学位論文要旨



No 217350
著者(漢字) 土居,裕和
著者(英字)
著者(カナ) ドイ,ヒロカズ
標題(和) 視線知覚における大域的情報の寄与に関する研究
標題(洋) The Role of Relational Property in Gaze Direction Perception
報告番号 217350
報告番号 乙17350
学位授与日 2010.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17350号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 植田,一博
 東京大学 教授 藤垣,裕子
 東京大学 准教授 開,一夫
 東京大学 教授 長谷川,壽一
 東京大学 准教授 渡邊,克巳
内容要旨 要旨を表示する

背景 視線知覚は、重要な社会的認知能力の一つである。顔認識に関する先行研究によれば、成人の顔認知においては、顔の個々のパーツ(目、鼻、口)のみに着目するのではなく、それらの空間的位置関係を統合的に処理する大域的情報処理が重要な役割を果たしている。しかし、視線知覚における大域的情報処理の寄与については、ほとんど明らかになっていないのが現状である。

目的 そこで、本研究では、視線知覚の認知メカニズム、とくにその大域的情報処理に関連した側面を解明することを目的とする。具体的には、眼周辺部(Eye Region)以外から得られる頭部方向情報が、視線方向の知覚に影響を与えるWollaston錯視現象に着目し、眼周辺部の局所的情報と頭部方向情報を統合する大域的情報処理の認知メカニズムを、行動学実験および事象関連電位計測により検討した。また、大域的情報処理により計算された視線方向情報が社会的注意の制御に与える影響についても、あわせて検討した。

実験 本論文では、成人を対象とした、4つの行動実験と2つの事象関連電位計測実験を行なった。これらの実験では、視線が逸れた複数枚のディストラクター顔画像の中から、一枚だけ直視の視線方向を持つターゲット顔画像を探し出す視覚的探索課題の探索効率が、直視の視線方向を持つ複数枚のディストラクター顔画像の中から、一枚だけ視線が逸れたターゲット顔画像を探し出すのに要する探索効率よりも高いという"Stare-in-the-Crowd効果"を利用した。

まず、実験1では、成人の視線方向検出時に大域的情報が利用されていることを確認するための行動学実験を行なった。実験では、2種類の眼周辺部の画像と頭部方向を組み合わせた図1のような4種類の画像を刺激として用いた。これら4種類の顔画像において、眼周辺の局所的情報が示唆する視線方向は、すべての画像で"averted gaze"(視線が逸れている)である。一方、局所的情報と頭部方向情報とを統合した大域的情報が示唆する視線方向は、Wollaston錯視効果を利用して、1種類の画像(図1では左上の画像)でのみ、"straight gaze"(視線が実験参加者のほうを向いている)となるよう工夫されていた。

これら4種類の顔画像がターゲットもしくはディストラクターとして提示される視覚的探索課題を行なった。その結果、大域的情報が示唆する視線方向がstraight gazeの顔画像がターゲットの場合には、他の3種類の画像がターゲットの場合と比較して、ターゲットの検出が迅速に行なわれた。この結果は、視線方向、特に直視の検出において、視覚系は眼の局所的情報のみならず大域的情報にアクセスしている可能性を示している。

実験1で用いた刺激においては、局所的情報から計算される視線方向は、すべてaverted gazeであったため、視線方向検出の際に、局所的情報と大域的情報のいずれがより有力な手がかりとなっているかを明らかにすることはできなかった。そこで実験2では実験1の手続きに修正を加え、局所的情報が示唆する視線方向と大域的情報が示唆する視線方向とが矛盾する条件を導入した。実験の結果、眼周辺部の局所的情報が示唆する視線方向に関係なく、大域的情報がstraight gazeを示唆するターゲット顔画像は、大域的情報がaverted gazeを示唆するターゲット顔画像よりも迅速に検出されることが明らかになった。これら実験1と実験2で得られた知見は、視線方向検出においては、大域的情報が局所的情報よりも優先的にアクセスされる可能性を示唆している。

