学位論文要旨



No 217387
著者(漢字) 鈴木,泰
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,タイ
標題(和) 古代日本語時間表現の形態論的研究
標題(洋)
報告番号 217387
報告番号 乙17387
学位授与日 2010.07.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17387号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾上,圭介
 東京大学 教授 野村,剛史
 東京大学 教授 重藤,実
 東京大学 教授 月本,雅幸
 東京大学 准教授 西村,義樹
内容要旨 要旨を表示する

本論は、形態論的立場にたって、古代日本語における時間表現の文法的意味を述語になる動詞の語形変化によって表わされるものとし、その体系をあきらかにすることをめざしたものである。そのような立場から、いわゆる助動詞(キ、ケリ、ツ、ヌ、タリ、リ)をふくんだ述語も、補助動詞(ヰルなど)をふくんだ述語も、また動詞だけのはだかの述語も、動詞の文法的意味を表わすものとして、すべて動詞の語形であるというとらえ方をする。そして、それらの形がテンス、アスペクト、パーフェクトなどの時間的カテゴリーにおいて対立、競合し、現代語とはことなる独自の体系をなすことをあきらかにしようとする。

第一部では、時間表現にかかわるテンス・アスペクト、パーフェクト、それに一回的かくりかえしかにかかわる時間的局在性というカテゴリーがどのようなものであるかをしめす。そして、それらの観点から現代日本語の時間表現の体系を概観すると、現代日本語の時間表現は、基本的にテンス・アスペクトの対立を軸としたシステムをなし、それにパーフェクトがからまっており、さらに時間的局在性の点でモダリティーともかかわりあっている。そして、語りの文においては、会話文におけるこうした形態論的機能から転移した機能をもってそれぞれの形はもちいられる。

第二部では、古代語の時間表現のこれまでの研究史が、おおきく語り論と形態論にわけることができることをしめし、時間表現の文法的な研究における、形態論的な立場の重要性をあきらかにする。第二部の構成は以下の七章にわかれる。

第一章では、「近代文語文典の時制認識」として、西欧流の文法が移入され、それが古代語(当時の文語)にどのように適用されてきたかを明治から昭和まであとづける。そして、現在、過去、未来が区別されるのが日本語の時間表現であるという、明治時代の一般的な見方から、時間的意味はもっぱら助動詞によって表わされるとし、時間的意味としては過去と完了しかみとめないという枠組みがどのように成立したかをあきらかにする。

第二章では、古代日本語のテンス・アスペクトをめぐって、本論とはことなる立場をとる完了の助動詞についての論をとりあげ、ツ・ヌ形とタリ・リ形はその一方が主観的な判断表現であって、他方が客体的な叙述表現であるとする考え方について、そのような見方が生ずる根拠を検討する。

第三章では、会話文における用法を対象とした時間表現形式の形態論的研究と、地の文を対象とした語り論の立場からの時間表現形式の機能の考察がどのような点でことなるかをあきらかにする。そして、語りの時制には物語外の表現主体の立場からの叙述と物語内のできごとのおこった時間に即した叙述との二つがあるというのが、現時点における語り論の共通認識であることをしめす。

第四章以下では個別的な形態についての研究史を素描する。第四章では、筆者への批判にたいする反論という形で、はだかの形を辞書的な語的概念のみを表わす形式であるとする立場について、その問題点を指摘する。

第五章では、ツ形とヌ形についてとりあげ、特にツ形がアスペクトからテンスへの歴史的な変化をこうむったとする主張が研究史のなかにひろくみとめられることをしめす。

第六章では、おもに戦後のタリ・リ形についての研究がどのように展開されてきたかを、形態論的な意味をめぐる議論だけでなく、はばひろく成立論や文体論的な視点のものまでふくめてとりあげる。

第七章では、最近の、細江逸記の説にたつキ形とケリ形についての議論の問題点をさぐる。特にキ形を経験回想を表わすものとしようとすると、訓読系の資料においてかなり無理な想定をしなければならなくなることをしめす。

第三部では、平安時代の仮名散文作品の会話文を資料として、はだかの形、ツ・ヌ形、タリ・リ形の終止形がテンス、アスペクト、パーフェクトなどのカテゴリーをどのように形づくっているかをあきらかにする。

