学位論文要旨



No 217341
著者(漢字) 森田,悠治
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,ユウジ
標題(和) 甘味タンパク質ネオクリンの立体構造と味覚修飾活性に関する研究
標題(洋)
報告番号 217341
報告番号 乙17341
学位授与日 2010.04.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17341号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,謙多郎
 東京大学 特任准教授 朝倉,富子
 東京大学 准教授 永田,宏次
 東京大学 准教授 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

甘味を呈する物質として、糖質、一部のアミノ酸、アスパルテームなどの低分子量物質だけでなく、モネリンを代表とする甘味タンパク質群が知られている。その中には、酸により甘味が誘導されるという特殊な活性を持つ味覚修飾タンパク質も2種類存在し、1つはRichardella dulcifica(ミラクルフルーツ)の果実に存在するミラクリン、もう1つはCurculigo latiforia (クルクリゴ)の果実に存在するネオクリンである。これまでに、ネオクリンの一次構造の決定、麹菌における発現系の構築、味覚修飾活性を持たない変異体の構築、生産が行われてきた。ネオクリンは113アミノ酸残基からなる酸性サブユニット(neoculin acidic subunit, NAS)と114アミノ酸残基からなる塩基性サブユニット(neoculin basic subunit, NBS)がジスルフィド結合で結合したヘテロダイマーである。このタンパク質はスクロースと比較して重量比で3000倍程の甘味を呈すると同時に味覚修飾活性を持つという、きわめて興味深い性質を有する。この作用機構をリガンド-受容体の立体構造をもとに理解することを目標に据え、本研究においてはまずネオクリンのX線結晶構造解析を行い、その立体構造を明らかにした。続いて、結晶構造を基にした分子動力学シミュレーション、Trp蛍光スペクトル測定やCD測定等の手法を用いて、ネオクリン、および変異体の解析を行い、ネオクリンの立体構造変化と味覚修飾活性の間に相関があることを明らかにした。さらに、産業利用の可能性の観点からDNAマイクロアレイを用いてネオクリンの安全性について評価を行った。

味覚修飾タンパク質ネオクリンのX線結晶構造解析

クルクリゴ果実より精製したネオクリンについて結晶化スクリーニングを行い、中性条件(pH 7.4)において良好な結晶を得ることができた。立体構造決定は結晶から得られた回折データをもとに、ネオクリンとのアミノ酸相同性が40%程度あるガーリックレクチンの構造をもとにした分子置換法で位相を決定することにより行った。その結果、ネオクリンの立体構造を分解能2.76 Åで明らかにすることができた。2つのサブユニットNAS, NBSの構造は互いに大変類似しており、それぞれのサブユニットは4本のβストランドからなる3つのβシートがtrianglar prism様に配置されている構造をとっていることが明らかとなった(図)。全てのβシートは逆平行であり、最後の12番目のβストランドはもう一方のサブユニットからのもので構成されていた。

高いアミノ酸相同性から推察されたように、ネオクリンとマンノース結合型レクチンの全体構造は良く類似しているものの、各サブユニットのC末端領域の構造において大きな違いが認められた。ネオクリンサブユニットにおける12番目のβストランドは3-4残基で構成されており、その後方の大きなターンはCys109-Cys77間の分子間ジスルフィド結合によって固定されているのに対し、レクチンにおいて対応するC末端領域はもう一方のサブユニットの表面へ直線的に伸びている構造であった。さらにタンパク質表面における静電ポテンシャル、マンノース結合部位周辺の構造などにおいても両者は大きく異なっており、これらの違いが両者の機能の相違に反映していることが立体構造から示唆された。

pH変化によるネオクリンの立体構造変化の解析

今回解かれたネオクリンの結晶構造は中性条件下におけるもののみである。一方、ネオクリンは酸によって甘味が誘導されるため、酸性条件下においてはその立体構造が変化する可能性が示唆される。そこで、酸性アミノ酸残基をプロトネーションすることによる立体構造変化を分子動力学を用いたコンピュータシミュレーションによって解析した。その結果、ネオクリンは酸性条件下において立体構造変化を起こし、中性条件下の構造に比べてサブユニット間が開いた構造を取ることを示唆するデータを得た。これよりネオクリンの立体構造はopen<->closedの平衡状態にあり、その平衡はpHにより変化するという仮説を提唱した。

このようなpH依存的なネオクリンの立体構造変化をタンパク質化学的手法を用いて解明することを目的に、Trp蛍光スペクトル測定、CD測定などの解析を行い、ネオクリンのpH依存的な立体構造変化を示した。また、ネオクリンが立体構造変化を起こすpH領域が味覚修飾活性が生じる範囲と一致したこと、および、味覚修飾活性が失われたネオクリン変異体においてはそのような立体構造変化が認められないことが明らかとなった。これはネオクリンの立体構造変化が味覚修飾活性機構の一部であることを強く示唆している。

