学位論文要旨



No 217388
著者(漢字) 北嶋(内田),晶子
著者(英字)
著者(カナ) キタジマ(ウチダ),ショウコ
標題(和) セロトニン (5-Hydroxytryptamine, 5-HT) 受容体サブタイプ 2A (5-HT2A receptor)のシグナリングカスケードは、脂肪組織のアディポネクチンとPAI-1発現を調節する
標題(洋) 5-Hydroxytryptamine 2A (5-HT2A) Receptor Signaling Cascade Modulates Adiponectin and Plasminogen Activator Inhibitor-1 Expression in Adipose Tissue
報告番号 217388
報告番号 乙17388
学位授与日 2010.07.21
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17388号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢冨,裕
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 准教授 秋下,雅弘
 東京大学 准教授 石井,聡
 東京大学 講師 石坂,信和
内容要旨 要旨を表示する

緒言

肥満は、耐糖能障害・脂質異常・高血圧が1個人に重積する、いわゆるメタボリックシンドロームの中心であると考えられており、なかでも内臓肥満蓄積を伴う肥満は、インスリン抵抗性やそれを基盤とした2型糖尿病発症、脂肪肝、動脈硬化、心血管疾患などのリスクを増加させる主要な原因になっていると考えられる。したがって、生活習慣病の共通の基盤となる肥満の病態を解明することは、肥満に関連したさまざまな疾患を予防し、治療する上で重要である。

脂肪組織は、エネルギーを中性脂肪として貯蔵し、また脂肪を分解してエネルギー源を供給するという体内代謝調節機能を有することに加えて、アディポネクチン、レプチン、TNF-α、レジスチン、FFA、Plasminogen Activator Inhibitor-1 (PAI-1)、アディプシン、Macrophage Chemoattractant Protein (MCP-1) など様々な生理活性物質、いわゆる'アディポカイン'を分泌する、内分泌器官である。

アディポネクチンは、抗糖尿病作用、抗動脈硬化作用を有するアディポカインである。肥満状態では、肥大化した脂肪細胞のアディポネクチンの発現、特に高活性型の高分子量(HMW)アディポネクチンの分泌は低下しており、それがインスリン抵抗性、糖尿病の原因となっている。アディポネクチンの補充は、AMPKやPPARαを活性化し、肝臓や骨格筋における脂肪酸燃焼促進などにより、治療手段となることが示されている。

PAI-1は、血栓症や線維化を介して、メタボリックシンドロームが併発する心血管イベントを増大させると考えられている。肥満や糖尿病患者では、血中PAI-1レベルが上昇しており、その上昇は脂肪細胞でのPAI-1産生、分泌が亢進していることに起因する。

アディポネクチンの遺伝子発現が低下していることやPAI-1の発現が上昇していることに関与する調節因子を知ることは、肥満、糖尿病やメタボリックシンドロームの病態を理解し、また、治療方法を探索することに役立つと考えられる。

セロトニン (5-Hydroxytryptamine, 5-HT)は、末梢組織においては90%以上が腸管で合成され、血中に分泌される。その大部分は血小板に貯蔵され、血小板の活性化、凝集により、5-HTは血中に放出される。5-HT受容体は1から7の7つに大きく分類され、イオンチャンネルである5-HT3以外は、ロドプシンαタイプのGタンパク結合型受容体(GPCR)である。

サルポグレラートは、選択的5-HT(2A)受容体拮抗薬であり、血小板や血管平滑筋の5-HT2A受容体を阻害することにより、抗血小板作用、および血管収縮抑制作用を有し,閉塞性動脈硬化症(ASO)の治療に広く用いられている。最近、サルポグレラートが、3ヶ月間の投薬により、糖尿病でASOの患者の血中アディポネクチンを2.6倍増加させたと報告されている。また、サルポグレラートは、血小板が活性化し、血中の血管内皮損傷マーカー値が高い2型糖尿病患者(可溶性E-selectin濃度が高い)の血中アディポネクチンを2.5倍上昇させたと報告されている。更に、同種薬効の抗血小板剤であるアスピリンが腎障害、末梢血管障害のある糖尿病患者の血中アディポネクチン濃度を変化させないことに対し、サルポグレラートは上昇させることも報告されている。しかしながら、脂肪細胞に5-HT受容体が分布するかどうか、また脂肪細胞において5-HT受容体シグナリングカスケードが示す薬理作用や機能は不明である。

