学位論文要旨



No 217375
著者(漢字) 永堀,博久
著者(英字)
著者(カナ) ナガホリ,ヒロヒサ
標題(和) In vivo/vitro/silico複合評価手法を用いた農薬の哺乳動物における代謝および体内動態の解析
標題(洋)
報告番号 217375
報告番号 乙17375
学位授与日 2010.06.17
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17375号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 菅,裕明
 東京大学 准教授 上田,宏
 東京大学 講師 河原,正浩
内容要旨 要旨を表示する

第1章序論

農薬は現代の生活には不可欠であり、新規化合物が次々と開発され、市場に供給されている。農薬の開発段階では、化学合成、効力試験および安全性研究が行われ、経済性、効力および安全性に優れる化合物だけが、市場に供給される。安全性研究は市場に供給される前にヒトや環境に与える影響を評価する研究であり、安全な化合物を市場に供給するためには欠かせない研究である。本論文では、安全性研究の一つの項目として実施される代謝試験を、農薬登録のための定型試験としてではなく、より精緻にヒトにおける安全性を評価するための手法に高めることを目的とした。以下、農薬の主要な3分類のそれぞれにおける代表的な化合物として、ピリダジン系除草剤フルフェンピルエチル、ジカルボキシイミド系殺菌剤プロシミドン、酸アミド系殺菌剤フラメトピルならびに新規骨格の殺虫剤ピリダリルの哺乳動物における代謝経路および体内動態をNMRやMSを用いた微量の代謝物同定を含むin vivo代謝試験、CYP発現系や組織画分を用いたin vitro代謝試験およびPBPKモデルを用いたin silico体内動態予測などのin vivo/vitro/silico複合評価手法を用いて詳細に解析し、ヒトにおける安全性の評価を行った結果について紹介する。

第2章除草剤フルフェンピルエチルのラットおよびマウスにおける代謝およびエステル開裂反応の解析

ラットおよびマウスにおけるフルフェンピルエチルのin vivo代謝試験を実施し、代謝反応とその生成量を解析した結果、エステル結合の開裂が主要な代謝反応であり、開裂したS-3153acidの挙動(吸収・分布・代謝・排泄)がフルフェンピルエチルの毒性に重要であることが明らかになった。さらに、体内の各部位の画分によるin vitro代謝試験の結果、種々の部位で容易にエステル結合が開裂することを明らかにし、フルフェンピルエチルの低毒性はエステル結合の容易な開裂によるものであると推定された。

さらに安全性を評価した結果、植物選択的に除草活性および速やかなエステル結合の開裂と体内からの排泄を考慮すると、ヒトを含めた哺乳動物ではフルフェンピルエチルの毒性は非常に弱いと考えられ、高い安全性を有するものと考えられた。

このように、in vivo/vitro複合評価手法を用いて、フルフェンピルエチルの代謝および体内動態を詳細に解析した結果、正確に毒性と代謝の関連性を推定し、ヒトにおける安全性を精緻に評価できることが明らかになり、本複合評価手法は安全性評価における有用な手法であることが判明した。

第3章殺菌剤プロシミドンの雌性ウサギにおける代謝および体内動態の種差

雌性ウサギにおけるプロシミドンのin vivo代謝試験により、代謝反応とその生成量の種差について解析したところ、雌性ウサギにおいては、procymidone-OHのグルクロン酸抱合体が体内で速やかに生成し、尿中に排泄されること、また、その結果、雌性ウサギにおけるprocymidone-OHの血中濃度がラットよりも低くなることが明らかになった。さらに、雌性ウサギとラットにおけるグルクロン酸抱合活性の種差をin vitro代謝試験で調べた結果、procymidone-OHのグルクロン酸抱合活性が雌性ウサギにおいて高く、in vivo同様に顕著な種差があることが明らかになった。雌性ウサギでは、グルクロン酸抱合活性が高いために、抗アンドロゲン作用を有するprocymidone-OHの血中濃度が低くなり、生殖毒性が発現しないと推定された。

さらにヒトにおける安全性を評価するために、ラット、ウサギおよびヒトにおけるUDPグルクロン酸転移酵素(UGT)分子種の発現を比較した結果、ヒトにおいては、雌性ウサギと同様に、procymidone-OHは速やかな抱合により解毒されると考えられ、安全性が高いと予想された。

このように、in vivo/vitro複合評価手法を用いて、プロシミドンの代謝および体内動態を詳細に解析した結果、正確に種差および毒性のメカニズムを推定し、ヒトにおける安全性を精緻に評価できることが明らかになり、本複合評価手法は安全性評価における有用な手法であることが判明した。