DNAマイクロアレイを用いたネオクリンの安全性についての評価

ネオクリンの産業利用を考えた際に、その安全性の評価は必要不可欠である。そこでCaco-2細胞を用いて、細胞毒性についての解析、およびDNAマイクロアレイによるネオクリンの安全性の評価を行った。ネオクリンはアミノ酸配列上も立体構造上も植物のマンノース結合型レクチンと相同性が高い。また、一部の植物のマンノース結合型レクチンは毒性を持つことが報告されている。そこで、ネオクリンの対照としてこれらの植物レクチンを用いて安全性の評価を行った。その結果、ネオクリンには細胞毒性作用は認められなかった。また、DNAマイクロアレイの結果においても、変動する遺伝子が、細胞毒性を示すレクチンを添加した場合に比べてネオクリンを添加した場合には極めて少ないことが示された。これらの結果はネオクリンの食品としての安全性を示唆するものである。なお、ネオクリンの原料となるクルクリゴ果実は西マレーシア原住民が長い食経験を持つ可食性トロピカルフルーツであることを付記する。

本研究ではネオクリンのX線結晶構造解析を行い、その立体構造を分解能2.76 Åで明らかにした。これは味覚修飾タンパク質として世界で初めて明らかとなった立体構造である。また、pH依存的な構造変化の解析を行ったことで、味覚修飾活性という特殊な活性についてネオクリンの立体構造の面から理解する端緒を得ることが出来た。さらに、DNAマイクロアレイを用いてネオクリンの安全性を評価することで、産業利用の観点からも重要な結果を得た。今後、酸性条件下における立体構造解析、および甘味受容体との相互作用解析を行うことで、さらなる味の受容機構の解明に迫れるであろう。

図 ネオクリンの全体構造

審査要旨 要旨を表示する

本論文はX線結晶構造解析により、味覚修飾活性を持つ甘味タンパク質として世界で初めてネオクリンの立体構造を解くとともに、pH依存的な構造変化と味覚修飾活性との相関を明らかにし、さらには、ネオクリンの産業利用に向けての安全性評価を行った結果をまとめたものである。論文は5章からなり、第1章は序論、第2,3,4章が本論、第5章が総括と今後の展望である。

第2章では、クルクリゴ果実より精製したネオクリンの立体構造をX線結晶構造解析により、分解能2.76 Åで明らかにした結果を述べている。ネオクリンの2つのサブユニットNAS, NBSの構造は互いに大変類似しており、それぞれのサブユニットは4本のβストランドからなる3つのβシートがtrianglar prism様に配置されている構造をとっていることが明らかになった。全てのβシートは逆平行であり、最後の12番目のβストランドはもう一方のサブユニットからのもので構成されていた。また、高いアミノ酸相同性から推察されたように、ネオクリンとマンノース結合型レクチンの全体構造は良く類似しているものの、各サブユニットのC末端領域の構造において大きな違いが認められた。ネオクリンサブユニットにおける12番目のβストランドは3-4残基で構成されており、その後方の大きなターンはCys109-Cys77間の分子間ジスルフィド結合によって固定されているのに対し、レクチンにおいて対応するC末端領域はもう一方のサブユニットの表面へ直線的に伸びている構造であった。さらにタンパク質表面における静電ポテンシャル、マンノース結合部位周辺の構造などにおいても両者は大きく異なっており、これらの違いが両者の機能の相違に反映していることが立体構造から示唆された。

第3章では、分子動力学を用いたコンピュータシミュレーション、およびCD, Trp蛍光スペクトル解析等のタンパク質化学的解析により、ネオクリンのpH依存的な立体構造変化と味覚修飾活性が相関することを明らかにした結果を述べている。分子動力学を用いたコンピュータシミュレーションによって解析した結果、ネオクリンは酸性条件下において立体構造変化を起こし、中性条件下の構造に比べてサブユニット間が開いた構造を取ることが示唆された。これよりネオクリンの立体構造はopen<->closedの平衡状態にあり、その平衡はpHにより変化するという仮説を提唱した。次に、Trp蛍光スペクトル測定、CD測定などの物理化学的解析により、ネオクリンのpH依存的な立体構造変化を示した。ネオクリンが立体構造変化を起こすpH領域と味覚修飾活性が生じる範囲が一致したこと、および、味覚修飾活性が失われたネオクリン変異体においてはそのような立体構造変化が認められないことが明らかとなった。これはネオクリンの立体構造変化が味覚修飾活性機構の一部であることを強く示唆している。

第4章では、産業利用に向けてネオクリンの安全性評価を行った結果を述べている。Caco-2細胞を用いて、細胞毒性についての解析、およびDNAマイクロアレイによるネオクリンの安全性の評価を行った。その結果、ネオクリンと相同性の高いレクチンが細胞毒性を示したのに対し、ネオクリンには細胞毒性作用は認められなかった。また、DNAマイクロアレイの結果においても、ネオクリンを添加した場合は遺伝子変動パターンがコントロールとほぼ同じであることが示された。これらの結果はネオクリンの食品としての安全性を示唆するものである。

本研究は、ネオクリンの立体構造、およびpH依存的な構造変化と味覚修飾活性の相関を世界で初めて明らかにすることが出来たとともに、味受容機構を理解、解析するための立体構造情報を提供するものである。また、ネオクリンの安全性評価を行ったことで、産業利用につながることも期待されるものであり、学術的・応用的に貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク