学位論文要旨



No 217374
著者(漢字) 佐藤,知一
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,トモイチ
標題(和) リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究
標題(洋)
報告番号 217374
報告番号 乙17374
学位授与日 2010.06.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17374号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 平尾,雅彦
 東京大学 特任教授 飯塚,悦功
 東京大学 教授 山口,由岐夫
 東京大学 准教授 茂木,源人
 東京大学 准教授 野田,賢
内容要旨 要旨を表示する

イントロダクション

本研究の目的は、プロジェクト価値分析とリスク評価を統合した、プロジェクト・マネジメントのための新しい理論的フレームワークを提案することにある。本研究では、そのために3つのアプローチを取る。第一に、プロジェクトには失敗のリスクが不可避的に付随する、との前提に立つ(Risk-based approach)。第二に、プロジェクトを、「アクティビティのネットワークで構成されるシステム」としてとらえ、システム工学的なモデル化手法を用いる。第三に、アクティビティの「リスク確率」という概念を導入し、個別アクティビティのリスク・アセスメント問題と、アクティビティ・ネットワークの設計/評価という決定論的な問題に分離し、後者について分析する。

従来のプロジェクト評価手法は、プロジェクトを静的にとらえており、システム的視点を持っていない。一方、EVMS (Earned Value Management System)に代表される現代PM理論には、動的なアクティビティ・ネットワークの視点はあるが、評価の基準が欠けている。本研究ではこの両者を統合し、定量的なプロジェクト評価と意思決定のための理論と手法を提案する。

イントロダクションの章では、プロジェクト評価に関する既往の研究と方法論をレビューし、その限界を示した上で、本研究の前提と公理ならびに用語の定義を行う。

第1章

第1章では、リスク基準プロジェクト価値(Risk-based Project Value=RPV)の尺度を定義する。これは本研究で構築する新しい理論的フレームワークの中心的な概念となる。RPVはプロジェクトの任意の時点で定義され、過去に実現したキャッシュフロー、ならびに失敗のリスク確率で割り引かれた将来キャッシュフローの期待値との合計で定義される。

段階的プロジェクトの場合、開始時点でのRPVは、全アクティビティの期間とリスク確率を同一と仮定すると、従来から広く用いられているDCF (Discounted Cash Flow)法の純現在価値(NPV=Net Present Value)に一致する。すなわち、リスク確率にもとづくプロジェクト評価という本研究の理論的フレームワークは、その特殊なケースとしてDCF法を含んでおり、より一般的である。

つぎにアクティビティのプロジェクトに対する貢献価値CV (Contributed Value)を、そのアクティビティの前後におけるRPVの増分によって定義し、その計算法を示す。ただし、ここでは各アクティビティのリスク確率が互いに独立という条件を用いる。さらに貢献価値CVがもつ一般的な性質に関する2つの定理を示す:(1)アクティビティのCVは、他の条件が同一ならば、そのリスク確率に比例する、(2)プロジェクトがプラスのRPVから出発する場合、RPVは単純に増大する。

また、上記3つのプロジェクト種類に対応する4ケーススタディについて、RPVおよびCVの具体的な計算を行う。

第2章 プロジェクトの最適予算

第2章では、Parallel Funding戦略が適用できる場合について、アクティビティのコストとリスク確率とのトレードオフ関係に数学的モデルを導入する。その上で、単純プロジェクトならびに段階的プロジェクトについて、RPVを最大化する予算がただ一つ存在することを数学的に証明し、最適解を解析的に導く方法を示す。さらに一般型プロジェクトにおいても、非線形最適化モデルによるケーススタディによって、最適予算が存在しうることを示す。

単純プロジェクトの最適予算は、予算Cと収入 Sの比率がe=2.718…よりも大きい場合、予算追加側に存在する可能性がある。これはプロジェクト・マネジメントに対する重要なインプリケーションであると信じる。

第3章 リワークと不完全な遂行

第3章では、リスク確率をコスト超過リスクrc、収入減少リスクrs、そして将来キャッシュフローの減少リスクrとに区別して、RPVの定義式を拡張する。

また、アクティビティ失敗の回避手段としてリワーク(再試行)を取り上げ、リワークによるリスク低減策と、その結果として生じる不完全な遂行について検討し、リワークを許容する場合のRPVとCVの計算方法を明らかにする。またリワークの記録(品質不適合記録)をもとにリスク確率rを推定する手順を例示する。

