学位論文要旨



No 217385
著者(漢字) 橋,亜希子
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,アキコ
標題(和) 高校総合学習の学習過程に関する研究 : 卒業研究における学習と自己形成の関連
標題(洋)
報告番号 217385
報告番号 乙17385
学位授与日 2010.07.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(教育学)
学位記番号 第17385号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 秋田,喜代美
 東京大学 教授 岡田,猛
 東京大学 教授 今井,康雄
 東京大学 教授 根本,彰
 東京大学 教授 中釜,洋子
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,日本の高等学校における総合学習に焦点を当て,学習主体である生徒の側の視点からその意義の検討を行うことを目的とした研究である。一つの高校における総合学習の事例研究を通して,一学年の生徒の動向,総合学習の学習様式の特徴, 学習過程での他者との関わりと生徒の内面的変容の分析を通して,高校の総合学習の意義を検討した。

本研究はI部1-4章,II部5,6章,III部7章,IV部8,9,10章,V部11章から構成される。

第I部第1章では,本研究の焦点となる高校総合学習の現状に関し『総合的な学習の時間』の低迷状況とその背景,現在の青年期と高校の学習の不連続性に焦点を当て考察した。

第2章では本研究における「総合学習」を定義し,戦後の高校総合学習の動向を4時期に区分し概観した。戦後高校が大学進学の準備機関としての性質を強める中,生徒のニーズに寄り添い,生徒を学校外に連れ出し青年期に意味ある学習を作り出そうとしたのが高校総合学習の試みであった。しかし一貫して大学受験との矛盾を抱え続けた。これらの歴史的経緯を踏まえ,1,大学受験との重複が生徒に及ぼす影響,2,教科学習との学習様式の相違の影響,3,総合学習を通して生徒が学習する内容,の3点の課題を検討する必要性を指摘した。

第3章では,高校の総合学習を解釈する理論的枠組みの検討を行った。初めに4つの先行研究を整理し,総合学習が生徒の社会観の形成やアイデンティティ形成に寄与することが指摘されながらも,青年期の発達的な視点が欠けていることを指摘した。次に青年期の発達的特徴を整理した。青年期は外界や体験への意味付与を通し知識の体系を再構成する活動が活発になり,他者との相互作用と自身の内界との対話を通し自己形成が行われる特徴があるが,先行研究では意味生成や他者との相互作用の視点が欠けていた。その限界を乗り越えるための視座として, 人の発達を外界との相互作用と内界の意味システムの変容と捉えたヴィゴツキーの理論を手がかりに,本研究の分析枠組みを構築した。言語化された意識を中心としたヴィゴツキーの理論にinner referentという前概念的な部分を示すジェンドリン(1966)の概念を加え,対話における人々との相互作用に関してワーチ(2004)を,内界の意味システムへの影響過程に関しては高木(2001)を用いて本研究の分析枠組みとした。

第4章では1-3章で現れた研究上の問題点を整理し,本研究の課題を提示した。生徒の動向に関する実証資料が乏しく受験との重複などの負の影響も検討されていないこと,教科学習と異なる学習様式の難しさが指摘されること,学習過程の質的な事例研究がなく,生徒の内的変容に繋がるメカニズムが指摘されていないことの3点の問題点を指摘した。そこで, 1.学習を行う中で生徒が抱える葛藤や学習意欲の変化,学習の意義に関する実証的データによる検討, 2.高校総合学習の学習様式の特徴の検討,3.学習過程における他者との相互作用と生徒の内面的変容の検討,の3つの課題を提示した。それら3課題について第5-10章で取り組んだ。引き続きデータの構成と研究方法を説明した。研究対象はA高校の"卒業研究"実践である。2000年4月-2003年3月のA高校での計3年間にわたるフィールドワークを中心に,質問紙調査・継続的面接調査などの研究方法を用いた。A高校を2003年に卒業した一学年の生徒104名がデータの中心である。

第II部は課題1の検討を行った。第5章では総合学習を行う中で生徒が抱える葛藤や学習意欲の変化を明らかにするために一学年の生徒の2年間の継時的な質問紙調査を分析した。(1)学習開始前の生徒の期待は高いが,学習過程の進行につれ生徒の意欲はより消極的に変化する。(2)意欲の低下の背景に「研究の作業の負担」「受験や学校行事との重なり」の二つがある。(3)研究終了後の生徒の満足度は高いが,生徒の意欲は分化する傾向があり,意欲の低い生徒の低下が著しいため全体の意欲が低下する,という3点が明らかとなった。

