学位論文要旨



No 217353
著者(漢字) 熊谷,和善
著者(英字)
著者(カナ) クマガイ,カズヨシ
標題(和) タンパク合成阻害剤cycloheximideによる肝傷害誘発機序
標題(洋)
報告番号 217353
報告番号 乙17353
学位授与日 2010.05.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17353号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 准教授 久和,茂
 東京大学 准教授 内田,和幸
 東京大学 准教授 大野,耕一
 日本生物科学研究所 研究2部次長 上塚,浩司
内容要旨 要旨を表示する

Streptomyces griseusが産生するcycloheximide(CHX)は、真核生物で翻訳過程のリボソーム転位を妨げることで、タンパク質の新規合成を阻害する。CHXは高用量を曝露したin vitro試験やげっ歯類を用いたin vivo試験で、肝細胞アポトーシスを誘発するとされるが、その詳細な機序は未だ明らかではない。さらに、in vivo試験では、CHXによる肝細胞ネクローシスは認められないとされている。しかし、CHXを含めた肝傷害物質を投与した場合、アポトーシスとネクローシスが共通の機序を介して同時に誘導されることも多い。

本研究では、CHXによる肝細胞アポトーシスの機序を解明するため、病理学的および分子生物学的に検索を行った。さらに、その過程でCHXによる肝細胞ネクローシスの誘発を認めたが、本病態におけるKupffer細胞およびサイトカインの関係が明らかでないことから、両者の関与についても検索した。本論文は、1)CHXによる肝細胞アポトーシス誘発機序の検討、2)CHX誘発肝傷害とKupffer細胞との関係、3)CHX誘発肝傷害と抗炎症性サイトカインとの関係、の3項目から構成される。

1)CHXによる肝細胞アポトーシス誘発機序

CHX投与ラット肝臓の病理組織学的変化および遺伝子発現変化を解析するため、雄F344ラットにCHX 6mg/kgを尾静脈内投与し、投与後1、2、6時間に肝臓を採取した。CHX群では投与後1時間から対照群に比べTUNEL陽性肝細胞数が増加し、投与後2時間にピークに達した。マイクロアレイ解析の結果、転写因子CHOP、ATF3、C/EBP βのmRNAレベルが投与後1時間から有意に増加し、投与後2時間にピークに達した。さらに、定量的RT-PCRの結果から、ATF4 mRNA量の増加も確認された。CHOPはアポトーシスの誘発に関与すること、ATF3、ATF4およびC/EBP βはCHOP介在性アポトーシス経路に含まれることから、CHXによる肝細胞アポトーシスにはCHOP経路が関係すると推察された。CHOPは小胞体ストレス、酸化ストレスによるDNA傷害、アミノ酸欠乏などにより誘導される。とくに、小胞体ストレスではUPR経路が活性化され、通常、小胞体シャペロンGRP78/Bipが発現上昇する。しかし、今回の遺伝子発現解析では、GRP78/Bip発現は対照群と比べて、いずれの時間でも有意な差を認めなかった。次いで、肝細胞アポトーシス誘発機序をより詳細に検討するため、CHX投与ラット肝臓におけるタンパク質の発現変化を検索した。上述の実験と同一の投与を行い、肝臓を採取した。酸化ストレスの影響を検索するため、GSHおよびGSSG量を測定した結果、いずれの時間でも対照群と比べ有意な差を認めず、CHX投与によるCHOP誘導は酸化ストレスに起因しないことが示された。二次元ディファレンス電気泳動とMALDI-TOF-MS解析では、GRP78/Bipは異なる等電点を示す2つのスポットとして観察された。CHX投与群では投与後1時間から6時間まで、酸性フォームのGRP78/Bipが対照群と比べ有意に増加したことから、GRP78/BipがCHX投与により不活性化されることが示された。すなわち、CHX投与ラットの肝臓ではUPR経路は活性化されないと推察され、このCHOP発現時のタンパク質発現パターンはアミノ酸欠乏時のパターンに類似すると考えられた。アミノ酸欠乏時のCHOPによるアポトーシス誘発は知られていない。今回、定量的RT-PCRでCHX投与後、継続したAkt/PKB mRNAの有意な減少と、ELISA法で投与後1時間にリン酸化Akt/PKBの有意な減少を認めた。Akt/PKBはCHOPによるアポトーシスを抑制することから、CHXによるAkt/PKB阻害が肝細胞アポトーシスに関係すると推察した。

