No | 217328 | |
著者(漢字) | 田村,徹 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | タムラ,トオル | |
標題(和) | チベット高原付近の対流圏上層昇温とアジアモンスーン季節進行に関する研究 | |
標題(洋) | A study on the upper tropospheric warming around the Tibetan Plateau and seasonal evolution of the Asian summer monsoon | |
報告番号 | 217328 | |
報告番号 | 乙17328 | |
学位授与日 | 2010.03.15 | |
学位種別 | 論文博士 | |
学位種類 | 博士(工学) | |
学位記番号 | 第17328号 | |
研究科 | ||
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本研究は、チベット高原付近大気上層の昇温に着目して、夏季アジアモンスーン形成期における季節進行メカニズムの解明を目的としている。夏季アジアモンスーンによる降水は、世界人口の半数以上を占める当域に暮らす人々の社会・経済活動にとって、水資源供給、食料生産また自然災害という観点から、重要な自然現象である。また、今後予測される地球温暖化により、アジアモンスーンシステムへの影響も危惧されており、将来の変動予測の必要性も高まっている。このような背景から、夏季アジアモンスーンに対する理解の向上は、科学的な興味からだけでなく、社会的な利益という観点からも、気象・水文学分野の研究者にとって意義のある研究対象の1つであると考えられる。 地球規模の循環システムであるアジアモンスーン形成メカニズム解明については、古くから精力的に取り組まれてきた。既往の研究により、アジアモンスーンの駆動源として、2つの考え方が示されてきた。1つは、チベット高原の加熱に代表される海陸熱コントラストによる大陸規模の海陸風とみるものである。もう1つは、モンスーン降水活動による対流加熱に対する大気応答とみなすものである。典型的には、この2つの考え方は、季節進行の中でそれぞれの役割を果たすと考えられてきた。モンスーン開始以前においては、北半球における日射の増大と供に、チベット高原を中心にユーラシア大陸上の大気を加熱することで南北方向の気圧傾度を生成する結果、モンスーン循環やその降水活動を開始させる。そして、一旦降水活動が始まれば、その対流加熱と大気応答により、その後のモンスーン循環が駆動・維持されるというものである。 しかしながら、この説明では困難な点がいくつかある。まずチベット高原の加熱による大気下層への影響を考える際、チベット高原のような赤道域から離れた熱源に対する松野-ギル型の大気応答は、熱源の西側に主に限られるはずである。チベット高原の加熱による下層の西風形成がベンガル湾やアラビア海にまで及び、対流域を形成するというのは困難であるように思われる。また海陸熱コントラストという説明では、ベンガル湾からアラビア海へと西へ進行するアジアモンスーンの季節変化を説明し難い。一方、もし対流加熱とその大気応答がモンスーン形成期においても重要な役割を果たすと仮定すると、「アジアモンスーン開始はチベット高原上空と南方の海洋上の大気上層の南北温度傾度逆転と一致する」という既往の研究から明らかにされた点について、説明が難しいように思われる。 以上のように、既往の研究では、夏季アジアモンスーンの形成過程は十分には理解されていない。このような背景をもとに本研究は、夏季アジアモンスーンの形成過程における季節進行メカニズムを解明することを目的とした。本研究では、夏季アジアモンスーンの理解に対する2つ考えの接点となるチベット高原付近の大気昇温にまず焦点を当て、その上で季節進行のメカニズムについて探った。 第2章では、本研究の理解のため、夏季アジアモンスーンの形成期における大気場の季節進行を大気加熱に着目して詳述した。以下、第3章より本研究の成果となる。 第3章では、チベット高原における地表面加熱の大気上層昇温への役割について検証した。この中で、大気領域モデルを用いた仮想2次元実験を行った。衛星観測による積雲活動から夏季アジアモンスーンの形成期を3つの時期に分割し、各々の平均的な初期条件での大気温度の日中変化を解析した。すると、急激な大気上層昇温の観測される5月においては、主に高度7 km程度の乾燥対流活動が再現され、大気加熱は上層まで届くものではなかった。一方、その前後の積雲活動活発期においても、高度10 kmを超す湿潤対流活動が再現されたが、温度上昇はせいぜい10 km程度までであった。このことから、観測で確認されるような高度200 hPa(12 km)にも達する昇温には、チベット高原の地表面加熱を起因とする直接的かつ局所的な要因ではなく、総観規模現象に由来する間接的かつ広域的要因が寄与することが示唆された。 第4章において、チベット高原付近の大気上層昇温は、熱帯対流活動に対する大気応答が重要な役割を果たすことを示した。始めに、熱収支解析に基づき、ハドレー循環の下降域における断熱加熱が大気上層昇温に重要な役割を果たす事を示した。更に、数値モデルを用いた対照実験を行うことで、熱帯対流活動とチベット高原の大気上層昇温に対する役割について検証した。この結果、ベンガル湾からの潜熱供給を起因とする対流加熱は、その北西部に松野-ギル型の大気応答を形成する。大気上層においては、高気圧性循環に伴う下降風により断熱加熱をチベット高原付近に誘引することが示された。一方、チベット高原はその上層に高気圧性循環を形成し、高原西方に断熱加熱を誘引するが、高原上空は逆に冷却してしまう。その結果、チベット高原による加熱効果はその上空において、せいぜい300 hPa程度であることが示された。このことから、チベット高原上の大気昇温には、2つの熱源が必要であることが提起される。1つは、海洋を起源とする対流加熱に対する大気応答であり、圏界面付近から下方へ断熱加熱をもたらす。もう1つは、チベット高原の地表面に由来する、陸面から上方への非断熱加熱である。 第4章の結論は、対流加熱とその大気応答が、チベット高原上空と南方の海洋上の大気上層の南北温度傾度逆転をもたらすということを示唆する。すなわち、夏季アジアモンスーン形成期における、大気上層における海陸熱コントラストとモンスーン循環の形成は、陸面加熱に由来するものだけではなく、対流加熱とその大気応答も重要な役割を果たすということが提起される。 このことから、第5章において、対流加熱の夏季アジアモンスーン形成と季節進行に対する役割を探求した。まず4月の過去30年における相関解析から、東南アジアモンスーン開始以前に確認されるベンガル湾付近のモンスーントラフ発達は、チベット高原南方上層の昇温と最も相関が強い。第4章が示したように200 hPaにおける昇温はチベット高原の地表面加熱ではなく、対流加熱に由来する断熱加熱によりもたらされる。そこで、チベット高原上層の昇温と対流活動・大気下層の循環場の相関をとることで、東インド洋赤道付近の対流活動と双子状の低気圧性循環を形成するその大気応答が、ベンガル湾付近のモンスーントラフの形成と密接に関連していることが示唆された。更にその検証のため、領域モデルを用いた対照実験を行った。標準実験に加え、東インド洋赤道付近の潜熱供給を取り除いた比較実験を行い、赤道付近の対流活動がチベット高原南方の上層昇温をもたらし、同時に赤道東インド洋に双子状の低気圧を形成することが示された。また、対流加熱の役割を除去した比較実験では東南アジアモンスーン開始は再現されず、対流加熱の必要性が検証された。 一方、5月おける相関解析から、インドモンスーン開始以前に確認されるアラビア海付近のモンスーントラフ発達は、チベット高原南西域の上層昇温と最も相関が強い。4月と同様に、上層の昇温と対流活動・下層循環場の相関により、チベット高原南西域の昇温、すなわちアラビア海付近のモンスーントラフの発達は、ベンガル湾付近の対流活動とそこから西に延びる低気圧性循環と密接に関連していることが示された。その検証のため、標準実験、ベンガル湾付近の潜熱供給を取り除いた対照実験を行った。ベンガル湾付近の対流活動がチベット高原南西域の上層昇温をもたらし、同時にベンガル湾からアラビア海へと西方に延びる低気圧性循環・インド南端部の降水系を形成することが示された。また、ベンガル湾付近の対流加熱を取り除いた実験ではインドモンスーン開始は再現されなかったことから、対流加熱の季節進行に果たす重要な役割が検証された。 以上のように本研究の解析により、チベット高原等の陸面加熱がモンスーンを形成するとの既存の理解に対し、モンスーン開始以前における対流活動が遠隔的にチベット高原付近の大気上層を加熱し、同時にその大気応答が夏季アジアモンスーンの季節進行に不可欠な駆動源であるという新しい知見を提供した。 最後に、本研究により、対流加熱とその大気応答が夏季アジアモンスーン形成期における季節進行に重要な役割を果たすことが提起されたが、陸面の間接的役割も当然無視することは出来ない。例えば、4月末における海洋性大陸の対流活動によって南北対称な低気圧を形成するが、北半球の低気圧がより発達する。季節進行に伴う加熱効果だけでなく、インドシナ半島の陸面加熱・地形効果や、陸面による間接的な海面温度上昇への寄与などが示唆される。対流加熱とその大気応答における、海・陸・大気の相互作用のさらなる理解・検証が夏季アジアモンスーン季節進行のより一層の理解には不可欠であると考えられる。 | |