第4章殺菌剤フラメトピルのラットにおける代謝およびシトクロムP450による代謝反応

ラットにおけるフラメトピルのin vivo代謝試験を実施し、代謝反応とその生成量について解析したところ、雌においては、最初にN-脱メチル化し、その後、代謝される主要経路を経て生成する代謝物が多いのに対し、雄においては、最初に脱メチル化せずに、別の部分が代謝された代謝物の量が雌と比較して多いことが判明した。その結果、排泄物中および組織中代謝物濃度に性差が生じ、雌の血中においてDM-FurまたはDM-Fur-CH2OH濃度が高くなっていると考えられた。さらに、in vitro代謝試験により、ヒトにおいてN-脱メチル化を触媒する代謝分子種が、CYP1A1、1A2、2C19および3A4であることが明らかになり、酵素のホモロジーおよび毒性の性差から推定すると、ラットにおいては、雌特異的なCYP2C12によって生成するアルカロイド(DM-FurまたはDM-Fur-CH2OH)が毒性の原因であり、雌における血中濃度が高いために、毒性に性差が認められたと推定された。

ヒトではCYP2C19の発現量は多くなく、毒性代謝物であるDM-FurまたはDM-Fur-CH2OHの生成はラットよりも少ないことが予想され、フラメトピルの多様な代謝を考慮すると、ヒトにおける安全性は高いと予想された。

このように、in vivo/vitro複合評価手法を用いて、フラメトピルの代謝および体内動態を詳細に解析した結果、正確に性差および毒性のメカニズムを推定し、ヒトにおける安全性を精緻に評価できることが明らかになり、本複合評価手法は安全性評価における有用な手法であることが判明した。

第5章殺虫剤ピリダリルのラットにおける代謝および体内動態のシミュレーション

ラットにおけるピリダリルのin vivo代謝試験を実施し、体内動態を解析したところ、フェニル基14C標識体とプロペニル基14C標識体では、体内動態が異なった。また、ピリダリルは脂肪に比較的高い放射能濃度が残留することも判明した。

詳細な代謝物の同定結果から、体内動態の標識体差は、ジクロロプロペニル基とフェニル基の間のエーテル結合の容易な開裂のためであることが判明した。

さらに、in vivo連続投与試験の結果をin silicoでPBPKモデルを用いて、脂肪への分布の解析を行った結果、消失速度が遅い原因がピリダリルの脂溶性にあることを明らかにし、また、非常に高い脂溶性にも関わらず脂肪への分布が比較的少ない原因は、エーテル結合の容易な開裂にあることも明らかにした。さらに、褐色脂肪では、白色脂肪よりも分布速度と消失速度が速いことや、体内動態の性差が代謝速度の性差にあることも明らかにした。

ピリダリルは他の脂溶性化合物と比較して非常に毒性の低い化合物であるが、これは、プロペニル基の代謝されやすさと高脂溶性によるものであると推定され、ヒトにおける毒性も低いと予想された。

このように、in vivo/silico複合評価手法を用いて、ピリダリルの代謝および体内動態を詳細に解析することにより、毒性のメカニズムを正確に推定し、ヒトにおける安全性を精緻に評価できることが明らかになり、本手法は今後さらに重要な技術になると考えられた。

第6章結論

本論文では4種類の農薬(除草剤、殺菌剤および殺虫剤)についてin vivo/vitro/silico複合評価手法を用いて、詳細に代謝および体内動態を解析した。in vivo代謝試験においては微量の代謝物を詳細に同定することにより代謝経路を解明し、in vitro代謝試験においては、ヒトのCYP発現系や組織画分を用いて、酵素反応を行うことにより、分子種の同定および代謝速度を明らかにし、in silico体内動態予測においては、PBPKモデルを用いて、体内動態を正確にシミュレーションし、パラメーターを解析した。いずれの農薬についても、in vivo/vitro/silico複合評価技術を用いた体内動態の種差・性差、代謝部位、代謝酵素、体内分布等の解析により、毒性のメカニズムが明らかになり、毒性代謝物の生成および解毒が毒性の種差や性差と関連することが判明した。また、体内動態と毒性メカニズムに基づいて考察することで、より正確にヒトにおける安全性を評価できた。これらの結果は、今後、安全性の高い農薬を開発するために特に有用であり、また、in vivo/vitro/silico複合評価手法による体内動態の解析技術の確立に貢献する結果と考える。

本論文では、3分類の4種類の農薬について、代謝試験を行った結果を述べたが、さらに種々の化合物について、詳細な体内動態の解析結果を蓄積し、体内動態を予測する手法を確立することが今後の課題と考える。毒性を正確に予測するためは、体内動態の正確な予測および解析が前提であり、体内動態の予測および解析技術は今後ますます重要になると考える。筆者が明らかにした4種類の農薬の体内動態の解析結果および予測・解析技術が、今後の体内動態研究のさらなる発展に寄与することを期待する。

審査要旨 要旨を表示する

農薬の安全性評価は安全な化合物を市場に供給するためには欠かせない研究である。本論文は、安全性評価のために実施される哺乳動物代謝試験を、より精緻にヒトにおける安全性を評価するための手法に高めることを目的として、NMRやMSを用いたin vivo代謝試験、シトクロムP450(CYP)発現系や組織画分を用いたin vitro代謝試験および生理学的薬物動態(PBPK)モデルを用いたin silico体内動態予測などのin vivo/vitro/silico複合評価手法を用いて、哺乳動物における農薬の代謝経路および体内動態を詳細に解析し、ヒトにおける農薬の安全性の評価を行ったものである。

