学位論文要旨



No 217352
著者(漢字) 香川,隆英
著者(英字)
著者(カナ) カガワ,タカヒデ
標題(和) 森林のアメニティ機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 217352
報告番号 乙17352
学位授与日 2010.05.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17352号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 下村,彰男
 東京大学 教授 永田,信
 東京大学 教授 酒井,秀夫
 東京大学 准教授 小野,良平
 東京大学 准教授 齋藤,馨
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、先進国でも有数の森林率を誇る我が国において、将来人々が心身ともに健康な生活を送っていくうえで重要な森林の役割である森林のアメニティ機能について、人工林・二次林・天然林に森林を大別し、それぞれの森林の持つアメニティ機能を心理的に、また生理的に調査・分析・考察をおこなった一連の研究成果を取りまとめたものである。

そのため、まず序章で研究の目的、論文構成を示し、第1章では我が国における森林の保健休養施策の展開を整理し、これまで森林のアメニティ機能が施策に十分に生かされては来なかったことを示した。国レベルの保健休養施策の変遷として、風致保安林と保健保安林の施策の展開について分析した。保健保安林については、昭和49年の第3期保安林整備計画以降、急速に面積を拡大し、同時に生活環境保全林が数多く作られていったが、これらは視覚的な役割、景観保全が中心で、人の五感を総合的に刺激することによる、心身の健康やリラクゼーションのためには有効に活用されなかった。一方、森林の保健休養機能のように地域性が高く、利用形態も多様である機能を生かすためには、市町村レベルのきめ細やかな政策が必要となる。このため、市町村森林整備計画において「森林整備推進コンクール」で推薦された優良事例を分析した結果、保健休養機能よりも水源涵養機能やボランティアを活用した森林整備に重点をおく市町村が多いこと、また保健休養機能に関係する政策として美山町の「かやぶき民家と森林景観」など、視覚的な機能に施策の重点がおかれており、五感を刺激することで得られるアメニティ機能を活用した施策展開には至らなかったことが分かった。

第2章では、保健休養・アメニティ研究に関わる全体的な研究の動向、及び本論で対象としたアメニティ機能の心理評価と生理評価に関する研究の動向についてとりまとめた。全体的な研究では、1. 保健休養機能を地図上にメッシュ区分し、それぞれの機能因子の重み付けをおこなった研究、森林のアメニティ機能の心理評価についての室内実験では、2.視覚研究においてフォトモンタージュにより森林景観の嗜好性を明らかにしたもの、フィールドにおける景観研究では、3.写真投影法により景観として認識しやすい、視覚的に重要だと思われるパターンを導き出した研究、4.森林公園などで立木密度が被験者に与える影響の研究などがみられる。一方、森林のアメニティ機能の生理評価については、5.触覚に関して温湿度など森林環境の研究、6.視覚について室内での写真を提示する実験で、森林景観が血圧低下効果をもたらした研究、7.聴覚では室内で録音を聞かせ、小川のせせらぎ音が収縮期血圧を低下させた研究などがあげられる。

しかしながら、本研究で示すような森林のアメニティ機能を五感の刺激として総合的に捉え、フィールドにおいて心理的あるいは生理的に評価した研究はほとんど無く、各々の刺激が単独で与える効果を室内実験で生理的に評価した研究が多い。さらに、我が国の代表的な森林空間を人工林・二次林・天然林に分け、それら異なる環境要素を有する森林空間毎に、森林のアメニティ機能の心理・生理的評価を行った研究はみられず、本研究の必要性は高い。

第3章では、まず森林のアメニティ機能を心理的に評価する手法を検討するため、重回帰分析を用いた手法とAHP法を用いた手法について比較検討した。重回帰分析による心理評価手法では、茨城県筑波山において151名の森林利用者によるアンケートを用いて、森林環境の満足度等の心理評価をおこなった。一方、AHP法による評価手法では、福島県南会津地方の尾瀬を中心とした森林アメニティ資源を対象に、地元居住者及び専門家を評価者とした心理評価をおこなった。これらの心理評価手法を検討した結果、重回帰分析手法では「静けさ」や「環境」の因子がマイナス評価となるなど、評価者による言葉の捉え方の違いが評価に影響する可能性などが課題として残った。一方、AHP法では、地元居住者等の集団意思決定によってアメニティ因子を抽出し、重み付けを行うため、評価の妥当性が高いことなどから、AHP法を共通の心理評価手法として用いることとした。

AHP法による森林のアメニティ機能の心理評価は、我が国の森林の主要な林相を構成する人工林・二次林・天然林に分けておこなった。まず、人工林のアメニティ機能では、長い歴史を有する京都の北山の人工林においてAHP法を用いて地元居住者・専門家集団に評価させた。人工林のアメニティ階層構造を構築し、アメニティ構成因子を一対比較して因子ウエイトを算出したところ、「林内の明るさ」「清れつさ」など林内環境のもつアメニティ因子が高く評価されることが分かった。