実験1と実験2の結果に基づいて視線方向知覚における大域的情報の寄与に関するより確固たる結論を導くには、"Stare-in-the-Crowd効果"の認知メカニズムを明らかにしておく必要がある。そこで実験3では、"Stare-in-the-Crowd効果"の認知メカニズムを行動学的実験により検討した。実験を行なうに当たり、"Stare-in-the-Crowd効果"が生じるメカニズムとして2つの仮説をたてた。その一つである「刺激処理促進仮説」は、ターゲットがstraight gazeを持っていることで、ターゲットの処理が促進され、その結果として"Stare-in-the-Crowd効果"が生じると仮定する。これに対して「注意捕捉仮説」は、averted gazeをもつターゲットを探索する条件ではディストラクターがstraight gazeを有しているため、ディストラクターに注意を捕捉されてしまい、その結果としてターゲットの検出が遅れるというものである。これら2つの仮説の妥当性を検証するために、眼周辺部が塗りつぶされた顔画像からなるディストラクターの中からstraight gazeもしくはaverted gazeのターゲットを検出するEye Target課題と、straight gazeもしくはaverted gazeの顔画像からなるディストラクターの中から、眼周辺部が塗りつぶされた顔画像を検出するEye Distractor課題の2種類の視覚的探索課題を実施した。その結果、Eye Target課題では、straight gazeを探索するのに要する時間が、averted gazeを探索するのに要する時間よりも短くなったが、Eye Distractor課題では、ディストラクターの視線方向の効果は見出されなかった。この結果は、「刺激処理促進仮説」を支持するものである。

実験4は、実験3で得られた知見の神経科学的な裏づけを得るために実施した。具体的には、実験1で用いたstraight gazeおよび averted gazeの画像をターゲットもしくはディストラクターとした視覚的探索課題を遂行中の事象関連電位計測を実施した。その結果、straight gazeがターゲットの場合には、averted gazeがターゲットの場合と比較して、注意定位反応の指標であるN2pc成分の振幅が有意に増大した。また、刺激に対する情動反応の指標であるLPC成分の振幅も、straight gazeがターゲットの場合に有意に増大した。これらの結果は、実験3が示唆するところとは異なり、"Stare-in-the-Crowd効果"の説明として「刺激処理促進仮説」と「注意捕捉仮説」の両方が妥当する可能性を示唆している。

実験5では、大域的情報を計算する認知メカニズムを解明することを目的とした行動学実験を行なった。具体的には、視線方向知覚における大域的情報処理が、顔からの人物同定、表情認識に関与しているとされるConfigural Face Processingと同一のメカニズムに担われている可能性を検討した。実験の結果、頭部方向を伝達する情報の種類によって画像倒立が与える影響が異なることが見出された。画像倒立による処理が阻害されることは、Configural Face Processingが有する最も再現性の高い特徴の一つである。したがって、この結果は、視線方向処理における大域的情報処理には、Configural Face Processingと同一の、もしくは類似したメカニズムの他に、画像倒立の影響を受けにくい別のメカニズムが関与している可能性を示唆している。

最後に実験6では、視線方向知覚における大域的情報処理の認知メカニズムを、事象関連電位計測を用いて検討した。具体的には、眼周辺部と眼以外の顔領域(Face Context)の垂直方向を独立に操作した図2のような4種類の顔画像に対して視線方向判断を行なっている際の事象関連電位を計測した。その結果、Configural Face Processingを反映するとされるN170成分に時間的に先行して記録されるP1成分振幅は、Face Contextが正立しているときのみEye Regionの向きの影響を受けることが明らかになった。この結果は、Configural Face Processing以前の処理段階で既に眼の周辺部とそれ以外の部分との大域的関係が分析されていることを示唆している。

結論 本研究では、視線方向知覚の認知メカニズムを、これまでほとんど検討されてこなかった大域的情報処理の寄与に焦点をあて検討した。本研究で報告した一連の実験から次の2つの結論が導かれた。第一に、視線方向検出においては、眼周辺部の局所的情報よりも、局所的情報と頭部方向情報とを統合した大域的情報が優先的に利用されていることが明らかになった。第二に、局所的情報と頭部方向情報とを統合する認知メカニズムは、従来の顔認知研究において注目されてきたConfigural Face Processingのみならず、より速い潜時帯の低次視覚処理段階でも行なわれている可能性が示唆された。このように本研究では、大域的情報処理の観点から視線方向知覚の認知メカニズムについて新たな知見を得ることができた。

図1.実験1で用いた4種類の刺激例

図2.実験6で用いた4種類の顔画像刺激例

審査要旨 要旨を表示する

視線方向知覚は,重要な社会的認知能力の一つである。顔認知に関する先行研究によれば,成人の顔認知において,顔の個々のパーツ(目,鼻,口)の情報処理だけではなく,それらの空間的位置関係を統合的に処理する大域的情報処理が重要な役割を果たしている。しかし,視線方向知覚における大域的情報処理の寄与については,ほとんど明らかになっていないのが現状である。本論文は,この視線方向知覚における大域的情報処理に関連した認知メカニズムを,第2章以降で述べる6つの実験を通して検討した論文である。

