条件下では約1.2×109 M(-1)s(-1)と評価された。pH2の酸性条件下では、加水分解のために高くなった。超音波分解されたカッパ・カラギーナンでは、分子量の低下とともに、OHラジカルとの反応速度定数も低下した。一方、ガンマ線照射されたカッパ・カラギーナンでは、分子量が低下しても、反応速度定数はほぼ一定であった。これらの結果は、超音波照射では、グリコシド結合が開裂し、OHラジカルとの反応サイトが減少するのに対し、ガンマ線照射では、高分子の切断がランダムな位置で起こるためと解釈される。また、水溶液にNa+イオンを添加すると、カッパ・カラギーナン高分子の凝集構造がらせん状からコイル状へ転移し、OH化ラジカルとの反応速度定数は低下した。これらの結果は、他の多糖類で報告されている傾向とほぼ同様であった。

3.照射カッパ・カラギーナンの分子量測定

水溶液または固体、雰囲気等、種々の条件下における、カッパ・カラギーナンの放射線分解の収率を検討している。平均分子量の低下から、分解のG値(エネルギー吸収100eV当たりの高分子の切断数)は、1%水溶液・空気飽和で1.2、固体・空気中で2.5、固体・真空中で1.7、と決定された。これらの値は、他の多糖類よりも高く、カッパ・カラギーナンが放射線で分解しやすいことを示している。また、他の天然高分子と同様に、百kGy以上の高吸収線量域においては、分子量はほぼ一定の値を示した。1%水溶液では、N2Oガス飽和下では分解G値は1.7に増加したが、N2ガス飽和下では分解G値は1.1に減少した。また、Na+イオンを添加すると、らせん状からコイル状への高分子の凝集構造状態の変化により、分解G値は1.2から0.7へと減少した。

4.照射カッパ・カラギーナンの化学分析

紫外・可視吸光分析、還元化糖、カルボニル基およびカルボキシル基の定量、赤外分光分析、核磁気共鳴(Nuclear Magnetic Resonance; NMR)法、等の典型的な化学分析手法を併用して、1%水溶液、固体・空気中、固体・真空中の条件で照射されたカッパ・カラギーナンにおいて、生成または分解した官能基や化学構造等の検出、定量を行い、応用と関連付けた。

(1)1%水溶液: 還元糖、カルボニル基、カルボキシル基等の生成は、吸収線量10kGyから認められ、その収量は、50kGy程度まで吸収線量に比例して増加し、それ以上の吸収線量で飽和した。赤外分光分析では、吸収線量100kGyにおいて、いくつかの分解物の信号が認められた。吸収線量50kGy以上の範囲は、分解が支配的で、実用的な応用は見込めないと考えられる。一方、10-50kGyの吸収線量域も、化学構造が崩壊するため、生物活性応用の点からは有用でないが、線量計や酸化防止剤等としての応用に有用である。10kGy以下の吸収線量域では、カッパ・カラギーナンのオリゴマーの化学構造が崩壊していないことがNMR測定で確かめられ、このため、10kGy以下の低吸収線量域では、カッパ・カラギーナンの生物活性に関連して応用が考えられる。

(2)固体状態: カルボニル基、カルボキシル基等の生成は、吸収線量に対し比例して生成した後一定になる傾向は水溶液の場合と同様であったが、収率は、固体・真空中<固体・空気中(<1%水溶液)の順であった。固体状態では分解物等の収率が低いため、カッパ・カラギーナンの化学構造は、水溶液の場合と比較して、高い吸収線量においてもよく保たれている。赤外分光分析では、真空中で200kGyの高線量において分解を示す信号が認められるようになった。さらに、NMR測定によっても、100kGy照射された固体(空気中、真空中とも)で、化学構造が壊れていないことが確かめられた。これらの結果から、カッパ・カラギーナン固体は、空気中でも真空中でも、100-200kGyまでは効果的な生物活性を持っていると期待される。

5.照射カッパ・カラギーナンの動的光散乱および小角中性子分析

動的光散乱(Dynamic Light Scattering; DLS)、小角中性子散乱(Small Angle Neutron Scattering; SANS)分析等の、先端的な物理化学的分析手法を、天然高分子の系に適用し、放射線照射による、動的挙動、立体構造の変化、高分子鎖の分解などを解析した。これにより、温度変化に伴う、カッパ・カラギーナンのらせん状態からコイル状態への構造転移、ゲル化挙動等を検討した。

DLS分析は、高分子の分子サイズ、構造転移温度、ゲル化挙動に関する情報をもたらす。50kGy以下の吸収線量では、温度変化によって、ゾル状態からゲル状態への転移が認められた。この吸収線量域では、分子サイズが十分に大きく、分子鎖が凝集できることを示している。しかし、50kGy以上ではゲル化は認められなかった。かわりに、75-150kGyの領域では、特性減衰時間関数において、速い緩和モードが新たに現れ、100kGyにおいて最大の信号強度を示した。この結果は、カッパ・カラギーナンが植物の成長促進剤として使用される際に100kGyで最大の効果を示すことと関連づけられ、生物活性に最適な高分子サイズとなっていることが明らかとなった。150kGy以上では、らせん状態からコイル状態への凝集構造の転移は認められず、カッパ・カラギーナンの化学構造が崩壊したことを示している。したがって、75-150kGyの範囲が、分子サイズが凝集しないほど十分に小さく、かつ、化学構造が崩壊しておらず、生物活性に適していると考えられる。