以上の結果から、CHXはラット肝臓において、酸化ストレスやUPR経路ではなく、アミノ酸欠乏時と類似する経路によってCHOPを誘導すると推察された。さらに、CHXによるAkt/PKB活性の阻害がCHOPによる肝細胞アポトーシス誘導を増強すると考えられた。

2)CHX誘発肝傷害とKupffer細胞との関係

第1章の検索過程で、CHX投与後2時間から血清ALTおよびAST活性の上昇を認め、投与後6時間には肝細胞アポトーシスに加え、少数の好中球浸潤を伴う肝細胞ネクローシスを認めた。そこで、TUNEL染色とKupffer細胞マーカーであるED1およびED2による免疫染色を行った。その結果、肝細胞アポトーシス誘発のピーク時に、Kupffer細胞が多数のアポトーシス肝細胞を貪食していることが示された。また、これと一致して、IL-1β、TNF-α、ケモカインMIP-1α、MIP-1β、MIP-2、接着分子E-selectinのmRNAレベルの増加を認めた。このことから、Kupffer細胞はCHXにより誘発されたアポトーシス肝細胞を貪食することで活性化し、肝細胞ネクローシスを増悪している可能性が示された。

そこで、Kupffer細胞不活性化剤であるgadolinium chloride(GdCl3)を用いて、CHXによる肝臓の壊死性変化とKupffer細胞の関係について検討した。雄F344ラットに生理食塩水またはCHX 6mg/kgを尾静脈内投与した群、GdCl3 10mg/kg尾静脈内投与後24時間に生理食塩水またはCHX 6mg/kgを投与した群の4群を設けた(それぞれSaline群、CHX群、GdCl3/saline群、GdCl3/CHX群)。CHX投与後1、2、6時間に剖検し、各種検索を行った。その結果、GdCl3/CHX群ではCHX群と比べ、CHX投与後6時間に血清ALTおよびAST活性の有意な増加と肝細胞ネクローシスの増悪を認めた。また、GdCl3/CHX群ではCHX群と比べ、ED1陽性細胞は半数程度、ED2陽性細胞は90%程度減少した。マイクロアレイ解析では、CHX投与後2時間にCHX群でIL-10、Stat3 mRNAの有意な発現増加を認めたが、GdCl3/CHX群ではこれを認めなかった。これに対し、CHX群では認めなかったCcl20、LOX-1、E-selectin mRNAの有意な発現増加をGdCl3/CHX群で認めた。

以上より、GdCl3によるKupffer細胞不活性化は抗炎症性サイトカインであるIL-10の産生を減少させることで、TNFシグナル経路などの炎症経路を増強し、CHXによる肝細胞ネクローシスを増悪させると推察された。このことから、CHX投与ラット肝臓ではKupffer細胞は肝細胞ネクローシスに対して、むしろ保護的であると考えられた。

3)CHX誘発肝傷害と抗炎症性サイトカインとの関係

抗IL-10抗体(IL-10Ab)によるIL-10の直接阻害が、CHX誘発肝傷害を増悪するか検討した。雄F344ラットにIL-10AbまたはヤギIgGをそれぞれ50μg尾静脈内投与した後、CHXを3または6mg/kg尾静脈内投与し(IL-10Ab/CHX群、CHX群)、投与後2または6時間に肝臓を採取した。定量的RT-PCRおよび血清サイトカイン測定の結果、CHX群では肝臓のIL-10 mRNA発現および血清IL-10濃度が増加したが、IL-10Ab/CHX群ではその増加が抑制された。一方、IL-10Ab/CHX群では肝臓のTNF-α、IL-6 mRNA発現、血清TNF-α、IL-1β、IL-6濃度がCHX群に対して有意に増加した。さらに、IL-10Ab/CHX群ではCHX群と比べ、CHX投与後2時間にTUNEL陽性肝細胞数、肝臓のcaspase 8、9、3/7活性の有意な増加を、6時間には血清ALTおよびAST活性の有意な増加と肝細胞ネクローシスの増悪をそれぞれ認めた。加えて、定量的RT-PCRの結果、IL-10Ab/CHX群ではCHX群に比べ、Ccl20、LOX-1、E-selectin mRNA発現も有意に増加した。抗ミエロペルオキシターゼ抗体を用いた免疫染色の結果、IL-10Ab/CHX群の肝臓でCHX群と比べて、好中球浸潤の程度が増強した。

以上より、CHX誘発肝傷害の増悪には、IL-10の阻害による炎症性サイトカインの作用増強が関係することが改めて確認され、CHX誘発肝傷害に対するIL-10の保護作用の重要性が示唆された。

本研究により、CHXによる肝細胞アポトーシスにはCHOP経路の活性化が関係し、アミノ酸欠乏時に類似した経路を経ること、さらにAkt/PKBの不活性化が関与することが示された。さらにKupffer細胞は抗炎症性サイトカインを放出することでCHX誘発肝傷害に対し保護的に作用すること、およびIL-10もこの肝傷害に対して保護作用を有することが明らかとなった。これらの研究成果は、毒性物質により誘発される肝細胞アポトーシスおよびネクローシスの機序を解明する上で、有用な基礎的知見を提供するものである。

審査要旨 要旨を表示する

Streptomyces griseusが産生するcycloheximide(CHX)は、真核生物で翻訳過程のリボソーム転位を妨げることで、タンパク質の新規合成を阻害する。高用量のCHXは肝細胞アポトーシスを誘発するとされるが、アポトーシスとネクローシスが共通の機序を介して同時に誘導されるという報告も多い。本研究では、CHXによる肝細胞アポトーシスおよびネクローシスの機序を解明するため、病理学的および分子生物学的に検索を行った。また、本病態におけるKupffer細胞およびサイトカインの関与についても検索した。

雄F344ラットにCHX 6mg/kgを尾静脈内投与し、投与後1、2、6時間に肝臓を採取した。CHX群では投与後1時間から対照群に比べTUNEL陽性肝細胞数が増加し、投与後2時間にピークに達した。マイクロアレイ解析の結果、転写因子CHOP、ATF3、C/EBP βのmRNAレベルが投与後1時間から有意に増加し、投与後2時間にピークに達した。さらに、定量的RT-PCRの結果から、ATF4 mRNA量の増加も確認された。GRP78/Bip発現は対照群と比べて、いずれの時間でも有意な差を認めなかった。次いで、CHX投与ラット肝臓における酸化ストレスの影響を検索するため、GSHおよびGSSG量を測定した結果、いずれの時間でも対照群と比べ有意な差を認めなかった。タンパク質の発現を調べるため二次元ディファレンス電気泳動とMALDI-TOF-MSを行ったところ、CHX投与群では投与後1時間から6時間まで、酸性フォームのGRP78/Bipが対照群と比べ有意に増加した。また、定量的RT-PCRでCHX投与後のAkt/PKB mRNAの有意な減少、ELISA法では投与後1時間にリン酸化Akt/PKBの有意な減少も認めた。以上の結果から、CHXはラット肝臓において、酸化ストレスやUPR経路ではなく、アミノ酸欠乏時と類似する経路によってCHOPを誘導すると推察された。さらに、CHXによるAkt/PKB活性の阻害がCHOPによる肝細胞アポトーシス誘導を増強すると考えられた。

次に、肝細胞アポトーシスとネクローシス誘導過程におけるKupffer細胞の関与を検索した。雄F344ラットに生理食塩水またはCHX 6mg/kgを尾静脈内投与した群、マクロファージ阻害剤GdCl3 10mg/kg尾静脈内投与後24時間に生理食塩水またはCHX 6mg/kgを投与した群の4群を設け(それぞれSaline群、CHX群、GdCl3/saline群、GdCl3/CHX群)、CHX投与後1、2、6時間に剖検し、各種検索を行った。その結果、GdCl3/CHX群ではCHX群と比べ、CHX投与後6時間に血清ALTおよびAST活性の有意な増加と肝細胞ネクローシスの増悪を認めた。また、GdCl3/CHX群ではCHX群と比べ、ED1陽性細胞は半数程度、ED2陽性細胞は90%程度減少した。マイクロアレイ解析では、CHX投与後2時間にCHX群でIL-10、Stat3 mRNAの有意な発現増加を認めたが、GdCl3/CHX群ではこれを認めなかった。これに対し、CHX群では認めなかったCcl20、LOX-1、E-selectin mRNAの有意な発現増加をGdCl3/CHX群で認めた。以上の結果から、Kupffer細胞不活性化はIL-10の産生を減少、TNFシグナル経路などの炎症経路を増強し、肝細胞ネクローシスを増悪させると推察された。このことから、CHX投与ラット肝臓ではKupffer細胞は肝細胞ネクローシスに対して、むしろ保護的であると考えられた。

最後にCHXによる肝細胞アポトーシスとネクローシスにおけるIL-10の関与を調べた。雄F344ラットに抗IL-10抗体(IL-10Ab)を50μg尾静脈内投与した後、CHXを尾静脈内投与し、投与後2または6時間に肝臓を採取した。定量的RT-PCRおよび血清サイトカイン測定の結果、CHX群では肝臓のIL-10 mRNA発現および血清IL-10濃度が増加したが、CHXに加えてIL-10Abを投与した群ではその増加が抑制された。一方、IL-10Ab/CHX群では肝臓のTNF-α、IL-6 mRNA発現、血清TNF-α、IL-1β、IL-6濃度がCHX群に対して有意に増加した。さらに、IL-10Ab/CHX群ではCHX群と比べ、CHX投与後2時間にTUNEL陽性肝細胞数、肝臓のcaspase 8、9、3/7活性の有意な増加を、6時間には血清ALTおよびAST活性の有意な増加と肝細胞ネクローシスの増悪をそれぞれ認めた。加えて、定量的RT-PCRの結果、IL-10Ab/CHX群ではCHX群に比べ、Ccl20、LOX-1、E-selectin mRNA発現も有意に増加した。さらに、IL-10Ab/CHX群の肝臓でCHX群と比べて、好中球浸潤の程度が増強した。以上の結果から、CHX誘発肝傷害の増悪には、IL-10の阻害による炎症性サイトカインの作用増強が関係することが確認され、CHX誘発肝傷害に対するIL-10の保護作用の重要性が示唆された。

本研究により、CHXによる肝細胞アポトーシスにはCHOP経路の活性化が関係し、アミノ酸欠乏時に類似した経路を経ること、さらにAkt/PKBの不活性化が関与することが示された。さらにKupffer細胞は抗炎症性サイトカインを放出することでCHX誘発肝傷害に対し保護的に作用すること、およびIL-10もこの肝傷害に対して保護作用を有することが明らかとなった。これらの研究成果は、毒性物質により誘発される肝細胞アポトーシスおよびネクローシスの機序を解明する上で極めて有用な基礎的知見を提供するものであり、毒性病理学研究の発展に寄与することが大きい。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位を授与するに値するものと認めた。

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