学位論文要旨



No 217344
著者(漢字) 深見,裕之
著者(英字)
著者(カナ) フカミ,ヒロユキ
標題(和) 酢酸菌素材の開発 : 酢酸菌セラミドと酢酸菌体の脳機能改善効果の検証
標題(洋)
報告番号 217344
報告番号 乙17344
学位授与日 2010.04.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17344号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 特任教授 加藤,久典
 東京大学 准教授 山川,隆
 東京大学 特任准教授 朝倉,富子
 東京大学 准教授 三坂,巧
内容要旨 要旨を表示する

酢酸菌は、食酢をはじめとする伝統食に用いられる発酵微生物である。酢酸菌膜を構成する脂質成分には、一部のグラム陰性菌に限られた特有のアルカリ安定脂質(ASL)が含まれる。例えば、酢酸菌が有するスフィンゴ脂質の大部分は、スフィンガニンを含む遊離のセラミド単一で構成されており、主成分は、2-hydroxypalmitoyl-sphinganine(ジヒドロセラミド、以下、酢酸菌セラミド)である。一方、動物の皮膚や脳組織には多様なセラミド代謝物が存在し、重要な生理作用をもつことが知られている。脳組織のセラミド代謝物は、神経栄養因子活性などを介し、神経細胞の分化、増殖、生存、神経伝達物質の放出などの作用を有する。動物型セラミドの前駆体構造を有する酢酸菌セラミドは、経口摂取により有益な生理活性を発揮することが期待される。近年、中高年者の加齢に伴う脳機能の低下に対して、様々な機能性食品素材が提案されているが、セラミドの経口摂取による有効性はこれまでに報告されていない。

本論文は、酢酸菌セラミドの脳機能に対する生理作用に着目し、食品成分として酢酸菌セラミドや酢酸菌体が、認知症モデルラット、老齢ラット、中高年者の記憶・学習力に及ぼす効果、ならびにその作用機序の検証を行った結果をまとめたものである。

第一章の序論に続き、第二章では、イボテン酸の前脳基底核注入により作製した認知症モデルラットに対する酢酸菌由来ASLの脳機能改善効果を検討した。水迷路試験、モノアミンおよびその代謝物の定量、病理組織学的評価を行った結果、認知症モデルラットにおける各評価指標の悪化に対して、ASL投与による有意な改善が認められ、アセチルコリン作動性神経の機能低下を改善していることが示唆された。

第三章では、各ASL成分の神経モデル細胞(PC12細胞)に対する神経分化促進作用を検討した。その結果、酢酸菌セラミドのみが作用を有することが確認され、ASLによる神経伝達機能の改善効果にセラミドが関与している可能性が示唆された。

第四章では、13C安定同位体で標識された酢酸をC源として酢酸菌を培養することにより、酢酸菌セラミドの標識体の合成を試みた。さらに、この標識セラミドを精製してマウスに経口投与し、各組織への移行および代謝変換の可能性を検討した。その結果、経口摂取された酢酸菌セラミドに由来するスフィンガニンが表皮、肝臓、骨格筋、脳シナプス膜に存在すること、およびその一部はスフィンゴシンに変換されることが確認された。酢酸菌セラミドが経口摂取後、体内で吸収・代謝されること、また、各組織に移行し、その生理作用に関与する可能性が示された。

第五章では、脳機能改善効果に対する推定関与成分であるセラミド生産量が高い酢酸菌株(Acetobacter malorum NCI1683)を発酵乳より単離し、正常な加齢に伴う脳機能低下を反映する老齢ラットにおいて、経口摂取による効果を検討した。水迷路試験や受動回避学習試験により、酢酸菌体を投与した老齢ラットにおいて記憶学習力が改善することが示された。また、酢酸菌体投与により、シナプスにおけるアセチルコリン放出量が有意に増加し、脳内のAβ、MPO含量が有意に低下したことから、シナプス伝達機能の改善効果、および細胞毒性の抑制効果が示唆された。

第六章では、物忘れを自覚する健常な50-60歳代の中高年者を対象として、軽微な認知機能変化を検出できるCogHealthと呼ばれる検査方法を用い、酢酸菌体(Acetobacter malorum NCI1683)の経口摂取による認知機能改善効果の可能性を検証した。また、酢酸菌体の継続摂取時の安全性もあわせて確認した。その結果、プラセボ群に対し、酢酸菌体摂取群における摂取12週後のCogHealthの作動記憶課題が有意に改善した。さらに、酢酸菌体の摂取前後においても、複数の課題が有意に改善し、酢酸菌体摂取が認知機能、特に短期記憶力に対して有益であることが示唆された。また、継続摂取における安全性に問題はないことが確認された。

本研究において、酢酸菌セラミドはその生理作用として脳内の神経伝達機能を促し、記憶学習力を改善すること、および酢酸菌セラミドを高含有する酢酸菌体の摂取においても、同様の作用を有することが示された。酢酸菌は、カスピ海ヨーグルト、発酵乳ケフィア、ナタデココなど伝統的な食経験を有した食品の発酵微生物であり、高い安全性も確認された。以上から、酢酸菌体は、中高年者の認知機能維持を通じてアクティブエイジングに貢献する新たな食品素材として有望であると考えられる。今後は、酢酸菌体の認知機能に対する最適な摂取量、認知症に対する効果、セラミドの関与成分としての作用機序をより詳細に明らかにすること、さらには、酢酸菌体の他の生理作用や有効成分を新たに解明することにより、総合的なアンチエイジング食品の開発へと発展することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

食酢醸造菌である酢酸菌を構成する膜脂質成分には、一部のグラム陰性菌に限られた特有のアルカリ安定脂質(ASL)が含まれる。酢酸菌が有するスフィンゴ脂質の大部分は、スフィンガニンを含む遊離のセラミド単一で構成され、主成分は2-hydroxy- palmitoyl-sphinganine(以下、酢酸菌セラミドと略記)である。一方、動物の脳組織には多様なセラミド代謝物が存在し、神経細胞の分化や神経伝達物質の放出促進などの生理作用が報告されている。動物型セラミドの前駆体構造を有する酢酸菌セラミドは、経口摂取により有益な作用を発揮すると考えられる。しかし、スフィンゴ脂質の経口摂取による脳機能への有効性に関する研究はこれまでに報告されていなかった。

本論文は、酢酸菌セラミドの脳神経に対する生理作用に着目し、食品成分として酢酸菌セラミドや酢酸菌体が、認知症モデルラット、老齢ラット、中高年者の記憶・学習力に及ぼす効果、ならびにその作用機序の検証を行った結果をまとめたものである。

第一章の序論に続き、第二章では、イボテン酸の前脳基底核注入により作出した軽度認知症モデルラットに対して、酢酸菌由来ASLの胃ゾンデ経口投与による効果を検討した。水迷路試験、脳内神経伝達物質の測定を行った結果、認知症モデルラットにおける各指標の悪化に対して、ASLによる有意な改善が認められ、ASL摂取が記憶・学習力やアセチルコリン作動性神経の機能低下を改善することが明らかになった。

第三章では、推定関与成分であるセラミド生産量が高い酢酸菌株(Acetobacter malorum NCI1683)を発酵乳より単離・培養し、正常な加齢を反映する老齢ラットにおいて酢酸菌体の混餌投与による効果を検討した。その結果、酢酸菌体投与による受動回避学習での記憶力の有意な改善、シナプスからのアセチルコリン放出量の有意な増加、大脳皮質中のamyloid β、myeloperoxidase量の有意な低下が認められ、セラミド高生産酢酸菌体の摂取がシナプス伝達機能を改善し、細胞毒性を抑制することが示された。

第四章では、物忘れ傾向を自覚する健常な50-60歳代の中高年者を対象として、軽微な認知機能変化を検出する検査方法(CogHealth)を用い、セラミド高生産酢酸菌体の摂取による効果を検討した。その結果、酢酸菌群において、摂取12週後の作動記憶がプラセボ群に対して有意に改善し、酢酸菌体の摂取が認知機能、特に短期記憶に対して有益であることが示唆された。また、継続摂取における安全性に問題はないことも確認された。

第五章では、各ASL成分の神経モデル細胞(PC12細胞)に対する分化促進作用を検証した結果、酢酸菌セラミドのみがその作用を有しており、ASLやセラミド高含有酢酸菌体による脳機能改善効果に酢酸菌セラミドが関与する可能性が示された。

第六章では、13C安定同位体で標識された酢酸をC源として酢酸菌を培養することにより、酢酸菌セラミドの標識体を生合成した。この標識セラミドをマウスに経口投与し、各組織への移行および代謝変換を検証した。その結果、酢酸菌セラミドに由来するスフィンガニンが表皮、肝臓、骨格筋、脳シナプス膜に存在すること、さらにその一部は他のスフィンゴ脂質に変換されることが確認された。以上から、経口摂取後に吸収・代謝され、組織に取り込まれた酢酸菌セラミドが脳神経への生理作用に関与する可能性が示唆された。

本研究において、酢酸菌セラミドやセラミド高含有酢酸菌体は、継続摂取により脳内のシナプス伝達機能および記憶・学習力を改善することが示され、ヒト中高年者の認知機能維持を通じてQOLに貢献しうる新たな食品素材として有望であると考えられる。今後は、他生物由来のセラミドとの効果の比較、腸管吸収後のセラミドの定量、構造解析により、組織での生理作用との関連性がより詳細に明らかとなることが期待される。

以上、本研究は、酢酸菌が保有する脂質成分の健康機能に関する新たな知見を提供するとともに、セラミドを摂取した後の体内動態と生理作用との関連性を示したものであり、食品機能性研究の学術的・応用的意義は少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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