さらに上流側アクティビティの不完全な遂行が下流側アクティビティの失敗・コスト超過につながるような場合(すなわちリスク確率間に上流依存性が存在する場合)を考察し、そこでも最適予算が存在することを示す。

第4章 プロジェクト・マネジメントへの理論的応用

第4章では、まず、貢献価値CVを基準としたプロジェクト進捗率を定義する。この方法はEVMSで用いられるコスト基準の進捗率計算法に比べて、より適正に評価できる。また、全アクティビティのコスト超過リスクrcを0.5と仮定すると、貢献価値基準の進捗率はコスト基準の値と合致する。すなわち本研究の理論的フレームワークは、EVMSを特殊なケースとして内包している。

つぎに、プロジェクトの評価結果が、Work Breakdown Structure =WBS化によって、どの程度影響を受けるかについて検討し、r < 0.4の範囲では、影響は限定的であることを示す。また、プロジェクトを不均質なアクティビティにうまく分割することで、RPVを改善できる効果も明らかにする。

さらにプロジェクトを構成するアクティビティのコスト評価に対し、「クリティカル・コスト」Crの基準を提案する。

ついで「埋没コストの原理」と「無担保投資の利子率の原理」を明らかにした上で、進行中プロジェクトの継続優先順位を評価するための指標として、継続評価指数Continuity Evaluation Index=CEIを定義する。さらに、過大投資のリスクを評価するために、投資に伴う事業主体の破産確率を定式化する。これにより、「期待値」基準に対して従来加えられてきた批判を克服し、有用性を明らかにすることができる。

最後に、試行錯誤的なアクティビティは何回繰り返して失敗したら撤退すべきか、という問題を検討する。リスクに関する事前主観確率(先験的モデル)と、試行結果に基づく最尤モデルとを、情報量基準AIC (Akaike's Information Criterion)をもちいて比較することで、たとえば「リスク確率=0.5」という先験的モデルは、5回繰り返し失敗したら、リスク確率>5/6という最尤モデルよりも説明力が低くなることを示す。

第5章 エンジニアリング・プロジェクトのケーススタディ

第5章では、実際のプロジェクトを題材としたケーススタディをとりあげ、前章までに述べた手法を現実の問題に適用して、その有用性を検証する。過去に遂行された石油プラントのプロジェクトのケースを取り上げ、応札段階並びに遂行(調達)段階における判断について、RPV分析のフレームワークを用いて再検証する。エンジ企業X社が現実にとった判断は、結果から見ると、応札段階ではほぼ成功、調達段階ではやや期待はずれであった。しかしRPV分析の観点からは、いずれの局面でもほぼ合理的な判断であったことが、各種パラメータの感度解析からも支持される。このように、RPV分析は客観的な吟味を可能にすることを示す。

第6章 まとめと展望

最後に「まとめと展望」と題し、本研究の残された課題、ならびに今後の展望について述べて結論とする。

[1]Akaike, H.: "A new look at the statistical model identification". IEEE Transactions on Automatic Control , Vol.19 , No.6, pp.716-723 (1974)[2]Bard, J. F.: "Parallel Funding of R&D Tasks with Probabilistic Outcomes," Management Science, Vol. 31, No. 7, pp.814-828 (1985)[3]桑嶋: 不確実性のマネジメント-新薬創出のR&Dの「解」. 日経BP社 (2006)[4]Project Management Institute: A Guide to Project Management Body of Knowledge ("PMBOK(R) Guide") 3rd edition, Project Management Institute, Inc. (2004)[5]佐藤知一・秋山聡:海外企業との共同プロジェクト遂行におけるリスク要因, プロジェクトマネジメント学会誌 Vol. 9, No.1 (2007)[6]Sato, T., "Risk-based Project Value Analysis: A New Theoretical Framework for Project Management", 日本経営工学会論文集 Vol. 59, No. 6 (2009)[7]Sato, T.: "Risk-based Project Value Analysis: General Definition and Application to Progress Control",日本経営工学会論文集 Vol. 60, No. 3E (2009)[8]Sato, T., and Hirao, M.: "Risk-based Project Value Analysis and Optimal Budget Allocation" submitted to International Journal of Project Management

図-2 一般的なネットワークで表されるプロジェクトのRPV

図-3 一般的なネットワークで表されるプロジェクトの最適予算(計算例)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は 「リスク確率に基づくプロジェクト・マネジメントの研究」と題し、プロジェクト価値分析とリスク評価を統合した、プロジェクト・マネジメントのための新しい理論的フレームワークを提案することを目的としたもので、イントロダクションを含む全7章から構成されている。

