学位論文要旨



No 217326
著者(漢字) 西,英昭
著者(英字)
著者(カナ) ニシ,ヒデアキ
標題(和) 『臺灣私法』の成立過程 : テキストの層位学的分析を中心に
標題(洋)
報告番号 217326
報告番号 乙17326
学位授与日 2010.03.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(法学)
学位記番号 第17326号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木庭,顕
 東京大学 准教授 松原,健太郎
 東京大学 准教授 垣内,秀介
 東京大学 教授 白石,忠志
 東京大学 教授 高見澤,磨
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、東洋法制史学の一つの出発点に位置する重要なテキストでありながら、その本格的な分析が放置されてきた『臺灣私法』(臨時臺灣舊慣調査會・一九一〇)及び同書に至る先行報告書群に含まれる不動産に関する「舊慣」を扱う記述を素材とし、それらに対し層位学的手法によるテキスト分析(critique stratigraphique)を加えることにより、その編纂過程に於いて如何にしてその記述が為されるに至ったかという作者の思考の変遷・推敲の過程をたどり、最終的に採用された記述と、推敲の段階で最終的には採用されずに消えていった記述との間の差異を抽出する事で、その最終的な記述の意味を再定位することを目途とする。

『臺灣私法』を生んだ台湾旧慣調査は、その後20世紀東アジア各地で展開される慣習調査の劈頭に位置するものである。条約改正問題や後藤新平の植民地経営論とも関連を有しつつ、調査の首班たる岡松参太郎はこの調査の発端につき、明治初期に日本で行われた『民事慣例類集』に結実する調査を先行する範型として挙げ、ドイツの行政法・植民地法学者Stengelの所論へも言及を行い、またそのドイツが実際に清朝領域内の膠州湾を植民地統治する様子にも総督府官僚中山成太郎らと共に関心を寄せていた。背後にあるドイツの植民地法学では植民地行政の計画立案の為の現地慣習に関する正確な情報収集の必要性が認識されており、詳細かつ具体的な調査方法への言及も見られた。台湾の経営に当たってはこの他に英・仏の植民地統治に関しても比較検討が行われている。

台湾旧慣調査ではまず『臺灣舊慣制度調査一斑』が刊行された後、台湾各地での実地調査を踏まえ、段階毎に『第一回報告書』、『第二回報告書』が刊行され、その「最終報告書」として『臺灣私法』が刊行されている。これら報告書群を一字一句突き合わせると、『臺灣私法』はその記述に当たって先行報告書から時にはテキストを切り取ってそのまま利用し、時には変更・削除・書き足しを加えているという特殊な構造を持つことが判明する。これらを恰も地層を一枚一枚剥ぐようにその前後の関係に留意しながら読み解くことにより、どの段階で何を論拠に如何なる立論が行われたのかという『臺灣私法』成立に至る議論過程に接近することが可能となる。

『臺灣私法』に於いて土地を巡る「舊慣」の中心的な存在とされる「業主權」を解説するに当たって、その大部分の頁を費やして導入されているのが「沿革」としての「大租」及び「地基」である。「大租」とは、開墾許可を受けた「大租戸」が「小租戸」を招いて当該土地を開墾し、「大租戸」は収穫の一部を「大租」として「小租戸」から受取る関係を形成したものをいう。長年この関係が継続する中で「小租戸」は当初相対的に弱い「権利」しか持たなかったものが、その後「権利」を拡大し土地の「所有者」とも見える立場を獲得するに至ったものとされる。他方「地基」は或る土地を有する「地基主」とそこに家屋を築造して居住したいとする「暦主」の間に形成される関係であり、「暦主」は当該土地に家屋を建築し「地基主」は「暦主」から「地基租」と呼ばれる金銭を収受するものとされる。こうした諸関係が重層的に展開する中で、「この土地は誰のものか」という問いに容易に答えられない状況が広く存在していた。

