学位論文要旨



No 217301
著者(漢字) 朴,正義
著者(英字)
著者(カナ) パク,チョンウィ
標題(和) 「悠久の歴史を持つ単一民族国家」批判 : 『三国遺事』檀君による一つの民族の擬制
標題(洋)
報告番号 217301
報告番号 乙17301
学位授与日 2010.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17301号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 神野志,隆光
 東京大学 教授 小森,陽一
 東京大学 准教授 齋藤,希史
 東京大学 講師 徳盛,誠
 関西学院大学 教授 島村,恭則
内容要旨 要旨を表示する

内容

韓国において、檀君を民族の祖として、一つの民族の歴史が語られ続けてきた。その結果、歴史教科書『高等学校 国史』にみられるように、「悠久の歴史を持つ単一民族国家」と自国の歴史を規定し、これが現在の国民の歴史観として定着している。この根拠の核心が『三国遺事』檀君神話である。

しかし、『三国遺事』テキストにに則して読んでいけば、高句麗百済新羅の三国の始祖伝説はそれぞれ独立した神話として成立しており、さらに重要なのは、檀君と三国の始祖が系譜として繋がっていない。つまり、『三国遺事』からは一つ民族の答えは得られない。だからといって、これから「『三国遺事』檀君による一つの民族」は擬制でしかなく、それを根拠とする「悠久の歴史をもつ単一民族国家」は正されるべきでものある、というだけでは済まされない。問題は、「一つの民族の歴史」が『三国遺事』からどのよう作り出されてきたかである。これをはっきりさせることが、「悠久の歴史をもつ単一民族国家」批判でなければならない。ここから、本論文は始まった。

現存する最古の檀君文献は、13世紀に書かれた一然(1206~1289)の『三国遺事』(1283)である。「檀君」は『三国遺事』以前の書から確認できなく、『三国遺事』によって檀君は作られたといえる。では何故、『三国遺事』は檀君を作り出したのか。これは、国家存亡くの危機に面して、自己を確証するためであったろう。しかし、ここで、国家存亡の危機を民族主義によって克服し、檀君を民族の祖とする一つの民族の認識が生れた、と端的に主張したきたところに問題があったといえる。国家存亡の危機を克服するのは、民族主義しかなかったのであろうか。ここから、『三国遺事』檀君をもう一度読み直す必要があった。

『三国遺事』の古朝鮮条は「桓雄降臨」神話から始まるが、この内容をテキストに則して読んでいけば、人間界を含む六欲天の第一人者帝釈天桓因の命によって子桓雄天王が直接降りてきて、人間世界を仏教でもって教化する、となる。そして、この仏教でもって教化された世界の中において、帝釈天桓因の孫として檀君は生まれ古朝鮮を建国するのである。さらに、『三國遺事』は前後所將舍利条において「東震(東国)と西乾(印度)は共に一つの天なり」と、韓国(中国)印度三国が同じ世界にあると語っている。則ち、古朝鮮が「桓雄降臨」により開かれた「仏教によって教化された世界」の中に建国され、かつ始祖檀君が帝釈天の孫であることを最初に確認したことで、天竺中国に対し自分たちの立場を主張し、自己確証を行うのである。『三国遺事』檀君は、民族主義でなく、仏教の普遍的世界の中にある。

では何故「一つの民族」として読まれてきたのか、その答えは中世における「古代」の構築ということにある。ここで、檀君は記されていないが、現存する最古の書『三国史記』に注目した。『三国史記』は、中国に対し独自の三国の始祖伝説を載せることによって、三国を朝鮮半島の歴史として編纂した。ここに、高句麗を含めた歴史共同体としての三国認識がはじめて示されたと言える。次に、『三国遺事』は、朝鮮半島の最初の国として、箕子朝鮮より早い檀君朝鮮の存在を記し、朝鮮半島が「中国の勢力箕子によって開かれ教化された」という中国正史が語る韓国古代史の前提を否定した。さらに、同じ時期に檀君を記した『帝王韻紀』は、檀君を朝鮮半島の開祖として記した。これらの三書は、それぞれ別個の古代をそこに描き、時代と共に朝鮮半島という歴史共同体意識を作り上げて来たと言える。即ち、この中世の書が作り出した「古代」が、一つの民族の下地になる「朝鮮半島の開祖檀君」を生みだしたのである。

