学位論文要旨



No 217362
著者(漢字) 中野,恭子
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,キョウコ
標題(和) 開発初期の工学高等人材育成と産業育成における技術移転・技術進歩 : 開発支援の視点から
標題(洋)
報告番号 217362
報告番号 乙17362
学位授与日 2010.05.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17362号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中西,徹
 東京大学 教授 松原,隆一郎
 東京大学 教授 柳田,辰雄
 東京大学 准教授 有田,伸
 放送大学 教授 木,保興
内容要旨 要旨を表示する

序論

開発初期の国々における高等教育分野の開発支援は、収入で測る社会的収益率が低いとする世界銀行の計量的な研究に依拠し[World Bank 1980, 46-53]、一般に不要であるとされている。世銀は「高等教育はいつ必要か」を課題として認識したが、その答えはまだない。

本研究はこれを背景とし、工学高等人材を工学的な技術移転の社会的受容能力として位置づけ、その早期育成が技術移転を通じて産業育成に果たす役割を明らかにすることを目的として行われた。その結果、輸出指向の産業育成には技術移転が必要であることが確認され、長期的な成長を実現した日本の明治期および韓国において、早期に育成された工学高等人材が初期産業育成の現場で技術移転と技術進歩に寄与したプロセスが明らかにされ、異なるプロセスを経たアジアの国との比較から、産業育成以前の工学高等人材育成が技術移転と技術開発に資する可能性が示された。さらに、頭脳の海外流出というコストも前提したうえで、開発支援の視点から、公正な高等教育へのアクセスおよび技術移転での活用により格差助長のリスクを低くする可能性も考察された。

1. 技術移転と社会の受容能力

後発国が技術移転による成長を遂げるためには、技術者が先進技術を理解・習得した上で適正化・利用・伝播するだけでなく、自立的で継続的な技術進歩を牽引しなければならない。「先進的技術を受容する能力(the capacity to assimilate an advanced technology)」は技術移転における社会的受容能力であり、その要素として人的資源は不可欠である [南 1990, 99-100]。本研究が対象とする工学的技術の分野では、科学技術のよってたつ学問的体系の理解と論理性を身につけた人材がなくてはならない。

2. 産業育成と技術移転

1991年版世界開発報告は、国内外の競争を課して技術変化へのインセンティブを確保する介入的な政策が急成長を促しうることを認めており[World Bank 1991, 99-101]、特定産業への産業政策は技術変化を推進する優れた機能を発揮しうる[Chang 1994, 55-90]。介入の成否はプロセスと初期条件によるが、好ましい条件は制度改革等の努力によって獲得されるというChangの考えに従えば、どの後発国も技術変化を中心にすえる産業育成を目指すことができる。そこで、「産業育成に欠かせない技術移転の社会の受容能力の1つとしての工学高等人材が、先進技術の円滑な導入と定着さらには独自技術の開発を通じて、産業育成に寄与する」という仮説が設定される。

3. 産業育成と技術移転の事例-明治期日本とアジア

明治維新後の日本政府は財政難の中、初期の殖産興業政策では大量の外国人技術者を導入して官営工場による在来産業の近代化および移植型産業育成を進め、やがて官業払下げと特権的な民業保護を行った。そこでは、輸入防遏と輸出競争力獲得を目指す国内産業の技術水準の上昇が一貫した主題であり、企業勃興期の鉄道業・紡績業の発展は、官営工業を中心とする殖産興業政策が残した技術力と投資環境整備に多くを負っていた。

韓国は民政化前の1961年に輸出振興による経済成長を目指して工業化に着手した。技術蓄積不足を克服するための技術導入とそのインセンティブ付けは、初期の有望産業分野振興から1980年代後半からの競争的な研究開発支援へと手法を変えつつも、一貫して取り組まれた主題であった。これに対し、インドネシアでは強力な産業育成が行われたものの、国内産業が外国製品との競争から手厚く保護される傾向にあり、政府による技術導入のインセンティブ付けは効果的でなかった。フィリピンでは、輸出指向工業化とその産業育成政策は1980年代まで整合性を欠き、産業育成は関税を通じた保護に傾いていたため、技術導入政策は実効的でなかった。