5-HT(2A)受容体シグナリングカスケードが、脂肪細胞のアディポネクチンとPAI-1の発を調節するかどうかを解析することを本研究の目的とした。

結果と考察

3T3-L1脂肪細胞の脂肪分化過程において、アディポネクチンの遺伝子発現は、前脂肪細胞状態(Day 0)から小脂肪細胞(Day 10)に至るまでは上昇したが、その後Day 17に至る肥大化の過程では、低下した。一方、PAI-1の遺伝子発現量は脂肪分化、肥大化の過程において上昇し続けた。肥満・糖尿病モデルマウスの腸間膜脂肪組織のアディポネクチン遺伝子発現量は、野生型に比べて低下していた。脂肪組織のPAI-1発現量は上昇しており、肥満・糖尿病患者の脂肪組織の病態と同様であった。3T3-L1脂肪細胞の肥大化に伴うアディポカインの異常は、肥満・糖尿病マウスの脂肪組織の病態と類似していたことから、肥大化3T3-L1脂肪細胞は、肥満・糖尿病マウス脂肪組織の病態モデルとして使用できることが明らかになった。5-HT1A, 1B, 1D受容体は脂肪の肥大化の過程では、その発現量は変化しなかったが、5-HT2A受容体遺伝子の肥大脂肪細胞(Day 17)における発現量は、小脂肪細胞(Day 10)に比較して有意に増加していた。5-HT2A受容体遺伝子発現量は、肥満・糖尿病マウス脂肪組織において上昇していた。これらのことから、5-HT2A受容体シグナルカスケードが脂肪細胞のアディポネクチン、PAI-1発現を調節し、また肥大化脂肪細胞において5-HT2A受容体発現が増加することが、アディポネクチン遺伝子発現の低下およびPAI-1遺伝子発現増加に寄与している可能性があることが示唆された。

5-HT(2A)受容体活性化剤は、3T3-L1脂肪細胞のアディポネクチン発現を低下させた。5-HT(2A)受容体拮抗薬である、サルポグレラート、スピペロン、ケタンセリンはアディポネクチン発現を増加させた。また、5-HT(2A)受容体の遺伝子発現をRNAiを用いて抑制することにより、アディポネクチンの遺伝子発現量は増加した。肥満・糖尿病モデルマウスに5-HT(2A)受容体拮抗薬(サルポグレラート)を投与することにより、アディポネクチン発現量が増加し、血中レベルも増加した。

5-HT(2A)受容体シグナルカスケードは、GqタンパクがPLC活性化を介して、細胞内カルシウム上昇、PKC, MAPKを活性化することが知られている。また、GPCRのGqに依存しない、MAPKの活性化機構があることも報告されている。MAPK活性化は、PPARγを非活性化する。Gqタンパクの活性化剤は、3T3-L1脂肪細胞のアディポネクチン遺伝子発現を低下させ、MAPK阻害剤はこの低下を改善した。更にPPARγ拮抗薬は、5-HT(2A)受容体拮抗薬のアディポネクチン増加作用を抑制した。5-HT(2A)受容体シグナルカスケード刺激は、少なくとも部分的にはMAPK、PPARγを介してアディポネクチンの遺伝子発現を低下させると考えられた。

更に、5-HT(2A)受容体拮抗薬、およびRNAiによる5-HT(2A)受容体の発現抑制は、3T3-L1脂肪細胞、肥満・糖尿病モデルマウス脂肪組織のPAI-1遺伝子発現量を減少させた。また、5-HT(2A)受容体刺激によるシグナルカスケードの下流には、MAPK がPAI-1発現調節に関与していることが示唆された。

結語

以上の結果から、5-HT(2A)受容体シグナルカスケードは、アディポネクチンとPAI-1の遺伝子発現を調節していることが、示唆された。

また、3T3-L1脂肪細胞と肥満・糖尿病モデルマウス脂肪組織の5-HT(2A)受容体を阻害することにより、肥満に伴うアディポネクチンの遺伝子発現低下の改善、肥満・糖尿病モデルマウスの血中アディポネクチンが増加することが示された。更に肥大化脂肪細胞や肥満・糖尿病脂肪組織で増加した、PAI-1の遺伝子発現上昇を5-HT(2A)受容体拮抗薬および5-HT(2A)受容体発現抑制が改善しうることが示された。これらのことから、脂肪細胞の肥大化に伴う5-HT(2A)受容体の発現増加は、アディポネクチンの発現低下、PAI-1の発現増加を惹起する可能性が考えられた。

