学位論文要旨



No 217316
著者(漢字) 出村,みや子
著者(英字)
著者(カナ) デムラ,ミヤコ
標題(和) 聖書解釈者オリゲネス : 復活をめぐる論争を中心として
標題(洋)
報告番号 217316
報告番号 乙17316
学位授与日 2010.03.04
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17316号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴岡,賀雄
 東京大学 教授 市川,裕
 上智大学 教授 宮本,久雄
 自由学園 専任教師 大貫,隆
 立教大学 教授 佐藤,研
内容要旨 要旨を表示する

本稿の目的は、古代地中海世界有数の文化都市アレクサンドリアで生まれた教会著述家オリゲネス(185-254頃)の聖書解釈者としての意義を、彼自身のテクストに基づいて再評価することを意図し、特にオリゲネスが著作活動を行ったアレクサンドリアの多文化主義的状況を視野に入れて、ヘレニズム諸思想、グノーシス主義諸派、ユダヤ教との競合関係の中で生み出されたオリゲネスの復活論の成立と特徴を、彼の聖書解釈の方法に焦点を当てて検討することにある。そのために本稿では、六世紀にオリゲネスに対して下された異端宣告の問題を出発点として、これまで教会史において異端とみなされてきたオリゲネスの神学思想、特に彼の復活論の形成を聖書解釈との関連において再検討することを試みた。

第一章では、オリゲネスに対して「いかなる異端的逸脱をも正当化するようなアレゴリー解釈の型を提供し、すべてのキリスト教の教義に影響を及ぼした一連の反動の出発点」と評したエピファニオス(315頃-403)の批判から出発して、オリゲネスの『諸原理について』におけるアレゴリー解釈について検討した。オリゲネスが神学的活動を行ったアレクサンドリアは、かつて「学問のコスモポリス」として古代図書館を中心とした文献学の一大発展地であり、オリゲネスの時代には諸宗教や思想が競合する多文化主義的様相を呈していた。彼に先立つフィロンとクレメンスは、当時の異教哲学からなされた聖書伝承に対する批判に対して弁明を行う際に哲学的傾向の強い寓意的解釈を行ったが、これはアレクサンドリアとは対抗関係にあったペルガモンの文献学が神話的記述の合理的解釈法として発展させた方法であった。これに対してオリゲネスが採用したアレクサンドリアの文献学的方法は、本文の確立と「ホメロスをホメロスから解釈する」テクスト内在的な解釈で知られており、オリゲネスは聖書を聖書によって解釈する聖書の内在的解釈法を採用した。彼はこうした聖書の解釈法をパウロの聖書解釈の範例(ガラテヤ書4:21-24)に基づいて聖書の霊的解釈法として発展させ、後代の聖書解釈の伝統に大きな影響を与えたのである。

第二章では、ギリシア思想の視点からキリスト教に加えられた復活論批判に対して、オリゲネスが聖書解釈を通じてどのように答えたかを『ケルソス駁論』を通じて検討した。テクストの考察を通じて明らかになったのは、第一にプラトン主義者の論敵ケルソスが当時流布していた様々な民間伝承資料を駆使しながら、キリスト教の教説を激しく攻撃しているのに対して、オリゲネスはケルソスの批判を冷静に受け止め、聖書テクストに基づいて批判の妥当性について検討し、読者をキリスト教の死生観や復活論についての正しい理解に導こうとする姿勢を貫いていることである。その意味でオリゲネスの論述は、ケルソスの批判を直接論破することを目的とした論駁的性格というよりも、「信仰の弱い」読者を意識してキリスト教の教えを弁明しようとする護教的性格が強いと言える。第二にオリゲネスの復活に関する論争方法に一貫して認められるのが、ケルソスの思想基盤である古典ギリシアの伝統に基づく神、人間、世界についての理解と、聖書に基づくキリスト教の神、人間、世界についての理解を逐一対比しながら論じることにより、両陣営の理解の相違を読者に明確な形で提示し、最終的な判断を読者に委ねていることである。オリゲネスはケルソスの抱くプラトン主義的な魂と肉体の二元論的把握に対して、パウロの復活論解釈を通じて復活が「より善いものへの変化」であることを示し、古代の円環的世界観に基づくプラトン主義的死生観を聖書的死生観に置き換える試みを行ったのである。

第三章ではグノーシス主義諸派とオリゲネスとの間で交わされた復活をめぐる論争を考察するために、復活に関する聖書伝承のなかでも特にパウロの復活をめぐる記述に焦点を当て、初期キリスト教の復活理解の変遷を辿りながら、彼の復活論の特徴について考察した。その結果、彼の復活理解はギリシア思想における魂と身体の二元論的伝統とも、また独自の救済神話に基づくグノーシス主義の脱身体的復活論とも相違していたばかりか、当時の正統的教会が展開した復活の肉体性を強調する復活論理解とも異なる「終末論的様態変化」であったことが明らかになった。グノーシス主義諸派がしばしばパウロを引用していたために、二、三世紀の護教論者たちはパウロの復活理解よりは、福音書に見られる反仮現論的復活理解を肉体の復活の教義として発展させたが、オリゲネスはパウロ書簡のみならず、旧約聖書や福音書の記述に基づいて終末論的様態変化としての復活理解を展開した。それゆえ彼の聖書解釈に見られるパウロ主義は当時の教会としては例外的な位置を占めることになり、彼の復活理解は後代のオリゲネス論争の要因の一つともなった。オリゲネス神学の評価を巡る問題は、当時のパウロ受容の状況とも複雑に関係していたと言える。

第四章では、福音書に記述されたイエスの復活・顕現伝承がどのように理解されているかを、オリゲネスの聖書解釈の特徴である「霊的解釈法(アナゴーゲー)」と「エピノイア論」を中心に検討した。オリゲネスの霊的解釈法はその起源において聖書学的関心から出発しており、ヨハネ福音書やパウロの範例に依拠した聖書解釈法である。さらにオリゲネスの「エピノイア論」も、イエスの顕現形態の神秘性を示唆するために、ヨハネ福音書に用いられたイエスの様々な呼称を、福音書の「山上の変貌」の記事の解釈と結びつけて構成した解釈であり、後代のキリスト教神秘主義の伝統の先駆となったことが示された。

第五章では、現代的視点から問題となっているオリゲネスの神学的遺産と反ユダヤ主義の問題について検討した。オリゲネスはアレクサンドリアを退去してカイサレイアに移住した後に旧約聖書の六欄対訳版『ヘクサプラ』の編纂とユダヤ教との論争を行っているが、未だユダヤ教と未分化な状況にあったカイサレイアの教会はユダヤ教と競合関係にあった。イエスの死に関する一連の彼の解釈が後の西欧の反ユダヤ主義に影響を与えるようなものであったかどうかについては研究者の意見が分かれており、この点についてオリゲネスがユダヤ教との間で行った論争を考察した。その結果オリゲネスにおいて反ユダヤ主義的記述が強硬なものとなっていた背景には、ユダヤ教との競合関係にあった当時のキリスト教会が自己定義の必要に迫られていた状況があり、また福音書伝承に内在する反ユダヤ主義的視点を、彼が聖書解釈者として彼自身の状況において新たに再発見したことも重要な要因であることが示された。『ヘクサプラ』の編纂によってオリゲネスはテクスト批評の父と称せられる一方、現代的視点から見れば彼の聖書主義は課題を残したと言える。

最後の第六章では、聖書解釈者オリゲネスが後にどのようにしてキリスト教会にとって危険な異端者とみなされていったのか、その過程をエピファニオスの『パナリオン』64を中心に検討した。オリゲネスは後世の修道制的禁欲主義に多大な影響を及ぼし、四世紀にはオリゲネスをめぐる長期にわたる論争を引き起こすこととなったが、一連のオリゲネス論争の火付け役となったのがエピファニオスである。彼は肉体性を軽視するような極端な禁欲実践を行う修道士たちの神学の源泉をオリゲネスに見出し、後続の異端の祖とみなして彼の思想を徹底的に断罪した。しかし一連のオリゲネス論争は必ずしもオリゲネス自身の神学を扱ったものではなく、教会政治的意味合いを強く持っていたために、オリゲネスに関する証言や教説が大きく歪められた形で伝えられていった。エピファニオスの哲学・神学的思索への敵意や学問軽視の個人的資質と、ニカイア公会議への頑ななまでの忠誠心が、オリゲネス神学の持つ多元主義的傾向を許容することを不可能にしたのである。

オリゲネスの問題を時代状況との関連で見れば、彼が生きた時代はまさに非合法宗教とみなされていたキリスト教が周辺世界に対して自他ともに宗教的寛容を求めた時代であり、オリゲネスは諸宗教の平和・共存を主張するアレクサンドリアの宗教多元主義の実例であった。オリゲネスの聖書主義は聖書に基づく限り多様な解釈の立場に余地を残すものであり、テクストの比較を通じてヘレニズム諸思想やユダヤ教との対話を可能とするものであった。しかしエピファニオスの反異端論の視点は、ニカイア正統主義の旗印のもとでオリゲネスを後続の異端の祖とみなすことにより、それらの多様性を一元化する方向をとった。それは諸宗教が競合する「市場の状況」がある徹底的な仕方で変化を遂げ、皇帝の回心が「宗教的多元主義の消滅」(ストロウムサ)をもたらしたことを意味する。