輸出振興産業育成政策をとった4カ国のうち、韓国と日本では独自技術開発の能力が獲得され研究開発費や内国人特許数の増加があったが、インドネシアとフィリピンではそうなっておらず、技術移転と引き続く技術開発のプロセスに大きな差があったことが推察される。

4 工学高等人材育成と技術移転への寄与-明治期日本

(1) 明治期の工学高等教育と人材の蓄積

明治政府は、殖産興業を担う先進的工学人材育成のため、普通教育の整備に先駆けて、維新後6年目に工部省工学寮(のちの工部大学校)を設置し、イギリスから教師を雇い入れて科学的かつ実践的な少数精鋭工学高等教育を開始した。工部省廃止とともに文部省は工部大学校を帝国大学工科大学とし、20年後の京都帝国大学設置にあたっては最初に理工科大学を開設して工学士を育成した。実数として多くはないが、明治期の帝国大学卒業生の20%以上が工学部出身であった(図1)。

工部大学校は身分の差別なく学生を募集・選考して成果重視の教育を行い、当初は官費生も多かった。帝国大学では奨学資金を得て進学する優秀な学生も多く、少数精鋭ではあったが、能力があり努力を惜しまぬ下級士族出身者にも機会は広く開かれていた。

(2) 技術移転への寄与

工部大学校卒業生の多くは、政府部門を経て民間部門で活動し、先進技術移植型の鉄道業では民間鉄道会社の設計・施工技術者としてその発展を支え、紡績業における近代的技術導入ではその技術選択が明治期以降の発展の基盤を作った。帝国大学工科大学卒業生は、期限切れの特許を研究して国産原料によるレーヨン生産を開始する、水力発電の技術導入とともに化学肥料生産技術を導入・発展させる等、大正・昭和期の日本の産業発展に多大な貢献を行った。彼らは民間企業が取得した多くの特許の発明者ともなっており、先進技術の受容と適正化のみならず独自開発の担い手となった。

すなわち、明治期の日本では、輸入防遏を目指す産業育成と整合的に、技術力形成を支える工学高等人材が政策的に育成され、民間企業育成においては技術開発の意欲が引き出され、その現場に工学高等機関出身者が活用された。その寄与は評価され、下級身分から高等教育を経てエリートになるという階層移動も見られた。

5 工学高等人材育成と技術移転への寄与-アジアの事例

(1) 韓国の工学高等人材育成

韓国では1963年の民政化時までに初等教育普及率は100%に近づき、国私立大学の数も独立時の4倍に増えた。この時期にも工学系卒業生は15%程度あったが、1970年代以降20%を超え、人口1000人あたりの工学部卒業生数は急増する(図2)。重化学工業化宣言以前には、科学技術省による研究所が設立され、研究開発向けの工学高等人材育成が行われた(KAIST)。韓国は学歴社会化し、1970年代末にすでに大衆化したと言われるほど大学への門戸は広がった。

(2) 技術移転への寄与

1970年代以降工学部を卒業して就職した者の25%以上が製造業に職を得ており、KAISTの修士・博士取得者も半数が民間企業に就職している。1960年代末に、政府が育成に注力した浦項製鐵会社が日本の技術協力グループによる技術移転を受けたときには、すでに民間の技術者であったソウル大学ほか韓国の大学工学部卒業生が集められた。この技術者集団は、技術移転受容のリーダーとして日本での研修を受け、現場を知る指導者として浦項製鐵第1製鐵所の高炉火入れまでのプロセスを進めた。その際、韓国側の不利な社会的慣習も日本側の働きかけによりある程度克服されている。その後の設備建設は次第に韓国側技術者による設計へと移り、自力で設計施工した第2製鐵所は世界的な競争力を勝ち取る設備となっていた。

