学位論文要旨



No 217329
著者(漢字) 松本,隆志
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,タカシ
標題(和) 空間分布を考慮した熱負荷・エネルギーシミュレーションに関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 217329
報告番号 乙17329
学位授与日 2010.03.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17329号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,信介
 東京大学 教授 坂本,雄三
 東京大学 教授 大岡,龍三
 東京大学 准教授 前,真之
 東京大学 特任教授 柳原,隆司
内容要旨 要旨を表示する

近年、建築環境の分野における統合的なエネルギーシミュレーションツールの開発が、総合的な環境性能の評価ツールとしての完成度向上と、実務上の作業効率向上との両立を目指して盛んに行われている。なかでも、BEST(Building Energy Simulation Tool)をはじめとする建物の総合エネルギーシミュレーションの開発プロジェクトにおいても、CFDにより明らかにした気流場・温度場の空間分布を熱負荷計算上で考慮することは、将来的な課題の一つとして認識されている。

一方、これまでの研究成果から、CFD解析を通じた室内温熱環境の評価指標も各種提案されており、室内温熱環境の生成構造の定量的な把握も短時間で可能となっている。加藤らによって提案されたCRI(室内温熱環境形成寄与率)は、ある流れ場における個々の熱的要因が、室温分布形成にどの程度寄与しているのかを定量的に評価することを可能にしている。わかりやすく言えば、CRIは個々の熱的要因が室内温度分布へ与える影響の感度を評価する指標として提案されている。また、この概念を応用し、固定流れ場において温度場の線形性を仮定し、窓や人体発熱といった個々の熱的要因のCRIを利用して室内任意点の温度予測式を作成し、室内の温度センサーから任意店の温度予測が可能となることも笹本らにより提案されている。つまり、個々の熱的要因が室温形成に与える影響の感度分析を行い、固定流れ場における室温変動に線形近似を仮定することで、CFDを繰り返し解くことなく、簡易に室温分布を予測する手法が提案されている。

そこで、従来は室内温熱環境を1質点もしくはMulti-zoneにてモデル化したNetworkモデルに対して、各部位の代表点にCRIを用いた温度予測式を組み込めば、CFDにより算出した固定流れ場における空間分布情報を考慮できる熱負荷・エネルギーシミュレーション(ES)が可能となると考えられる。この提案は、エネルギー収支の時間変動とCFDによる空間分布を同時に考慮することができる統合シミュレーション手法でありながら、計算負荷が小さく、既存の汎用熱負荷計算プログラムへの組込みが容易であるという特色を有しており、今後の室内温熱環境の総合的な評価に大いに寄与するものと期待される。

本研究では、このCRIを用いた解析モデルをCRI-ESモデルと呼び、以下の3点を目的とした熱負荷・エネルギーシミュレーションの開発を目的とする。

1) 室内温度場の空間分布を考慮する

2) 期間シミュレーションによりエネルギー収支を算出する

3) 上記2点を連成し、居住域の人体温冷感を室内温熱環境の空間分布と時間変動を考慮して算出する

本報は、CRI-ESモデルの理論的枠組みを説明し、解析事例の紹介を通じて、空間分布を考慮できる熱負荷・エネルギーシミュレーション手法を提案するものである。

第1章では、本論文の目的とその研究背景を述べる。また、これまでのCFDと熱負荷計算の統合に関する既往研究との比較を通じて、今回提案する空間分布を考慮できる熱負荷計算モデル(以下「CRI-ES」モデルと呼ぶ)の特長についてまとめた。

従来は、数多くの初期条件下でのCFDを計算することで、対流熱伝達率を介して熱負荷計算と連成させたり、温度場の分布を仮定して、年間熱負荷計算に適用する手法が提案されたりしてきた。それに対し、今回提案する「CRI-ESモデル」は、特定の流れ場における温度分布の構造をCRI(温熱環境形成寄与率)の概念を利用して一元化するので、CFDの計算回数を劇的に減らしながらも温度場の分布情報を熱換気回路網計算モデルに組み込むことが可能となっている。これは、従来の提案に比べると、計算コストが非常に低く、設計にフィードバックしやすい点に特長があると言える。また、CFD、熱負荷計算ソフト共に汎用ソフトで計算可能であるため、本論では実際の汎用プログラムへの適用を試み、実用性の面でも非常に有用である点を示す。

第2章では、本研究の背景となる数値シミュレーションと熱負荷計算手法、ならびに温度場の空間分布構造を示すCRI(温熱環境形成寄与率)と、それを用いた温度予測式に関する基礎理論を整理した。

第3章では、本論文で提案する統合手法「CRI-ES」モデルの理論とその解析フローを提案する。

CFDを用いて解いた定常流れ場における温熱環境形成構造を明らかにするために、それぞれの熱源が、どの程度、温度場の空間分布に寄与しているかを評価する指標としてCRI(室内温熱環境形成寄与率)が開発された。この定常流れ場に線形性を仮定することで、式(1)のように、任意点の温度予測式を熱源のポテンシャル変動とCRIの線形和として表すことができる。