イントロダクションでは、プロジェクト価値評価に関する既往の手法を紹介し、リスクの取り扱い等の限界を指摘した上で、本論文の目的、課題および方針について述べている。

第1章では、アクティビティ・レベルのリスク確率の概念を導入した上で、本研究の目的のために新たに、「リスク基準プロジェクト価値(Risk-based Project Value, RPV)」および「アクティビティ貢献価値(Contributed Value, CV)」の評価尺度を提案している。リスク基準プロジェクト価値RPVは、金銭的価値とリスクを統合した新規な概念であり、任意の時点における、実現されたキャッシュフローと、将来のキャッシュフローをリスク確率で割り引いた値との合計で定義される。またアクティビティ貢献価値CVは、プロジェクトを構成するアクティビティの価値を測定する全く独自の概念であり、あるアクティビティの開始時点と完了時点でのRPVの増分値によって定義される。さらに、プロジェクトの初期計画によって任意のアクティビティ・ネットワーク・ダイアグラムが与えられた時、RPVおよびCVを計算する方法を明らかにしている。

第2章では、前章で導入したRPVを用いて、予算に関する意思決定の根拠を明らかにしている。まず、アクティビティの予算とそのリスク確率とのトレードオフ関係を、冗長な予算追加、いわゆるParallel funding戦略が適用できる場合についてモデル化している。その上で、単一アクティビティないし直列のアクティビティのみからなるプロジェクトでは、RPVを最大化する最適予算が唯一存在することを示し、その解析解を求めている。また、一般的なアクティビティ・ネットワークで表されるケースに関して非線形最適化手法を適用し、やはり最適予算が存在することを示している。さらに、プロジェクト全体のRPVに対する、各アクティビティへの限界的予算追加/削減が及ぼす感度(限界コスト感度、Marginal cost sensitivity, MCS)の計算法を明らかにし、遂行段階での意思決定への応用を提案している。

第3章では、アクティビティのリスク確率をより詳細に分析して、コスト超過リスク、収入減少リスク、そして将来キャッシュフローの減少リスクの3種類に定義し直し、RPVの計算式を拡張することによって、提案手法の適用範囲を強化している。さらにアクティビティ中断の回避手段としてリワーク(再試行)を取り上げ、そのRPVとCVの計算手法を明らかにしている。その上で、品質記録・コスト記録などからリスク確率を推定する手法について論じている。また、下流側アクティビティのリスク確率に上流依存性がある場合について分析し、最適予算の存在することを示している。

第4章では、プロジェクト意思決定への理論的応用が可能であることを示すために、4つのテーマを取り上げている。第一に、貢献価値を基準としたプロジェクト進捗コントロール手法と題し、CVを用いた「リスク基準進捗率」を提案して、その有用性を検討している。第二に、アクティビティの分割(Work Breakdown Structure, WBS)のRPVに対する効果と感度について分析し、とくに直列分割によるRPV向上の程度を評価している。第三のアクティビティ・コストの評価では、リスク確率を取り入れた「クリティカル・コスト」の尺度による比較評価を提案している。最後に継続と撤退の判断基準を取り上げ、(1)継続の優先順位を評価する「継続評価指標」、(2)破産確率に基づく過大投資へのペナルティ係数、(3)繰り返し試行回数に応じたリスク確率の見直しと撤退基準、について論じている。これにより、RPVを用いた分析手法の意義が明らかになっている。

第5章では、提案した理論的フレームワークを具体例に適用している。石油プラントのエンジニアリング・プロジェクトに関するケーススタディを実施し、入札における価格決定と、実行段階における冗長化によるリスク軽減策の、二つの意思決定局面について詳細に検討している。それぞれ合理的な選択肢を決定できることを示しており、提案した手法の有効性が明確に検証されている。

第6章では、本論文を総括し、そこから導き出される課題ならびに今後の展望を示している。

以上要するに、本論文は、プロジェクト・マネジメントの問題に、アクティビティ・ネットワークのプロセスシステム工学的アプローチを取り入れ、リスク確率の概念に基づくプロジェクト価値ならびにアクティビティの貢献価値の尺度を新規に導入して、分析と意思決定のための新しい理論的フレームワークを提案するとともに、最適予算の存在やリスク基準進捗率計算など応用面の可能性を示したものであり、化学システム工学及びプロジェクト・マネジメント理論の発展に寄与するところ大である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク