学位論文要旨



No 217323
著者(漢字) 岸井,粒太
著者(英字)
著者(カナ) キシイ,リュウタ
標題(和) 大腸菌の情報伝達系EnvZ-OmpRおよびそれに制御される外膜蛋白質OmpFの解析
標題(洋)
報告番号 217323
報告番号 乙17323
学位授与日 2010.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17323号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 准教授 武田,弘資
内容要旨 要旨を表示する

背景

細菌は外部環境が変化すると二成分情報伝達系(TCS)と呼ばれるシグナル伝達系が作用し、様々な遺伝子発現を調節する。このTCSによって細菌は外部環境の変化にも適応し生存することができる。これまで様々なTCSが発見されているが、中でも浸透圧変化に応答する大腸菌のEnvZ-OmpRシステムはシグナル伝達のモデルとして古くから研究が進められている。大腸菌は浸透圧変化をEnvZにより感知し、OmpRを介して下流の遺伝子ompFとompOの発現を制御する。OmpFとOmpCは外膜で異なる大きさのporeを形成しており、低浸透圧ではOmpF、高浸透圧ではOmpCが増える。大腸菌はこれら2つの蛋白の発現により、様々な浸透圧条件下でも恒常性を維持することが可能である。更にOmpFは、浸透圧変化だけでなくキノロン、テトラサイクリン、6ラクタム等様々な抗菌剤の細菌内部への侵入口となっており、OmpF減少変異株は多剤耐性となる。

本研究ではEnvZ-OmpR-OmpF/Cというモデル系を用い、EnvZの分子内情報伝達およびOmpFの薬剤耐性への関与の解明を行った。

1.EnvZHAMPdomainの解析

EnvZの構造はいくつかのdomainに分かれているが、このうちlinkerと呼ばれるdomainはhistidinekinase以外にも様々なシグナル伝達関連蛋白が共通して持っており、HAMPlinkerと総称される。興味深いことにHAMPlinkerのアミノ酸配列の相同性は細菌種や蛋白間で低いものの、その二次構造予測を行うと保存されたhelix-loop-helix構造を有している。更に多くの変異導入試験によりHAMPlinkerはシグナルの正常な伝達に必須であることが判明している。

その重要性にも関わらず、linkerの研究は他のdomainに比べて遅れているのが原状である。要因の一つとしてlinkerが可溶性蛋白として発現困難なことが挙げられる。そこで私はHAMPlinkerを可溶性蛋白として発現させ、物理化学的解析を行うことを目的として研究を行った。

まず発現が困難という問題を解決するため、可溶性が高い蛋白をTagとして共発現するなどいくつかの方策をとった。その結果、IinkerのC末に隣接するdomainAの一部もしくは全長を含むLRKおよびLARKの2つを可溶性蛋白として発現することに成功した。LRKおよびLARKの蛋白2次構造をCDにより解析した。その結果、LRKおよびLARKのlinker部分は明確な2次構造を持たずrandomcoilが最も多いことが明らかになった。しかしながら、randomcoilでは常に同じ構造をとることができず正確なシグナル伝達ができない、EnvZを含む様々な蛋白の2次構造予測および近年発表された好熱古細菌蛋白のNMR解析よりHAMPlinkerはhelixrichであることが示唆される、といった理由から、得られたlinkerは生体内とは異なる構造を有することが考えられた。

これまでに、様々な点変異をEnvZHAMPdomainに導入することによりEnvZの表現型が変化することが明らかになっている。例えばAla193を疎水性の高いアミノ酸に置換するとEnvZが常に高浸透圧状態にロックされる。そこで疎水性の高いアミノ酸へ置換すれば、分子内・分子間の疎水的相互作用を強固にし、構造を安定にすることが可能ではないかと考えた。そこでAla193をVa1もしくはLeu(A193V,A193L)に置換したLRKおよびLARKを発現・精製しCD解析を行った。その結果、LRK[A193V]、LRK[A193L]、LARK[A193V]の3つは変異を導入しても変化が無いもののLへRK[A193L]は明らかな2次構造変化が起こり、特に222nmにおけるピークが顕著であった。A193L変異がLRKには影響せずLARKでのみ構造変化する現象は、domainAの安定な構造がLARK[A193L]のHAMPdomainの安定化に寄与していることが考えられる。LARK[A193L]のlinker部分はhelix構造が86.7%となり、変異前と比べて41.2%の上昇が認められた。これらの結果は、EnvZHAMPdomainはhelix構造を形成する傾向にあるものの、それ自身で存在する場合は安定した構造をとることが出来ないことを示している。