ここで

ΔTi: 任意の点iの温度上昇

ΔTQ j: 基準状態より熱源jの熱(Qj)が変動した際の昇温分の室内全体平均値

Cij:熱源jが点iに及ぼすCRI

これを、空調排気口や居住域平均温度、貫流熱が生じる部位の室内側表面温度など、室内の各種代表点に組み込み、熱換気回路網計算を解くことで、空間分布情報を考慮したエネルギーシミュレーション(ES)を可能とするのがCRI-ESモデルの基本的な考え方である。

ただし、CRIを用いた温度予測式を適用するには流れ場の線形仮定が必要であり、解析対象空間や解析期間、空調システムの運用条件により、流れ場が大きく変動する場合は誤差が生じる恐れがある。そのため、自然換気システムのように、外気温の変動によって気流場が大きく変わることが想定される場合は、事前に代表的な流れ場を複数ケース設定すればよいと考えた。そのため、ハイブリッド空調システムの教室を例に、自然換気併用時における外気温変動に伴う流れ場の変動とCRIの変化について確認した。

そして、想定される代表的な気流場ごとにCRIを算出し、室内温熱環境形成構造のデータベースを作成し、入力条件にあわせてCRIを選択し熱負荷計算を実行する解析フローを提案した。

またCRIを用いた温度予測式はエネルギーに関する瞬時拡散を想定している。そのため時間的には準定常解析となるため、時間的応答に関する評価を行う必要がある。そのため、今回の解析対象空間を例に温度場の非定常計算を行った結果、約1時間の時間ステップを見込めば十分定常状態に達することを確認し、1時間おきの準非定常熱負荷計算であれば十分な整合性がとれる点を確認した。

第4章では、1質点にて室温を代表させた従来の熱負荷計算と本計算モデルとの違いを把握するために、同一換気風量・同一負荷のもと、「空間の大きさ」や「排気口の位置」の違いが熱負荷計算に与える影響を、第3章で提案したCRI-ESモデルと従来の熱負荷計算結果を比較して考察した。

その結果、ほぼ瞬時一様拡散が想定される空間においては、天井吸込み方式の場合は1質点系モデルによる計算結果との差はほとんどないが、床吸込方式の場合は1質点系モデルと約6%の差が生じており、流れ場の影響が見受けられる結果となった。

一方、高天井空間ではその傾向がより顕著になり、吸込口の位置の違いで空調処理熱量が約25%の差が生じるとともに、従来の一質点モデルによる負荷計算との差も約9~14%になった。

また、1日の熱負荷変動に関して、CRI-ESモデルと居住域を26℃に制御するフィードバックループを組み込んだCFD解析との比較検討を行ったところ、その差は最大でも約6%に抑えられ、概ね一致することを確認した。

第5章では、ケーススタディとして、2つの異なる空調方式をもつ教室に対して「CRI-ES」モデルを適用した計算事例を紹介する。

計算対象には2つの異なる空調方式を持つ教室をケーススタディとして取り上げ、床吹出+放射床冷房方式と天井吹出方式の空調処理熱量の比較検討を目的とするシミュレーションを行った。

CRI-ESモデルにより、貫流熱計算における室内側参照温度を、室内平均温度ではなくペリメーター領域温度とした場合の貫流熱試算値に関する比較検討を行った。その結果、夏季の日中ピーク時に約10%の違いが生じていることがわかった。

また、期間消費エネルギー解析を行う際には、居住域空調システムとしての効率の違いを評価するために、室内平均温度ではなく居住域温度を26℃にするための期間消費エネルギー量を試算した。その結果、夏季における空調除去熱量(設定室温26℃)は、前者の方が約22%の省エネになると予測できた。

流れ場の変動を考慮する必要がある自然換気併用時については、代表的な流れ場を3パターン算定し、CRI-ESモデルによる期間消費エネルギー解析を行った。その結果、中間期においても床吹出+放射床冷房方式の方が約25~29%の省エネになると試算できたが、外気温が24℃以下の場合はほぼ同等なことも明らかになった。