二次林のアメニティ機能については、埼玉県のクヌギ・コナラの里山雑木林でAHP法を用いて造園学科の大学生に評価させた。その結果、「林内環境」では、「涼しさ」「林内の音」が、また「森の香り」「土の感触」が高く評価されたことから、触覚・聴覚・嗅覚に関する二次林のアメニティ因子が重要であることが明らかになった。

天然林のアメニティ機能については、尾瀬においてAHP法を用いて首都圏から参加した親子連れグループに評価させた。その結果、「森の深さ」を構成する「森の広さ」や「木の高さ」、「森の環境」を構成する「空気のよさ」や「静けさ」、「涼しさ」などの因子が天然林のアメニティ機能には重要であることが分かった。以上の結果、森林を人工林、二次林、天然林に分け、それぞれの森林アメニティ機能を五感の刺激として総合的に捉え、AHP法により森林のアメニティ機能を心理的に明らかにすることができた。

第4章では、森林のアメニティ機能を生理的に評価する手法を検討するため、中枢神経活動(脳活動)による評価手法、自律神経活動(心拍変動性:HRV)による評価手法及び唾液アミラーゼによる評価手法、免疫系(唾液免疫グロブリンA:IgA)による評価手法について、それぞれ検討を行った。まず中枢神経活動(脳活動)による森林のアメニティ評価手法では、千葉県県民の森において、12人の健康な成人男子の被験者を用い、森林浴の歩行および座観実験を行った。対照としてJR千葉駅周辺の都市部で同様の実験を行った。脳前頭前野活動を評価するため、近赤外分光法を利用して脳前頭前野のヘモグロビン濃度を測定し分析した。森林浴後のt-Hb(総ヘモグロビン濃度)は、都市と比較して有意に低くなったため(p<0.05)、森林のアメニティ機能が脳活動を沈静化させることが明らかになった。しかしながら、t-Hbの測定は近赤外線を用いるため、日当たりのよい場所など明るい環境では測定が困難であり、評価手法として課題が残った。

自律神経活動(心拍変動性:HRV)による森林のアメニティ評価手法では、長野県飯山市斑尾高原および対照としてJR長野駅周辺の都市市街地で千葉と同様の実験をおこなった。就寝時など人がリラックスしているときに高まる副交感神経活動を反映しているHF成分は、森林浴で有意に高くなった。一方、昼間時など人が活発に行動しているときに高まる交感神経活動を反映しているLF/(LF+HF)成分は有意に低下したため、森林のアメニティ機能がストレスを軽減させることが明らかになった。その他、交感神経活動を表す唾液アミラーゼ濃度や唾液免疫グロブリンA(IgA)を指標とした評価結果は、統計的な有意差が無いなど手法に課題が残った。したがって、自律神経活動(心拍変動性:HRV)による評価手法を、共通の生理評価手法として用いることとした。本章においても前章同様に、人工林・二次林・天然林に分けてアメニティ機能の生理評価を行った。

まず人工林のアメニティ機能については、島根県飯南町の県民の森のスギ人工林の森林浴歩道及び対照として島根県松江駅周辺の都市市街地で同様の実験を実施し、心拍変動性(HRV)による生理評価を行った。その結果、副交感神経活動を反映していると考えられるHRVのHFのパワー値が有意に高くなったことから、人工林で自律神経活動がリラックスすることが分かった。一方、交感神経活動の指標であるLF/(LF+HF)が有意に低下したことから、人工林でストレスが低減することが明らかになった。

また、二次林のアメニティ機能については、滋賀県高島市のコナラ等の二次林及び対照として滋賀県大津市の市街地で同様の実験を実施した。その結果、副交感神経活動は高まり、交感神経活動は森林浴で低下したため、二次林のアメニティ機能により自律神経活動がリラックスすることが分かった。

さらに天然林のアメニティ機能については、山形県小国町にあるブナ林の森林浴歩道及び対照として新潟市周辺の都市部で同様の実験を実施した。その結果、収縮期血圧および拡張期血圧が低下した。また、心拍変動性による自律神経活動については、都市に比べて副交感神経活動は高まり、交感神経活動は低下しており、ブナ天然林のアメニティ機能によりストレスを低減することが明らかになった。以上の結果、森林を人工林、二次林、天然林に分け、自律神経活動(心拍変動性:HRV)を共通の評価手法として森林のアメニティ機能を生理的に明らかにすることができた。