さらに、朝鮮時代に入り、中世の書によってに作られた「檀君」は歴史化され、朝鮮半島の開国の祖として定立していった。まず、朝鮮王朝は独自に始まった国家であるとする認識が生れた。ここで、檀君は、開国の祖らしく天から直接降りてきた神人と認識され、檀君の子孫が具体的に語られていく。また、檀君の治積を多様に提示することによって、韓国の文化の根源をも檀君に求めた。この時点で、『三国遺事』とは別個の檀君が語られていることを認識しなければならない。

朝鮮時代末期を迎え、開化と同時に日本からの圧迫に対抗するように民族主義的歴史学が台頭した。教科書を中心とした当時の歴史叙述は、愛国主義民族主義独立主義の意識が強く反映され、そこに檀君を韓国史始初に登場させ、建国と民族の始祖として叙述した。ここに、民族意識を高揚すると同時に、朝鮮が檀君以来中国の属国でない自主国家として、悠久の歴史と伝統を持つという韓国史像が構築されたのである。

これに対し日本政府は植民化政策の一貫として、韓民族の独立の象徴であった「檀君」の抹殺を図った。このような日本政府の方針は、元の侵略期、壬辰倭亂(文禄の役)と丙子胡亂(清の侵略)期と、同じような状況を作り出したといえる。つまり、檀君意識は独立運動と絡みさらに強く現れ、一つの民族の根拠として民族の祖檀君が登場したのである。

この時期、檀君の根拠として日本人の学者が否定した『三国遺事』が韓国において再登場し、『三国遺事』をもとに檀君の史実化への研究が民族史学者を中心としてなされた。彼らは武力行動は起こさなかったが、檀君神話研究を通して民族運動を展開した者たちと言える。当時の民族史学者たちは檀君神話を守り発展させることによって、民族の自尊心を回復させ自主独立の正統性をそこに見つけようとした。即ち、檀君を単に古朝鮮の祖として終わらせず、全韓民族の祖として独立の象徴として昇華させた。檀君は独立運動と共にイデオロギー化したのである。そして、この植民地に時代に作られたイデオロギーが、独立後も「檀君」を規制したのである。

日本からの解放そして大韓民國樹立とともに、「檀君」を自主独立民族性の回復の象徴、民族の精神的支柱として考える風潮がますます高まり、檀君は偉大な民族の祖として、その教え理念が現在に至る、と認識された。このように、檀君は再創造され、今なお『三国遺事』檀君を根拠として「悠久の歴史を持つ単一民族国家」が語られているのである。

確かに、檀君を最初に作り出したのは『三国遺事』である。しかし、それは『三国遺事』だけによるものではない。『帝王韻紀』の朝鮮半島の祖とする檀君を『三国遺事』の檀君に補完することによってなされた。これは、元々一つの檀君神話があったと考えることによって成り立つ。つまり、『三国遺事』檀君も『帝王韻紀』檀君も同じ檀君という認識から、檀君はの朝鮮半島の開祖となり、三国の祖となる。その結果、三国は一つの民族と捉えられるのである。さらに、『三国史記』との「三国」を重ね、『三国史記』以前から三国を一つの民族とする古代がつくられたといえるのである。『帝王韻紀』と『三国遺事』の檀君は別個のものであるにもかかわらず、それを一つにして、「檀君」と「古代」の構築は果たされたのである。

さらに、韓国の歴史教科書は、近現代に作られた民族の祖としての檀君、人間社会の王としての桓雄、広大な古朝鮮の領域などの朝鮮時代の認識を全て『三国遺事』によるものとして、「悠久の歴史をもつ単一民族国家」という現在の国民国家観を完成させるという間違いを犯している。こうした、問い直さなければならない国民国家観が、現在の教育現場にあるという問題を指摘しなければなるまい。

『三国遺事』は、こと中世にだけ終わるのではなく、後世そして現在もその意味は更新され引き継がれてきた。元に侵略され国家の存亡の危機に自分達の存在を保障するものとして、壬辰倭亂(文禄の役)と丙子胡亂(清の侵略)期において国を守る精神的礎として、日本植民地時代に独立運動の心の支えとして『三国遺事』檀君があった。そして、現在の南北統一の根拠として『三国遺事』檀君がある。檀君はイデオロギーとして存在し続けてきた。現在の『高等学校を国史』の「悠久の歴史を持つ単一民族国家」もまた、『三国遺事』の再創造に他ならない。