三星電子は、韓国半導体産業を労働集約的な組み立て生産から半導体一貫生産へと転換させたが、1974年の事業参入にあたっては米国から韓国人技術者を呼び戻して研究開発する必要があった。世界的企業となる基盤となった1983年の64KDRAM開発においても在米韓国人技術者が使われたが、国内ではソウル大学工学部卒業生等を多数採用し、技術を定着させた。この時期には産業育成政策も技術開発へのインセンティブ付けに移行し、三星電子の研究開発への投資は続いている。

(3) インドネシアおよびフィリピンとの比較

インドネシアとフィリピンでは工学高等人材育成が明治期日本や韓国のように強力に進められたことはなく、とくにインドネシアでは開発初期の大学卒業生に占める工学部出身者の比率もその実数も低い。フィリピンは一定の工学部卒業生を輩出しているが、学位は工学士でなく理学士であり、工学部を擁する国立総合大学が多くないなどの問題が見られる。

さらに、既述の産業育成政策にも関連して民間企業の研究開発意欲が低く、人材の活用が進まない結果、両国とも国際的な競争力の点から技術力が不足し、独自技術開発による産業成長の事例も見ることができなかった。

6. 開発支援の視点からみた工学高等人材育成

(1) 産業育成と工学高等人材育成

「産業育成に欠かせない技術移転の社会の受容能力の1つとしての工学高等人材が、海外技術の円滑な導入と定着さらには独自技術の開発を通じて、産業育成に寄与する」という仮説に対し、本研究は「輸出指向の産業育成において技術力を重視し、技術移転と引き続く技術進歩を担う工学高等人材育成を早期に実施した結果、これらの人材が現場の担い手として、先進技術の吸収と独自技術開発に重大な寄与を与えた」具体的なプロセスを日本と韓国の事例によって明らかにし、仮説の正当性を示した。

(2) 開発初期の工学高等教育

工学高等教育がいつどのように必要かという問題に対し、本研究は、限られた資源の配分および頭脳の海外流出の問題を残しつつ、第1に「産業育成に先立つ工学高等人材育成が産業育成における技術移転と技術開発に寄与する可能性」を明らかにした。第2に、技術競争力強化のインセンティブ等によって、育成された人材が技術移転と技術開発に活用されることから産業育成への寄与が引き出されることが示された。第3に、高等教育へのアクセスが人々に広く開かれ、寄与の評価が上昇へのインセンティブとなれば、格差拡大を避けつつ工学高等教育を早期に拡充できる可能性が示された。これら3つは一体となって実現される必要があり、学習意欲の低い社会等の初期条件に合わせて学習のインセンティブをつける条件設定が、開発支援の課題となる。

(3) 今後の課題

すでに述べたように、頭脳の海外流出を含め、開発初期に投じるコストの効果をどれくらいのスパンではかるべきかを示すことは、今後の課題である。また開発援助国側により明確なインプリケーションを与えるために、初期条件の異なるより多くの事例を分析することも有益な作業である。

南亮進 1990『日本の経済発展(第2版)』東洋経済新報社: 99-100Chang, Ha-Joon, 1994, The Political Economy of Industrial Policy, St.Martin's Press:55-90World Bank, 1980, World Development Report 1980: 46-53__________ 1991, World Development Report 1991: 99-101

図1 明治期から戦前までの大学卒業生に占める帝国大学工学部卒業生の比率推移

注1) 1913年までの京都帝国大学については理工科大学卒業生のうち理学に相当する数学・物理・純正化学の卒業生を差し引いた。

注2) 1912年までは帝国大学卒業生数は大学卒業生数にほぼ等しい。1920年の大学令により、専門学校に分類されていた教育機関のうち14校が私立大学となった。工学系としては早稲田大学理工学部が唯一であり、慶應大学等は法文系のみ。

(出所)『文部省年報』『大日本帝国文部省年報』各年および総務省統計局・政策統括官(統計基準担当)・統計研修所ポータル「日本の長期統計系列」統計表より作成

図2 韓国の大学学部卒業生に占める工学分野卒業生の推移

注) 工学部卒業生数は、1985年~1990年については理工系卒業生から過去の比率を参照して推定し、1991年以降は、工学関連分野の卒業生を合計した

(出所)『文教統計年報』およびStatistical Year Book of Education各年、Maddison, Anggus 2001, The World Economy: A Millenium Pespective Development Center of the Organization for Economic Cooperation an Development, OECD(金森久雄監訳『経済統計で見る世界経済2000年史』より作成