テキスト分析によって『臺灣私法』に至る議論過程を復元するならば、まず「大租」については、「当初」「大租戸」が有していた「権利」が措定され、それが「当初」から「後年」へと「時勢ノ變遷ト共ニ」変化するという構成が、直接に個別具体的な史料への依拠を伴わず、また諸史料の編年的な処理にも拠らずに提出され、他方でこの「大租権」は、岡松によってそれが「物権」ではなく「債権」であることが執拗なまでに確認され、土地との直接の関係を有しないものとして構成されていることがわかる。「地基」に関しては、当初「大租」と同様に時間の経過と共に「土地ニ關スル實權」が「地基主」から「暦主」へと移行したとする構成が、当時生起した基隆土地紛争事件との相互影響の過程で改変を余儀なくされ、最終的に「地基主」と「暦主」の間の「賃貸借関係」とされてゆく様が確認される。

以上の結果を位置付けるために、台湾旧慣調査に関与した人物の研究(prosopography)によって導かれる諸文献をも考察の範囲に加えるならば、当時の租税制度の確立や土地取引・不動産金融などの要請により、土地に対する「権利」が整理された状況が求められており、また中山成太郎がプロイセンに於けるシュタイン・ハルデンベルグ改革や内国植民運動の様相を詳細に追跡し、(最終的にはローマ型の「所有」のあり方を見据えながら)不動産金融体系の創出を目途としていたという、調査活動自体が否応なく巻き込まれた背景の存在が明らかとなる。

ここに於いて(「所有權」に限りなく近接した概念として設定されるところの)「業主權」を巡る議論では、各人が各様の「権利」を持って土地に関与するという「所有」のあり方(「租權」の体系)が一方で認識されつつも、「土地ニ關スル最強ノ權利ヲ有スル者、即所有權ニ比スヘキ者」を中心とする「所有」のあり方(「業主權」の体系)への傾斜が提示される。即ち「業主」の語は本来「汎ク土地ニ關スル權利ヲ有スル者」を指し、「土地ニ關スル最強ノ權利ヲ有スル者、即所有權ニ比スヘキ者」として用いるのは「舊來ノ用法」ではないけれども、「業主」の語は当事者が慣れ親しんでいるものであるから、当座これを採用して、逆に「土地ニ關スル最強ノ權利ヲ有スル者、即所有權ニ比スヘキ者」の意味に外れた用法を廃止して行くという驚くべき操作が行われる。

最終的に『臺灣私法』は「租權」と「業主權」の間の関係について「租權」と「土地ニ關スル實權」を分けて考える見解も示しながら、それを分離せず「大租權」の内容の変化として捉える記述を置いた。おそらくは「大租戸」の持つ「権利」をまるごと囲い込み、それ全体が質的な変化を蒙ったと構成することによって、旧来の「所有」のあり方から、新たに設定された「所有」のあり方への侵入を防ぐ、そのような効果が見込まれているものと推定される。

『臺灣私法』の作者が「所有権」的な体系に集約できない土地の「所有」のあり方にも反応を示していたことは、特に英国法由来の概念に仮託された形でしばしば記述中に現れる。およそ「所有」一般の議論に繋がる問題群がそこには存在したが、諸処で用いられた英国法由来の概念は、全体として英国法的な土地「所有」のあり方と台湾でのそれとを結びつける発想へとは展開しなかった。「胎」や「登記」を巡る議論にもこの表れを見ることができる。また以上の「方針転換」は、岡松参太郎自身、乃至は彼を取り巻きつつ日本の民法学全体が英国法からドイツ法へと傾斜してゆくまさにその転換点に台湾旧慣調査が位置したということとも関連するものと思われる。岡松が台湾を素材としながら強烈な物権契約論を展開したことは、日本民法学史に於ける植民地法制の位置という新たな問題群の存在をも提示する。

