学位論文要旨



No 217298
著者(漢字) 石川,達夫
著者(英字)
著者(カナ) イシカワ,タツオ
標題(和) チェコ民族再生運動研究
標題(洋)
報告番号 217298
報告番号 乙17298
学位授与日 2010.02.18
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17298号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 沼野,充義
 東京大学 教授 長谷見,一雄
 東京大学 教授 石井,規衛
 北海道大学 理事兼副学長 林,忠行
 早稲田大学 教授 長與,進
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、歴史的・社会的な事情からひとたび衰退して、消滅さえ危惧されるようになったチェコ語・チェコ文化を維持し再生した18世紀後半~19世紀前半の「チェコ民族再生運動」を主題として、チェコ本国における多くの研究の蓄積を踏まえつつ、その広範囲にわたった非常に複雑な運動の全体像を明らかにするとともに、大言語・大文化の圧倒的優位化と小言語・小文化の衰滅や、一般に多様性の衰退が進む今日の世界において、この運動が示唆する意味を探求したものである。

序章「言語と文化の衰滅――小民族のジレンマ」では、すでに消滅してしまった「エルベ川沿岸スラヴ人」や「バルト海沿岸スラヴ人」、現在消滅の危機に瀕しているドイツ国内の少数民族ソルブ人のようなスラヴ系小民族の運命を見据えつつ、今日の世界において小言語・小文化が置かれている困難なジレンマについて、特に現代チェコの作家ミラン・クンデラが提起した小民族の存在意義についての問いを踏まえて考察した。それは、大民族への同化を拒否して小民族を維持することの意味をめぐる問いであり、チェコ人であることの非自明性・問題性と密接に関係した問いである。この問いは、すでに19世紀チェコの歴史家パラツキーらによって提起され、チェコ語・チェコ文化を擁護しようとしたパラツキーを「狂人」呼ばわりしたマルクスや、パラツキーらの努力に熱いエールを送ったゲーテなども加わりながら熾烈な論争が繰り広げられた。これらの論争にも見られる通り、チェコ人のようにその存在を脅かされた民族こそ、民族の存在とは何か、その意味は何か、その正当性はどこにあるのか、民族の存在の意味と存在自体をいかに確保するのかといった問題をめぐって、貴重な経験と思索を提供している。

I「チェコ民族再生運動の前提と歴史」

第一章「チェコ民族再生運動の前提――チェコ人とチェコ語の存在についての懸念」では、まずチェコ民族再生運動が生じることとなった歴史的前提を考察した。ヨーロッパの中央に住むチェコ人は、チェコ国家の黎明期からすでに複雑な国際関係の中に置かれて、チェコ文学の発生期においてすでに、チェコ人とドイツ人との葛藤や、チェコ語とドイツ語との対立が主題化されていた。そして、チェコ人とチェコ語の存在についての懸念を示す自己表象が非常に早い時代から現れ、ドイツ語とドイツ文化の圧迫に対してチェコ語とチェコ文化を擁護しようとする「チェコ語の擁護」というジャンルの著作が連綿と書き継がれてきた。

第二章「チェコ民族再生運動の歴史――チェコ語とチェコ民族の再創造」においては、チェコ民族再生運動の歴史を跡づけた。チェコ民族再生運動は主に伝統的なチェコの愛郷主義と啓蒙主義によって引き起こされ、初めにチェコ王国の歴史とその由緒ある公用語であるチェコ語に関する学問的研究が開始された。その後それは、チェコ語を実際に使用しうる文語として再生させ普及させる努力へと発展し、続いてそれはチェコ文化全体を再創造する努力へと広がり、さらにそれはチェコ人社会の形成に至った。

II「チェコ民族再生運動期の文化と表象」

第三章「チェコ民族再生運動期の文化――チェコ文化の再創造」では、文化の各分野においてチェコ民族再生運動が具体的にどのように展開していったのか、近代チェコ文化がいかにして創造されたのかを具体的に考察した。チェコ民族再生運動においては、ドイツ文化の下の「下位文化(サブカルチャー)」であったチェコ文化が、各方言の相違を超えた標準文語の確立を通して、文化の全領域において特定の土地に根ざしたフォークロア的文化から民族全体に共通と想定される文化へと変容していった。その際、音楽や美術という、言語に直接には依存しない芸術においても同様の変容が起こった。

