学位論文要旨



No 217299
著者(漢字) 堂下,恵
著者(英字)
著者(カナ) ドウシタ,メグミ
標題(和) 京都府美山町における環境観光 : 資源人類学のパースペクティブ
標題(洋)
報告番号 217299
報告番号 乙17299
学位授与日 2010.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17299号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 岩本,通弥
 東京大学 講師 渡邊,日日
 東京大学 准教授 森山,工
 東京大学 准教授 名和,克郎
内容要旨 要旨を表示する

20世紀後半以降、環境保護は世界的に重要なテーマとなっており、観光においては、自然を対象とし環境に配慮した観光形態、すなわち「環境観光」が盛んに実践・研究されるようになっている。環境観光における観光対象について、世界各地での観光実践を鳥瞰してみると、西洋的な自然観に基づく「原生の」「残された」自然、あるいは発展途上国に多く残る未開発の自然環境が称賛されている。しかし、環境観光が世界中に浸透しつつある現在、様々な自然観に基づく観光対象が称賛されていくのは明らかであり、日本では、人と自然が共生してきた二次的自然が注目されている。このような環境観光の多様化を受け、環境観光における「環境」とは具体的に何を意味しているのか明確にする必要がある。

本論文では、環境観光における観光資源としての環境がどのように創られているのか、さらには、人々が環境という観光資源をどのように活用し、観光実践から何を得ようとしているのかを、文化人類学的手法による環境観光の調査研究から解明する。具体的な調査研究の内容としては、観光および環境に関するこれまでの先行研究を文献調査によって再考することと、日本の二次的自然に着目して、京都府美山町で長期フィールドワークを実施して実地調査をおこない、その結果を分析することである。

本論文の概要について、第1章では環境観光の概要を踏まえた上で、人類学からどのようにアプローチできるのか、観光人類学、環境主義の人類学、ならびに資源人類学の先行研究を再考しながら検討する。これら3つのアプローチのうち、上述した問いの答えを導き出すのに最も有用なのは、資源人類学的視座を援用することだと考えられるので、第2章以降は観光資源としての環境を資源人類学で議論された文化資源であると捉えて進めていく。

第2章では、環境観光における環境の資源化が地域を越えたレベルとローカルなレベルでおこなわれると考えた上で、地域を越えたレベルの分析として、日本における二次的自然を対象とする環境観光について検討する。環境観光の対象となる二次的自然は複数の視点からの資源化されており、第1に、二次的自然を包括する空間としての農村として観光資源化される。ここでの農村は都市の対極にある地域とみなされ、貴重な環境として称賛される。第2に、環境保護の視点から、二次的自然は貴重な自然の一形態である「里山」としてみなされ、観光資源化される。里山はかつて村里近くの雑木林を指していたが、環境保護運動やメディアによって、二次林やそれを取り巻く包括的な環境のセットと認識されるようになった。第3に、人と共生してきた自然は人類の築きあげたヘリテージ・文化財として価値を付与され、観光資源化される。このように、同一の二次的自然は複数の視点から価値を付与され、環境観光の資源として生みだされる。

第3-7章では、農村、里山、文化財、全ての視点から観光地として捉える事のできる京都府美山町での文化人類学的調査の結果について検討する。第3章では美山町の概要と町行政が観光振興に取り組んだ経緯を紹介し、第4章では大学の研究林となっているかつての共有林を対象とした観光実践、第5章では茅葺き家屋群とそれを有する集落における観光実践、第6章では複数の観光施設の取り組みについて述べる。第7章では観光から移住への発展を考慮に入れて美山町における移住関連の取り組みについて記す。

第8章では第1-7章までで記してきた内容の考察をおこない、第9章では結論をまとめる。考察した結果、導き出せる結論は、以下のとおりである。

まず、環境観光における環境は、人々が生業で活用する生態資源ではなく、象徴資源、具体的には文化資源であり、複数の視座から異なる価値を付与されて観光資源として生成される。加えて、観光資源としての自然は、元になった生態資源としての自然が含有する内容と異なっており、この点に注目しているのは地域住民のみである。

第2に、ホスト側は、美山町という観光資源を活用して観光実践することで、美山というコミュニティの構造を新たな形態へと変化させる。同時に、外部との関係がある者あるいはあった者、すなわち都市生活経験者や美山に地縁・血縁のあった者、移住者らは、価値ある美山という資源を活用することで、美山に住んで生計を立てるという選択が可能になり、かつ貴重な美山に関わる自分という視点から、自身にとって最も望ましいアイデンティティを取得したり、状況に応じて使い分けたりできる。

第3に、ゲスト側は、文化資源としての観光地・美山町を消費という形で活用することによって、貴重な農村や里山としての美山町での滞在経験を自分のものとして所有化し、かつ他の人々と差別化された自分を得る。同時に、観光客が美山町という観光資源を消費することによって、彼らが総体として創り上げた、山や森、茅葺き家屋や農村風景を包括した美山のイメージが強調され、再生産されていく。

