学位論文要旨



No 217391
著者(漢字) 増子,聡
著者(英字)
著者(カナ) マシコ,サトシ
標題(和) 新規抗肥満薬の創製 : ニューロペプチドYY5受容体拮抗薬の抗肥満作用メカニズム
標題(洋)
報告番号 217391
報告番号 乙17391
学位授与日 2010.09.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第17391号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 准教授 有田,誠
 東京大学 准教授 松沢,厚
内容要旨 要旨を表示する

肥満は2型糖尿病、高血圧、動脈硬化といった生活習慣病のリスクファクターと考えられ、近年のライフスタイルの変化に伴い肥満患者が増加している現状において、肥満発症の予防、および効果的な治療法の確立は重要な課題である。現在肥満症の治療として、食事・運動療法、外科治療、薬物療法が行われているが、効能と安全性の点から満足のいく治療法はまだ確立されていない。食事・運動療法は簡便に実施できるが減量効果が弱く、また治療の継続が困難なためしばしばリバウンドが認められる。外科治療は効果的な体重減少が期待できるが、適応が重度肥満者に限定されている。薬物療法に関しては、長期投与が可能な薬物として現在、中枢性の摂食抑制薬であるシブトラミンと、消化管での脂肪吸収を抑制するオルリスタットの二つが欧米において承認されている。しかし、両薬物による長期投与後の体重減少作用は5-10%程度で、プラセボ群と比較すると3-5kgのわずかな体重減少効果しか得られていない。また両薬剤とも血圧・心拍の上昇、あるいは消化器系の障害といった副作用が認められ、有害事象が効能を上回る事例が報告されている。このような状況から、増加する肥満患者の治療に、新規の安全かつ効果的な抗肥満薬の開発が望まれている。

肥満は摂取エネルギーが消費カロリーを上回った結果生じるものであり、エネルギー摂取と消費のバランスは、脳内の様々な神経ペプチド・神経伝達物質により制御されている。ニューロペプチドY(NPY)は36アミノ酸残基からなる神経ペプチドで、中枢および末梢神経系に存在し、摂食・エネルギー代謝、不安、記憶、ホルモン分泌、血圧・心循環調節に機能することが報告されている。その中でも、NPYが強力な摂食促進作用を有し、脳内への慢性投与により、持続的な過食と代謝・ホルモンレベルの変化をともなった肥満を生じることから、NPYはエネルギー代謝の主要な調節因子の一つと考えられている。また、これらの変化はヒト肥満者の特徴とよく一致し、さらに各種肥満モデル動物において脳内NPYレベルの増加が報告されていることから、NPY経路の活性化が肥満の発症・進展に関与する可能性が示唆されている。NPYの生理作用はG蛋白質共役型受容体を介して発現し、これまでにY1、Y2、Y4、Y5、y6の5つの受容体サブタイプが報告されている。しかし、各受容体サブタイプに特異的な作動薬・拮抗薬が限られていることから、どの受容体サブタイプが肥満発症・進展に寄与するかについては明らかではない。その中で、Y5受容体が比較的脳内に限局して発現していること、Y5受容体に親和性を有するペプチドが急性投与により摂食を促進させることが報告され、Y5受容体のエネルギー代謝調節、および肥満発症・進展への関与が示唆されている。また、Y5受容体欠損マウスでは重篤な異常が認められないため、Y5受容体拮抗薬が高い安全性を持つことも期待できる。そこで本研究では、Y5受容体拮抗薬の薪規抗肥満薬としての可能性について、選択的作動薬、拮抗薬、およびY5受容体欠損マウスを用い検討を行った。

最初にY5受容体が肥満の形成に寄与するか否か、外因的に脳内Y5受容体を活性化したときの作用について検討した。Y5受容体選択的作動薬であるD-Trp34NPYを正常マウスの中枢内に慢性投与すると、持続的な過食と体重・脂肪重量の増加、血中インスリン、レプチン濃度の増加が認められ、これらの変化はY5受容体拮抗薬・化合物Aの同時投与により完全に抑制された。D-Trp34NPY持続投与により生じる過食をコントロール群と同量の摂餌量に制限すると、D-Trp34NPY投与・自由摂餌群で認められる体重増加は完全に抑制された。しかし、脂肪重量の増加は抑制されず、血中インスリン、レプチン濃度の増加も認められたことから、Y5受容体演摂食促進のみでなく、末梢のエネルギー代謝調節・脂肪蓄積に機能することが示唆された。D-Trp34NPY投与により、熱産生促進に機能する褐色脂肪組織の脱共役タンパクUCP-1 mRNA発現が低下し、肝臓においては脂質合成促進に機能する転写因子sterol regulatory element binding piotein-1cの発現が上昇した。また白色脂肪組織においては、脂肪分解に機能するホルモン感受性リパーゼ活性が有意に低下した。選択的作動薬を用いた成績から、Y5受容体の持続的な活性化がエネルギー摂取、および末梢の代謝調節を介して肥満進展に寄与することが明らかとなり、Y5受容体拮抗薬が抗肥満作用を有する可能性が示唆された。