このようにオリゲネスの神学的遺産は教会史において歪められた形で伝えら、断罪された一方で、聖書解釈者としてのオリゲネスの直接的影響は実際のところ、砂漠の隠修士たちの禁欲主義的実践のみならず、ヒエロニュムスの聖書研究やバシレイオス、アウグスティヌスの修道制の理念に示されるような、聖書の学びと研究を中心とした禁欲主義的修道制の形成につながり、さらに後のプロテスタントの聖書主義に継承されていったのである。

審査要旨 要旨を表示する

出村みや子氏の『聖書解釈者オリゲネス――復活をめぐる論争を中心として』は、オリゲネスを中心に長くキリスト教教父思想を研究してきた著者が、これまでの成果を凝縮して、彼のキリスト教思想家としての特徴を「聖書解釈者」という視点から捉え、その営為の思想史上の意義を明らかにした優れた論文である。

オリゲネス(185-253)は古代キリスト教の最大の神学者の一人だが、正統教義確立以前に活動した彼の思想については、その論述の多面性、また六世紀に彼の教説とされるものが異端とされたこともあって、さまざまな理解がなされてきた。聖書を恣意的に解釈してグノーシス主義にも通ずる新プラトン主義的な宗教的・哲学的世界観を構築した思想家と見られることもあった。が、出村氏は、二十世紀中葉以降に本格化した原典研究、および近年の研究動向を十分に咀嚼した上で、神学者オリゲネスの本領を「聖書による聖書解釈者」として提示する。その聖書釈義は、先行するフィロン、クレメンスらのいわゆる寓意的解釈とは一線を画して、聖書のテクスト自体を典拠に聖書を解釈するという、ある意味で近代の聖書学に通ずる態度を根本に据えたものだったとする。このことを著者は、『ケルソス駁論』(出村氏自身の邦訳が刊行されている)、『諸原理について』『ヨハネ福音書註解』等、オリゲネスの最重要作品を主題材に、入念にかつ説得力をもって論証している。

その際、論の中心に置かれるのは、オリゲネスの異端的教説の一つとされた魂の復活をめぐる議論である。死者の復活の思想は、ケルソスら広義のプラトニズムに属するキリスト教批判者には到底受け入れがたいものだったが、一方、当時のキリスト教界の主流は、キリスト仮現論への抵抗もあって、肉体の甦りを物質主義的に解する傾向にあった。この両者の狭間でオリゲネスは、当時はあまり重視されていなかったパウロのテクストに依拠して、復活を「より善いものへの変化(metabole epi to beltion)」という言い方で捉え、魂がこの世の肉体よりもさらに善い身体性を帯びる終末論的な様態変化と把握する。氏はここに、神的世界の永遠不動性を範型に魂の本質的な変化を認めないギリシア思想とは異なって、「変化する」ことを肯定的にとらえるヘブライ的ないし聖書的な思考を見抜いている。氏の研究が、具体的な釈義論争に密着しつつも、射程の広い宗教哲学的洞察に導かれたものであることが見て取れる。

以上の中心的論点の他にも、本論文にはいくつもの啓発的な知見が提出されている。それらは総じて、オリゲネスの著述活動を時代的・地域的文脈に置いて理解するという氏の方法論に由来する。この観点の導入によって、『ケルソス駁論』が二~三世紀のアレクサンドリアにおける諸宗教の競合状況のさなかで、専らキリスト教内部の信徒に向けて書かれた護教的性格のものだったこと、名高い『ヘクサプラ(六欄対訳聖書)』編纂がヘブライ語聖書の正文を巡るユダヤ教との対決的状況を背景にしていたことが主張される。また、後世の異端宣告が、三~四世紀のいわゆる砂漠の修道士たちのオリゲネス称揚と、ローマ帝国のキリスト教化に伴う宗教的多元性の消滅という状況下で、オリゲネスの多面的な議論が危険視されていった結果であることが、エピファニオス(四世紀)の『パナリオン』等におけるオリゲネス批判テクストの分析によって具体的に示されている。

このように本論文は、古代キリスト教世界の動向についての該博な知識、原典の精密な読解、また内外の最新の研究動向への広い目配りに基いて、宗教研究を巡る現代的問題関心を背景にしてオリゲネスの宗教思想の特質をくっきりと取り出すことに成功しており、現代日本における教父研究の高い水準を示すものとなっている。よって本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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