第一章では、古代語の時間表現の体系を概観する。アスペクトの点では、ツ・ヌ形が完成相であるのにたいして、はだかの形は不完成相である。そして、この二つが基準時点における運動のあり方を表わしているのにたいして、タリ・リ形は、ひろい意味のパーフェクトとして対立している。以上のツ・ヌ形、タリ・リ形、はだかの形をテンスとして非過去を表わすものとすると、単独のキ形と、テキ形、ニキ形、タリキ形、リキ形などの、接辞キをもつ複合的な形はテンス的に過去を表わす。そして、テキ形、ニキ形は、そこにふくまれる接辞テ・ニ(ツ・ヌの連用形)が完成的意味を表わすことから、不完成相を表わすキ形にたいして完成相過去を表わす。一方、ケリ形は、一定のテンス・アスペクト的意味を表わさないので、時間表現の体系を形づくるメンバーから一旦ははずすべきものとする。

第二章では、はだかの形が、継続的な意味を表わす〈具体的過程の意味〉において、完成相と対立する不完成相に位置づけられると同時に、その無標性から単に運動の存在を表わす〈一般的事実の意味〉を表わすことがおおいことを指摘する。そして、動詞を行為動詞、変化動詞、うごき動詞、状態動詞、活動動詞、態度動詞、特性・関係動詞にわけてそれぞれのアスペクト的ふるまいをみるなら、行為動詞においては、〈具体的過程の意味〉の変種として、〈継続的意味〉〈志向的意味〉〈遂行的意味〉がとりだせることをしめした。さらに、はだかの形はそれらを基本的な意味としながら、時間的局在性のない〈くりかえしの意味〉と〈潜在的質的意味〉をもつことをしめした。

第三章においては、ツ・ヌ形の個別的意味をあきらかにする。ヌ形が限界到達を表わすといえるのにたいして、ツ形は、動作過程を一括的にさしだす意味であると考えられる。この二つの変種をふくむ〈具体的事実の意味〉は、はだかの形を不完成相に位置づける〈具体的過程の意味〉に対立する意味であり、ツ・ヌ形を完成相に位置づける中心的意味である。ツ・ヌ形の意味は、時間的局在性のない〈例示的意味〉〈潜在的意味〉にまでおよび、それらにおいては、はだかの形と競合している。

第四章においては、タリ・リ形の個別的意味を検討する。タリ・リ形は《パーフェクト》性をもち、結果的な状態性に重点をおく意味と運動の完成に重点をおく意味との二つの変種をもつが、同時に今ここにその運動の結果や痕跡が存在することを表わすメノマエ性をもつ。結果的状態性に重点をおく場合は、具体的意味の動詞においては〈変化の結果の継続〉の意味、抽象的意味の動詞においては〈恒常的状態〉の意味になる。ただし、態度動詞においては、恒常性と同時に客観性の意味を生じさせ、条件節において、主節とのあいだに主語が交代する現象をもたらす。一方、運動の完成に重点をおく意味の場合は、〈運動の成立と結果・痕跡の存在〉〈経歴・記録〉〈以前の実現〉の意味を区別することができる。なお、タリとツ・ヌの複合形式に、タリツ形とニタリ形があるが、それらの意味は独自であり、その出現は語彙的に制限されている。

第五章では、キ形とケリ形のちがいについて問題にする。キ形とケリ形は過去という共通性のうえで、evidentiality(証拠性)において対立するのではなく、キ形は、テンスとしての過去を表わすのにたいして、ケリ形は、思いがけないことであるという詠嘆の意味と同時に、その情報が伝聞やなんらかの証拠にもとづくものであることを表わすものである。

第六章においては、キ形の個別的意味をあきらかにする。どんなできごとも時間がおおく経過してからふりかえるなら、一括的に把握することができると考えられるので、不完成的なできごとであっても、キ形のもとでは、ひとまとまり性の相をもってあらわれる。その結果特に文脈的な条件がない場合でも、〈一般的事実の意味〉が実現することがおおく、量的にも〈具体的過程の意味〉を凌駕している。

第七章においては、テキ・ニキ形とタリキ・リキ形の個別的意味を検討する。テキ・ニキ形は、完成相であることによって、運動が以前に終結したことによる効果が現在存在しているという、パーフェクト的ニュアンスをもつことをしめす。タリキ・リキ形は、現在ときりはなされた過去におけるメノマエ性のある運動を表わすものであり、メノマエ性をもっていたということによって、つよい現実性がその運動にあったということを強調する意味をもつ。