これらの結果を用い、森林のアメニティ機能を五感の総合的な刺激による癒し効果として捉え、森林セラピー基地やロードを中心とした全国各地域の森林整備に活かしていくことで、人々の心身の癒しや健康のため、および地域活性化に寄与することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、わが国の豊富な森林を人々の心身の健康に活用するうえで重要な森林のアメニティ機能について、実際のフィールドにおける人の心理的、生理的反応調査を通して検討したものである。本論では、森林のアメニティ機能を森林環境が五感を通して人を心理的また生理的に快適にする機能と定義し、森林のアメニティ機能に関わる施策や研究をレビューして、その評価や活用に関する動向および課題を明らかにするとともに、人の心理的および生理的な快適性を分析・評価する手法を検討し、人工林、二次林、天然林における反応の比較分析を通して森林のアメニティ機能を明らかにすることを目的としている。

まず序章において研究の目的、論文構成を示すとともに、第1章では明治期以降におけるわが国の森林のアメニティ機能に関わる施策の展開、そして第2章では関連する既往研究をレビューし、その動向と課題を明らかにしている。これまで森林のアメニティ機能に関する研究は、本論で示すような森林のアメニティ機能を五感への刺激として総合的に捉えフィールドにおいて評価した研究は少なく、各々の単独刺激の効果を室内実験で評価した研究が多いこと、また、人工林、二次林、天然林といった性格の異なる森林空間毎に評価を行った研究も少ないことを指摘している。そして施策でも、景観の保全や整備など視覚的側面が中心であり、人の五感を総合的に刺激することによる心身の健康やリラクゼーションのための施策展開には至っていないことを明らかにしている。

第3章では、森林のアメニティ機能を心理的に評価する手法として、重回帰分析を用いた手法やAHP法を用いた手法等について比較検討し、AHP法が集団意志決定によってアメニティ因子を抽出するため評価の妥当性が高いとしてAHP法を共通の手法として用い、人工林、二次林、天然林の心理的評価を比較考察している。

そして、人工林(京都北山、千葉山武)、二次林(埼玉北本、静岡沼津)、天然林(新潟秋山郷、尾瀬)での心理評価結果から、人工林では人工的整形美が機能を高める上で重要で個々の樹木の高さや太さが重要な評価因子となること、また二次林では涼しさや葉の触れあう音や静けさなど日常的な五感を快適にする環境要素の影響が大きくなるのに対し、天然林では樹木の集合体である森林の奥深さが重要であり非日常的な森の奥行きや自然度が重要な因子であることを明らかにしている。

これらの結果を踏まえ、森林のアメニティ機能を高めるには、人工林であれば人工的整形美を高めるための間伐などに加え、長伐期で樹木の壮大さを目指す森林管理が効果的であること、二次林では落葉広葉樹を主体にすることや活動し易さを担保する下枝や林床の管理、木漏れ日程度の本数管理などが、そして天然林では、利用施設の整備に際して自然性を損なわないことや奥行き感を体感できる配慮が効果的であると考察している。

第4章では、森林のアメニティ機能を生理的に評価する手法として、中枢神経活動(脳活動)による評価手法や自律神経活動(心拍変動性:HRV)による評価手法及び唾液アミラーゼによる評価手法、免疫系(唾液免疫グロブリンA:IgA)による評価手法について検討を行い、自律神経活動(心拍変動性:HRV)による評価が最も有効であるとし、本論文では自律神経活動(心拍変動性:HRV)による評価手法を、共通の生理評価手法として用いている。

そして、千葉県民の森、滋賀県くつきの森、山形県小国のブナ林等6ヶ所の森林において、人工林、二次林、天然林ごとに、座観および歩行活動における生理反応を都市域での同活動と比較しつつ調査している。その結果、人工林では交感神経及び副交感神経活動をリラックスさせること、また座観よりも森林歩行が交感神経活動を沈静化させる傾向があることを指摘している。一方、二次林では森林歩行において交感神経活動のストレス軽減が見られなかった点を指摘し、天然林では副交感神経活動について森林歩行より座観の方がリラックス効果が高まることも明らかにしている。

そしてこれらの結果から、人工林では森林歩行が有効であること、二次林や天然林では、森林歩行に加え、林内の休憩箇所等において座って森林を眺めたり、音や香りを楽しむなどの静的な活動が有効であると考察している。

以上、本論文は長期にわたって、また数多くのフィールドにおいて森林のアメニティ機能に関わる調査を実施し、その成果をとりまとめた労作である。そして、心理的側面と生理的側面の両者から森林での快適性を評価するとともに、性格の異なる人工林、二次林、天然林における調査結果を比較検討し、その共通性や差異についても明らかにすることに成功している。本研究で得られた知見は、森林のアメニティ機能はもちろん、自然環境と人の心理的、生理的反応との関係に関わる研究に資するとともに、森林の管理や整備など森林の取り扱に際しても有効であると考えられ、学問上応用上寄与するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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