学位論文要旨



No 217315
著者(漢字) 野口,美由貴
著者(英字)
著者(カナ) ノグチ,ミユキ
標題(和) 拡散スケールの異なる空間における空気環境評価に関する研究 : 測定時間間隔と平均化時間の最適化について
標題(洋)
報告番号 217315
報告番号 乙17315
学位授与日 2010.03.03
学位種別 論文博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 第17315号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柳沢,幸雄
 東京大学 教授 加藤,信介
 成蹊大学 教授 山崎,章弘
 東京大学 准教授 阿久津,好明
 東京大学 准教授 吉永,淳
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

1.1 背景

空気の汚染は、古くは硫黄酸化物による四日市喘息などの公害問題に始まり、近年では屋外における有機リン系農薬や杉並病、室内における化学物質過敏症やシックハウス症候群などの揮発性有機化合物(VOC)による健康問題にまで広がり、形を変えてなお人々に健康影響を与えている。

これらの健康影響をもたらす空気環境の変化を評価する方法として、環境省による大気汚染常時監視測定局における汚染物質の測定や厚生労働省による13物質の室内指針値提示、また労働環境における定期的な作業環境調査などの法整備と施行が行われてきた。

一方、分析技術の面では、空気中の極微量なVOCを測定できるような積算分析装置、技術が開発され、数分から数秒単位の時間分解能をもつ総揮発性有機化合物濃度や粒子濃度の連続測定装置も開発されている。しかしこれらの手法は、健康影響が起きている環境の現状を把握するために用いられており、健康影響の防除や空気環境の改善対策に結び付けるためのアプローチが不十分である。この問題を解決するためには、汎用性のある空気環境評価法が必要であり、中でも連続測定値を用いた評価法が空気環境の変化を捉えるという意味で有用であると考えられる。

現在行われている連続測定では、測定時間間隔を装置の機能または運用上の利便さなどによって決定しており、合理的な根拠に基づいてはいない。連続的な濃度測定によって空気環境の変化を検知するためには、対象とする空間のスケールに応じた測定時間間隔で測定を行う必要がある。さらに、空気環境を評価するためには、連続測定によって得られた測定値を、発生源の性質や評価目的に応じて平均化することが必要になる。

1.2 目的

本研究の目的は、空気環境の変化を捉えるための手法として連続測定法をとりあげ、汚染物質を検知するための測定時間間隔を設定し、さらに空気環境を評価するための連続測定値の平均化時間設定手順を提案することである。

2.拡散スケールによる測定時間間隔

2.1対象空間

測定時間間隔を求めるための空間は、大陸環境から個人曝露域までとした。またフィールド調査は、地域環境、作業環境、室内環境、個人曝露域の4空間で行った。

2.2 測定時間間隔の設定

空気環境を変化させるような汚染物質の発生を捉えるためには、測定時間間隔を汚染物質の移動時間よりも小さくする必要がある。汚染物質は、主に大気の流れによって運ばれることから、測定時間間隔として点源から瞬間的に放出された汚染物質が測定点に到達するまでに要する時間を取ることとした。手順として、空間サイズの代表距離Lを代表風速vで除したものを考える。なお、ここで代表風速は既存調査例における頻出風速をもとに設定した。

この方法によって得られた汚染物質到達時間と代表距離の関係は〓で表された(図1)。これは、空間内の拡散現象における混合代表時間〓 に近い値であった。また、汚染物質がx=0から距離Lだけ離れた場所へ、移流拡散した場合の濃度変化は左式で表され、そのピーク幅2σはであること〓を用いると〓となり、設定した測定時間隔を用いた連続測定により汚染物質の発生を検知できることが示された。

2.3 連続測定値の平均化

設定した測定時間間隔により検知された連続測定値を用いて、発生した汚染物質が対象空間の空気質にどの程度変化を与えたかを知るためには、得られた連続測定値を平均化する必要がある。図2より既存の空気環境評価で用いられている評価時間は、測定時間間隔より長時間であり、連続測定値により空気環境評価が可能であることが示された。さらに、平均化時間を決定するための項目として、発生源の時定数、空気環境変化の時定数、曝露時間、空間雰囲気の時定数、過去のデータの時定数を挙げ、発生源の特性と評価目的に応じた平均化時間を選択するものとした。

3. フィールド調査

2.2で得られた測定時間間隔を用いて、地域環境、作業環境、個人曝露域、室内環境において実測調査を行い、設定した測定間隔の妥当性を検証した。さらに目的に応じて連続測定値の平均化を行い、発生源の推定、空気環境改善対策の提案を行った。

3.1 地域環境

地域環境における測定時間間隔を60分とし、大気汚染常時監視測定局にて測定されている連続測定値を用いて、空気環境変化が認められる地域の評価を行った。対象測定項目は窒素酸化物(NOX)濃度と非メタン炭化水素(NMHC)濃度とし、これらを用いて未特定のVOCによる地域環境汚染の程度を評価した。

