学位論文要旨



No 217309
著者(漢字) サワイ,ワンホンサ
著者(英字) Sawai,Wanghongsa
著者(カナ) サワイ,ワンホンサ
標題(和) タイにおける赤色野鶏の生態学的研究
標題(洋) Ecology of Red Jungle Fowl (Gallus gallus) in Thailand
報告番号 217309
報告番号 乙17309
学位授与日 2010.03.02
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17309号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,良博
 山階鳥類研究所 所長 山岸,哲
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 教授 井上,真
 東京大学 准教授 松本,安喜
内容要旨 要旨を表示する

先史時代の人類にとって、野生動物は動物性タンパクを得るための重要な存在であったことは遺跡に残された証拠から明白であるが、野生動物の多くは安定的な食料資源ではないという問題があった。しかし1万年以上前から、世界のいくつかの地域で成功した野生動物の家畜化によって、人類は恒常的に動物性タンパク源を確保することができ、飛躍的な進歩をとげることとなった。ニワトリもその一種であり、国際連合食糧農業機関(FAO)によれば、世界のニワトリ総飼養数は1880年代末に107億羽に達し、2010年までには224億羽に増加すると推定されている。

このように人類の生存にとって極めて重要な動物資源であるニワトリが、いつ、どこで、どんな目的で、どのように家畜化されたかは古くから多くの研究者の関心を呼んでおり、ダーウィン(1875)は東南アジアから南アジアにかけて広く分布する赤色野鶏がその野生原種であると推定した。最近では、秋篠宮文仁ら(1994).がDNA研究によって同説を裏付けている。しかし赤色野鶏の分布域は広く、少なくとも4亜種が存在することから正確な家畜化の地域がいまだに特定されていないこと、さらに家畜化の動機についても食料説、占い説、権威の象徴説、夜明けを告げる時計説など諸説があり、これらを解明するためには赤色野鶏がどのような生物学的特性を有する動物であるかを明らかにすることが望まれている。しかし地上歩行性がつよく、稀にしか飛翔しない赤色野鶏の生態学的・行動学的研究は困難をきわめ、動物園などの飼育下において行われることがあったが、本来の生息域における研究はほとんど行われてこなかった。

本論文の著者は、1986年よりタイ国環境省(Ministry of Natural Resources & Environment)の研究官として、主としてKao Ang Rue Nai自然保護区内に位置するチャセンサオ野生生物研究ステーションにおいて、14年間にわたり野生動物の保全に関する研究に従事してきたため、同自然保護区内に生息する赤色野鶏を日常的に観察できる環境に恵まれている。さらに同氏は、秋篠宮殿下とシリントーン王女殿下のもとに2004年から開始された人とニワトリの多面的関係に関する共同研究プロジェクト(Human-Chicken Multi-Relationships Research Project)のタイ側研究陣に加わり、5年間にわたって同自然保護区および北タイの生息地域において、赤色野鶏の生態学的・行動学的研究に従事することになり、以下の研究結果を得た。

すなわち、第二章で明らかにしたように、著者らは王立森林局の許可を得て、2005年から2009年までKao Ang Rue Nai自然保護区内の51.7haの調査地域に、総計427個のライブトラップを設置した。その結果、オス76羽、メス73羽、合計149羽の赤色野鶏を捕獲し、体重・体長などのデータを採取、標識したのち放鳥した。同一個体が捕獲されたトラップの最大間隔はメスでは1129 m、オスでは981 mであった。雌雄に有意な差が認められなかったので、すべての個体の最大間隔の平均値を求めたところ380m (±305SD)であった。またJolly-Seber open modelにより、調査地域1ha当たりの赤色野鶏の平均生息密度は、1.6ー2.0羽と推定された。

第三章では赤色野鶏の食性を調査した。Kao Ang Rue Nai自然保護区内の51.7haの調査地域で捕獲され発信器を装着された赤色野鶏は就寝する樹木が特定されているため、早朝に樹木の下で糞を採取することにより、個体別、雌雄別の食性を明らかにすることができた。その結果、昆虫(61-68%)、植物(26-27%)、軟体動物(6%)などが顕微鏡下で特定され、予想通り雑食性であることが示された。なお脊椎動物の痕跡が、一部の糞中に観察されたため、わずかではあるがトカゲなどの脊椎動物を捕食することもあることが示唆された。

赤色野鶏の行動の季節変化を明らかにするため、Kao Ang Rue Nai自然保護区内を東西に走る道路(Route 3259)15kmを1月から12月までの327日間早朝往復走行し、車中から路上または道路脇にいる個体や群れを観察した。その結果、第四章に示したように、もっとも観察数が多かった1月には一日平均100羽(90-280羽)、もっとも少なかった8月には一日平均1羽(1-6羽)の赤色野鶏が観察された。このような劇的な季節変動がみられる主たる要因は、同種の繁殖活動の季節変化によるものと推測された。またトラックから路上に農作物の一部がこぼれおちる時期が季節によって変化することも関係していると推測された。なお観察された赤色野鶏は、1羽のみが全体の65%であり、群れの場合はオス1羽にメス1-3羽の構成がもっとも多かった。群れの中のヒヨコの観察数は、メス1羽について1.8±0.9羽、群れ全体では2.4±0.8羽であった。

