学位論文要旨



No 217361
著者(漢字) 鈴木,順子
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ジュンコ
標題(和) シモーヌ・ヴェイユ晩年における犠牲の観念をめぐって
標題(洋)
報告番号 217361
報告番号 乙17361
学位授与日 2010.05.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17361号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,啓二
 東京大学 教授 増田,一夫
 東京大学 准教授 長谷川,まゆ帆
 聖心女子大学 教授 冨原,眞弓
 自由学園 教師 大貫,隆
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、20世紀のフランス人女性思想家シモーヌ・ヴェイユの思想・生涯の全体像を、彼女の「犠牲」の観念を中心に、描き出すことを目的としたものである。また、ヴェイユ研究史上これまで取り組みが手薄であった、以下の3点に、特に留意している。すなわち、1)ヴェイユの哲学者、活動家、神秘家など様々な側面を有機的に関連づけ総合し、彼女の行動と思想の全体像を描くこと、2)これまで看過されていたテクストを積極的に扱い、ヴェイユの全体像の中でそれらを新たに位置づけすること、3)ともするとヴェイユの生涯の統一性を示そうとするあまりこれまで見失いがちになっていたヴェイユの神秘体験の意義を、改めて大きな視野において考え直すこと、である。

さらに本論の最大の特徴は、「犠牲」の観念を中心軸にして、彼女の思想・生涯を包括的に捉えた点にある。なぜなら、この観念はこれまであまり研究者によって注目されてこなかったが、しかしヴェイユの生涯において一貫して現れ続け、また宗教、政治、哲学、諸宗教研究など彼女がかかわったほぼすべての分野における著述で用いられ、そして30年代後半を境にその意味内容が変化した観念だったからである。この観念こそ、上述の3つの試みの手がかりになるものであり、また彼女の生涯における行動・思想を貫く内的動機と深い関係をもつものと言うべき観念に他ならないのである。

第1章 犠牲観念の誕生とヴェイユ晩年のキリスト論、神論

1933-43年という10年の間に、彼女の「犠牲」という用語の用い方の変化、意味内容・使用文脈の拡大が起きたが、その理由は何だったのだろうか。特に晩年(1940-43年)に彼女が「犠牲」の観念に没入したのは何故であろうか。

1930年代ヴェイユは、反戦運動、労働運動に積極的に関与したが、しかしそれらはほとんどすべて挫折に終わり、彼女は疲労や絶望感の中で3回に亘って(1935、37、38年)カトリックと神秘的接触を得た。その後「犠牲」観念に変化が生じていることから、この体験が晩年の「犠牲」の観念の中心になったことが推測される。だが、実際には彼女は神秘体験後、他宗教・他文化における多数の「犠牲になる神」を十字架上のキリストと比較検討し、それらを同価値のものとして認めるに至っていた。この模索の過程を通じて、彼女の晩年の新しい「犠牲」観念が決定的に生成したのである。

第2章 ヴェイユ晩年の諸宗教研究・普遍宗教論における犠牲の観念

それでは神秘体験後のヴェイユのその諸宗教研究における「犠牲」観念の追求とは具体的にいかなるものだったか。ヴェイユが最終的に、「犠牲」観念を中心とする普遍的な宗教性の解明を目ざすに至る道筋をたどる。

神秘体験後ヴェイユは「犠牲」の観念を中心に、聖書と同時並行的に多数の宗教聖典を読み漁った。その結果、ノア、オシリス、ディオニュソス、プロメテウスらは、キリストと同様に人々の救済のため生命を「犠牲」にした存在であり、彼ら無垢な「贖い主」が進んで自らを捧げることで人類が救われると、ヴェイユはみなすようになる。