第四章「チェコ民族再生運動期の表象――民族と祖国およびその起源についての主題と変奏」では、文化の各分野でチェコ民族再生運動を代表するような典型的な創造物を取り上げ、そこに民族と祖国およびその起源についての主題がいかに表象化され流通してチェコ人のアイデンティティ意識を形成していったのかを考察した。第一にチェコ民族とその祖国の「起源」に関しては、ドイツ人作家たちも作品化している有名な「リブシェ」伝説が利用され、それは近代的なチェコ民族の表象として作り直されていった。第二に「民族」に関しては、偽造手稿の中の詩と、全民族的な大事業として建設されたプラハの「民族劇場」が利用された。第三に「祖国」に関しては、特にチェコ国歌となった「わが祖国はいずこ?」を含むティルの戯曲『フィドロヴァチカ』と、音楽の分野におけるチェコ民族の記念碑的作品であるスメタナの連作交響詩『わが祖国』において、チェコ人の理想的な故郷(祖国)が表象化された。これらの表象は、チェコ人の自己蔑視の克服と自尊心の回復という機能を果たした。

III「チェコ人とスラヴ人」

第五章「チェコ民族再生運動とスラヴ主義および汎スラヴ主義――アイデンティティの範囲とレベル」では、チェコ民族再生運動の過程で現れたスラヴ主義と汎スラヴ主義を類型化し整理した上で、それぞれの類型を分析し、それらがチェコ民族再生運動といかなる関係にあったのかを考察した。チェコ人としてのアイデンティティ意識とスラヴ人としてのアイデンティティ意識は「重層的アイデンティティ」意識として捉えられるが、「重層的アイデンティティ」意識には濃淡があり、また状況の変化によって一方のアイデンティティ意識が他方のアイデンティティ意識を排除していく。

第六章「チェコ民族再生運動とソルブ人――言語・文化の保存における成功と難渋」では、現在ドイツ国内の少数民族であり、その言語が消滅に瀕しているソルブ人と、ソルブ人と様々な面で近い関係を持ってきたチェコ人との関係を考察した。様々な要因から、チェコ人は民族再生運動に成功してチェコ語を維持したのに対して、ソルブ人は言語の保存に難渋してソルブ語が衰退してきてしまったが、両者を比較することにより、両者の運命を分けたものが何だったのかが明らかになる。

IV「チェコ民族再生運動とチェコ・ナショナリズム」

第七章「トマーシュ・マサリクにおける小民族の問題――精神的な「小ささ」の克服」では、チェコスロヴァキア独立運動の指導者であり、独立後は初代大統領となった哲学者マサリクの活動と思想を分析した。「民族原理」の代表者と見られるマサリクは、逆説的なことにナショナリズムの痛烈な批判者であった。彼においては、民族をショーヴィニスム的偏狭さから浄化して高めることによってこそ小民族の存在は確保されるのであり、民主主義や人間性といった普遍的な価値が小民族の存在意義を担保するものであった。

第八章「ベルナルト・ボルザノとヤン・パトチカにおけるナショナリズムの問題――ナショナリズム超克の試み」では、チェコ民族再生運動期に早くからナショナリズムの弊害を克服しようとして「言語を超えた民族の夢」を掲げた19世紀の思想家ボルザノの思想と、ボルザノを再評価してナショナリズムを痛烈に批判した20世紀の哲学者パトチカの思想を分析し、チェコ民族再生運動から発展したチェコ・ナショナリズムの問題とその克服の試みを明らかにした。パトチカは、チェコの民族運動の本流を成してチェコの歴史を左右したユングマンの思想よりも、傍流にとどまったボルザノの「言語を超えた民族の夢」の持つ潜在的可能性の方にあえて着目し、そこにナショナリズムを克服する契機を見出そうとした。

終章「小民族の存在と世界の多様性――多様性の尊重」では、これまでの章を踏まえて、特にチェコ民族再生運動の意味と、一般に(小)民族の存在の意味を探った。ドイツ語の圧倒的な優位の時代にあって一部のチェコ人が、ドイツ化がもたらす明らかな利点を放棄してまでチェコ語・チェコ文化を再生させる決意をしたのは、習得が困難な異言語ではなくて自分たちの母語で高度な自己実現を図る可能性の追求とともに、かけがえのない言語と文化が消滅することをいたましく感じ、それをいとおしむという人間の自然な想いからであった。チェコ民族再生運動は結局のところ、言語と文化と個性のかけがえのなさを根拠とした小民族の存在の擁護であり、存在者のかけがえのなさを根拠とした世界の多様性の擁護であった。民族、とりわけ小民族の存在とは、端的に言えば世界の多様性の一つの表れであり、同時に世界の文化的多様性を担保するものであると考えられる。