Kao Ang Rue Nai自然保護区内の調査地域で2005年から2009年までの間、鳴声または発信機によって個体識別がなされた10羽の優勢オスに対して、彼らのテリトリーを明らかにする目的で集中的な追跡調査を行った。その結果は第五章に示したように、優勢オスのテリトリーは平均10.79ha (±1.51SE)であり、ホームレンジは平均17.59ha (±2.15SE)であることが明らかとなった。彼らが選択したとまり木は、周囲の環境から推測すると、安全性とテリトリーを主張するのに適した位置にあると推測された。

赤色野鶏(Gallus gallus)には4亜種が知られているが、タイには白耳朶のG .g. gullusと、赤耳朶のG. g. spadiceusの2亜種が生息する。本研究の主たる調査地域であるKao Ang Rue Nai自然保護区には前者のG .g. gullusが、またタイ北部に位置するチェンライ県 のPrathad Mae Jedee 寺院周辺には、後者のG. g. spadiceusが生息している。そこで本研究では、Kao Ang Rue Nai自然保護区に生息するG .g. gullusの生物学的特性が、他の亜種においても同様に認められるのか否かを検証するために、北タイに生息するG. g. spadiceusについて観察を行い、比較検討した結果を第六章に示した。

北タイのPrathad Mae Jedee寺院周辺には人家が存在し、ニワトリが多数飼養されている。飼養されているオスのニワトリは夜明けの1-2時間以上前から、ときを告げる鳴声を発する。しかし、人家付近に生息するG. g. spadiceusにおいては、ニワトリが飼養されていない自然保護区のG .g. gullusにおいてと同様に、テリトリーを有する優勢オスの第一声は夜明け直前に限定されていた。この結果は、人家近くに生息する赤色野鶏であっても家畜化されたニワトリに影響されることなく、基本的な習性を保持していることを示唆するものである。なお12月から来年5月までの繁殖期には、毎朝ときを告げる鳴声が観察された。一方、非繁殖期には3日に一回程度までに減少したが、弱い鳴声が認められた。この結果は、「野鶏は繁殖期以外は鳴かない」という猟師や村人への聞き取り調査結果と異なるが、詳細な観察の結果、非繁殖期においても明確なテリトリーをもたない若オスを中心とした個体が鳴声を発しているものと推定された。なお、昆虫食を中心とする雑食性の食性など、多くの点において両亜種は共通した習性を有していると推測された。

トラップによって定期的に捕獲・放鳥を繰り返した個体から得られた生物学的データを解析した結果、赤色野鶏のオスの体重は繁殖期に18.0%減少するが、非繁殖期に21.5%増加することが明らかになった。一方、メスの体重は繁殖期に23.6%減少し、非繁殖期に14.2%増加した。この結果は、繁殖にかかわる雄雌の負担差を示すものと推測される。なお、Kao Ang Rue Nai自然保護区のように、狩猟が禁じられている地域に生息する赤色野鶏の平均寿命は4年を超えると推測されたが、しばしば大量の羽と発信機が山中に取り残されていたチェンライ県 のPrathad Mae Jedee寺院周辺に生息する赤色野鶏の寿命は、狩猟圧の程度によってかなり異なるものと推測された。

以上のように、本論文はニワトリの野生原種とされる赤色野鶏の生物学的特性を明らかにするために、タイの自然保護区と北タイにおいて5年間にわたり本格的な野外調査を実施した成果をまとめたものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文の著者は、タイ国環境省の研究官として、主としてKao Ang Rue Nai自然保護区と北タイにおいて、5年間にわたり赤色野鶏の生態学的・行動学的研究を行い、以下の研究結果を得た。

すなわち、第二章で明らかにしたように、著者は王立森林局の許可を得て、2005年から2009年までKao Ang Rue Nai自然保護区内の51.7haの調査地域に、総計427個のライブトラップを設置した。その結果、オス76羽、メス73羽、合計149羽の赤色野鶏を捕獲し、体重・体長などのデータを採取、標識したのち放鳥した。同一個体が捕獲されたトラップの最大間隔はメスでは1129 m、オスでは981 mであった。雌雄に有意な差が認められなかったので、すべての個体の最大間隔の平均値を求めたところ380m (±305SD)であった。またJolly-Seber open modelにより、調査地域1ha当たりの赤色野鶏の平均生息密度は、1.6ー2.0羽と推定された。

