学位論文要旨



No 217349
著者(漢字) 荒原,邦博
著者(英字)
著者(カナ) アラハラ,クニヒロ
標題(和) プルーストと世紀転換期の美術批評 : 横断線としてのテクスト・美術史・美術館
標題(洋)
報告番号 217349
報告番号 乙17349
学位授与日 2010.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17349号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,洋二郎
 東京大学 教授 鈴木,啓二
 東京大学 教授 三浦,篤
 東京大学 准教授 今橋,映子
 京都大学 教授 吉川,一義
内容要旨 要旨を表示する

序章:本論文はマルセル・プルースト(1871-1922年)の長編小説『失われた時を求めて』(1913-1927年)とその周辺テクストにおける絵画の問題を歴史的な観点から再考するものである。この小説の形式的特徴として指摘される「横断線」が歴史的な局面で見せる働きを、実証研究とテクスト分析を連動させながら、文学研究と美術史研究の間で読み解き、従来の研究史に新たな展望を拓くことを狙いとする。

第1章:第3巻『ゲルマントのほう』の「ゲルマントの夕食会」における絵画に関する挿話の生成過程の分析。3つのシークエンス、話者によるゲルマント家のエルスチール・コレクションの鑑賞、ゲルマント公爵による画家に対する批評、ゲルマント公爵夫人が披露する絵画に関する言葉、の説話要素にもたらされた変化を、特に初めの2種類の草稿(カイエ41と43、およびN.a.fr. 16705, 16706, 16707)に注目して、明らかにした。生成過程において生じている主要な変化は、以下の4点に要約することができる。(1)絵画に関する挿話の物語上の分節は、2つの時間(夕食前/後)から3つの時間(夕食前/中/後)による分節へと変更される。(2)ギャラリーにおける話者による作品鑑賞の持つ美学的な射程と重要性が著しく増幅される。バルベックの諸要素の反復が支配的になり、またゾラについての記述が増大する一方で、ゴンクール兄弟に関する要素は消去される。(3)エルスチールとの関連で引用される実在する画家および絵画作品の固有名詞の数は、清書原稿の段階における導入(シャルダン、ペロノー、マネ、モロー、ハルス、フェルメール)によって増大する。(4)社交界の会話の「批評の移ろい易い真実」という性格が明らかになり、「芸術的な印象が形成される」深部との対比によって、社交界での引用の滑稽さがより強調されるようになる。

第2章:『ゲルマントのほう』に見られるエドゥアール・マネをめぐる社交界の会話の分析。ゲルマント公爵は美術アカデミーの制定する規準の側に立って、マネの《アスパラガスの一束》という作品の主題および仕上げを問題視しているが、こうした2重の欠点は、『マネ、伝記批評研究』(1867年)でゾラが指摘するマネの特徴、逸話的な要素の後退および純粋な色の対比による絵画の自律、の正確な引用であると言える。他方、公爵夫人はエルスチール=マネの描いた彼女の肖像画がハルスの模倣であるという見解を示すが、それは『昔日の巨匠たち』(1876年)でフロマンタンが、マネと印象派の画家の代わりにハルスを対象としてアカデミー的な規範からの逸脱を批判した行為を反復するものである。

《オランピア》を前衛的作品として擁護する公爵夫人の発言は、草稿資料と周辺テクストの調査から、ゾラの「絵画」(1896年)の引用であることが明らかになる。世紀末には、美学的に時代に先駆けた革命的な芸術という意味での「前衛」概念が中心的な神話として機能しており、ゾラは1879年の批評によってその神話の端緒を作ったが、「絵画」では過去との断絶の上に自然主義的芸術の出現を希求し失敗したことが語られる。プルーストは反対に、無意志的記憶を規定する時間概念から派生する歴史認識の下で、芸術における革新は単に過去との断絶を画する独創的な技術に由来するのではなく、その独創性の中に同時に伝統が間歇的に甦ることによって真に保障されるものとなると考え、マネを古典として提示する。画家の伝統への帰属が事後的に明白になった同時代的文脈に立脚しつつ、小説家はマネをめぐる社交界の会話を、絵画の自律を肯定しながら同時にその自律を準備した言説に内在する前衛主義的な歴史認識を批判するという2重の操作によって組織しているのである。