本研究では、細菌の情報伝達において重要であるものの、発現・精製が困難なために古細菌でしか構造が分からなかったHAMPlinkerに関して、モデル蛋白質EnvZを用いて可溶性蛋白の精製に成功した。CD解析よりHAMPlinkerはC末に隣接する安定なdomainAを結合したとしても非常に不安定であるが、分子内・分子間相互作用に重要と思われる部位に1箇所疎水性アミノ酸変異を導入して構造を固定化にしたところhelixrichな構造となることが判明した。本系で用いた蛋白発現技術は他の発現困難な蛋白にも応用できるほか、モデル蛋白質EnvZの構造の一端が明らかになったことで他の細菌の蛋白の解析へ発展が期待される。

2.外膜蛋白質ompFの発現とキノロン耐性の関係

外膜蛋白質OmpFはグラム陰性細菌に幅広く存在しており、高浸透圧下での菌の生育に寄与している。更に細菌はOmpF減少によりキノロンをはじめとする様々な抗菌剤に耐性となることが明らかになっている。一般に菌は変異株よりも野生株の方が生存に適しており、薬剤へ耐性変異すると薬剤存在下での生存と引き換えに通常状態の生育が抑制される可能性が考えられる(fitnesscost)。しかしながら細菌のOmpF減少が菌の増殖に及ぼす影響は明らかになっていない。そこでOmpF減少大腸菌のfitnesscostを測定し、OmpF減少株の臨床における広がりについて考察を行った。

臨床分離株134株をキノロンに対するMICから感受性株、低度耐性株、高度耐性株に分け、各群から5~8株を以降の試験に供した。まずキノロンの標的酵素のQRDR(キノロン耐性決定領域)のシーケンス解析を行った。その結果QRDRの変異の数に比例して高度耐性化することが明らかになった。続いてこれらの株のompF発現量をrealtimePCRにより測定したところ、感受性株では標準株KL-16と比較して発現量は35.3~78.7%であった。一方、感受性株で最低の35.3%だった株に比べて多くのキノロン耐性株は発現量が低く、低度・高度と耐性度が上昇するのに伴ってompF発現量減少株が増加していた。臨床株は様々な遺伝的背景を有しており、感受性株の中だけでもompF発現量は多様性があるが、本研究により、耐性化するほどompFの発現量が減少した株が認められることが明らかになった。このことから大腸菌の高度耐性化にはQRDR変異だけでなくompF発現量減少が寄与していることが示唆された。

臨床におけるompF減少株の蔓延の原因を明らかにするため、omρF減少株のfitnesscostを野生株と比較した。まず野生株KL・16とそのキノロン耐性株(ompF減少株、gyr4変異株、ompF,減少gyr4変異株)を用い、in vitroにおける増殖を比較した。その結果、株間で増殖能に差が認められなかった。

続いてマウス上向性尿路感染モデルを用いてin vivoにおけるfitnesscostを測定した。KL-16系統の株はマウスに安定して生着できなかったため、KL-16系統と同じ方法で感染株KU3を親株としたキノロン耐性株(ompF減少gyrA変異株)を取得し、マウス感染モデルに供した。その結果、感染当日から2日、4日と時間の経過に伴い腎臓内の菌数は上昇したが、株間で有意差は認められなかった。ompF減少gyr4変異株は動物に感染した後でも野生株と同様に増殖が可能であり、これら変異によるfitnesscostは小さいことが明らかになった。

本研究より、臨床においてompF減少株は特にキノロン耐性株の間で広く存在することが明らかになった。ompF変異によりキノロンに対するMICは上昇する。、In vitro、in vivoで野生株と同様に増殖可能であることが臨床での耐性株の蔓延に寄与していることが示唆された。大腸菌は段階的に様々な変異が起こることでキノロン高度耐性を獲得することが既に明らかになっている。ompF変異は高度耐性化のステップとして重要であることが示唆される。

総括

私はTCSのモデル蛋白EnvZ-OmpR-OmpFIC系を用いた研究を行った。第1章では細菌の情報伝達において重要であるもののこれまで古細菌でしか構造が分からなかったHAMPlinkerに関して可溶性蛋白としての発現に初めて成功した。EnvZHAMPの構造の一端が明らかになったことで、他の細菌の蛋白の構造・機能解析にも応用できる可能性がある。今後は毒素産生や抗菌剤耐性に関与する情報伝達蛋白のlinkerの構造解析などへの発展が考えられる。第2章ではキノロン耐性臨床分離株におけるompF減少株の蔓延、ompF減少変異株がinvitro-invivo両方で野生株と同様に増殖することを示した。これらのことからompF減少はキノロン高度耐性のステップとして重要であることが示唆される。TCSは細菌が様々な環境で生育する上で必要不可欠であり、モデル蛋白を用いた研究はTCSひいては細菌の生態を理解する上で重要と思われる。