3.1.1調査方法

NMHCの発生源は非燃焼系が燃焼系より多く、NOxの発生源は主に燃焼系発生源であることから、NMHC/NOX比の大小は、非燃焼系発生源からのNMHC発生寄与を表すと考えられる。また、NMHCとNOXは大気中で同様に拡散するためNMHC/NOX比を用いることにより気象変動による影響を最小限にして、地域の空気環境評価ができると考え、NMHC/NOX比を用いた調査を行った。

3.1.2 結果および考察

対象地域として空気環境汚染が懸念されている大阪府寝屋川市をとりあげ、一般環境大気測定局(一般局)寝屋川局と対照局として選定した近隣の東大阪局(一般局)および自動車排出ガス測定局(自排局)四条畷局のNMHC/NOX比の1時間値を比較した。さらに、平均化時間を24時間、1週間として各空気環境を評価したが、汚染原因を特定するような傾向は得られなかった。そこで平均化時間を1ヶ月、1年間として解析を行ったところ、一般局では夏季にNMHC/NOX比が高値を示すが、自排局である四条畷局では、この傾向がみられなかった(図3)。よって、発生源が自動車であるため、季節に係らずNMHC、NOxの測定値が変化しない自排局に比べ、一般局では気温の上昇に伴いNMHCの排出量が上昇するような非燃焼系発生源が存在することが示唆された。次に図4に示したNMHC/NOX比の経年変化では、1997年度から2000年度までの年平均値は、一般局である寝屋川局、東大阪局ともに同程度であるが、2001年度付近から両者の比は乖離を見せ始め、2002年度以降寝屋川局は高値を維持している(図4)。これを、寝屋川市におけるゴミ処理の経緯と比較すると2002年度に廃プラスチックの全戸収集、圧縮梱包が開始された時期とNMHC/NOXが高値を示すようになった時期が同期しており、2004年度に廃プラスチック再製品化工場の建設、操業が開始されてから、さらに高値を示した。よって建設時期がNMHC/NOXの増加と同期している再製品化工場が非燃焼系発生源である可能性があると考えられた。

3.2 個人曝露域および作業環境

金属鍍金工場の金属洗浄工程を例にあげ、TVOC連続測定装置(光イオン化検出器:PID)を用いて得られた連続測定値により個人曝露域と作業環境の空気環境を評価した。

3.2.1 調査方法

対象とした金属鍍金工場では、洗浄槽に洗浄溶剤としてトリクロロエチレン(TCE)を満たして沸点以上(90℃)に熱し、加工した金属部品を浸漬することにより洗浄を行っている。調査はPIDを用いた洗浄槽前と洗浄槽より10 m離れた作業環境におけるTCE濃度の連続測定とGC/MS法による積算分析法を行った。また、対象空間を個人曝露域と作業環境とし、それぞれの測定時間間隔をそれぞれ10秒と2分間とした。

3.2.2 結果および考察

洗浄工程において洗浄槽から発生するTCEの濃度は、作業内容により高濃度で不規則に変動した(8300~200000 mg/m3)。この変動は、離れた作業環境においても時間遅れで観測され、発生源におけるTCE放散コントロールにより作業環境が改善できるものと考えられた。よって連続測定によるTCE放散濃度測定は、個人曝露量の監視とともに作業環境維持のために有効であると考えられた。

3.3 室内環境

室内では、VOC発生源として建材などから定常的に発生するものと居住者の行動によって短期的に発生するものが存在する。本調査では、測定時間間隔を1分とした連続測定値を用いて、短期的な室内空気環境の変化を観測し、その平均化により長期的な室内空気環境の変化を評価した。

3.3.1 調査方法

居住状態にある複数の住宅を対象として、終日PID法によるTVOCの連続測定を行い、居住者の行動記録表をもとにTVOC濃度の変化と居住者の行動との相関を求めた。また、連続測定値を換気のモデル式にフィッティングし、換気量とTVOCの発生強度を推定した。さらに、平均化時間の異なる2種類の移動平均値を用いた積算分析法のための自動サンプリング法を提案した。

3.3.2 結果および考察

・居住者の行動によるTVOC濃度変化

室内のTVOC濃度を大きく変動させる居住者の行動は、調理、飲食、喫煙であった。調理、飲食は数十分から1時間の時定数を持ち、喫煙では数分間であった。

・連続測定値を用いた換気回数推定

連続測定値を換気のモデル式にフィッティングすることにより、換気量とTVOC発生強度を求めた。本解析法により室内空気環境低下の原因が換気の不足であるかVOC放散であるのかを識別した。(図5参照)。

・2種類の移動平均値を用いた積算分析法

連続測定時における移動平均時間を長・短2種類設定し、両者の比較によりピークを検出し積算分析のための自動サンプリングを可能とした。

4. 結言

連続的測定により汚染物質の発生を検知するための測定時間間隔は、対象空間の代表距離を代表風速で序することにより得られる汚染物質の到達時間をもとに設定することが簡便かつ有効であった。さらに、得られた連続測定値を用いて空気環境を評価するためには、汚染物質が瞬間発生か定常発生かといった発生源の時定数、換気回数などの空気環境変化の時定数、気候変動などの雰囲気変化の時定数、積算曝露量、過去のデータの時定数などの項目を軸に判断することにより、最適な平均化時間を選択する手法を提案した。