補章「チェコ民族再生運動観の変遷──チェコ民族再生運動研究史概観」では、主なチェコ民族再生運動研究を辿りながら、複雑な事情から強いイデオロギー的バイアスがかけられてきたチェコ民族再生運動観の変遷を、より理解しやすくするために最後に示した。この変遷と研究史の検討を通してチェコ民族再生運動研究の四つの重要な課題が浮かび上がるが、それらは密接に結びついている。すなわち、様々に誤解されてきたチェコ民族再生運動を十全に理解するためにこの運動全体を広いパースペクティヴにおいて捉えることは、この運動についての過大評価と過小評価の間を反転的に揺れる「裏返し史観」を克服することに繋がり、それはこの運動の過大評価と結びついた「偶然(奇跡)」概念および過小評価と結びついた「必然」概念の二律背反を克服することに繋がり、それはさらにこの運動の「意味」を問い直すことに繋がる。本論文は、これら四つの重要な課題に取り組み、最近の危機言語に関する社会言語学的研究とナショナリズム論をも参照しながら、この運動の全体像を明らかにするとともに、この運動の意味を新たに捉え直そうとした研究として位置づけられる。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、チェコ文化史上重要な役割を果たし、他のスラヴ諸国にも影響を与えた18世紀後半から19世紀前半のチェコ民族再生運動の全体像を明らかにし、この運動の意味を現代的な観点から探った研究である。

本論文は序章と、全四部八章からなる本論、そして結論にあたる終章と、研究史を概観した補章から構成される。

第I部「チェコ民族再生運動の前提と歴史」では、第一章において、大民族と隣り合ってヨーロッパの中央に住むチェコ人が辿った複雑な歴史を概観するとともに、チェコ民族再生運動の前提を検討し、第二章で、一部の知識人によって始められた運動が発展していった歴史的過程を追っている。

第II部「チェコ民族再生運動期の文化と表象」では、第三章において、言語・文学・演劇・音楽・美術などの文化・芸術の分野で、再生運動がいかに進展したかを具体的に明らかにし、第四章で、建国伝説、詩、音楽、劇場などの具体的な事例に即して、いかに「起源」「民族」「祖国」などの概念が表象され、チェコ人のアイデンティティが形成されていったかを分析している。

第III部「チェコ人とスラヴ人」では、第五章において、チェコ民族再生運動に随伴して現れたスラヴ主義とこの運動との複雑な関係を解明し、第六章で、同じスラヴ人でも民族再生運動に「成功しなかった」ソルブ人と「成功した」チェコ人の運命を分けたものが何だったのかを考察している。

第IV部「チェコ民族再生運動とチェコ・ナショナリズム」では、チェコ民族再生運動から発展したチェコ・ナショナリズムの弱点を克服する試みと努力について、第七章においてマサリク、第八章においてボルザノとパトチカという思想家たちの著作と活動に即して検討している。

終章では、チェコの歴史的事例に即して小民族の存在の意味を改めて考察し、チェコ民族再生運動は言語と文化の「かけがえのなさ」を根拠とした小民族の存在の擁護であり、世界の多様性の擁護にもつながるものであった、という著者の主張が示される。この主張は、民族問題が新たに噴出しつつある現代世界の状況を強く意識したものでもある。

本論文は包括的・総合的研究を目指したものであるため、時に概観的な記述に力点が置かれる一方で、個別には分析が十分深められていない事例も散見される。しかし、著者は長年にわたるチェコ文化史研究の蓄積を生かし、大量の文献を博捜したうえで、極めて広い視野から文化・芸術の様々な分野を横断して、「民族再生運動」という視点からこの時期のチェコ文化の発展過程を描き出すことに成功した。このような研究は、日本では前例がないだけでなく、国際的にもあまり類例を見ない学術的貢献として高く評価することができる。また本論中の文学・芸術作品の事例の具体的な分析には多くの創見が含まれ、チェコ民族のアイデンティティを支える文化の特徴を鮮やかに示すことになった。

以上のことから、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位に値するとの結論に達した。

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