第6章では本研究の全体のまとめを行っており、本研究の成果と今後の課題が総括されている。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「空間分布を考慮した熱負荷・エネルギーシミュレーションに関する基礎的研究」と題し、室内温熱環境形成寄与率(CRI)の概念を用いて、建物内の冷房・暖房などの温熱環境調整の基礎となる期間の熱負荷を算出する建物の熱負荷・エネルギーシミュレーションを合理的に行うための基礎研究を行ったものである。冷房、暖房は、室内空気を所定の温度に調整するものであるが、室内は一般に熱負荷要素、空調制御要素の空間的配置に対応して温度分布が生じる。冷房や暖房は室内の居住者を対象に行われるので、室内空間の一部であるこの居住者が占有する居住域が所定の温度に調整されれば冷房や暖房は一応の目的を遂げる。すなわち冷房、暖房に要する熱エネルギーの室内投入量は、この室内での温度分布を考慮して算出することが合理的になる。本論文は室内気流の数値シミュレーション解析を基礎として室内の熱負荷要素、空調制御要素による室内各点の温度への影響を評価する室内温熱環境形成寄与率(CRI)を利用して、合理的に年間や期間の室内空調熱負荷算出する熱負荷・エネルギーシミュレーション手法を開発し、その有用性をモデル室内に適応して考察・検証したものである。本論文の新規性は、既往研究として以前に開発されていた室内環境における各熱源の熱的構造を評価するCRIを、室内空気の完全混合を仮定して室内の空気温度が均一な条件で期間や年間の熱負荷・エネルギーシミュレーションを簡易に行う方法に付加することで、室内の温度分布を考慮して精度良く期間や年間の熱負荷や空調投入エネルギー量を実用的に評価する手法を開発した点にある。

第1章では、本論文の目的とその研究背景を述べている。従来の室内気流の数値シミュレーション手法(CFD)と熱負荷計算の統合に関する既往研究との比較を通じて、今回提案する空間分布を考慮できる熱負荷計算モデル(以下「CRI-ES」モデルと呼ぶ)の特長についてまとめている。

第2章では、研究の背景となるCFDと熱負荷計算手法、ならびに温度場の空間分布構造を示すCRI(温熱環境形成寄与率)と、それを用いた温度予測式に関する基礎理論を整理している。

第3章では、本論文で提案する統合手法「CRI-ES」モデルの理論とその解析フローを提案している。この方法は、室内気流による室内の熱輸送に関し、定常流れ場を仮定し、温度場の線形性を仮定する。室内の各熱負荷要素ごとに熱負荷・エネルギーシミュレーションにおける接点を仮定し、CRIを利用して室内空間内の熱輸送を評価し、熱負荷・エネルギーシミュレーションを解くことで、空間分布情報を考慮した熱負荷・エネルギーシミュレーション(ES)を可能とする。この方法は室内の熱輸送を担う流れ場の定常性を仮定するため、これを満たさない場合の対応が必要となる。論文では室内の流れ場に関し、代表性があると思われる数ケース仮定し、対応するCRIの線形補完を利用して対応する手法を導入しており、空調と自然換気を利用するハイブリッド空調システムの教室を例としてその有用性を確認している。また本論文の方法はCRIの特性として熱負荷・エネルギーシミュレーションは室内の熱輸送に関し準定常を仮定する。この仮定は、熱負荷・エネルギーシミュレーションの時間間隔を1時間程度以上とすれば、同じく実例に十分対応し、この仮定が大きな誤差要因とならないことを確認している。

第4章では、1質点にて室温を代表させた従来の熱負荷計算と本計算モデルとの違いを把握するために、同一換気風量・同一負荷のもと、「空間の大きさ」や「排気口の位置」の違いが熱負荷計算に与える影響を考察している。

第5章では、ケーススタディとして、2つの異なる空調方式をもつ教室に対して「CRI-ES」モデルを適用した計算事例を紹介し、その実用性を検証している。

第6章では本研究の全体のまとめを行っており、本研究の成果と今後の課題が総括されている。

以上、本論文は室内気流による室内の熱輸送性状をCRIを用いて表現することにより、室内の熱輸送を考慮しない従来の熱負荷・エネルギーシミュレーション手法に大きな変更を加えることなく、これを考慮できるように結合する統合手法「CRI-ES」モデルの理論を整理し、その解析フローを提案し、CRI-ESモデルと従来の熱負荷計算結果の比較考察をしている。ケーススタディとして、2つの異なる空調方式をもつ室内に対してCRI-ESモデルを適用して計算し、この解析事例を通じて室内の空間分布を考慮する熱負荷・エネルギーシミュレーション手法の有用性を示している。また、従来の手法との比較検討により、計算コストも従来とほとんど変わらず有用な解析が可能であることを確認している。CRIという概念を用いることで、従来の熱負荷・エネルギーシミュレーション手法にはない室内の熱輸送、温度の空間分布を考慮した熱負荷・エネルギーシミュレーションを可能にするという着想は独創的であり、実際にプログラム化して検討したものとして、新規性のある論文と評価される。シミュレーションに要する計算コストも従来とほとんど変わらず、既存の汎用プログラムを活用できるという点でも極めて実用性の高い手法であると考えられる。提案された手法は、先進的な空調方式による省エネルギー評価などにおいて利用価値が高いものであり、今後の建築環境工学の分野における熱負荷・エネルギーシミュレーションツールの開発および発展に大きく寄与するものと期待できる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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