図1 代表距離Lと到達時間tの相関

表1 空間別拡散スケールと測定時間間隔

図2 測定時間間隔と評価時間

図3 寝屋川局,東大阪局,四条畷局におけるNMHC/NOX比の経月変化と気温変化(2004年度)

図4 寝屋川局、東大阪局、四条畷局におけるNMHC/NOX比の経年変化(1997年度~2004年度)

図5 TVOC濃度変化を用いた換気量推定

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、5章からなり、第一章は「序論」、第二章は「空間スケールと測定時間間隔」、第三章は「フィールド調査への適用例」、第四章は「検証」、第五章は「結論」について述べている。

本研究は、人が曝露する環境化学物質の大半が空気中に存在することから、空気環境評価が重要であるとし、空間スケールおよび評価目的に適した空気環境評価を行うためのプロトコルを提案することを目的としている。既存の空気環境調査は、化学物質による健康影響が顕在化した後、その原因物質および発生源を明らかにするために行われる場合が多く、健康影響の防除を目的にした対策を講じるための情報として十分に機能していない。そこで本研究では、一測定点における汚染物質濃度の連続測定により空気環境の変化を検知・評価し、汚染物質の除去、詳細な調査などの対策に結びつけるものとしている。

第一章では、各種空間における汚染物質の種類とその測定方法について述べている。対象物質として揮発性有機化合物(VOC)を取り上げ、近年の物質の多様化に対応するため、室内においては総揮発性有機化合物(TVOC)、屋外においては非メタン炭化水素(NMHC)の測定が適しているとしている。また、測定方法として連続測定の有用性について述べている。

第二章では、空間スケールに適した測定時間間隔と評価項目に応じた連続測定値の平均化時間設定プロトコルについて述べている。空気環境中における汚染物質濃度変動の時定数は、空間スケールと相関しているため、連続測定は空間スケールに応じた測定時間間隔で行われるべきである。そこで本研究では、汚染物質が主に移流により測定点に達するとし、対象空間の代表距離と代表風速により汚染物質到達時間を求め、これを測定時間間隔としている。さらに、本手法が乱流拡散、移流拡散の理論からも妥当であることを示している。次に、連続測定によって得られた連続測定値を空気環境評価に用いるためには、評価項目に応じた適切な連続測定値の平均化が必要であるとし、既往の空気環境評価例をあげながら、平均化時間を設定するための留意点として(1)汚染物質発生源の時定数、(2)汚染物質による空気環境変化の時定数、(3)汚染物質への曝露時間、(4)気候変化の時定数、(5)過去のデータの時定数の5項目を提案している。

第三章では、第二章で設定した測定時間間隔を用いて地域環境、作業環境、室内環境、個人曝露域において連続測定を行い、それぞれ空気環境評価を行っている。地域環境調査では、大気汚染常時監視測定局に蓄積された1時間値を連続測定値とみなし、平均化時間を変化させることによりNMHCの発生源を推定し、詳細な空気質分析および疫学調査が必要であるとしている。作業環境調査(金属鍍金工場)では、設定した測定時間間隔によりトリクロロエチレン(TCE)濃度の連続測定を行っている。本調査では発生源(洗浄槽)近傍において個人曝露域の調査を同時に行い、作業内容によるTCE濃度変動の程度と作業環境へ及ぼす影響を示している。室内環境調査では、居住者の行動によるTVOC濃度の変動が設定された測定時間間隔による連続測定により表現できることを示している。また、連続測定値を居住環境評価のスクリーニングに適用し、換気回数、VOC放散速度を換気式により求め、本研究の目的でもある健康影響防除のための対策につなげられることを示している。さらに居住者の行動によるVOC発生と建材からのVOC放散など時定数の異なる発生源への対応について、異なる平均化時間を用いることにより両者の切り分けが可能であることを示している。

第四章では、第三章で行った空気環境調査結果より第二章で設定した測定時間間隔および平均化時間設定法の妥当性について検証している。測定時間間隔については設定より長くした場合、汚染物質発生の検知不可、あるいはその濃度を過小評価する危険性があること、また、設定より短くしても得られる情報量に変化がないことを示している。平均化時間については、第二章で示された留意点に沿った設定プロトコルが有用であることを示している。

第五章では、全体の内容をまとめ研究の成果を総括している。空気環境変化の評価に有利であるとする連続測定の測定時間間隔に一定の設定軸を与え、連続測定値の平均化時間設定についての留意点を整理することで様々な空間における連続測定に汎用性を持たせることができ、疫学調査などの健康影響調査デザインに対し、環境側からの有用な情報となり得るものとしている。

なお、本論文第三章は、〓文珠氏、水越厚史氏、岡健太郎氏、井上靖雄氏、熊谷一清氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証をおこなったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(環境学)の学位を授与できると認める。

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