一方、SANS分析では、100kGy照射されたカッパ・カラギーナンのみが、未照射および他の照射されたものと異なった挙動を示すことが認められた。これはまた、カッパ・カラギーナンの生物活性が最適となる吸収線量と符合する。

6.照射カッパ・カラギーナンの反応過程

電子スピン共鳴法により、放射線照射により生成するカッパ・カラギーナン高分子ラジカルを検出し、その構造、反応性、高分子分解に至る過程を検討した。さらに、同様の構造を持つ他の天然由来の多糖類の放射線化学研究と比較対照し、放射線化学反応機構を提示した。放射線照射により、高分子自身からの直接的なラジカル生成および水の放射線分解によるOHラジカルと高分子との反応を経由した間接的なラジカル生成から、高分子の分解に至るその機構は、キチン、キトサン、セルロース等他の天然由来高分子化合物の放射線化学反応機構とほぼ同様のものであった。

7.結論

本論文では、カッパ・カラギーナンの放射線化学とそれに立脚した放射線加工、天然高分子材料への新規機能付与、新材料開発の可能性等を研究した。本論文で得られた知見は、化学反応性や高分子構造変化の知見を踏まえるとともに、応用目的に応じた特定の分子量を持ったカッパ・カラギーナンを得るために必要な吸収線量や、適切な照射条件(固体・空気中、固体・真空中、水溶液・空気飽和、水溶液・N2O飽和、水溶液・N2飽和等)を選ぶための経済性も含めた指標を与えうる。

本論文で得られた知見は、フィリピンのみならず、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国おける、天然由来高分子に対する放射線加工プロセスの進展に基礎基盤を提供しうるものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、フィリピン等海洋資源に恵まれた東南アジア諸国に産生する天然生体由来の高分子の放射線加工に対し、高分子材料の放射線化学の観点から学術的知見を与え、新規な機能付与や新材料開発のための基礎を与えることを目的としている。天然由来の高分子のなかでも、フィリピンが世界の生産量の大半を占める、海藻由来の高分子であるカラギーナン類のうち、もっとも研究開発が進展しているカッパ・カラギーナンに焦点をあてている。本論文は全7章からなる。

第1章は序論であり、本研究の背景、カッパ・カラギーナンの放射線加工の実用例、目的、本論文の構成等を述べている。本論文は、吸収線量10-200kGyまでの範囲において、カッパ・カラギーナンの反応性、化学構造変化、ゲル化挙動、高分子の凝集サイズなどの変化を研究し、上記の諸実用機能と関連付けて、生体由来材料の開発に展開させようとしている。

第2章では、カッパ・カラギーナン水溶液の放射線化学の初期過程に関する研究を、電子線パルスラジオリシス法を用いて行っている。カッパ・カラギーナン高分子と、水の放射線分解による中間活性種である水和電子や水酸化ラジカルとの反応性を、それぞれの化学種の吸光度の、パルス状電子線照射後十マイクロ秒程度までの時間変化から評価している。

第3章では、カッパ・カラギーナンの分子量測定から、固体、濃度1%の水溶液の状態で、種々の雰囲気の条件下における、放射線分解の収率を検討している。水溶液における、水酸化ラジカルの間接作用による分解の促進から、低線量で同程度の分解をもたらす、より効率的な放射線分解プロセスを検討している。

第4章では、紫外・可視吸光分析、赤外分光分析、核磁気共鳴法、還元化糖、スルホン基およびカルボキシル基の定量、などの典型的な化学分析手法を多種類併用して、1%水溶液、固体・空気中、固体・真空中の条件で照射されたカッパ・カラギーナンにおいて生成または分解した官能基や化学構造等の検出、定量を行っている。

第5章では、動的光散乱、小角中性子散乱分析等の、先端的な物理化学的分析手法を、天然高分子の系に適用し、放射線照射による、動的挙動、立体構造の変化、高分子鎖の分解などを追跡している。これにより、温度変化に伴う、カッパ・カラギーナンのらせん状態からコイル状態への構造転移、ゲル化挙動を検討している。

第6章では、電子スピン共鳴法により、放射線照射により生成するカッパ・カラギーナン高分子ラジカルを検出し、その構造、反応性、高分子分解に至る過程を検討している。さらに類似の構造を持つ他の天然由来の多糖類の放射線化学研究と詳細に比較対照し、放射線化学反応機構を提示している。

第7章は結論であり、本論文で得られた実験結果を総合的に討論し、総括するとともに、カラギーナン類の放射線化学とそれに立脚した放射線加工、天然高分子材料への新規機能付与、新材料開発の可能性等の今後の展望を述べている。フィリピンのみならず、ベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジア諸国おける、天然由来高分子に対する放射線プロセスの進展に学術的な基礎基盤を提供しうるものである。

以上を要するに、本論文は、カッパ・カラギーナンを試料として、天然生体由来の高分子化合物の放射線化学反応機構、放射線照射効果について研究し、生体由来材料の放射線加工、開発の可能性に寄与しており、原子力・放射線科学の発展に貢献するところが少なくない。

よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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