No | 217351 | |
著者(漢字) | ンダン,イマン | |
著者(英字) | Ndan,Imang | |
著者(カナ) | ンダン,イマン | |
標題(和) | インドネシア・東カリマンタンの焼畑民族ケニァ人による地方分権と貨幣経済への順応 | |
標題(洋) | Adaptation to Decentralization and Monetary Economy by the Kenyah Swiddeners in East Kalimantan, Indonesia | |
報告番号 | 217351 | |
報告番号 | 乙17351 | |
学位授与日 | 2010.05.11 | |
学位種別 | 論文博士 | |
学位種類 | 博士(農学) | |
学位記番号 | 第17351号 | |
研究科 | ||
専攻 | ||
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 本研究は、東カリマンタン(ボルネオ島)の奥地から都市近郊に分布する3村を対象とし、先住民ケニァ・ダヤック人(以下ケニァ人)が自然資源管理における地方分権政策および生活の諸側面への貨幣経済の浸透に対してどのように順応してきたのかを明らかにしようとしたものである。 第1章(序):1999年に実施された地方分権化の前は、自然資源管理は極度に中央集権化されており、大規模な伐採企業だけが木材の生産と取引を認められていた。地方分権化以降は、地方政府が自然資源の開発権を発給する権限を持つようになった。しかし、多様な主体が資源へのアクセス権を得ることで資源の希少性が増し、貨幣経済の浸透がいっそう進展し、土地の境界や資源を巡る軋轢が増加した。森林と共に暮らしてきたケニァ人たちもこのような変化から逃れることはできない。このような現状を鑑みて、次のような5つの研究課題を設定した。(1)ケニァ人の経済生活を明らかにする。(2)焼畑農業に対する貨幣経済の影響を明らかにする。(3)ケニァ人社会の凝集性を明らかにする。(4)地方分権政策下の慣習的資源管理を吟味する。(5)ケニァ人による森林機能認識の動態を把握する。 第2章(方法論):既存文献の調査によって順応・地方分権・貨幣経済・共用資源(CPRs)といった概念を明確に定義し、研究枠組みを構築した。そして、研究設計、調査地の選定と根拠、データの収集と分析方法、について論じた。 第3章(調査対象地の概要):ボルネオ島中央高地アポ・カヤンを故郷とするケニァ人は、第二次世界大戦後に東カリマンタン州の河川流域へ、そして都市近郊へと長い移住の旅を経験した。移住の旅は、よりよい経済・教育・保健医療を求めてのものであった。3つの調査対象地としてアポ・カヤン地域のマハック・バルー、マハカム川上流域のバトゥ・マジャン、州都サマリンダ市近郊のパンパンを選択し、それぞれの特徴および相違点を記述した。 第4章(生計の概要):主要な生計手段は焼畑農業(ladang)ではあるものの、世帯収入に占める焼畑農業の貢献度は村によって異なっている。貨幣経済の浸透度合いが高いほど焼畑農業の貢献度は低下するとともに、換金作物の販売収益および農外収入が増加している。タンパク源として重要なイノシシやシカの狩猟、および川での漁労も依然として人々にとって重要な生計手段である。 第5章(焼畑農業における貨幣経済の影響):本章では、(1)焼畑農業の実態と重要性、(2)焼畑農業に関連する労働組織とジェンダーの実態、(3)農業開発に対しての社会文化的制約要因、を明らかにし貨幣経済の浸透による影響を吟味した。貨幣経済の影響にもかかわらず、ケニァ人は自給的な焼畑農業を好んでいる。貨幣経済の浸透度合いは村によって異なるが、焼畑農業の重要性が低下し、焼畑農業に関連する伝統文化がすたれ、農事暦が変化し、相互扶助や互酬的労働が減少する傾向にある。ケニァ人は概して生計の多様化には敏感に反応するが、化学肥料や除草剤の導入に関しては、純収益の向上が確かではないうえ昔からの習慣も保持されているため、あまり熱心ではない。 第6章(貨幣経済浸透下におけるケニァ社会の凝集性):本章では、ケニァ社会の凝集性を把握し、貨幣経済の浸透に対して凝集性、文化、価値を維持するため人々がどのような手段を講じているのか明らかにした。