「『三国遺事』檀君による一つの民族」は擬制でしかなく、それを根拠とする「悠久の歴史をもつ単一民族国家」は正されるべきでものある。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「「悠久の歴史をもつ単一民族国家」批判――『三国遺事』檀君による一つの民族の擬制――」は、朝鮮民族の祖とされる檀君について、それがどのように作りだされたかを考察したものである。檀君は、現在の韓国において、「悠久の歴史をもつ単一民族国家」という民族的アイデンティティーの核心をになうものである。紀元前2333年に檀君王倹が古朝鮮を建国したことを民族の歴史の始発として位置づけ、「世界史においても稀に見る単一民族国家」という国民的コンセンサスを確立している。本論文は、そうした檀君の問題に果敢に挑み、それが中世における「古代」の構築のなかで作りだされたものにはじまり、朝鮮王朝時代をつうじて民族の祖として確立されたことをあらわしだした。朝鮮時代に檀君以来自立した国家の歴史と伝統をもつという歴史像を形成したことをあきらかにし、日本の植民地支配のもとでは檀君は民族独立の象徴となったこと、それが現在にいたることを論じたのである。

本論文は、「はじめに」、第一章「『三国遺事』の世界像」、第二章「中世の檀君」、第三章「檀君の再創造」、第四章「歴史教科書と『三国遺事』檀君」、「結論」から構成される。「はじめに」では、檀君朝鮮の建国を起点とする単一民族国家という、現在の韓国の標準的古代史理解を紹介し、その根拠となっているのが『三国遺事』の檀君神話であることを確認する。

第一章は、その『三国遺事』の基本的なテキスト理解からはじめ、それが檀君を祖とする一つの民族ということを語るものではないことをあきらかにした。『三国遺事』は、天帝釈桓因の命によって天から降った桓雄の子としての檀君を、中国の堯とならんであったものとして示し、朝鮮半島が中国によってひらかれ教化されたのではないことを確証する点に本質があることを論じる。

第二章では、中世におけるテキストとして、『三国史記』、『帝王韻紀』と、『三国遺事』とをあわせ見ながら、それぞれのテキストに即して分析し、それぞれの「古代」が作られていることを見定める。『三国史記』には、高句麗・百済・新羅三国の別々の祖が示され、しかも檀君とはつながらない。『帝王韻紀』は三国の祖を語らず、檀君だけを天帝と結びつけ、朝鮮半島全体の祖とするのである。それらは、元の侵冦という危機の時代に、みずからの歴史的根拠を確信するいとなみであったととらえられる。

そして、第三章では、朝鮮王朝において、朝鮮半島開国の祖としての檀君の歴史的定着は、檀君朝鮮から箕氏朝鮮へと展開する古代史像を作りあげてはたされたことを見届けるのである。一貫して自立した民族の歴史の始祖たる檀君はここに定位されると見るものである。それは『三国遺事』をふまえるかたちをとっているが、他のテキストと融合しつつ転換する再創造にほかならなかったことをあきらかにした。その檀君が、植民地時代にあっては民族的抵抗のよりどころとなり、それゆえ、現在の歴史認識を強固に規制するものとなっていることをたしかめるのが、第四章である。

第四章では、高校から小学校にいたる教科書の歴史記述を具体的に見てゆくという作業をつうじて、檀君建国以来の一つの民族としての歴史を国民教育の場で刷り込んでいることを明らかにする。「結論」は、こうしたふりかえりにたって、現在の「古代」像を見直すべきことを提起する。

本論文の意義は、現在の韓国において支配的な古代認識の核心をなす檀君について、根本的な見直しを試みたことにある。民族の祖として位置づけられてきたことを根幹から問いなおすものであり、常識と通念に対する果敢な挑戦といってよい。諸テキストを融合させてきた従来の方法に対して、それぞれのテキストの論理に即して見極めるというテキスト理解の方法とともに、民族の祖としての檀君が作りあげられた歴史の問題を明確に開示したことは、今後檀君の見直しをうながす一石となるであろう。そうした先駆性をもつものとして、本論文の意義は高く評価される。

ただ、その論述が素描的で、十分説得的なテキスト理解をともなわないところがあるという指摘があった。また、資料の訓読についての誤りも指摘された。しかし、それらは本論文の価値を損なうものではないというのが、審査委員の一致した評価であった。

したがって、審査委員会は全員一致して、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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