第八章では、〈詠嘆〉と〈証拠性〉という二つの観点から、ケリ形のモーダルな意味にどのような変種があるかをみる。evidentialな意味と詠嘆の意味は同時にあらわれることもあるが、どちらか一方だけが表面化することもある。直接にその運動を目撃しておらず、結果や痕跡や、その他の知覚などにもとづいて、運動の成立を推量する〈思い至り〉や〈再認識〉の場合には、両方の意味があらわれるが、情報が目撃や思い起こしによって獲得される〈気づき〉の場合には、詠嘆の意味だけが表面化する。一方、伝聞、または神話や伝承などにもとづいて、その内容をとりあげる〈言及〉の場合には詠嘆の意味は裏面化する。どの意味が出現しやすいかは、動詞の種類とも関係するが、ケリ形であるか、ニケリ形、テケリ形、タリケリ形であるかという形態のちがいにも関係する。

最後に、ケリ形は、一定の時間的意味をもたないが、継続しているできごとを指示している場合にもちいられることがおおいので、一旦は時間表現の体系から排除したケリ形もふくめて、古代日本語の時間表現の体系は考えなくてはならないことをしめす。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、古代日本語における時間表現のあり方を、従来の伝統的な文法研究とは異なって、「形態論的立場」によって記述しようとしたものである。

現代日本語の時間表現に関しては、伝統的立場の研究とは異なる教科研グループと呼ばれる人たちの形態論的研究があり、それはロシア語の完了体/不完了体の対立に相当する(と彼らが考える)「スル/シテイル」の形態対立をアスペクトと呼び、「スル/シタ」の対立をテンスと呼ぶものであって、現在かなり広く用いられている用語法であるが、古代語に関しては、ツ・ヌ・タリ・リ・キ・ケリのように時間に関わる(いわゆる)助動詞の数が多く、また相互に微妙な意味の差もあり、形態論的にテンス・アスペクトの二次元に収めて論ずることの困難さが直感されるので、教科研文法の枠組みで古代語を記述しようとする試みはこれまでにはなかった。鈴木氏の研究は、古代語においてもこの記述の枠組みが有効であることを実証しようとしたものである。

本論文は、アスペクトを完成相(ツ形・ヌ形)、不完成相(はだか形)、パーフェクト相(タリ形・リ形)の3種に分け、これと交差するテンスを過去形(キが付いた形)と非過去形(キが付かない形)に分けて、合計3×2=6種類の形態範疇を立てているが、パラダイムの立て方そのものとして、パーフェクトが完成相、不完成相と並列に並ぶアスペクト形態の一つとして位置づけられるべきものであるかどうか、十分に説得的ではないと思われる。また、個々の語形のパラダイムへの位置づけに関しても、第一に、キ形は継続的な意味を表さないのに(テキ形・ニキ形との対立という観点から)不完成相であるとする、第二に、ツ形・ヌ形は意味として発話時直前の過去を表すのに、(キが付いていないことをもって)完成相非過去形であるとする、第三に、はだか形(動詞終止形)の意味は多くの場合積極的に不完成的であると認めにくいにもかかわらず(ツ・ヌが付いていないことをもって)不完成相とする等々の諸点において、問題を多く見つけることができる。語形の名前(パラダイム中の位置)と意味の実態との間に乖離が見うけられるのである。本論文の魅力は数多くの用例を従来の水準を超えて精細に調査分析し、綿密に自己の主張を展開しているところにあるが、その結果これらの乖離のうちのいくつかを自らも注意深く指摘することに成功している。

古代語時間表現の形態をアスペクト(3種)×テンス(2種)の6象限に分けるという鈴木氏の論は、このように、事実の記述として十分に有効であるか否かについては議論の余地もあろう。しかしながら、現代語に関して教科研文法の「形態論的立場」によって時間表現を記述したことを良しとする立場に立つならば、それは当然古代語に関しても実現されなければならないことである。鈴木氏の本論文は、未だ誰も試みたことのないその難事業に果敢に挑戦したものであって、この領域の研究史に新たな一歩を踏み出したものとして大いに評価されて然るべきものである。

よって、本委員会は当該論文が博士(文学)の学位にふさわしいものと判断する。

UTokyo Repositoryリンク