第6章では,質問紙の分析と事例研究を合わせ,生徒の意欲の分化の背景要因を検討した。分析の結果,学習課題への関心の安定性や計画の適切さが分化の背景要因として抽出された。その一方で,受験との両立や作業の負担の影響は見られなかった。受験や作業の負担がある中で,課題への関心が深く学習も展開していく生徒と,関心や追究の方向性を見失い徒労感が増す生徒が分化すると推察された。そこで「生徒が自身のテーマを意識し,その関心を展開する過程」「研究として仮説を立て,資料を収集し問いを解く過程」が適切に重なることを「学習の成立」と定義し,その背景要因の詳細な事例分析の必要性を示した。

第III部は課題2の検討を第7章において行った。総合学習の達成を規定する要因をその学習様式の特徴に着目し,質問紙の分析と事例研究を組み合わせて探索した。その結果「生徒の関心の深い領域とテーマとの結びつき」「研究の枠組み・計画の明確性」「情報収集や支援・資源へ向かう能動性」「教員からの支援の適切性」の4つの要因が抽出された。これらの要因は自己決定やコントロールなど生徒自身の主体性を求めるものであり,教科学習から総合学習への転換において,実際には「受動から能動へ」「受身から責任のある主体へ」などの学習様式の変換が行われていることが明らかとなった。

第IV部では,生徒の内的変容と他者との相互作用に焦点を当て,事例研究を通し学習過程の詳細な分析を行った。III部までに課題として浮上した学習課題の設定過程を第8章で,学習の成立過程を第9章で検討し,第10章では生徒の内面的な変容過程に焦点を当てた。

第8章では, 対照的な二人の生徒の課題設定過程の事例分析を通し,生徒が自身の関心から課題を設定する際に必要な要因を検討した。解釈枠組みとしてワーチ(2004)の"声"の概念を用い, 課題設定過程と周囲の助言との相互作用の分析を行った。その結果,(1)"inner referent"の成熟とその中のイメージの確かさ,(2)"他者の声"の存在と"意識的な判断"の確かさ, (3)適切なメンターの存在, が要因として抽出された。学習課題の構築には,教員との対話を通しinner referentに含まれる意味を意識化することが必要であった。教員の声が「内的説得力を持つ言葉」になるかを分けるのは「inner referentとの呼応」「言葉自体のもつ説得性」「言葉を発する教員への信頼関係の有無」であることが示された。

続く第9章では,一生徒の学習過程に対する継続的な面接調査の事例分析を通して,学習成立の背景要因と学習過程で生じた認識上の変化を検討した。単に学習課題が明らかになるだけでなく,当事者との出会いによる深い問題意識の現れ,周囲の人々の支えなどの他者との関わりが主要な基点となり,「対象への感情・興味の成立」「社会的な価値・意味の成立」「他者からの支援と信頼関係の成立」の3点の変化により,生徒の学習が成立していた。

第10章では,第9章と同一の生徒の事例に関して,高木(2001)の"接触"と"振動"を解釈枠組みとして,学習過程での他者との関わりを通した意味生成過程と生徒の存在様式の変化に焦点を当てて分析を行った。取材を通した学校外の人との出会いが"振動"となり多側面に波及して,意味生成体験を通し自身の存在の意味や自己-他者関係の再体制化が生じていた。1.他者との接触によるペレジヴァーニエ(心的体験)の現れ, 2.文献調査を通し意味生成に敏感な領域(最近接発達領域)が準備されていたこと,3.人々との接触が生徒の潜在的なテーマ(inner referent)と呼応していたことの3点がその過程を支えていた。その結果,生徒には心理-社会的同一性の達成(Erikson, 1959)に類する変化が生じていた。