ヴェイユのこうした、贖い主による「犠牲」と人類の救済というテーマを中心に据えた諸宗教研究は、文化人類学、比較宗教学、神話学などの19世紀以降成立した新しい学問の影響を受けている。中でも、彼女はフレイザー『金枝篇』から多大な影響を受け、進化論的な発想を完全に排除しつつも彼の試みを徹底化しようとしていた。そして、世界各地や様々な時代の、宗教的逸話・聖典・民話などを集め比較検討する中で、それらの中心には共通して贖罪の「犠牲」とそれが産み出す普遍的な聖性がある、とヴェイユは理解するに至る。彼女は、キリストの「犠牲」の核心に触れる体験を機に、他の諸宗教へ開かれてゆき、それらに共通する普遍的な「犠牲」像とは何かを追求したのだった。最終的にヴェイユは、真の「犠牲」が聖性を生む、と言う。彼女によれば、真正な宗教には共通してそのような「犠牲」と聖性が必ず存在し、その普遍的宗教性を示すことは可能かつ必要ということだった。

ヴェイユのこうした普遍宗教概念には、現代の多元主義的宗教哲学のさきがけと思われる部分が多々ある。しかし、他方、キリストの犠牲をすべての中心におく包括主義的な側面もみられ、それがヴェイユの宗教観のもう一つの特徴であることは見逃せない。

第3章 ヴェイユ晩年の政治・社会論における犠牲の観念

このヴェイユの「犠牲」に基づく普遍的宗教性の概念が、最終的には現実の社会の根底に置かれるべきものとして、すなわち全ての人間的関係性の根源を支えるべきものとして提示されるに至ること、そしてそれが具体的には権利に代わる義務の観念として理論化されていった過程を見る。

ヴェイユは、キリスト体験や神父らとの交わりを経ても、カトリック教会に属することで生じる党派精神に対する嫌悪から、洗礼を受けないという意志を持ち続けた。この宗教の分野における党派精神批判は、彼女においては政治の分野における全体主義批判とまったく同じ根拠からなされている。すなわち、政治、宗教を問わず、党派精神による偶像崇拝は常に起こり得、その偶像崇拝を生じさせるのは、偽の「犠牲」である、とヴェイユは言うのである。それは、ファシズム国家においてみられる滅私奉公的「犠牲」に他ならず、こうした「犠牲」が人々の心を動かす力は圧倒的で、これによって生じる偶像崇拝熱に対抗するのは、人権思想に基盤を置く民主主義によっては非常に難しいとヴェイユは考えた。

そこでヴェイユは、それに唯一対抗しうるのは、真の「犠牲」以外にはないとする。無垢な存在が善への愛に基づいて全存在をかけて「犠牲」となることを承認するとき、聖性が生じ、人々の心を呼び覚ます。それは、人が他者とともにいるとき感じざるを得ない負債の感覚であり、最終的には「愛の狂気」としか呼びようのない、他者に対する義務の意識になる。このことは特に彼女の「最前線看護婦部隊派遣計画」に特に明確に表現されている。このような真の「犠牲」に基づかない限り、全体主義を根底から乗り越えることや新しい社会を再建することなどはできないというのが、ヴェイユの認識だった。

ところでヴェイユは、なぜ、全体主義に抗するものとして、民主主義の建て直しを目指さなかったのだろうか。彼女によれば、民主主義は権利観念に基礎を置くもので、その権利とはすなわち力であり、力の尊重・崇拝はヒトラーの目指したものと根源的に同一だからということである。ヴェイユは、民主主義の限界を乗り越え文明の歴史的危機を救うためには犠牲に基づく普遍的宗教性が必要性であると訴え、それが最終的に権利批判から義務重視の主張となったのだった。このように、「犠牲」観念を中心とする宗教性が政治の分野にもちこまれて「義務」の思想となり、それらを含んだ彼女の文明論は、当然のことながら、政治と宗教の境界を越境し、最終的には分野そのものを破壊するような大胆さを見せるに至る。最終的にヴェイユの権利概念批判・民主主義批判は、「義務」観念に基づく社会の提唱につながったのだった。

