学位論文要旨



No 217304
著者(漢字) 山田,浩且
著者(英字)
著者(カナ) ヤマダ,ヒロカツ
標題(和) 伊勢湾におけるイカナゴの新規加入量決定機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 217304
報告番号 乙17304
学位授与日 2010.03.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17304号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 白木原,国雄
 東京大学 准教授 山川,卓
 東京大学 准教授 河村,知彦
 京都大学 教授 山下,洋
内容要旨 要旨を表示する

イカナゴ Ammodytes personatus は,日本沿岸の重要な漁業資源である。本種の主要な分布域のひとつである伊勢湾では,主にバッチ網,船曳網船団が,3~5月にシラス期~未成魚期のイカナゴを漁獲している。1漁期当たりの漁獲量は500~25,700トン,漁獲金額は3.0~28.7億円に達する。とりわけシラス期のイカナゴに対する漁獲圧が高く,この時期のみで総漁獲尾数の90%以上を漁獲する。イカナゴシラスの漁況は年々の加入資源量に依存することから,加入量変動機構に対する漁業者や加工業者の関心が高い。

A. personatusは高水温期に潜砂して夏眠する。イカナゴ属魚類の多くは北緯40~60度の冷水域に分布している。A. personatusはイカナゴ類の中でも最も低緯度の温暖な海域に分布する種であり,夏眠は高水温に適応するために獲得した生態と考えられている。伊勢湾のイカナゴの夏眠期間は,6~7月から12月までの約半年間に及ぶ。11月頃から砂中において急激に成熟し,夏眠終了後の比較的短期間のうちに満1歳で産卵する。産卵盛期は12月下旬~1月上旬にみられる。本種の卵巣は部分同時発生型の成熟様式を示し,同期して発達した卵母細胞を1産卵期に1回で産卵する。

魚類資源の再生産に関する研究の最重要課題は,(1)親の産卵量や卵質は次世代の新規加入量にどのように影響するのか,(2)新規加入量は初期生活史のどの段階でどのようにして決定されるのか,(3)新規加入量を(1)および(2)の知見から予測して適切な資源管理が可能になるか,という疑問に答えることにある。日本および海外のイカナゴ類において,新規加入量の予測に基づく資源管理が展開されている事例はほとんどない。その中で,伊勢湾のイカナゴ資源は親魚量と加入量の数量的関係(再生産関係)を基礎とした資源管理が実施されている数少ない事例である。しかし,その関係の基礎となる生態学的要因,すなわち(1)や(2)に関する知見が乏しいために,現状の資源管理手法が漁業者の十分な理解を得るには至っていない。

本研究では,伊勢湾のイカナゴを対象に野外調査,飼育実験および数値解析によって,本種の生態的特性を明らかにするとともに,親魚の再生産力と初期減耗の双方から新規加入量決定の可能性を検証し,その機構を実証的に解明することを試みた。

1. 伊勢湾におけるイカナゴの生態的特性

伊勢湾で4月に漁獲したイカナゴ0歳魚を陸上水槽で1月まで養成し,成熟した個体から採卵および採精を行い,人工授精させた。受精卵の発生,ふ化過程の観察から,伊勢湾のイカナゴの卵内発生時間は約11日間,ふ化の継続期間は約10日間と推定された。また,同一受精日の卵群は特定の1日に集中的にふ化することがわかった。イカナゴ類の卵内発生時間やふ化継続期間は一般に長いとされるが,本種は短期集中型の特異なふ化過程を示した。このようなふ化過程は,伊勢湾の冬季に短期間形成される好適な餌料環境を効率的に利用できるよう適応していると考えられた。

ふ化時のイカナゴ仔魚は体長が約4.5 mmで,両顎は形成され,肛門も開口し,直ちに摂餌可能な状態にあった。シオミズツボワムシおよびアルテミアを餌料とした飼育実験では,大半の個体がふ化後24時間以内に内部栄養を大量に残した状態で摂餌を開始した。さらに外部からの栄養摂取に伴って,卵黄や油球の消費は抑制され,ふ化1ヶ月後においても油球が残存する個体が目立った。本種はこのような摂餌生態によって,ふ化後約1ヶ月にわたって内外の栄養源を混合して利用し,発育初期における餌料環境の悪化に柔軟に対応できると推察された。