5-HT(2A)受容体拮抗薬は、肥満に伴うアディポカイン分泌の異常の結果惹起される、メタボリックシンドロームに関連した心血管疾患の危険因子の予防あるいは治療に有用である可能性があると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究の目的は、セロトニン (5-Hydroxytryptamine, 5-HT) 受容体サブタイプ 2A (5-HT(2A) receptor)のシグナリングカスケードが、脂肪組織のアディポネクチンとPAI-1の遺伝子発現を調節するかどうかを明らかにすることであり、下記の結果を得ている。

1.3T3-L1脂肪細胞の脂肪分化過程において、アディポネクチンの遺伝子発現は、前脂肪細胞状態(Day 0)から小脂肪細胞(Day 10)に至るまでは上昇したが、その後Day 17に至る肥大化の過程では、低下した。一方、PAI-1の遺伝子発現量は脂肪分化、肥大化の過程において上昇し続けた。肥満・糖尿病モデルマウスの腸間膜脂肪組織のアディポネクチン遺伝子発現量は、野生型に比べて低下していた。脂肪組織のPAI-1発現量は上昇しており、肥満・糖尿病患者の脂肪組織の病態と同様であった。3T3-L1脂肪細胞の肥大化に伴うアディポカインの異常は、肥満・糖尿病マウスの脂肪組織の病態と類似していたことから、肥大化3T3-L1脂肪細胞は、肥満・糖尿病マウス脂肪組織の病態モデルとして使用できることが明らかになった。

2.5-HT(1A, 1B, 1D)受容体は脂肪の肥大化の過程では、その発現量は変化しなかったが、5-HT(2A)受容体遺伝子の肥大脂肪細胞(Day 17)における発現量は、小脂肪細胞(Day 10)に比較して有意に増加していた。5-HT(2A)受容体遺伝子発現量は、肥満・糖尿病マウス脂肪組織において上昇していた。これらのことから、5-HT(2A)受容体シグナルカスケードが脂肪細胞のアディポネクチン、PAI-1発現を調節し、また肥大化脂肪細胞において5-HT(2A)受容体発現が増加することが、アディポネクチン遺伝子発現の低下およびPAI-1遺伝子発現増加に寄与している可能性があることが示唆された。

3.5-HT(2A)受容体活性化剤は、3T3-L1脂肪細胞のアディポネクチン発現を低下させた。5-HT(2A)受容体拮抗薬である、サルポグレラート、スピペロン、ケタンセリンはアディポネクチン発現を増加させた。また、5-HT(2A)受容体の遺伝子発現をRNAiを用いて抑制することにより、アディポネクチンの遺伝子発現量は増加した。肥満・糖尿病モデルマウスに5-HT(2A)受容体拮抗薬(サルポグレラート)を投与することにより、アディポネクチン発現量が増加し、血中レベルも増加した。

4.5-HT(2A)受容体シグナルカスケードは、GqタンパクがPLC活性化を介して、細胞内カルシウム上昇、PKC, MAPKを活性化することが知られている。また、GPCRのGqに依存しない、MAPKの活性化機構があることも報告されている。MAPK活性化は、PPARγを非活性化する。Gqタンパクの活性化剤は、3T3-L1脂肪細胞のアディポネクチン遺伝子発現を低下させ、MAPK阻害剤はこの低下を改善した。更にPPARγ拮抗薬は、5-HT(2A)受容体拮抗薬のアディポネクチン増加作用を抑制した。5-HT(2A)受容体シグナルカスケード刺激は、少なくとも部分的にはMAPK、PPARγを介してアディポネクチンの遺伝子発現を低下させると考えられた。

5.更に、RNAiによる5-HT(2A)受容体の発現抑制および5-HT(2A)受容体拮抗薬は、3T3-L1脂肪細胞、肥満・糖尿病モデルマウス脂肪組織のPAI-1遺伝子発現量を減少させた。また、5-HT(2A)受容体刺激によるシグナルカスケードの下流には、MAPK がPAI-1発現調節に関与していることが示唆された。

以上、本論文は、5-HT(2A) 受容体のシグナリングカスケードが脂肪組織のアディポネクチンとPAI-1遺伝子発現を調節することを明らかにした。本研究はこれまで未知であった、脂肪組織の5-HT受容体の分布と5-HT(2A) 受容体シグナリングカスケードの存在を明らかにし、その生理的意義としてアディポネクチンとPAI-1の発現を調節していることを示した。これらの成果により、本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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