さらに、広く「所有」をどのように捉えるかという問題は「典」の慣習とも複雑な関連を有する。「典」はある土地を持つ人間(出典人)が相手方(承典人)から「典価」と呼ばれる金銭を受け取り、承典人が当該土地に対する使用・収益を得るもので、「典価」の返却と使用収益の返還により終了する(回贖)場合もあれば、第三者への転典、別售、関係の継続が行われる場合もある。この法的性質を巡っては買戻特約付売買説、質権説など様々な説が提出され、現在もその帰結を見ない。

「典」を巡る議論に於いても、『臺灣私法』と先行する『第一回報告書』、『第二回報告書』の間、また『臺灣私法』補遺を自認する『滿洲舊慣調査報告書 典ノ慣習』と『關東州土地舊慣一斑』の間に文章そのものについての引用関係が存在する。台湾旧慣調査に於ける議論自体は、山本留蔵という一人の職員が提出した論点に対し、多くの論者が異論・反論を寄せる構造であることが判明する。

議論自体は質権説、買戻特約付売買説等を巡って山本本人も揺れ動き、結局関東州に於いては質権説での政治的決着が図られるが、報告書や論文の執筆を通じて議論に参加した論者達の「法学的」概念の理解・使用や漢文の読解、史料批判のあり方といった「実態」は、それ自身が当時の論者達の姿勢(作法)を反映し、現在の民法学や近代法制史学にも多くの思考材料を提供する。

最終的「結論」となった「典」=「質権」説の由来について、議論当時存在した数多くの要素を検討すると、「典」という語が日本の同時期の法典内に存在したという事実に突き当たる。また当時の日本人を取り巻いた状況、即ち江戸期の明律研究やその明治期に於ける継承関係、明治初期に於ける西洋法由来の諸概念の継受に当たっての軋轢、これらの中国への影響の有無といった要素とも密接な関係を有することが明らかとなる。特に村田保によって「自己の所有物なりと雖も一度質物と為して他人に渡し・・・たる時は其所有權己に屬せずして他人に屬す」といった衝撃的な発言が行われることは注目に値しよう。

以上の考察は「所有」を巡る我々の思考に貴重な材料を提供し、我々の思考の諸前提についての再考察・再定位を迫るものといえる。こうした諸前提について十分に意識的であるか否か、またそれらに対し十分な批判が行われているか否か、このことは、我々の認識の質を決定的に左右するものである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、中国法制史学史上重要なテクストでありながら本格的な分析をなされずにきた『台湾私法』(臨時台湾旧慣調査会,1910)を取り上げ、その中で特に不動産関連の「旧慣」、とりわけ当時の議論が集中した「業主権」と「典」に関する記述に対して、詳細なテクスト分析に基づく史料批判を加える作業を中心に成立している。『台湾私法』における不動産関連の記述は一度に確定されたものではなく、重層的に存在する先行の調査報告書を踏まえたものである。これら報告書の中からの取捨選択、或いはそれとの緊張関係の中で、何次かにわたる改訂を経て成立していることが、『台湾私法』たるテクストの第一の特徴であり、著者はこれら各段階の先行調査報告書の結果が最終的に『台湾私法』として公刊されるテクストに随時組み込まれていった過程を、一字一句にわたる原文との「校合」の作業(これを著者は「層位学的分析」と名づける)を執拗とも言える根気強さで行うことで、『台湾私法』の記述が如何なる射程及び含意をもつものであるかについて、客観的にみてかつてない精度の議論を行ったものである。

更に本論文は上記『台湾私法』テクスト成立に関わる特定の具体的な個々人につき、その人的分布・人脈的思想史的位置づけを行うことで、『台湾私法』のテクストを上記一連の調査報告の文脈の中に位置づけることにとどまらず、20世紀前半の東アジア各地で行われた一連の慣行調査、ひいてはこれらの背景をなす当時の日本における植民地経営論・法学の議論状況、をも視野におさめている。これら一連の作業を通じて著者は、『台湾私法』に拠って植民地化以前の台湾社会、ひいては清代以前の中国社会についての具体的な結論を得ようとする際に先ずその前提となるべき作業、を遂行している。