次に構造の異なる二種類の拮抗薬・化合物A、Bを用い、高脂肪食摂餌肥満マウスにおけるY5受容体拮抗薬の抗肥満作用について検討した。Y5受容体拮抗薬・化合物A、Bはいずれも、高脂肪食摂餌肥満マウスに慢性投与することで、5-10%の摂食抑制と体重減少作用を示した。化合物A、Bの抗肥満作用は、高脂肪食を与えたY5受容体欠損マウスでは消失したことから、抗肥満作用がY5受容体を介したものであることが証明された。高脂肪食を長期間負荷したマウスでは重度の肥満とともに、血中のコレステロール、インスリン、レプチン濃度の増加、インスリン負荷試験時の血糖低下作用の減弱が認められた。この肥満マウスにおいて、Y5受容体拮抗薬・化合物A、Bの慢性投与は脂肪選択的に体重を減少させるとともに、血中インスリン、コレステロール、レプチン濃度を有意に低下させ、またインスリン負荷試験の血糖低下作用を有意に増強した。したがって、Y5受容体拮抗薬が脂肪選択的な体重減少作用と、肥満に付随して生じる各種血液パラメータの異常、インスリン抵抗性の改善作用を有することが明らかとなった。

次にY5受容体拮抗薬の摂食抑制以外の代謝調節に及ぼす作用を検討するため、化合物A投与群と同量に摂餌量を制限するペアフィーディング試験を行った。化合物Aの約一ヶ月間の慢性投与が持続的に体重を減少させるのに対し、薬物を投与せず摂餌量のみを制限したペアフィーディング群では、処置開始初期の数日間のみ体重が減少し、それ以降体重の減少は認められなかった。また、化合物Aは脂肪重量、血中インスリン、レプチン濃度を有意に減少させたが、ペアフィーディング群ではこれらのパラメータの改善は認められなかった。ペアフィーディング群において体重減少が見られなくなった以降、約0.5口の直腸温度低下と、基礎代謝量の維持、促進に機能する甲状腺ホルモン・トリヨードサイロニンT3の血中濃度低下が認められ、代償的なエネルギー消費の低下が示唆された。一方、化合物A投与群では直腸温度、および血中T3濃度に変化はなく、サイロキシンT4の血中濃度低下と、肝臓のI型脱ヨード酵素mRNAレベルの増加が認められた。T3は活性型の甲状腺ホルモンで、前駆体であるT4の代謝・変換により生成され、その代謝は主に肝臓のI型脱ヨード酵素が機能することから、Y5受容体拮抗薬が活性型T3の生成・維持を介したエネルギーー消費亢進作用を有することが示唆された。化合物A投与群では、褐色、および白色脂肪組織における脱共役タンパク質UCP-1、-3mRNA発現が増加し、白色脂肪組織においては脂肪分解促進に機能するβ3アドレナリン受容体mRNAの発現が増加していた。また、肝臓では脂質合成酵素転写因子sterol regulatory element binding protein-1c mRNA発現が有意に低下していた。これらの成績から、Y5受容体拮抗薬が摂食抑制と共に、摂餌量減少により生じる代償的なエネルギー消費低下を抑制して抗肥満作用を惹起し、このエネルギー消費の維持・亢進には、甲状腺ホルモンを介した褐色脂肪組織、および白色脂肪組織での熱産生・代謝亢進が関わっていることが示唆された。

最後に、ヒト肥満症の薬物治療では、食事.運動療法といった生活様式の改善に抗肥満薬が併用されることから、Y5受容体拮抗薬の抗肥満薬としての可能性について、臨床使用を想定した摂餌制限との併用効果について検討した。また、ヒト肥満患者における既存の抗肥満薬単独の体重減少作用が小さいことから、現在臨床使用されている抗肥満薬の一つであるシブトラミンとの併用にて、より強い抗肥満効果が得られるか否かについても検討を行った。高脂肪食を予め与えた肥満マウスにおいて、1.5-2ヶ月のY5受容体拮抗薬・化合物B投与、10%の摂餌制限、およびシブトラミン投与は、いずれも単独で7-9%の体重減少を示した。化合物B慢性投与に、10%摂餌制限、またはシブトラミン投与を併用することで、単独処置よりもさらに4-6%の体重減少作用の増強が認められ、Y5受容体拮抗薬がヒト肥満患者においても単剤、および既存の抗肥満薬であるシブトラミンとの併用薬として有用である可能性が示唆された。