1995~1999年の1~2月に,伊勢湾内でボンゴネットによる仔稚魚採集調査を行った。いずれの年もイカナゴ仔稚魚が卓越し,総採集個体数に占める割合は平均で75%に達した。本種は前述した発生初期の栄養摂取戦略によって,餌生物の密度は低いが競合種の少ない冬季に発生し,その海域の餌料生産力を独占的に利用できることが示唆された。

夏眠魚の飼育観察では,夏眠期間中は全く摂餌せず,夏眠期後半には成熟を開始したことから,夏眠中の個体維持および成熟に必要なエネルギーは夏眠開始までに蓄積していると考えられた。また,栄養蓄積不良で夏眠開始までに4.2以上の肥満度が確保できないと,蓄積したエネルギーを夏眠期の個体維持に優先的に利用するため,へい死はしないが成熟できなくなることが明らかとなった。さらに成熟不能に陥る前段階として,餌不足に対し体成長を抑制して栄養蓄積を優先させ,夏眠開始までに成熟可能な4.2以上の肥満度を達成するための応答を見せることがわかった。

以上のように,伊勢湾のイカナゴは各生活史段階において,外部環境の変化に対し,生残確率や繁殖の機会を高めるための種々の適応的生態をもつことが明らかとなった。

2.伊勢湾におけるイカナゴの再生産関係

Taylor's power lawによるDeLury法の一般化モデルを用いて推定した1979~2003年までの加入資源尾数 (R),および加入資源尾数から漁期中の総漁獲尾数を差し引いて求めた親魚資源尾数 (N) をもとに再生産関係を推定した。これまで伊勢湾のイカナゴの再生産関係には,Ricker型再生産曲線が適合するとされてきたが,本研究により次式で示されるBeverton-Holt型再生産曲線の方がより適合することがわかった。

R=400.067×N / (3.661+N)

伊勢湾のイカナゴには密度依存的な新規加入量決定過程が存在し,親魚尾数の増大とともに単位親魚量当たりの加入尾数が減少して再生産成功率が低下することが明らかとなった。

3.伊勢湾におけるイカナゴの新規加入量決定機構

密度依存的な新規加入量決定過程がどのような生態学的特性に基礎づけられているのかについて,親魚の再生産力と初期減耗の両視点から4つの作業仮説を設定し,定量的な評価を行った。

卵質の低下 親魚尾数が増加すると密度効果により親魚が栄養不良に陥り,それに伴って卵質が低下し,初期死亡率が上昇する可能性がある。飼育実験によって,夏眠開始期の栄養状態が異なる0歳魚2群を同じ環境条件下で産卵期まで飼育し卵径を比較したが,両群で有意な差はなく,さらに,これらの卵群に由来するふ化直後の仔魚の体長,ふ化後の摂餌率を指標とした摂餌能力の比較においても有意差は認められなかった。これらの結果から,夏眠開始時の栄養状態が成熟時の卵質に与える影響は少ないと判断された。一方,孕卵数は栄養状態の低下に伴って顕著に減少した。イカナゴは夏眠開始までの摂餌量の減少に対し,まず,孕卵数を減少させて一定の卵質を維持し,さらに劣悪な餌料環境になると成熟を抑制する再生産力の調節様式をもつことが示唆された。

産卵数の減少 密度効果による親魚の栄養不良から,1個体当たりの産卵数,さらには総産卵数が減少する可能性がある。そこで,1992~2003年の産卵期における産卵親魚尾数,群成熟度および雌1個体当たり産卵数をもとに,伊勢湾のイカナゴの総産卵数を推定し,産卵親魚尾数との関係を求めたところ,親魚尾数の増大とともに個体群としての総産卵数はしだいに飽和水準に漸近することがわかった。親魚尾数の増大は単位親魚資源量当たりの産卵数の低下,さらには個体群としての総産卵数の低下につながることが示唆された。