審査要旨 | 本研究は、チベット高原付近大気上層の昇温に着目して、夏季アジアモンスーン形成期における季節進行メカニズムの解明を目的としている 本研究では、チベット高原における地表面加熱の大気上層昇温への役割を解明するため、大気領域モデルを用いた仮想2次元実験を行い、急激な大気上層昇温の観測される5月においては、主に高度7km程度の乾燥対流活動が再現され、大気加熱は上層まで届くものではないことを明らかにした。一方、その前後の積雲活動活発期においても、高度10kmを超す湿潤対流活動が再現されたが、温度上昇はせいぜい10km程度までであり、観測で確認されるような高度200hPa(12km)にも達する昇温には、チベット高原の地表面加熱を起因とする直接的かつ局所的な要因ではなく、総観規模現象に由来する間接的かつ広域的要因が寄与することが示唆した。 次に、再解析データの熱収支解析に基づき、ハドレー循環の下降域における断熱加熱が大気上層昇温に重要な役割を果たす事を示し、数値モデルを用いた対照実験により、熱帯対流活動とチベット高原の大気上層昇温に対する役割について検証し、チベット高原による加熱効果はその上空において、せいぜい300hPa程度であることを示すとともに、ベンガル湾からの潜熱供給を起因とする対流加熱がその北西部に松野-ギル型の大気応答を形成し、大気上層においては高気圧性循環に伴う下降風により断熱加熱をチベット高原付近に誘引することを明らかにした。このことから、チベット高原上の大気昇温には、2つの熱源があり、1つは海洋を起源とする対流加熱に対する大気応答であり、圏界面付近から下方へ断熱加熱をもたらし、他方はチベット高原の地表面に由来する、陸面から上方への非断熱加熱であることを明らかにした。 本研究ではこの成果に基づき、夏季アジアモンスーン形成期における、大気上層における海陸熱コントラストとモンスーン循環の形成は、陸面加熱に由来するものだけではなく、対流加熱とその大気応答も重要な役割を果たすということに着目して、相関解析と数値モデルを用いることで、4月の海洋性大陸付近の対流活動がベンガル湾上のモンスーントラフ形成に重要な役割を果たすことを示した。そのメカニズムは、赤道上の熱源である海洋性大陸付近の対流活動が大気上層においては南北に対称な高気圧性循環を誘引し、断熱加熱により大気昇温を引き起こし、この昇温が大気応答の傾圧構造を力学上整合的に説明することを示した。一方下層では、ベンガル湾上に低気圧性の応答(モンスーントラフ)を形成し、これがインドシナ半島に流れ込む南西風を誘引し、5月中旬における東南アジアモンスーンを形成することを示した。さらに同様のメカニズムで、5月にはベンガル湾付近の対流活動により、その大気応答としてアラビア海におけるモンスーントラフの形成に重要な役割を果たすことを示した。これは、モンスーンの季節進行そのもを示す画期的発見とみなすことができる。 以上のように本研究は、チベット高原の地表面加熱を起因とする直接的かつ局所的な要因ではなく、総観規模現象に由来する間接的かつ広域的要因が寄与することを示した上で、チベット高原付近の大気上層昇温は、熱帯対流活動に対する大気応答が重要な役割を果たすことを示した。加えて対流加熱の夏季アジアモンスーン形成と季節進行に対する役割を解析し、4月の海洋性大陸付近の対流活動がベンガル湾上のモンスーントラフ形成に重要な役割を果たすこと、5月にはベンガル湾付近で活発化する対流活動の大気応答がアラビア海におけるモンスーントラフの形成に重要な役割を果たすことが示し、モンスーンの季節進行のメカニズムに新たな知見を与えた。 これらは、これまでのアジアモンスーンの形成とその季節進行の概念を変える新たな知見であり、その結果、アジア域の水資源利用、洪水対策に有用な知見を提供している。これらの成果は、気象予測、気候変動予測はもとより水資源管理においても、有用性に富む独創的な研究成果と評価できる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 | |
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