人々は外部からの圧力や激しい競争に晒されながら生活しているにもかかわらず、コミュニティの自助的労働、相互扶助システム、焼畑農業における五酬的労働システムによって凝集性を維持し続けている。しかし、奥地や上流の村と比べて都市近郊の村では凝集性が僅かに低下している。強い凝集性に付随する堅苦しさや負の側面、および外部の個人主義的な価値観の影響、にもかかわらず、人々はケニァ社会の凝集性は維持されるべきであると考えている。凝集性を維持すべく取られた手段としては、慣習法(adat)の再生と機能強化、自助的労働に参加しなかった人への罰金請求、儀礼(pemung tawai など)の継続的開催がある。 第7章(地方分権政策下での慣習的資源管理における境界の重要性):本章では、境界の定義、境界をめぐる軋轢、資源へのアクセス、非木材森林産物(NTFP)採取に関する慣習法、を明らかにした。ケニァ人は村の領域を、(1)居住地・墓地、(2)農地、(3)慣習保全林(tana' ulen)、(4)慣習利用林(ba'i)、という4つの土地類型に区分している。地方分権の前には、村の境界は川や岩など自然の印によって決められており、しかも記載されていなかった。これが、地方分権時代の境界や資源をめぐる問題の発生原因となった。そのため、地方分権後には、自然の印と人工的な印の両方が公的書類に記載された。非木材森林産物へのアクセスについては、地方分権の前は村人も外部者もともに厳格に制御されているわけではなかったが、地方分権後は特に外部者のアクセスを厳しく制御するようになった。 第8章(地方分権政策および貨幣経済のもとでの森林機能に対する人々の認識の動態):本章では、グループ・ディスカッションやペアワイズ・ランキング等の手法を活用して、森林産物の利用を介するケニァ人と森林との関係を明らかにし、人々による森林生態系の維持戦略について論じた。奥地と上流域の村では、地方分権の前も後も非木材森林産物は重要な現金収入源として認識されている。そして、そのような非木材森林産物を産出可能な原生林生態系は野生生物の繁殖に最適な生育環境であると考えられている。森林生態系の維持戦略としてまず考えられるのは、豊かな森林を伐採活動から隔離し、村の上流域での伐採を禁じるなど伐採区域に制限を設けることである。そして、持続可能な森林利用のために適切な利用規制を慣習法に明記することも重要である。 第9章(結論と提言):以上まとめると、ケニァ人たちは焼畑農業に振り向ける時間の短縮を補うように現金獲得のための活動を増やしている。しかし、「採取の習慣」が身についているため、農業や畜産の新技術に対してはあまり順応的ではない。こうした経済活動を支えてきた社会の凝集性は依然として保持されているが、次第に弱体化しつつある。そのため、慣習法を再評価して再生させ、凝集性を強化しようとしている。地方分権時代になってから、慣習法を文書化して明確な形を与えたのはその一環である。しかし、地方分権に伴って貨幣経済の浸透が一層進展して資源の価値が高まったため、村の資源への外部者のアクセスを制限する必要が生じた(「外的な境界」の明確化)。同時に、都市近郊の村では個人主義の思潮が広がり、土地に対する個人の権利を保障する土地所有証の獲得が盛んになった(「内的な境界」の明確化)。 貨幣経済の浸透という状況に応じて、ケニァ人が馴染んできた「採取の習慣」を、より集約的な耕作や畜産へと変化させ、養魚池の造成、養鶏の導入、換金作物や農園作物の栽培を試みるのが望ましいであろう。そのために、これまでケニァ人が育んできた社会関係資本(自助的労働や五酬的システム)をうまく活用することが重要である。農業普及において、普及員はケニァ人の昔からの価値観を真剣に考慮し、新しい生計システムの相対的な経済優位性を示す必要がある。 本研究の学問的な貢献は、地方分権政策下における慣習的資源管理、および貨幣経済の浸透下における民族集団の凝集性、といった論点に関する既存の理論が、東南アジアで最もアクセス困難なカリマンタン奥地でも成立しうることを実証したことである。政策的・実践的な貢献は、慣習的資源管理の公式承認、焼畑農業の集約化、貨幣経済浸透に応じた利益志向の経済活動での凝集性向上、といった新しいアイデアを提言したことである。 | |