審査要旨 要旨を表示する

経済発展において教育の役割が重要であることは論をまたない。しかし,発展途上国を対象とした従来の開発研究の文脈では,社会的収益率が高いゆえに初等教育の重要性が注目される一方で,高等教育は,その成果が個人的便益に帰する側面が強調され,多くの場合,開発政策の表舞台に登場することはなかった。たとえば,その後の開発政策研究に多大な影響を与えてきた世界銀行の『東アジアの奇跡』(1993年)では,経済発展における政府の役割として初等教育の充実のみを強調している。「国連ミレニアム開発目標」(MDGs)も,教育については,すべての人々が初等教育を受けられるような教育環境の整備をもっぱら強調する。そして,この流れの中で,発展途上国の教育分野において,最も広範かつ大きな影響を与えてきた取り組みである「万民のための教育」(Education for All)もまた,初等教育を対象としたものであり,ユネスコが中心となり,世界銀行,ユニセフなどの国際機関と先進諸国が連携してその実現に向けて努力してきた。開発初期の国々における高等教育分野の開発支援は,国際開発の流れの中では一貫して社会的収益率が低いとする計量的な研究に依拠し,不要であるとされてきたのである。

もっとも,近年の「新しい経済成長論」の深化の経緯をみてもあきらかなように,理論経済学の分野においては経済発展の原動力が技術革新に求められること,そして,そのためには高等教育の役割が大きいことも広く認識されていることがわかる。ではなぜ,高等教育の重要性が発展途上国の文脈の中で軽視されるという状況が生じているのであろうか。その要因の一つは,発展途上諸国は「後発の利益」を享受し,先進諸国の技術の模倣によって開発をスタートさせると仮定されていることであろう。本研究において中野氏が着目するのは,まさにこの齟齬から発生する本質的な問題である。たしかに,開発初期ではもっぱら技術の模倣による成長が進むため,高度な技術開発の必要性は認識されないかもしれない。しかし,発展途上国が先進諸国にキャッチ・アップし,やがては追い越すためには,不断の技術の改良と発展が必要となる。そのための高等教育の充実は先んじて行われる必要がある。こうして,中野氏は,高等教育が必要となる段階はいつなのか,そして,そのために必要な要件は何かという,本質的であるにもかかわらず,いまだ解決されていないリサーチ・クエスチョンに行き着くのである。

本論文は,この難問に対して,工学高等教育を備えた人材を技術移転の社会的受容能力の主体として位置づけ,その早期育成が技術移転を通じて産業育成に果たす役割を,日本,韓国,フィリピン,インドネシアの4国の事例の比較を通して明らかにし,解答を与えようとする意欲的研究である。

以下,各章の内容を紹介しよう。序論において研究課題と問題の所在があきらかにされたあと,「第1章 技術移転と社会の受容能力」では,先行研究にもとづき,後発国が技術移転による成長を遂げるためには,技術者が先進技術を理解・習得した上で適正化・利用・伝播するだけでなく,自立的で継続的な技術進歩を牽引しなければならないことが指摘される。その際,中野氏は,「先進的技術を受容する能力」(the capacity to assimilate an advanced technology)とは技術移転における社会的受容能力であり,その要素として人的資源が不可欠であることを強調している。本論文が対象とする工学的技術の分野では,科学技術のよってたつ学問的体系の理解と論理性を身につけた人材がなくてはならないからである。つづく「第2章 産業育成と技術移転」では,競争条件の下で技術革新のインセンティブを誘導する介入政策が急成長を促しうることに着目し,本論文の基本仮説が提示される。すなわち,「産業育成に欠かせない技術移転の社会の受容能力の1つとしての工学高等人材が,先進技術の円滑な導入と定着さらには独自技術の開発を通じて,産業育成に寄与する」という命題である。