審査要旨 要旨を表示する

堂下恵氏の論文「京都府美山町における環境観光-資源人類学のパースペクティブ」は、文化人類学的手法により、主に2003年4月から2004年10月まで18ヶ月間、京都府美山町での長期にわたる住み込み調査によって得られたデータに基づいて、日本における環境観光(environmental tourism)の実態を解明するものである。とくに、環境観光における観光資源としての環境がどのように創られているのか、また、人びとが環境という観光資源をどのように活用し、観光実践から何を得ようとしているのかについて資源人類学の観点から論じているところに特徴がある。

本論文は、以下の9章から構成されている。第1章「環境観光への人類学的視座」では、環境観光を概観したうえで、人類学からこのテーマにどのようにアプローチできるのか、先行研究をリビューしながら本研究の枠組みを提出している。第2章「自然の観光資源化」では、環境観光における環境の資源化が地域を越えたレベルとローカルな地域のレベルで行われるとしたうえで、地域を越えたレベルの分析として日本全体における二次的自然を対象とする環境観光について検討している。第3~7章では、フィールドワークを行った京都府美山町という特定の地域での調査の結果について検討している。第3章「美山町における地域振興」では、美山町の概要を述べたうえで、町行政が観光振興に取り組んだ経緯を紹介し、第4章「芦生の森-森林の観光資源化とその活用」では、京都大学の研究林となっているかつての共有林を対象とした観光実践について、第5章「かやぶきの里・北集落-茅葺き家屋の観光資源化とその活用」では、茅葺き家屋群とそれを有する集落における観光実践について、第6章「美山町住民による観光の取り組み」では、複数の観光施設の取り組みについて記述している。第7章「美山町に引き寄せられる新住民たち」では、観光から移住への発展を考慮に入れて移住者や山村留学の取り組みについて述べている。第8章「『美山』という観光資源の生成と活用」では、これまで論じてきたことを資源人類学の観点から総括的して分析と考察を行い、第9章「結論」では、美山町の事例から導かれる環境観光における環境資源の位置づけ、およびホスト側(観光客を受け入れる地域社会)、ゲスト側(観光客)双方にとっての環境観光の意味について結論づけている。

このような内容をもつ本論文の学問的貢献は以下の3点にまとめられる。第1に、20世紀後半以降、環境保護が世界的に重要なテーマとなっていくなかで、観光においても自然を対象とし環境に配慮した観光形態、すなわち環境観光が実践されるようになっている。環境観光においては西洋的な自然観に基づいた「原生の」「残された」自然が取り上げられることが多いが、この論文では人と自然が共生してきた日本の二次的自然、「里山」での環境観光が取り上げられている。その意味で本論文は、世界の環境観光のなかで日本型の環境観光に注目した研究として重要である。

第2に、本論文が文化人類学的な手法に基づいた長期のフィールドワークに基づいて書かれている点である。観光研究においては統計的手法に基づいた量的研究が主流を占めるが、本研究は京都府美山町での住み込み調査に基づいた質的研究である点に大きな特徴がある。とくにホスト側の地域社会において環境観光がどのように捉えられているか、観光実践を通じて地域社会がどのように再編成されていくかを理解することは、環境観光をたんなる「環境にやさしい」というスローガンに終わらせないためにきわめて重要な作業であり、本論文が文化人類学的な手法により美山という地域社会に根を据えて観光研究を行ったところに大きな意義がある。

第3に、本論文においては、近年の資源人類学の成果を踏まえながら、観光資源とは静態的な資源(「である資源」)ではなく、きわめて動態的な資源(「となる資源」)として捉えられている。この動態的な「資源化」のプロセスにおいて、美山町の里山が象徴資源(文化資源)として観光資源となるのである。本論文は、そのダイナミズムを現代日本における都市と農村の関係のなかで、さまざまなアクターとさまざまな切り口から立体的に解明している点で、環境観光の資源人類学的研究に大きく貢献している。さらに、観光で活用される象徴資源(文化資源)としての里山と地域住民が保全してきた生態資源(自然資源)としての里山の両面性、あるいはズレをドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックらの「再帰的近代」の概念を導入しつつ、環境ガバナンスとレジティマシーなどの観点から論じている点は、論証が不十分だという意見もあったが、重要である。

審査委員会においては、本論文の論述のなかにはいくつかの不適切・不用意な表現がみられること、さらに先に述べたように、論証や分析の仕方には改善すべき余地があることなどが指摘された。しかしこれらは、本論文全体の価値を損なうほどの瑕疵ではないことが審査員全員によって確認された。したがって、本委員会は本論文提出者に博士(学術)を授与するにふさわしいものと認める。

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