こうした作業を行う上で本論文は、先ず第一章において『台湾私法』をその一環とする台湾旧慣調査の位置づけについて、当該調査の首班たる岡松参太郎の言説を中心として分析する。そこでは先ず明治初期日本の「民事慣例類集」に結実することとなる調査以来、東アジア各地で諸種の慣行調査が行われた過程の中に台湾旧慣調査を位置づける。そして岡松自身が一方で明治期日本の調査を範型として引照しつつ、他方でStengelの所論を中心とするドイツの植民法学及びドイツによる膠州湾統治に言及する状況が跡付けられる。同時に、岡松は英仏の植民地統治についても一定の見通しをもち、こうした知見を踏まえて台湾旧慣調査のテクスト群を成立させていったという側面に注意が喚起される。そしてこれらのテクスト群が『台湾旧慣制度調査一斑』(1901)、『臨時台湾旧慣調査会第一部調査第一回報告書』(1903)、『臨時台湾旧慣調査会第一部調査第二回報告書』(1906-07)、と重ねられ、最終的に『台湾私法』が成立するという一般的な状況が描かれ、各テクストの不動産関連の記述を相互に突き合わせ、その間の継承・変更関係から『台湾私法』の成立過程に接近するという方法が例解される。

次に第二章は、不動産関連の記述の中で特に議論の集中した「業主権」に関するテクスト群を取り上げる。「業主権」に関連して議論の中心的な対象とされるのは「大租小租」「地基」の諸制度であり、本論文はこれらについての「層位学的分析」を行う。

台湾旧慣調査において「大租小租」は、一筆の土地について租を受け取り納税する主体の「大租権」と直接の使用収益をしつつ租を支払う主体の「小租権」と呼ばれる二つの権利が競合したときに、いずれに「土地に対する実権」があり、そこでの権利が「物権」であるか「債権」であるか、といった諸問題をめぐって論ぜられた。本論文は「大租」「小租」という旧慣がまさにこのような問題複合として論ぜられるに至った状況を問題にし、その中で「当初」「土地に対する完全な支配権」であった「大租権」が、「後年」「土地に対する実権」を含意しなくなり「一種の収益権」に変化した、という歴史的過程が充分に史料に基づかないまま措定されたことを明らかにする。更に、このように変化したとされた「大租権」が「物権」か「債権」か、という問題が、同時期の民法学の諸議論、就中岡松自身のまとめつつあった物権契約論と多くの共通項をもちながらテクストに組み入れられたことを本論文は確認する。

本論文によれば、こうした「大租小租」に関する『台湾私法』の中核的な記述が『台湾旧慣制度調査一斑』から基本的に継承されてきたのに対し、次に扱う「地基主」「暦主」関係の記述においては、(それが「大租主」「小租主」間の関係と一見多くの共通点をもつにも拘わらず)『台湾旧慣制度調査一斑』から『臨時台湾旧慣調査会第一部調査第一回報告書』に至る過程で所論が大きく転換している。最初の報告書でとられていた構成、即ち「大租主」「小租主」関係と同様、不動産についての租収入を得る「地基主」から直接的な使用収益者たる「暦主」へと土地の上の「実権」が移った、という見通しが具体的な紛争(基隆土地紛争事件)をめぐる論争状況との関連で批判され「地基主」「暦主」間の「賃貸借関係」という構成がとられるようになった、という転換がそこには見出される。