第1章では,視線方向知覚の先行研究について述べている。その結果,社会的認知において視線方向知覚が果たす機能と,視線方向知覚を担う神経学的基盤に関する研究は多い反面,視線方向知覚における大域的情報処理の役割については一貫した知見が得られていないことを指摘している。

第2章から第5章では,視線が逸れた複数枚のディストラクタ顔画像の中から1枚だけ直視の視線方向をもつターゲット顔画像を探し出す視覚的探索課題の探索効率が,直視の視線方向をもつ複数枚のディストラクタ顔画像の中から1枚だけ視線が逸れたターゲット顔画像を探し出す視覚的探索課題の探索効率よりも高いという"Stare-in-the-Crowd効果"と,錯視現象を利用した,一連の実験について述べている。第2章では,行動学実験の結果,直視の検出において,眼周辺部の局所的情報のみならず,それと頭部方向情報とを統合した大域的情報がアクセスされている可能性を示している。第3章では,眼周辺部の局所的情報が示唆する視線方向と大域的情報が示唆する視線方向とが矛盾する状況を錯視現象を利用して作り出すことで,眼周辺部の局所的情報よりも大域的情報が優先的にアクセスされることを示している。さらに第4章では,"Stare-in-the-Crowd効果"を説明する認知メカニズムとして,直視をもつターゲット顔画像の処理自体が促進されている刺激処理促進の可能性が高いことを,行動学実験により示唆している。続く第5章では,"Stare-in-the-Crowd効果"の認知メカニズムを事象関連電位計測実験により検討している。その結果,神経学的には,第4章で検討した刺激処理促進に加えて,直視をもつディストラクタ顔画像が視る者の注意を捕捉するという注意捕捉が"Stare-in-the-Crowd効果"に寄与していることを示唆する結果を得ている。第2章から第5章を通して,"Stare-in-the-Crowd効果"と錯視現象を利用するという実験上の工夫を行い,これまで明らかでなかった,視線方向知覚における大域的情報処理の優先的な利用とその認知メカニズムの一端を示したことは高く評価される。

第6章では,行動学実験により,視線方向知覚に対する頭部方向の影響が,画像倒立により減弱することを示している。この結果は,視線方向知覚における大域的情報処理が,顔認知において主要な役割を果たすConfigural Face Processing(顔を構成する個々のパーツではなく,顔のパーツ間の空間的位置関係の処理に特化した情報処理様式)に担われている可能性を示唆している。さらに第7章では,事象関連電位計測実験により,第6章で示された大域的情報処理がConfigural Face Processingに担われている可能性ばかりでなく,Configural Face Processing以前の初期視覚処理段階で,眼周辺部とそれ以外の部分との大域的情報が分析されている可能性も見出している。以上より,視線方向知覚における大域的情報処理には,初期視覚処理とConfigural Face Processingという少なくとも2つの異なる処理段階が関与している可能性を示唆している。特に,これまで指摘されてこなかったConfigural Face Processing以前の初期視覚処理段階の関与を示唆する新規知見を明らかにしたことは,視線方向知覚の神経学的基盤の解明に大きく貢献したと評価できる。

第8章ならびに第9章では,第7章までの結果を踏まえて,視線方向知覚においては,眼周辺部の局所的情報よりも,局所的情報と頭部方向情報とを統合した大域的情報が優先的に利用されていること,ならびに,局所的情報と頭部方向情報とを統合する認知メカニズムは,従来の顔認知研究において注目されてきたConfigural Face Processingのみならず,より早い潜時帯の初期視覚処理段階でも行なわれている可能性があること,を結論づけている。

人物同定,表情判断などの顔認知処理における大域的情報の利用については多くの先行研究が存在するものの,視線方向知覚においても大域的情報が利用されているか否かについては議論がわかれていた。このような状況に対して,本研究は,視線方向知覚における大域的情報の寄与を裏付ける新たな実験的証拠を示したばかりでなく,大域的情報処理を司る神経学的基盤に関する新規知見を明らかにした点で,視線方向知覚に関する研究を大きく前進させるものとして高く評価できる。したがって,本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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