本論文は以下の6章から構成されている。

第1章は序論であり、本研究の背景と目的を述べ、本論文の構成を示している。

第2章では、ピリダジン系除草剤フルフェンピルエチル(ethyl 2-chloro-5-[1,6-dihydro-5-methyl-6-oxo-4-(trifluoromethyl)pyridazin-1-yl]-4-fluorophenoxy acetate)に関して、ラットおよびマウスにおけるin vivo代謝試験を実施し、エステラーゼによるエチルアセテート部位のエステル結合の加水分解が主要な代謝反応であると述べている。また、哺乳動物体内の種々の部位に存在するエステラーゼがエステル結合を容易に加水分解することをin vitro代謝試験により確認している。さらに、ヒトでも体内の種々の部位にエステラーゼが高発現しているため、フルフェンピルエチルの毒性は非常に弱く、高い安全性を有すると推論している。

第3章では、ラットとウサギで生殖毒性差が存在するジカルボキシイミド系殺菌剤 プロシミドン(3-(3,5-dichlorophenyl)-1,5-dimethyl-3-azabicyclo(3.1.0)hexane-2,4-dione)に関して、種差が生じるメカニズムをプロシミドンのin vivo代謝試験、ならびにラット肝ミクロソームを用いたin vitroグルクロン酸包合活性試験によって明らかにしている。すなわち、アンドロゲン受容体(AR)に結合してその活性を阻害するプロシミドンは、ラット、ウサギのいずれでもCYPにより速やかに水酸化される。ラットでは、AR阻害活性を有する水酸化体はさらに酸化されてカルボン酸体となり体外に排泄されるが、完全には代謝されず水酸化体の血中濃度が高いため生殖毒性が高いものと推定している。一方ウサギではプロシミドン水酸化体は肝臓のUDPグルクロニルトランスフェラーゼ(UGT)によってグルクロン酸包合体に変換され速やかに体外に排泄されるため、プロシミドン水酸化体の血中濃度が低く生殖毒性が生じないと述べている。このようなUGT分子種はヒトにも存在し高発現していることから、プロシミドンはウサギと同様にヒトでも生殖毒性を示さず、高い安全性を有すると推論している。

第4章では、酸アミド系殺菌剤フラメトピル((RS)-5-chloro-N-(1,3-dihydro-1,1,3-trimethylisobenzofuran-4-yl)-1,3-dimethylpyrazole-4-carboxamide)に関して、体重増加抑制、肝臓肥大等の毒性がラットの雌雄で高い性差が生じるメカニズムをフラメトピルのin vivo代謝試験、ならびにヒトCYP発現系ミクロソームを用いたin vitro代謝試験によって明らかにしている。すなわち、雌では一群のCYPによるピラゾール環1位のメチル基のN-脱メチル化と、これに続くイソベンゾフラン環1位のメチル基の酸化反応によって生成するアルカロイド様生成物の血中濃度上昇により毒性が生じる。一方、雄ではこのようなN-脱メチル化に係るCYPの発現レベルは低く、主にイソベンゾフラン環3位、7位の水酸化とグルクロン酸包合体への変換により解毒され体外に排出されることがフラメトピルの毒性の性差の原因であると推定している。また、ヒトではN-脱メチル化に係るCYPの発現レベルは極めて低いため、ラットの雄と同様にフラメトピルの毒性は非常に弱いと考えられ、高い安全性を有すると推論している。

第5章では、殺虫剤ピリダリル(2,6-dichloro-4-(3,3-dichloroallyloxy)phenyl 3-[5-(trifluoromethyl)-2-pyridyloxy]propyl ether)のラットを用いたin vivo代謝試験と体内動態のシミュレーション結果について述べている。すなわち、CYPによるエポキシ化反応を経由するジクロロプロペニル基とフェニル基の間のエーテル結合の開裂、それに続く速やかな脱クロル、酸化、グルクロン酸包合などの反応がピリダリルの主な代謝反応であることを確認している。また、極めて脂溶性が高いピリダリルは速やかに脂肪組織に分配され、その後ゆっくりと消失するが、その初期残留率は2~3%であり、毒性が高いDDT、PCBなどの脂肪組織への初期残留率50%と比較して極めて低いと述べている。また、ラットを肝臓、脂肪、血液、その他部位の4つのコンパートメントに別け、ピリダリルの代謝、分配、膜透過、血流による輸送の諸過程を考慮した生理学的薬物動態(PBPK)モデルによって体内動態をシミュレーションしている。その結果、シミュレーション結果は実験結果を良く再現することができ、肝臓におけるピリダリルの速やかな代謝によって、脂肪組織への初期残留率と血液中のピリダリル濃度が低く保たれたことが、ピリダリルの急性毒性が低い原因であると推論している。

第6章は研究の総括である。

以上、本論文は、哺乳動物における農薬の代謝経路および体内動態をin vivo/vitro/silico複合評価手法を用いて詳細に解析し、この情報に基づいてヒトにおける農薬の安全性の評価を行ったものであり、農薬の毒性メカニズムの解明、ヒトにおける毒性予測などに基づく安全な農薬開発に寄与するところ大である。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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