結論

ヴェイユ自身の生き方を見ると、それはまさに思想と一体化した、すなわち自らに「犠牲」行為を要請した生の軌跡であった。それは、ユダヤ系や女性という属性をもちながらも、もしそれらを引き受けることで自分が少しでも有利になると判断するや否や、徹底的にその引き受けを拒絶しつづけたことからも伺える、ヴェイユの基本的な生きる姿勢に他ならなかった。

ヴェイユが、両大戦間-第二次大戦という困難な時代を、社会正義を抱いて誠実に生きようとしたことは疑い得ない。彼女の思想は、他者を踏み台にして現世的な力を信奉する同時代への、また党派精神の権化ともいえる全体主義の伸張を許した自らの社会への、痛烈な批判であり身を挺して鳴らす警鐘だった。彼女の生涯を貫いているのは「他者を生かすため」の思想の模索であり、それを徹底的に知的に考えぬき、さらに行動に移すことを厭わない生き方ただそれのみである。彼女の「他者を生かす」という内的動機、これこそが彼女の人生に一貫している情熱であり生きる姿勢に他ならない。その「他者を生かす」という唯一の動機のゆえに、彼女の政治参加も、神秘体験も、また犠牲の思想の誕生も、また犠牲の行為の実践もあり得たのだった。そうした彼女の前には、最終的に、政治・宗教という近代以降の便宜的な分け方が無意味となるのも当然だった。

では、ヴェイユにとって「他者」とは誰だったか。それは、十字架上のキリスト、奴隷、労働者、障害者などの「弱きもの」に他ならなかった。フランスという国についても、彼女は「栄光のフランス」は唾棄すべきものとしたが、滅び行く弱きフランスは自らを犠牲にしてでも救おうとした。

時に、彼女のキリスト体験をめぐる発言を重視するあまりキリスト教の内部にヴェイユがいると考えたり、また彼女のフランスへの愛国心に関する発言から、フランスの内部にヴェイユがいると考えたりする過ちをわれわれは犯しがちであるが、そうした理解はヴェイユの言葉の意味を読み誤っているに他ならない。ヴェイユはキリスト教にも、またフランスにも属さず、常にそれらの「外部に」存在し続け、この世の集団の全ての外部から、最も「弱いもの」(十字架上のイエスや奴隷たち、また滅び行く一国としてのフランス)にのみ心を寄せそれらを生かそうとしていることを、われわれは見なければならない。ヴェイユにとっては、弱きものこそが他者であり、その他者を生かすために、彼女は常に外部に立ち続けているのであった。

以上のとおり、ヴェイユの晩年には、政治・宗教をすべてカバーする思想が成熟し、その基盤に、「犠牲」という観念が置かれた。このことにより、彼女の全生涯にわたって試みられた「他者を生かすため」の思想構築は、この晩年において最も高みに昇ったといえるだろう。しかし、それは彼女自身が「愛の狂気」と呼ぶ以外ないものに至らざるを得なかった。そこには彼女の純粋で激しい「他者を生かしたい」という情熱と、あまりにも厳しい時代状況との、悲劇的かつ運命的な組み合わせがあったと言わざるを得ないだろう。

審査要旨 要旨を表示する

鈴木順子さんの博士学位請求論文『シモーヌ・ヴェイユ晩年における犠牲の観念をめぐって』は、20世紀フランスの思想家シモーヌ・ヴェイユ(1909-1943)の晩年の著作に度々あらわれる「犠牲」の観念の意義を、とりわけ共同体論的観点から論じた本格的論考である。以下にまず本論文の内容を述べる。

本論は序章、1~3章、結章から構成される。

序章ではこれまでのヴェイユ受容及びヴェイユ研究の流れを概観した上で、本論文の研究史的位置づけがなされる。筆者はヴェイユ受容史、ヴェイユ研究史を、1950年代、1960年代、1970代以降の3つの区分に従って叙述する。筆者に従えば、1950年代は『重力と恩寵』(1947)と、『神をまちのぞむ』(1950)の二著(タイトルはいずれもヴェイユ自身によるものではない)によってキリスト教神秘家としてのヴェイユという印象が広まった時期であり、つづく1960年代は、『根をもつこと』『労働の条件』『抑圧と自由』『歴史的・政治的著作集』(『根をもつこと』だけがヴェイユによるタイトルである)といった著作によって労働組合活動家としてのヴェイユ像に関心が集まった時期、そして1970年代以降は、哲学者ヴェイユという側面が注目され、同時に、以上の様々なヴェイユ像を総合的に語ろうとする試みが多く見られるようになった時期であった。

筆者は自らの論文を、このヴェイユ受容史第三期の延長上に位置づけ、論文の目的を、筆者なりのヴェイユの全体像を、「犠牲」という観念を軸に提示することにあると述べる。その際、筆者は、1)総合的ヴェイユ像の提示、2)ヴェイユの著作中、これまではあまり注目されてこなかったテクストに対する注目、3)以上のような新たな視野のもとでのヴェイユの神秘体験の再評価、という3点を本論文の具体的課題として定める。以下1~3章で、これら3つの課題に即しながら、晩年のヴェイユにおける犠牲の観念の詳細が論じられる。

「犠牲観念の誕生とヴェイユ晩年のキリスト論・神論」と題された第1章では、まず、ヴェイユ晩年における独自の犠牲の観念が、1)1934年12月から1935年8月までの工場労働の体験、2)全体主義に対する絶対平和主義の無力の確認、3)1935年以来ヴェイユが3回にわたって経験したというキリストとの神秘的接触、の3つの原因によって生じたことが示される。ついで、この、いわゆる神秘的体験のあと、ヴェイユが精力的に行った聖書読解が、イエスによる犠牲を極端に重視し、逆にその復活に対しては懐疑的な、独特の性格をもったものであったことが語られる。この独特の聖書観ゆえに、ヴェイユは洗礼を受けるに至らず、生涯、教会の外にとどまることになる。

「ヴェイユ晩年の諸宗教研究・普遍宗教論における犠牲の観念」と題された第2章では、ヴェイユにおいて、犠牲の観念をめぐる関心が、単に十字架上のイエスという形象にとどまらず、エジプト神話、ギリシャ神話、世界各地の民話・伝承等の中で語られる様々な犠牲の形象にまで広がっていった様子が叙述される。具体的には、ヴェイユは、その死骸を八つ裂きにされてナイル河に流されたとされる、エジプト神オシリスや、同様に八つ裂きにされて貪り食われたとされる、ギリシャ神ザグレウス・ディオニュソス、さらには、フレイザーの『金枝篇』で取り上げられる、アッティス、オーディンなど、きわめて多様な神話的形象の中に、キリストの犠牲の姿を見出したというのである。また、こうした諸宗教への関心という文脈の中で、ヴェイユが鈴木大拙の著作を通じて禅仏教にも興味を持っていたことが指摘される。

この章では最後に、こうしたヴェイユにおける諸宗教への関心が、多宗教の共存を容認する「多元宗教的」なものであるか、あるいは、他の諸宗教をあくまでもキリスト教的価値を基準としてとらえようとする、「包括主義的」なものであるかが議論され、結論として、ヴェイユの立場は、前者の性格を一定程度有しながらも、全体とすると、後者に近かったことが示される。

「ヴェイユ晩年の政治・社会論における犠牲の観念」と題された第3章では、ヴェイユの犠牲論のもつ共同体論的射程が主に論じられる。そこでは、これまであまり注目されることがなかった、ヴェイユ晩年のいくつかのテクストを中心に、犠牲や義務を核とするヴェイユ独自の共同体論が詳述される。要約すれば、それは、権利・人権・民主主義的自由を中核とする近代的共同体論の対極としての、犠牲・義務・正義への服従を基本とする共同体の構想である。