審査要旨 | 本研究は、東カリマンタン(ボルネオ島)の奥地から都市近郊に分布する3村を対象とし、先住民ケニァ・ダヤック人(以下ケニァ人)が自然資源管理における地方分権政策および生活の諸側面への貨幣経済の浸透に対してどのように順応してきたのかを明らかにしようとしたものである。 1999年に実施された地方分権化の前は、自然資源管理は極度に中央集権化されており、大規模な伐採企業だけが木材の生産と取引を認められていた。地方分権化以降は、地方政府が自然資源の開発権を発給する権限を持つようになったが、多様な主体が資源へのアクセス権を得ることで資源の希少性が増し、貨幣経済の浸透がいっそう進展し、土地の境界や資源を巡る軋轢が増加した。 本研究の課題は、(1)ケニァ人の経済生活、(2)焼畑農業に対する貨幣経済の影響、(3)ケニァ人社会の凝集性、(4)地方分権政策下の慣習的資源管理、(5)ケニァ人による森林機能認識の動態、である。そのため、既存文献の調査によって順応・地方分権・貨幣経済・共用資源(CPRs)といった概念を明確に定義し、研究枠組みを構築した。そして、研究設計、調査地の選定と根拠、データの収集と分析方法、を明らかにすることである。 ボルネオ島中央高地アポ・カヤンを故郷とするケニァ人は、第二次世界大戦後に東カリマンタン州の河川流域へ、そして都市近郊へと長い移住の旅を経験した。移住の旅は、よりよい経済・教育・保健医療を求めてのものであった。3つの調査対象地としてアポ・カヤン地域のマハック・バルー、マハカム川上流域のバトゥ・マジャン、州都サマリンダ市近郊のパンパンを選択した。人々の主要な生計手段は焼畑農業(ladang)ではあるものの、貨幣経済の浸透度合いが高い村ほど焼畑農業の貢献度は低下するとともに、換金作物の販売収益および農外収入は増加している。 ケニァ人たちは焼畑農業に振り向ける時間の短縮を補うように現金獲得のための活動を増やしている。しかし、「採取の習慣」が身についているため、農業や畜産の新技術に対してはあまり順応的ではない。こうした経済活動を支えてきた社会の凝集性は依然として保持されているが、次第に弱体化しつつある。そのため、慣習法を再評価して再生させ、凝集性を強化しようとしている。地方分権時代になってから、慣習法を文書化して明確な形を与えたのはその一環である。 しかし、地方分権に伴って貨幣経済の浸透が一層進展して資源の価値が高まったため、村の資源への外部者のアクセスを制限する必要が生じた(「外的な境界」の明確化)。同時に、都市近郊の村では個人主義の思潮が広がり、土地に対する個人の権利を保障する土地所有証の獲得が盛んになった(「内的な境界」の明確化)。 貨幣経済の浸透という状況に応じて、ケニァ人が馴染んできた「採取の習慣」を、より集約的な耕作や畜産へと変化させ、養魚池の造成、養鶏の導入、換金作物や農園作物の栽培を試みるのが望ましいであろう。そのために、これまでケニァ人が育んできた社会関係資本(自助的労働や五酬的システム)をうまく活用することが重要である。農業普及において、普及員はケニァ人の昔からの価値観を真剣に考慮し、新しい生計システムの相対的な経済優位性を示す必要がある。 本研究の学問的な貢献は、地方分権政策下における慣習的資源管理、および貨幣経済の浸透下における民族集団の凝集性、といった論点に関する既存の理論が、東南アジアで最もアクセス困難なカリマンタン奥地でも成立しうることを実証したことである。政策的・実践的な貢献は、慣習的資源管理の公式承認、焼畑農業の集約化、貨幣経済浸透に応じた利益志向の経済活動での凝集性向上、といった新しいアイデアを提言したことである。 つまり、本研究は政策的な意義を有するばかりではなく、学術的にも意義ある貢献を成すものである。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 | |
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