第三章では赤色野鶏の食性を調査した。Kao Ang Rue Nai自然保護区内の51.7haの調査地域で捕獲され発信器を装着された赤色野鶏は就寝する樹木が特定されているため、早朝に樹木の下で糞を採取することにより、個体別、雌雄別の食性を明らかにすることができた。その結果、昆虫(61-68%)、植物(26-27%)、軟体動物(6%)などが顕微鏡下で特定され、予想通り雑食性であることが示された。なお脊椎動物の痕跡が、一部の糞中に観察されたため、わずかではあるがトカゲなどの脊椎動物を捕食することもあることが示唆された。

赤色野鶏の行動の季節変化を明らかにするため、Kao Ang Rue Nai自然保護区内を東西に走る道路(Route 3259)15kmを1月から12月までの327日間早朝往復走行し、車中から路上または道路脇にいる個体や群れを観察した。その結果、第四章に示したように、もっとも観察数が多かった1月には一日平均100羽(90-280羽)、もっとも少なかった8月には一日平均1羽(1-6羽)の赤色野鶏が観察された。このような劇的な季節変動がみられる主たる要因は、同種の繁殖活動の季節変化によるものと推測された。またトラックから路上に農作物の一部がこぼれおちる時期が季節によって変化することも関係していると推測された。なお観察された赤色野鶏は、1羽のみが全体の65%であり、群れの場合はオス1羽にメス1-3羽の構成がもっとも多かった。群れの中のヒヨコの観察数は、メス1羽について1.8±0.9羽、群れ全体では2.4±0.8羽であった。

Kao Ang Rue Nai自然保護区内の調査地域で2005年から2009年までの間、鳴声または発信機によって個体識別がなされた10羽の優勢オスに対して、彼らのテリトリーを明らかにする目的で集中的な追跡調査を行った。その結果は第五章に示したように、優勢オスのテリトリーは平均10.79ha (±1.51SE)であり、ホームレンジは平均17.59ha (±2.15SE)であることが明らかとなった。彼らが選択したとまり木は、周囲の環境から推測すると、安全性とテリトリーを主張するのに適した位置にあると推測された。

赤色野鶏(Gallus gallus)には4亜種が知られているが、タイには白耳朶のG .g. gullus と、赤耳朶のG. g. spadiceusの2亜種が生息する。 本研究の主たる調査地域であるKao Ang Rue Nai自然保護区には前者のG .g. gullusが、またタイ北部に位置するチェンライ県 のPrathad Mae Jedee 寺院周辺には、後者のG. g. spadiceusが生息している。そこで本研究では、Kao Ang Rue Nai自然保護区に生息するG .g. gullusの生物学的特性が、他の亜種においても同様に認められるのか否かを検証するために、北タイに生息するG. g. spadiceusについて観察を行い、比較検討した結果を第六章に示した。

北タイのPrathad Mae Jedee寺院周辺には人家が存在し、ニワトリが多数飼養されている。飼養されているオスのニワトリは夜明けの1-2時間以上前から、ときを告げる鳴声を発する。しかし、人家付近に生息するG. g. spadiceusにおいては、ニワトリが飼養されていない自然保護区のG .g. gullusにおいてと同様に、テリトリーを有する優勢オスの第一声は夜明け直前に限定されていた。この結果は、人家近くに生息する赤色野鶏であっても家畜化されたニワトリに影響されることなく、基本的な習性を保持していることを示唆するものである。なお12月から来年5月までの繁殖期には、毎朝ときを告げる鳴声が観察された。一方、非繁殖期には3日に一回程度までに減少したが、弱い鳴声が認められた。この結果は、「野鶏は繁殖期以外は鳴かない」という猟師や村人への聞き取り調査結果と異なるが、詳細な観察の結果、非繁殖期においても明確なテリトリーをもたない若オスを中心とした個体が鳴声を発しているものと推定された。なお、昆虫食を中心とする雑食性の食性など、多くの点において両亜種は共通した習性を有していると推測された。

トラップによって定期的に捕獲・放鳥を繰り返した個体から得られた生物学的データを解析した結果、赤色野鶏のオスの体重は繁殖期に18.0%減少するが、非繁殖期に21.5%増加することが明らかになった。一方、メスの体重は繁殖期に23.6%減少し、非繁殖期に14.2%増加した。この結果は、繁殖にかかわる雄雌の負担差を示すものと推測される。なお、Kao Ang Rue Nai自然保護区のように、狩猟が禁じられている地域に生息する赤色野鶏の平均寿命は4年を超えると推測されたが、しばしば大量の羽と発信機が山中に取り残されていたチェンライ県のPrathad Mae Jedee寺院周辺に生息する赤色野鶏の寿命は、狩猟圧の程度によってかなり異なるものと推測された。

以上のように、本論文はニワトリの野生原種とされる赤色野鶏の生物学的特性を明らかにするために、タイの自然保護区と北タイにおいて5年間にわたり本格的な野外調査を実施した成果をまとめたものであり、学術価値の高いものである。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)に値するものと認めた。

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