筆者はまた、1940年以来、ヴェイユがナチスドイツのSS(親衛隊)に対抗する目的で「最前線看護婦部隊」なるものを編成し、彼女たちを最も危険な戦闘の最前線に派遣する計画を練り上げていたことに触れている。ヴェイユは、SSの英雄的自己犠牲行為が、強い国家の建設にむけて国民の内に強固な紐帯を生み出す疑似宗教的行為にすぎないのに対し、「最前線看護婦部隊」の無防備で非攻撃的な犠牲行為は、弱き祖国への愛国心を惹起せしめる、真の宗教的行為であると考えていたようである。

このように、晩年のヴェイユは、とりわけ、ナチズムに対抗する社会理念としての、自由主義、人権思想、民主主義の限界を感じ、犠牲や義務、社会的ヒエラルヒーなどに基づく新たな社会的紐帯の形を模索した、と筆者は指摘する。それは一見、当時の右翼思想とも少なからぬ類似点を有する共同体論であったが、強さや栄光への志向の有無によって両者は明瞭に区別されるというのが筆者の立場である。

結章では、以上の議論全体が振り返られた上で、あらゆる党派性から距離をとり、教会に対しても、祖国フランスに対しても、最終的に、外部にとどまろうとしたヴェイユの姿が提示される。あらゆる集団の外部にとどまり続けながら、自らの犠牲によって弱き他者たちを生かそうとしたのがヴェイユの思想であった、というが筆者の結論である。

以上が本論文の内容である。

本論文の特筆すべき長所は、以下の三点である。

第一は、ヴェイユにおける「犠牲」という観念への着目である。この観念を中心に据えることで、ひとつの新しいヴェイユ像を提示することができた。また、伝統的キリスト教教義からは逸脱する、ヴェイユ独特の犠牲論がこの論文を通じて明瞭に示されたと言える。

第二は、ヴェイユにおけるキリスト教以外の諸宗教への関心を積極的にとりあげた点である。この領域の研究はいまだ十分になされているとはいえず、この困難な領域にあえて踏み込んだ積極性を高く評価したい。今後、鈴木大拙からの影響など、この領域における、筆者の更なる研究の成果を期待したい。

第三は、ヴェイユの思想が「犠牲」という観念に結晶していく過程を、あくまでも彼女が生きた時代状況に即して語った点である。このことによって、ヴェイユの思想の生成を、矛盾と葛藤に満ちた、生きられた経験の水準でとらえることが可能となった。こうしたヴェイユにおける思想と現実との深いつながりは、現代世界が直面する様々な問題を考える上で、たえず貴重な視座を提供しうるものである。

以上が本論文の長所であるが、審査員からはいくつかの問題点も指摘された。以下審査会で指摘された主たる問題点を列挙する。

1)本論文では、「全体主義」という語が何度も用いられるが、この語の厳密な定義がなされていない。共同体論としてのヴェイユの「犠牲」論を語る上で、きわめて重要な概念であるだけに、その規定をより明確に行う必要があった。

2)注のつけ方が時として杜撰であった。論文を読んだ者が引用された原典にあたれるよう、出典を必ず明記する必要がある。

3)「犠牲」の観念をめぐって、ルネ・ジラールの著作『暴力と聖なるもの』への言及があったが、犠牲と共同体の関係というこの論文のテーマからすれば、同じ著者の別の著書、『世の初めから隠されていること』への言及がなされるべきであった。

4)いくつかのヴェイユが用いたキーワードについては原語による表記を併せて示しておくべきだった。例えばヴェイユにおける「力」の観念を問題にする場合、それがforceであるのか、pouvoir, puissanceであるのかによって、意味は大きく異なるはずである。

5)結章で論じられる「他者を生かす」というヴェイユの姿勢について、より緻密な記述を行う必要があった。

以上が審査会で指摘されたこの論文の主たる問題点であるが、これらの問題点は、全体としてのこの論文の価値を大きく損なうものではない。シモーヌ・ヴェイユという思想家の全体像を、「犠牲」という観点から説得的に提示した、この論文の価値は大きい。また難しい主題を平明な文体でわかりやすく論述していることも、高く評価できる点である。

以上の理由から、本審査委員会は、全員一致で、本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定した。

UTokyo Repositoryリンク