続く第3章以降では,この基本仮説検証が4カ国の事例の例証によって行われている。本論文が扱っている問題は各国の初期条件に依存し,通常の理論モデルの構築が不可能だからである。「第3章 産業育成と技術移転の事例」では,仮説検証のための舞台が用意されている。すなわち,日本では,明治維新後の財政難の中,多くの外国人技術者を導入して官営工場による在来産業の近代化と移植型産業育成を進め,官業払下げと特権的な民業保護を行った。中野氏はその後の鉄道業・紡績業の発展の基盤はこの間に形成されたと主張する。韓国は民政化前の1961年に輸出振興による経済成長を目指して工業化に着手した。技術蓄積不足を克服するための技術導入とそのインセンティブ付与は,初期の有望産業分野振興から1980年代後半からの競争的な研究開発支援へと手法を変えつつも,一貫して取り組まれた主題であった。これに対し,インドネシアでは強力な産業育成が行われたものの,国内産業が手厚く保護される傾向にあり,中野氏は,政府による技術導入のインセンティブ付与は効果的ではなかったと主張する。フィリピンでは,輸出指向工業化とその産業育成政策に1980年代まで整合性を欠き,産業育成は関税を通じた保護に傾いていたため,技術導入政策が実効的ではなかったことが論じられている。こうした産業政策の差を軸に,中野氏は,韓国と日本は独自技術開発の能力が獲得され研究開発費や内国人特許数の増加があったが,インドネシアとフィリピンにはそれがなく技術開発のプロセスに大きな差があったと指摘する。

日本の成功例の詳細は,「第4章 工学高等人材育成と技術移転への寄与」において扱われている。明治政府は,殖産興業を担う先進的工学人材育成のため,工部省工学寮(のちの工部大学校,帝国大学工科大学)を設置し,イギリスから教師を雇い入れて少数精鋭の工学高等教育を開始した。重要な論点は,身分の差別なく学生を募集・選考して成果重視の教育を行ったことであり,下級士族出身者にも機会は広く開かれていた事実を中野氏は指摘している。さらに,中野氏は,卒業生が,政府部門を経て民間部門で活動し,先進技術の受容と適正化のみならず独自開発の担い手となり,明治期以降の発展の基盤を用意したと主張する。産業育成過程において,技術力形成を支える工学高等人材が政策的に育成され,技術開発の意欲が引き出されたのである。

「第5章 工学高等人材育成と技術移転への寄与」では,韓国,インドネシアおよびフィリピンの事例を日本の成功例の理解を踏まえて,基本仮説の検証が行われている。

韓国においては,科学技術省管轄の研究所KAISTが設立され,他方で学歴社会化も手伝って工学部卒業生の数とシェアが70年代以降に急増した。重化学工業化宣言以前に,研究開発向けの工学人材が育成されたのである。さらに,韓国政府は,製造業に就業した多くの工学部卒業者とKAIST修了者の国内人材育成の強化を目的として,日本人技術者や在米韓国人技術者たちを招聘した。中野氏は,この事実に着目し,韓国がキャッチ・アップに成功するとともに新規技術開発にも成果を挙げるに至った経緯を,一次資料の発掘と関係者へのインタビュー調査によって明らかにしている。

これに対して,インドネシアとフィリピンでは工学高等人材育成が強力に進められたことはなかった。インドネシアでは工学部出身者の実数,比率ともに低く,フィリピンも一定数の工学部卒業生を輩出しているものの,学位は理学士であり,工学部を擁する国立総合大学が少ないなどの問題が見られる。中野氏は,両国ともに民間研究開発意欲が低く,人材の活用が進まない結果,国際的な競争において先進国に伍していくだけの技術力に不足し,今に至るまで独自技術開発による産業発展を実現できない現状を指摘している。