このようにテクストが台湾社会の現実的な緊張関係との関連において変更される状況の描写を受けて、本論文の第三章は一旦『台湾私法』及び先行諸報告書のテクスト校合から離れ、「業主権」に関する諸議論と、当時の台湾社会における具体的な問題状況との関連を探る。これに際して本論文は、台湾旧慣調査及び『台湾私法』の成立に関わった人物が残した諸テクストを導入する。これらの分析を通じて見出されるのは、当時台湾において提出されていた租税制度及び土地をめぐる不動産金融体系の確立、という植民地経営上の要請と、それに応える不動産権の体系の構想、という要因である。とりわけ、初期の台湾総督府官僚であった中山成太郎がプロイセンにおける不動産金融体系創出の諸政策に関心を払いつつ、旧慣をも整合的に組み入れた不動産権の体系を構想した過程が扱われる。このとき一方において所有権に比すべき「土地に関する最強の権利」を頂点として一種階層的に諸権利を体系化する構想と、他方において複数の主体が各人各様の「業」(=一定の権利)をもって土地に関与するという体系とがともに意識され、「業主権」の語が前者の体系において「所有権」に比すべき地位を与えられる。これが旧慣における「業主」の地位と必ずしも一致しない、ということを充分に意識しつつも敢えてこうした用法をすることで不動産権の体系自体を変更してゆこうとする当時の論者の志向が再構成される。そして第二章において扱われた「大租小租」の議論は、このように構想された「業主権」の体系の中で、旧来の「大租」主が主張しうる権利を限定するための操作の一環として理解される。

本論文は更に、こうした議論の動態を当時の日本における民法学全体の転換との関連において見通す。即ち、当時の論者が各人各様の「業」をもって土地に関与する体系を英国法との類比において捉え、これに対して「所有権」を頂点とする体系をドイツ的なものと看做してそちらへ傾斜してゆく、という過程を当時の日本の民法学全体におけるドイツ法への傾斜の文脈の中で捉えようとする。

以上を経て本論文は第四章において「典」の問題に転ずる。そこでは買い戻し特約付売買、質権設定等との類比において論ぜられるこの慣行についても、「大租小租」「地基」に関する議論同様、『台湾私法』及び先行諸報告書との間のテクストの校合を通じて、議論の過程の復元が行われる。テクスト相互の引用関係を追う中で本論文は、台湾旧慣調査における「典」の議論が山本留蔵という一職員の論考を中心として、多くの論者が異論・反論をよせるという過程の中で成立していったことを跡付ける。

更に第五章は、前章に扱う議論において「典」が「質権」として理解されるに至る過程の中で影響をもちえた要因として、明治期日本の「新律綱領」において「典」の概念が使用され、これをめぐる諸議論の中で「典」が「質」として論ぜられていることに言及する。そしてその背景に江戸期より存在する明律研究、西洋的法概念の継受、更には日本における議論の中国への影響を含む複数の契機がある中で議論が進む状況を見出す。最後にこうした諸過程が「所有」一般をめぐる我々の思考に影響を及ぼすことが示唆され、本論が終えられる。

また「補論」とされる第六章は「『台湾私法』のその後」として「旧慣」全体を考える上で示唆を与えうるものとして、『台湾私法』成立過程にも関わった石坂音四郎・雉本朗造の両名が、台湾旧慣調査を離れて関連の問題について論じたテクストを論ずる。

以上が本論文の要旨である。

本論文の長所としては、次の点が挙げられる。

第一に、以前よりその史料としての重要性を指摘されながら、充分なテクスト批判・史料批判がなされぬままであった『台湾私法』という史料についてそのテクストの重層的な構造を丹念に分析したことで、各層に存する様々なバイアスを従来にない精度で測定することに成功している。とりわけ、『台湾私法』のテクストを成立させた人物の意図、このテクストの客観的な意義、これらを何らかの方向に確定するのではなく、むしろこうした人物の意図自体に揺れが存在し、テクストの客観的な意義の一義的な確定はできない、ことを示す方向に史料批判が行われたことは、評価に値する。これは一方において、台湾もしくは伝統中国社会の土地保有ないし財産権の在り方について『台湾私法』の記述から直接に考察を加えることを慎重に回避する。しかし他方において『台湾私法』の記述が論者による如何なる思考過程を経て成立しているかを詳細に跡付けることで、それが単に「西洋法を中国に当て嵌める」ようなものではなく、むしろたとえば「所有権」に通ずる「業主権」の体系との緊張関係の中に各人が各様の「業」をもって「租権」の体系が構想された如く、現代の議論にそれと一定程度切り結ぶことを要求する水準をもった、ことを示す。このように本論文は、伝統中国社会における土地保有そのものを論ずる諸議論に対しても、一定の貢献をなすものと考えられる。