審査要旨 要旨を表示する

細菌は栄養分・化学物質・抗菌剤など様々な刺激をhistidinekinaseを用いて感知し、その情報をresponseregulatorと呼ばれる蛋白質に伝達している。Responseregulatorは対応する遺伝子の発現量を調節することで、様々な外部環境変化に順応し、細菌の効率的な生存に大きく寄与している。これら2つの蛋白が関与する情報伝達経路は「二成分情報伝達系」と呼ばれており、細菌が有する主要なシグナル伝達システムである。これまでに多くの二成分情報伝達系が発見されているが、中でも大腸菌が浸透圧変化に対して応答するEnvZ-OmpR-OmpF/C系は細菌情報伝達系のモデル蛋白として広く研究が行われている。本研究では、このシグナル伝達のモデル蛋白質系を用い、histidinekinaseの情報伝達に必須であるHAMPlinkerdomainの解析、およびEnvZの制御下にあるOmpFが細菌の生育と抗菌薬耐性に及ぼす影響という2つの側面からの解析を行った。

以下に、申請者が提出した論文の内容を説明する。第1章は、「EnvZHAMPlinkerdomainの解析」である。Histidinekinaseは刺激を感知するセンサーとして働き、その立体構造を変化させることによって感知した情報を下流に伝達するスイッチのような役割を果たすことが明らかになっている。一方でhistidinekinase分子内で情報が流れるメカニズムは知られていない点が多い。中でも「HAMPlinker」と呼ばれるdomainはhistidinekinaseの分子内情報伝達に必要不可欠であり、その2次構造予測から様々な細菌の蛋白種間で共通の立体構造が保存されていることが判明している。しかしながらHAMPlinkerは可溶性蛋白質として単離・精製が非常に困難であり、その構造や機能などの性状解析が遅れているのが現状である。申請者は、histidinekinaseの中でも最も周辺情報が多い蛋白の一つであるEnvZを用い、さらにTag蛋白の利用などいくつかの方策を用いることでHAMPlinkerを生化学的に可溶性蛋白として単離することに成功した。得られた蛋白の構造に関してcirculardichroism(CD)を用いて解析を試みたところ、これまでの研究の通りHAMPlinkerは非常に不安定であり、linkerのみを単独で単離した場合、linkerはrandomcoil構造を呈していた。一方linkerにそのC末側のdomainを加えた蛋白を設計し、更にlinker部分に1箇所疎水性アミノ酸変異(A193L)を導入してlinkerの分子内あるいは分子間の疎水的相互作用をより強くして発現・精製を行ったところ、変異EnvZのlinkerdomainは86。7%がα一helix構造を示すhelixrichな構造であることが明らかとなった。シグナル情報伝達において機能性蛋白としての役割を担う部分がrandomcoilである可能性は低く、また様々な蛋白の2次構造予測および古細菌蛋白のNMR解析から、iinkerはhelixrichであることが示唆されている。よってEnvZHAMPlinkerdomainは本来helix構造をとる性質を有するものの、精製蛋白として存在するときにはhelix構造を保持することが不可能であることが示唆された。このA193L変異を導入した場合、情報伝達は常に高浸透圧側の状態でロックされていたことから、変異の導入により高・低浸透圧という構造上のスイッチの切り替えが働かずに高浸透圧側に構造が固定化され、結果として構造解析が可能となったことが考えられる。こうしたことから変異部位は分子内あるいは分子間相互作用に関わっており、EnvZの情報伝達にはa-helix同士の疎水的相互作用が重要であることが示唆される。今回用いられたHAMPlinkerの単離・精製技術は、今後EnvZだけでなくlinkerを持つ様々な蛋白質の構造解析への応用が期待される。また、細菌の二成分情報伝達系は毒素産生や抗菌薬耐性、有用物質の産生などに関与しており、HAMPlinkerはその情報伝達において重要な役割を担っていることが明らかになっている。HAMPiinkerに結合する小分子が見出された場合、菌の情報伝達を小分子の添加により人工的にON/OFF制御することで、抗菌薬耐性の克服や有用物質の効率的な産生などに応用できる可能性が考えられ、本研究はそうした小分子を探索する系の構築にも資するものと思われる。

第2章は、「外膜蛋白質ompFの発現とキノロン耐性の関係」である。大腸菌のompFは外膜でporinと呼ばれる小孔を形成しており、低浸透圧における菌の恒常性維持に寄与している。同時にompFはキノロンをはじめとする様々な抗菌剤が細菌内部へ侵入する経路となっていることから、ompFが減少した変異株はこれらの抗菌剤に対して耐性となることが明らかになっている。通常、細菌は薬剤耐性を獲得すると、その代償として生育に不利な性質も同時に獲得する。こうした不利な性質はfitnesscostと呼ばれ、様々な薬剤耐性に対するfitnesscostが報告されている。しかしながらompF減少のfitnesscostは未だ明らかにされていない。申請者はompFが減少する変異によって感受性が低下する抗菌剤の中から大腸菌感染症の治療にも汎用されているキノロンを用い、ompFが減少しgyrA(キノロンの標的酵素DNAgyraseをコード)に変異が入った菌株を取得し、そのinvitroおよびinvivoにおけるfitnesscostの測定を行った。まず、キノロンを用いた耐性菌の選択により、ompF減少株・gyrA変異株・ompF減少かつgyrA変異した株の3種類を取得した。培地中での菌の生育を測定したところ、これらの変異株は野性株と同等の生育能力を有していることが明らかになった。続いてマウス上向性尿路感染モデルを用いて腎臓中の菌数の増加を経時的に測定したところ、ompF減少gyrA変異株は野生株と同じ増殖パターンを示すことが明らかになった。よって大腸菌はompF減少によりキノロンに対する感受性が低下するにも関わらず、実験条件下では菌の生育はinvitro,invivoの両方で野生株と変わらないことが明らかになった。これらのことからompF減少変異のfitnesscostは無い、もしくは非常に小さいことが示唆される。一方、臨床分離株のキノロンに対するMICおよびomρFの発現量を調べたところ,ompFが減少した株が数多く認められ、臨床での蔓延が明らかになった。また、キノロンに対して感受性、低度耐性、高度耐性と耐性度が上昇するに従ってompFの発現量が減少している株が多く認められた。大腸菌のキノロン高度耐性化へのステップとしてompF減少変異は重要な役割を担っていることが示唆された。

申請者はEnvZ-OmpR-OmpF/C系という二成分情報伝達系のモデル蛋白を材料として、2つの方向からの解析を行った。第1章では細菌の情報伝達において重要であるもののこれまで古細菌でしか構造が分からなかったHAMPlinkerdomainに関して一般細菌で可溶性蛋白としての発現に初めて成功した。Tag蛋白の利用・疎水性アミノ酸の導入・linkerと隣接するdomainとの共発現などを行うと、HAMPlinkerはhelixrichな構造をとることが明らかになった。EnvZHAMPtinkerの構造の一端が明らかになったことで、他の様々な蛋白の構造解析への応用が期待される。二成分情報伝達系は毒素の産生や抗菌薬耐性、有用物質の産生など細菌の多くの活動に関与していることから、そうした蛋白の構造を明らかにすることは大きな意味がある。また、linkerに結合する小分子化合物は、情報伝達のON10FFを司るlinkerの働きを人工的に制御できる可能性がある。様々な情報伝達関連蛋白のlinkerを安定な状態で精製することが可能となれば、そうした小分子のスクリ一ニングなどへの道が開かれるものと思われる。第2章ではOmpF蛋白と抗菌剤耐性の関係を、キノロンを例にとって解析を行った。キノロン耐性臨床分離株において、ompF減少変異株が広く蔓延していること、さらにompF減少変異株はinvitro-in vivoの両方で野生株と同様に増殖が可能であることが明らかになった。通常細菌は、抗菌薬耐性変異を得る代償として何らかの生存する上での足枷、すなわちfitnesscostを有する。本研究により、ompFが減少する変異は必ずしもfitnesscostを伴わない、あるいはcostが非常に小さいことが示唆された。ompFの減少した株は野性株に比べてキノロン耐性となることから、大腸菌のキノロン高度耐性へのステップとしてompF減少は重要であることが示唆される。二成分情報伝達系は細菌が様々な環境で生育する上で必要不可欠であり、モデル蛋白を用いた研究は細菌の生態を理解する上で重要と思われる。

以上、申請者が提出した論文は、生化学、微生物学に対して著明な貢献をした、と評価できる。したがって、本審査委員会は、申請者が、博士(薬学)の学位を受けるにふさわしいと結論した。

UTokyo Repositoryリンク