第V部の11章では,第5-10章の研究の結果をまとめ,考察を行った。

課題1に関しては,学習過程での生徒の意欲低下が見られたこと,満足感の高い・低い生徒が分化し,十分な成果が得られる生徒と得られない生徒が存在したことから,受験との両立等の現実的な課題が明らかとなった。しかし,分化の背景要因として受験との両立等の学習環境にではなく,興味・関心の安定性や計画の適切性など基本的な学習過程が抽出されたことから,適切な支援が存在すれば,生徒の学習の成立を支えられる可能性が示された。

課題2に関しては,総合学習の学習様式の特徴として「生徒の自己形成が関わる学習であること」「生徒の主体性・能動性の必要性」「学問的な客観性・論理的な思考展開の難しさ」「他者との関係性とコミュニケーションの必要性」の4点を指摘した。生徒の主体性だけでなく,自己を問い,人との関係性を持つことが要請されている。そのため「生徒は内面の要求を把握している」「学習は個人で行う」という仮定を外し,関係性と意味生成の学習として総合学習を再定義し,支援が不可欠な学習であることを指摘した。

課題3に関しては, 総合学習が他者との対話と文章表現を媒介とする意味生成を通した内的経験の再構築の過程であること,その変化が心理-社会的同一性の達成過程となることを指摘した。高校の総合学習は,意味生成を通して認識と自己形成を結びつけ,高校生が自分自身,社会,学習への関係性を再構築する学習としての可能性がある。そのため、青年期の自己形成や自立支援に繋がる学習であることが示唆された。

最後に学習支援への示唆を行い,本論文の課題を示した。事例分析の知見の一般化が課題であり,本論文の知見をA校外の実践で得た知見と比較検討することが今後必要である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、高等学校における総合学習に焦点を当て、総合学習の一環として卒業論文の執筆を課している高等学校での事例を通して、生徒の視点から学習過程と意義を分析考察したものである。論文は5部11章から構成されている。

第1部第1章では高等学校総合学習の現状に関し、総合的な学習の時間の低迷状況とその背景となる課題を整理し、第2章では戦後を4時期区分に分けて高校総合学習の展開を概括している。続く第3章では、これら先行研究の課題を理論的に整理し、第4章では生徒の学習中の意欲の継時的変化の検討、総合学習の学習様式の特徴の検討、学習過程における他者との相互作用と生徒の内面的変容の関係の検討という検討3課題を導出し、本論文の理論枠組みとして、ヴィゴツキー学派による分析方法について述べている。

第2部第5章では、1年間の継時的変化から生徒の意欲低下の背景に「作業負担」、「受験と学校行事との時期的重なり」要因が関与し、「学習の楽しさ」や「価値」に対するイメージの変化によって、生徒の意欲が分化していく点を明らかにしている。第6章ではこの分化の様相を事例から検討し、総合学習の成立には生徒自身がテーマを意識し展開する過程と研究として仮説を立て資料収集をする過程の時期的一致が必要である点を示している。

第3部第7章では、総合学習の達成要因を教科・総合の学業成績、質問紙調査、4人の面接・観察データによる事例研究から分析し、「生徒の関心の深い領域とテーマとの結びつき」「研究の枠組・計画の明確性」「情報収集や支援・資源へ向かう能動性」「教員からの支援の適切性」の4要因が、達成に関与する固有の要因であることを明らかにしている。

そして第4部8章では、学習課題設定過程での対照事例を検討し、生徒側のinner referentの成熟度や確かさ、教師側のinner referentへの呼応と生徒への言葉の内的説得性が課題設定に関与することを示している。第9章では1名の生徒への継続的面接調査分析から学習成立の背景要因と学習過程で生じた認識上の変化を卒業後まで追跡検討し、第10章では9章と同一生徒事例をヴィゴツキー学派の接触と振動による心的体験の出現と言う分析枠組みから微視分析することで、意味生成過程と存在様式の変化を描出している。

そして第5部11章では、論文を総括し、総合学習の意味と残された課題を論じている。

本論文は、高校総合学習を長期的に追跡分析した実証論文であり、包括的質問紙調査と焦点化観察、選択的事例記述法の組み合わせにより、総合学習がもつ独自の機能を生徒側の経験としての意味生成と青年期自己形成との関連から分析した点で、独自性が高い学術論文であり、探究的な学習過程に対する新たな視座を提示した論文であると評価された。よって、本論文は、博士(教育学)の学位を授与するに十分にふさわしい水準にあるものと判断された。

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