第3章:ゾラの『居酒屋』(1877年)とプルーストのテクストを通して、19世紀後半のルーヴルの制度的変化と、美術館の概念を特徴付けていた諸側面を明らかにしつつ、美術館をめぐるプルーストの言表の射程を測定する試み。ゾラは1848年に開始された方形の間に注目するが、傑作を集約するこの中心的空間は階層性の原理によって、あらゆる美学的な判断を管理することを使命としていた。それに対して、1895年に執筆されたプルーストの2つの初期作品は、折衷的でマージナルな逸脱を助長する周縁的な空間であるグランド・ギャラリーへの小説家の関心を示しており、方形の間による作品選別の恣意性を批判する同時代の美術館言説の方向性と合致していた。他方で、ゾラとプルーストはルーヴルをめぐって民衆の風刺を行い、美術館の商業性を否認するという共通性を持っているが、またそのことによってこの制度的装置の社会的な固定性を明らかにしている。

ルーヴルをめぐるプルーストの文章が1895年に生産されたのは、この年に『ルヴュ・ブランシュ』、『メルキュール・ド・フランス』、『エルミタージュ』の3誌による美術館に関する議論の白熱化があったからであるという事実を本章は突き止め、資料の再構成によって、作品を取り囲む全体的空間の美術館における再現への小説家の批判が、世紀末の2つの傾向、地域主義的な発想による歴史的復元と、象徴主義美学の要請による宗教的な建築環境の再現とに、共に反対する射程を持つものであることを明らかにした。芸術家の内的空間を表現するのは飾りのない壁面であると考えるプルーストは、大戦後のルーヴルで実現された作品の全体的空間の再構築に対して危惧を表明するが、展示作品点数の減少というもう1つの変更は作品の細部への注目を可能にし、新たな作品解釈を生産するという観点から評価される。『失われた時』におけるルーヴルは世紀末的性格と大戦後の特徴とを貼り合わせた理想的な空間として描き出されており、同一空間内での異なる流派の共存こそが芸術の生を保証すると考える小説家によって、倒錯した寛容を許されているのである。

第4章:ギュスターヴ・モローをめぐる社交界の言説の分析。オデットは《出現》におけるサロメに喩えられる一方で、エルスチールによる肖像画では性的不分明さがその特徴であるとされる。先行研究はユイスマンスの1889年の評論集に注目してきたが、プルーストがユイスマンス批判を組み込んでいるのは『ゲルマントのほう』である。《若者と死》に見られる死神と、ある寝台に彫られたセイレン像との類似を公爵夫人が指摘する場面において、小説家はモローの《詩人とセイレン》を論じたユイスマンスの「ゴブラン」(1901年)を引用していること、および同箇所で使用されている表現からオデットのサロメ的イメージを形成していた語彙が実際に『さかしま』(1884年)に由来することが特定され、『さかしま』におけるサロメ以来の「宿命の女」観を《詩人とセイレン》のセイレンに誤って投影するユイスマンスからの距離化をプルーストが図っていることが明らかになった。

また小説家はモローの性的に曖昧な「詩人」の表象に注目し、両性具有にデカダンスとは異なる位相を導入する。ダーウィン進化論に関する特異な解釈によって、プルーストが性的倒錯においては原初的な雌雄同体という起源状態が回帰すると考えていることが明らかになる。起源的なものが現在において回帰する瞬間、時間的な2重状態の表現こそがモロー的な両性具有の特質なのである。他方で、世紀末に誕生した初の個人美術館であるモロー美術館における作品の集積を、プルーストは詩人の表象における起源状態の回帰と同様に、無意識に反復されるその画家の起源的で本質的なモチーフ、《若者と死》の濃紺の小鳥を始めとする鳥のテーマ系を見分ける機会をより多く提供するという観点から評価する。全体的空間の再現という制度的要請からではなく芸術創造の場として、小説家は個人美術館という新たな装置に注目しているのである。

第5章:エドガー・ドガをめぐるプルーストの言表を解釈する試み。エルスチールの言説がドガの《地方の競馬場にて》に由来することはよく知られているが、画面を形容する語彙にユイスマンスとの違いは認められない。それに対し、《棘を抜く少年》の記憶を宿したドガの作品群への参照こそプルースト独自のものであり、そのうちの1枚《サンダルの紐を結ぶ踊り子たち》は踊り子の4つの姿の並置と古代彫刻の記憶によって、歴史的な時間の誕生と呼ぶべき事態を表現している、と小説家が考えていることが明らかになる。