仔魚期の餌不足 親魚尾数の増加によってふ化仔魚量が増加すると,種内で餌料をめぐる競争が激化し,仔魚の栄養状態が悪化して初期減耗率が上昇する可能性がある。伊勢湾におけるイカナゴ仔魚の成長,生残モデルからイカナゴ仔魚の餌料要求量,摂餌可能餌料量を求めた銭谷(2000)によれば,餌不足が示唆されたのはふ化後約5日間である。この日数は,本種が内外の栄養源を混合して利用でき,餌不足の影響を受けにくい期間に相当した。また,無給餌飼育実験下において最初に卵黄,油球吸収個体が観察されたのはふ化後7日目,全個体で吸収完了が確認されたのがふ化後11日目であったことから,本種のPoint of no return(再投餌しても回復不能の飢餓に陥る絶食期間)も銭谷(2000)が指摘する餌不足期間よりは長いと推察された。これらのことから,湾内に輸送された仔魚において飢餓を直接的原因とする減耗は起こりにくいと考えられた。

親魚による被食 親魚尾数の増加とともに仔魚に対する親魚の捕食圧が増大し,被食減耗率が上昇する可能性がある。そこで,イカナゴ親魚による仔魚の捕食減耗率を定量的に評価した。伊勢湾内で採集されたイカナゴ親魚における仔魚の捕食状況および室内実験で求められた消化速度から,親魚は1日に体重の2.1%のイカナゴ仔魚を捕食すると推定された。湾口部でふ化した仔魚が湾内に輸送され,湾口部に分布する親魚と棲み分けが進むまでに10日を要すると仮定すると,1対の親魚による10日間の総捕食仔魚数は体長8 cmの親魚で約2,000個体,10 cmで約3,800個体,12 cmで約6,400個体となった。これらの推定値は各体長における雌親魚1個体当たりの孕卵数の62%,44%,34%に相当し,その割合は小型の親魚ほど高かった。伊勢湾のイカナゴは,親魚尾数が増大すると密度効果によって体長が小型化する。これに起因して親魚による仔魚の捕食減耗率が上昇することが示唆された。

親魚尾数が多い年には,密度依存的に体成長が抑制されて小型の親魚が卓越する。この際,まず親魚の再生産力に影響が現れ,個体当たりの産卵数の減少,さらには個体群としての総産卵数が飽和水準に漸近するようになる。加えて発生した仔魚においても親魚による捕食圧が増加し,新規加入量に対する負の影響が大きくなる。伊勢湾のイカナゴにみられる密度依存的な加入量決定過程は,こうした生態的機構のもとで成立していると結論できる。伊勢湾のイカナゴの新規加入尾数は基本的には親魚尾数によって決定されると考えられ,翌年漁期のために適切な親魚尾数を確保するという再生産管理型の資源管理の有効性が実証された。

審査要旨 要旨を表示する

イカナゴ Ammodytes personatus は日本沿岸の重要な漁業資源である。伊勢湾における漁期(3~5月)の漁獲量は500~25,700トンと年変動が大きい。漁獲量は年々の加入量に左右されることから、加入量動向に対する漁業者や加工業者の関心が高い。伊勢湾では、親魚量と加入量の数量的関係を基礎としてイカナゴ資源の加入量予測とそれに基づく漁業の管理が実施されているが、再生産関係の基礎となる繁殖生態と初期生態に関する知見が十分ではなく、現状の資源管理手法が漁業者の十分な理解を得るには至っていない。そこで本研究では、野外調査、飼育実験および数理解析によって、伊勢湾のイカナゴの生態的特性を明らかにするとともに、親魚の再生産力と仔稚魚の初期減耗から新規加入量決定のしくみを実証的に解明することを試みた結果、次のような新しい生態学的知見とそれに基づく資源管理手法の検証結果を得た。

伊勢湾で4月に漁獲したイカナゴ当歳魚を飼育して成熟させ、人工授精させた受精卵によって発生過程を観察した。卵内発生時間は約11日間で、約10日間にわたって孵化が継続するがその中の特定の1日に集中的に起こった。孵化仔魚は体長が約4.5 mmで開口しており、孵化後24時間以内に卵黄を大量に残した状態で摂餌を開始した。摂餌して外部栄養をとることによって卵黄や油球の消費は抑制され、孵化1ヶ月後においてもなお油球が残存した。イカナゴは孵化後約1ヶ月にわたって餌と卵黄の両方を栄養源として成長することで、発育初期における餌料環境の変動に対応できる生態を持つことがわかった。

1995~1999年の1~2月に行った仔稚魚採集調査の結果、冬季の伊勢湾では魚類仔稚魚群集の中でイカナゴ仔稚魚が卓越した。本種は外敵が少ない冬季に、伊勢湾の餌料生産力を独占的に利用していることが示唆された。水槽内で飼育すると、夏眠中の成魚は全く摂餌することなく夏眠期後半に成熟を開始した。したがって、夏眠中の個体維持および成熟に必要なエネルギーを夏眠開始までに蓄積していることがわかった。また、夏眠開始までに肥満度が4.2を超えないと成熟しないこと、夏眠前に餌不足の条件におくと体長成長を抑制し体重成長を優先させて4.2以上の肥満度を達成するという応答を見せることがわかった。

1979~2003年までの加入資源尾数(R)および親魚資源尾数(N)をもとに再生産関係を推定した。これまでは、伊勢湾のイカナゴの再生産関係にRicker型再生産曲線が適合するとされてきたが、本研究によりR=400.067×N / (3.661+N)で示されるBeverton-Holt型再生産曲線の方がより適合すると考えられた。伊勢湾のイカナゴには密度依存的な新規加入量決定過程が存在し、親魚尾数の増大とともに単位親魚量当たりの加入尾数(再生産成功率)が低下することが明らかとなった。

このような密度依存的な新規加入量決定過程の生態学的基礎について、親魚の再生産力と仔魚の死亡率から定量的な検討を行った。まず、栄養状態が異なる親魚が水槽内で産出した卵の卵径と孵化した仔魚の体長や摂餌能力を比較したところ、親魚の栄養状態の違いによる卵仔魚の差は見出されなかった。次に、伊勢湾の総産卵数と産卵親魚尾数との関係を1992~2003年について求めたところ、産卵親魚尾数の増大に伴って総産卵数は一定水準に漸近することがわかった。つまり、産卵親魚尾数の増大は1尾当たり産卵数を低下させる結果、総産卵数が漸近的となると考えられた。孵化仔魚を無給餌で飼育すると、孵化7~11日間後に卵黄と油球が消費され尽くした。イカナゴ仔魚の成長・生残モデルから孵化約5日間後に餌不足に陥る可能性が示唆されているが、この時期にはまだ十分な内部栄養が残存していること、したがって餌不足による仔魚の大量死亡は考えにくいことがわかった。親魚による仔魚の捕食速度を水槽内で求めたところ、体長8、10、12 cmの親魚は自らの産卵数の62、44、34%にあたる仔魚をそれぞれ消費した。伊勢湾では親魚密度が増大するとその体長は小型化するので、親魚資源量が大きい年には仔魚の被食減耗率が上昇すると考えられた。

以上のように、伊勢湾のイカナゴの新規加入尾数が親魚資源量によって密度依存的に決定されることが繁殖生態と初期生態によって基礎づけられ、適切な親魚尾数を残存させて翌年の新規加入量を確保するという再生産管理型の資源管理の有効性が実証された。夏眠という特異な生態を持つ伊勢湾のイカナゴ資源について、新しい実証的な知見を蓄積し、再生産関係に基づく資源管理手法の合理性を確認した本研究について、審査委員一同は博士(農学)の学位を授与するに値すると判定した。

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