第二に、上記の如き抑制的な方法が徹底的に追究されることにより、『台湾私法』テクストの成立過程で論ぜられたこと、(場合によって意図的に)論ぜられなかったことが明らかになり、当時の議論が現代の諸議論との関係においてもちうる意義につき、従来になかった重要な見通しが付け加えられている。たとえば『台湾私法』において、先行報告書に使用された「占有」の語が周到に消去されていた部分への注意の喚起、イギリス法関連の、最終的に後景に退かざるを得ない諸概念をめぐるテクスト成立の動態を通じて、当時の日本民法学そのものがもったバイアスを示す如くである。

第三に、台湾旧慣調査に関わった人物に焦点を絞り、その経歴・人的連関について従来の法制史学の常識を超えた執拗さで追い求めた結果、テクスト引用関係の再構成と、テクスト成立の社会的背景への論及という、本来であれば性格の違う二種類の議論を(特定の人物の関心の異なる側面として)無理なく接合することに成功していると考えられる。こうした作業の中で集積された諸種の史料、たとえば大学卒業生の名鑑、日本勧業銀行の報告書等、を通じて『台湾私法』の議論の背景に存した、土地の上の信用を成立させる関心がもった重要性等、恐らく著者以外には不可能であった価値ある認識に到達していると言える。

もとより、本論文にも短所がないわけではない。

第一に、本論文において「層位学的分析」と呼ばれる方法のもつ意義が、必ずしも充分に詰められていないと思われる点である。即ち多層的に組みあがるテクストの引用関係を校合によって再構成する、という作業と、そのようにして引用関係を明らかにされた『台湾私法』というテクストが史料として如何に利用されるべきかの考察という、本来区分されるべき二種類の作業相互の緊張関係が明示されない。この点と関連して、著者がそれと距離をとろうとする、歴史学の「ごく普通に行われている手法」と著者の手法との間の差違が、単に(著者の挙げる)「一字一句の水準にまで降りて」いるか否かという点に解消されるのか否か、必ずしも明らかでない。

第二に、清末以前の台湾社会もしくは伝統中国における土地保有について直接的な帰結を導こうとしないこと自体は、極めて自覚的に選び取られた充分に正統な方法論であるが、そのようにして切り離された本論文の作業がもつ意義についての著者の見解は、やや曖昧に思われる。テクストを成立させた当時の論者達の認識を(その限界も含めて)それ自体として記述することに意義を見出すのか、それをも更なる高次の認識の中に位置づけるのか、必ずしも明確でない。たとえば「業主権」「典」に関する諸議論が「所有」一般に関する我々の議論に関連する、という点は繰り返し指摘されるが、そうした我々の議論の如何なる部分と如何なる連関をもつか、という点についての見通しは示されず、本論文全体の位置づけについて著者自身がもつ見通しのヨリ正確な表現が望まれるという点が挙げられる。

本論文には、以上のような問題点がないわけではないが、これらは、長所として述べた本論文の価値、貢献の重要さを大きく損なうものではない。以上から、本論文は、その筆者が自立した研究者としての高度な研究能力を有することを示すものであることはもとより、学界の発展に大きく貢献する特に優秀な論文であり、本論文は博士(法学)の学位を授与するにふさわしいと判定する。

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