「美術と国家」に関するアンケートは、ドレフュス事件から非宗教化政策への変遷の再検討によって、共和国擁護の観点から国家をローマ的規範の影響下にある美術制度から分離し救済する意図で行われたものであり、小説家の回答はそれに反対してローマの伝統による拘束なしに芸術家は真の独創性に到達できず、また左翼的正義は芸術的真実を保証しないと主張していることが明らかになる。模写を介したドガとプッサンとの関係は、印象派絵画がこの伝統によって実現された独創性の連鎖の1部であることを証明している。プッサンを否定し、ドガを評価するカンブルメール侯爵夫人の前衛主義的な言表に対して、『失われた時』の主人公はプッサン復権にある「理論」が寄与していると語る。進歩主義と国粋主義的反動の両面を持つドニの『理論集』(1912年)がこの一節の源泉であることが特定され、プルーストはこの両面を共に留保しつつ、ドガがプッサンの中に彼自身の作品の先取りされた断片を見つけることによって、ローマ美術の連鎖の輪であることを事後的に明らかにすることを評価する。『失われた時』における美術史とは、直線上に独創的な個体が継起するものではなく、ドガを媒介に古典古代の切片、古典主義時代の切片が誕生しつつある時間の中に前後の関係なく解き放たれながら形成する、ゆるやかなまとまりとして構想されているのである。

終章:生成過程、テクスト的・図像的源泉、資料体の解明によって『失われた時』について新たに抽出された横断線は、左/右、自然主義/象徴主義、前衛主義/伝統主義、地域主義/知的な歴史主義、の双方に背を向けるという批評的方法論を形成したプルーストの世紀の横断線に重ね合わされる。『失われた時』の横断線は不断の生成を続けており、現代というもう1つの世紀転換期と読者に対して、絶えざる問いを発し続けているのである。

審査要旨 要旨を表示する

本論文『プルーストと世紀転換期の美術批評―横断線としてのテクスト・美術史・美術館―』は、フランスの作家、マルセル・プルーストの長編小説、『失われた時を求めて』とその周辺テクストにおける絵画の問題を、「横断線」という概念を軸として、歴史的な観点から考察したものである。全体は序章、第1章から第5章、および終章から成る。

筆者は、まず序章「絵画と横断線―プルーストと絵画の問題はどう論じられてきたか」において、思想家ジル・ドゥルーズがその著書『プルーストとシーニュ』で提唱した「横断性」という概念を援用しつつ、プルーストの作品における絵画の問題を、作品の外部との関係性において考察することの意義を確認する。その上で、このテーマをめぐる厖大な先行研究の歴史を詳細に記述したのち、作家のテクストを、他のテクストや個々の画家だけでなく、画廊や美術館という制度的な装置との関連も含めた多重的な観点から検証するものとして、みずからの研究を位置づける。

第1章「「ゲルマントの夕食会」における絵画の挿話の生成過程」では、『失われた時を求めて』の第三巻にあたる『ゲルマントのほう』の夕食会における絵画をめぐるエピソードがとりあげられ、いわゆる「生成研究」という方法により、プルーストが残した草稿から最終稿にいたる推敲過程が綿密に分析される。その結果、ギャラリーにおける話者による作品鑑賞のもつ美学的な重要性がはっきり増大していること、作中の画家エルスチールとの関連で引用される実在の画家や作品の数が増えていること、社交界の会話における引用の滑稽さがより強調されていることなど、テクストの生成過程においていくつかの主要な変化が起こっていることが立証されている。

第2章「マネをめぐる社交界の会話とその美学的問題」では、特にエドゥアール・マネをめぐる社交界の会話が分析対象とされる。『ゲルマントのほう』には、ゲルマント公爵夫人がマネの「オランピア」を前衛的作品として擁護する場面が出てくるが、筆者はこの発言がじつはエミール・ゾラの「絵画」という文章からの引用であることを明らかにした。そして、プルーストが芸術における革新性を、過去と断絶した独創性ではなく、独創性の中に伝統が間歇的によみがえることで保証されるものと考え、マネをめぐる会話を、絵画の自律性を肯定しながら、同時にそれを準備した言説に内在する前衛主義を批判するという二重の操作によって組織していると論じている。

第3章「19世紀後半におけるルーヴルの文学的表象と美術館の概念」では、ゾラの小説『居酒屋』とプルーストのテクストを通して、ルーヴル美術館の展示空間が分析される。筆者は1895年に書かれたプルーストの文章が、当時の三つの芸術雑誌における美術館をめぐる論争の白熱化を背景としていたことを明らかにした上で、それが地域主義的な発想による歴史的な復元と、象徴主義的美学の要請による宗教的な建築環境の再現という、世紀転換期の二つの傾向のいずれにも反対する射程をもつものであったことを示した。そして、ルーヴル美術館が『失われた時を求めて』においては、世紀末的性格と第一次大戦後の特徴を兼ね備えた理想的空間として描かれていると論じている。

第4章「モローをめぐる社交界の「さかしま」な言説とその美学・科学・制度的問題」では、ゲルマント公爵夫人がギュスターヴ・モローの絵画について述べる言葉の中にユイスマンスの「ゴブラン」という文章が引用されていること、またオデットをサロメになぞらえる語彙が、同じ作家の小説『さかしま』に由来することが特定される。さらに、プルーストがモローの描く「詩人」の両性具有的な形象に雌雄同体という起源の回帰を見ていたことが指摘されるとともに、初の個人美術館であるモロー美術館がこの画家に特徴的な「鳥」のテーマを浮上させることに触れ、作家がこの美術館を、全体的空間の再現とは異なる芸術創造の場として重要な意味をもつと考えていたことを明らかにした。

第5章「ドガの美学・政治学的問題と世紀転換期の絵画「理論」」では、古代彫刻の「刺を抜く少年」から想を得たと推察されるドガの一連の絵画作品への参照が、プルースト独自のものであることが指摘される。筆者はまた、美術と国家の関係に関するアンケートへのプルーストの回答が、ローマ的規範の影響下にある美術制度から国家を分離しようとする質問者の意図に反して、むしろ芸術創造における伝統の拘束の必要性を主張するものであることを示した。さらに、小説の話者がカンブルメール夫人の進歩主義的なプッサン批判にたいして反論する箇所についてはモーリス・ドニの『理論集』が引用されている可能性を指摘し、プルーストがドガを介して独自の美術史概念を築いていたと主張している。

最後に終章「世紀と横断線、あるいは不断の生成」において、筆者は本論文の内容を概略的に復唱しながら、序章で提示された「横断線」という概念をふたたび召喚し、さまざまな二項対立のいずれにも背を向けるというプルーストの批評的方法論を、たまたま二つの世紀を横断することになった彼の時代的位置づけとからめながら整理する。そして近年のデジタル・アーカイヴの登場にも言及しつつ、不断の生成を続けるさまざまな横断線に遭遇し、しかもそこにとどまることこそが、プルーストの小説を経験する唯一の方法であると結論づけている。

本論文のおもな成果としては、次の点が挙げられる。

1)プルーストと美術というテーマについてはすでに厖大な先行研究があるが、その蓄積を十分に踏まえた上で、草稿、周辺テクスト、美術批評等々の幅広い文献を参照しながら、作家のテクストを個々の画家のレベルだけでなく、美術館という文化装置を含めた「外部」との関係においてとらえ、世紀転換期という歴史的なパースペクティヴの中で読み直したこと。

2)生成研究をはじめとする手堅い実証研究と、新しい文学理論を踏まえた綿密なテクスト分析を連動させながら、文学研究を美術史研究に向けて開くという野心的な意図をもって、両者を横断する新たな地域文化研究の展望を拓いたこと。

3)『ゲルマントのほう』の社交界で交わされる会話の中に、ゾラの「絵画」、ユイスマンスの『さかしま』と「ゴブラン」、ドニの『理論集』など、従来指摘されてこなかったいくつかの引用源が見られることをはじめて明らかにしたこと。

4)これと並行して、モローの「詩人とセイレン」、ドガの一連のデッサンなど、『失われた時を求めて』の背景となっているいくつかの絵画的源泉を明らかにしたこと。

その一方で、審査の席上ではいくつかの問題点も指摘された。

1)第1章の草稿研究が全体の構成から浮いていて、第2章以降の内容と有機的なつながりをもっていないように思われること。

2)「横断線」というキーワードがかならずしも明確に定義されておらず、どうしてもこのタームを用いなければならなかった必然性がはっきりしないこと。

3)結論がしばしば現代思想家への参照に寄りかかっており、論理的・必然的に導き出される結論になっていない箇所が見られること。

4)ラスキンをはじめとする美術批評史への目配りが十分でないこと。

5)図版がカラーでなく、図版目録も付されていないという形式的欠陥が見られること。

しかしながら、これらの問題点はいずれも本論文の本質的な価値を損なうほどのものではなく、むしろ筆者に課せられた今後の課題としてとらえられるべきものである。

したがって、本審査委員会は本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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