「第6章 開発支援の視点からみた工学高等人材育成」では,中野氏は,以上の議論を礎として,持続的かつ高度な経済発展の実現のために,(1)産業育成に先立つ開発初期における工学高等人材育成は産業育成における技術移転と技術開発に寄与し得ること,(2)技術競争力強化のインセンティブ等によって,育成された人材が技術移転と技術開発に活用され産業育成に寄与し得ること,(3)高等教育へのアクセスが人々に広く開かれ,寄与の評価が上昇へのインセンティブとなれば,格差拡大を避けつつ工学高等教育を早期に拡充し得ることの3点を指摘する。その上で,学習意欲の低い社会等の初期条件に合わせて学習のインセンティブをつける条件設定が,開発支援の課題となることを論じ,最後に残された課題をあきらかにしている。

本論文の内容は上のとおりであるが,その意義は非常に大きい。まず,発展途上国の開発初期における工学高等教育の役割という,本質的な重要性を有しながら,これまで研究が手薄であった難しい分野に果敢に挑戦し,4カ国の比較研究をとおして,頑強な議論展開を実現している点で,画期的な意義と豊かな独創性を有している。それは単に経済発展段階に基づいて,日本,韓国,インドネシア,フィリピンという4国を選び,画一的な検証に終始しているのではない。各国の経済的初期条件のみならず,社会文化的諸条件にも配慮し,開発経済学の経済史的アプローチと地域研究的アプローチの複眼的視角から説得的な分析を行っており,この種の研究における分析方法に新機軸を提示している点でも高く評価することができる。

第二に,日本,韓国の重要な事例における徹底した実証分析は高い資料的価値を有している。すなわち,初期開発過程において技術開発の担い手となった工学高等教育修了者の個人レベルまで遡った一次資料の発掘とインタビュー調査によるデータは,学術的価値が極めて高い事実発見である。それは後発のインドネシア,フィリピンの今後の開発政策の議論に大きな意義を有しており,後続の研究に重要な資産を提供することに成功している。

第三に,歴史的,地域研究的実証研究でありながら,開発経済学における政策理論研究を常に意識し展開されているために,その研究成果がこの政策理論分野に対しても大きな示唆を与えている点でも,本研究の独創性を高く評価することができる。工学高等教育という高いコストのかかる投資をどのようなタイミングで政府が実施するのかを実証面から論じることによって,政策理論における動学分析に対してアイデアを提供し得る研究となっているからである。従来の記述的実証分析とは一線を画し,本研究は開発経済学の理論研究への生産的な波及効果を有するものになっていると評価し得る。

以上のように,本研究の学術的価値は非常に高いと考えられるが,いくつかの疑問が指摘され得るのも事実である。第一に,開発初期段階からの工学高等教育充実による人材育成が,発展途上国のキャッチ・アップとその後の経済発展に大きな役割を持つことは理解できるとしても,工学高等教育自体が,どのような理由から,どの程度まで重要であるかについて,必ずしも明確に示された上で議論が展開されているわけではない。あるいは,格差是正に基づく広い人材の登用,人材育成,人材活用の機会が重要であるとしても,どこに重点を置く政策が望ましいか。そのプライオリティが必ずしも明らかになっているわけではない。工学高等教育充実は経済発展の必要条件ではあっても十分条件ではない点を強調した上で議論すべきであったように思われる。第二に,各国の国内条件についての分析は適切な配慮がなされているものの,国際的条件について考察が物足りなく感じられる。そもそも「富国強兵」,「殖産興業」の言葉に示される明治期日本のような産業育成による社会発展への国を挙げての意気込みが,現在のインドネシアやフィリピンの政府には感じられないようにも思われる。それは,これらの国々を取り巻く現在の国際環境が影響しているのではないだろうか。これらの国々において工学高等教育が進まないのは,むしろ国際関係という外的条件にも依存しているのではないか。同様に,国際環境の変化に注意するとき,WTOの成立前後の特許数を比較することにも慎重な配慮が必要なのではないかという疑問が生じる。さらに,韓国,インドネシア,フィリピンにおける細かい社会条件について説明不足が散見されることも惜しまれる。

しかしながら,これらの問題点は,本人も十分に認識しているところであり,本研究の優れた独創性と高い学術的意義をいささかも損なうものではない。したがって,本審査委員会は一致して,論文提出者である中野恭子氏に博士(学術)の学位を授与するのが妥当である,との結論に達した。

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