以上、本研究より次のことを明らかとした。

1)Y5受容体の持続的活性化が、過食を伴う体重増加を示した。

2)Y5受容体拮抗薬は摂食抑制、およびエネルギー代謝亢進作用を介して抗肥満作用を示した。

3)Y5受容体拮抗薬の体重減少作用は脂肪選択的であり、肥満に付随して生じる高脂血症、高インスリン血症、およびインスリン抵抗性の改善作用も示した。

4)Y5受容体拮抗薬は臨床での併用療法が想定される摂餌制限、あるいは他剤との併用により抗肥満作用を増強した。

これら成績から、Y5受容体拮抗薬がヒト肥満患者の治療薬として有用である可能性が示唆された。

表 各種NPY受容体サブタイプに対するNPY、D-Trp34NPY、Y5受容体拮抗薬の結合親和性

図 高脂肪食摂餌肥満マウスにおけるY5受容体拮抗薬・化合物B慢性投与の(a)体重、(b)脂肪含量、(c)血漿中インスリン濃度に及ぼす影響

審査要旨 要旨を表示する

肥満はII型糖尿病、高血圧、動脈硬化といった生活習慣病のリスクファクターと考えられ、近年のライフスタイルの変化に伴い肥満患者が増加している現状において、肥満発症の予防、および効果的な治療法の確立は重要な課題である。現在肥満症の治療として、食事・運動療法、外科治療、薬物療法が行われているが、効能と安全性の点から満足のいく治療法はまだ確立されていない。薬物療法に関しては、長期投与が可能な薬物として現在、中枢性の摂食抑制薬であるシブトラミンと、消化管での脂肪吸収を抑制するオルリスタットの二つが欧米において承認されている。しかし、両薬物による長期投与後の体重減少作用はわずかで、血圧・心拍の上昇や消化器系の障害などの副作用が認められており、安全で効果的な抗肥満薬の開発が望まれている。

肥満は摂取エネルギーが消費カロリーを上回った結果生じるものであり、エネルギー摂取と消費のバランスは、脳内の様々な神経ペプチド・神経伝達物質により制御されている。ニューロペプチドY(NPY)は36アミノ酸残基からなる神経ペプチドで、中枢および末梢神経系に存在し、摂食・エネルギー代謝、不安、記憶、ホルモン分泌、血圧・心循環調節に機能することが報告されている。NPYは強力な摂食促進作用を有し、脳内への慢性投与により、ヒト肥満者の特徴とよく一致した持続的な過食と代謝・ホルモンレベルの変化をともなった肥満を生じる。NPYには、これまでにYI、Y2、Y4、Y5、y6の5つのGタンパク質共役型受容体のサブタイプが報告されている。しかし、各サブタイプに特異的な作動薬・拮抗薬が限られていることから、肥満発症・進展に寄与するサブタイプについては不明である。その中で、Y5受容体が比較的脳内に限局して発現していること、Y5受容体に親和性を有するペプチドが急性投与により摂食を促進させることが報告され、Y5受容体のエネルギー代謝調節、および肥満発症・進展への関与が示唆されている。また、Y5受容体欠損マウスでは重篤な異常が認められないため、Y5受容体拮抗薬が高い安全性を持つことも期待できる。そこで本研究では、Y5受容体拮抗薬の新規抗肥満薬としての可能性について、選択的作動薬、拮抗薬、およびY5受容体欠損マウスを用い検討を行った。

Y5受容体選択的作動薬であるD-Trp34NPYを正常マウスの中枢内に慢性投与すると、持続的な過食と体重・脂肪重量の増加、血中インスリン、レプチン濃度の増加が認められ、これらの変化はY5受容体拮抗薬の同時投与により完全に抑制された。摂餌量を制限して、D-Trp34NPY投与で認められる体重増加を抑制しても、脂肪重量の増加や血中インスリン、レプチン濃度の増加は抑制されなかったことから、Y5受容体が摂食促進のみでなく、末梢のエネルギー代謝調節・脂肪蓄積に機能することが示唆さ乳た。D-Trp34NPY投与により、熱産生促進に機能する褐色脂肪組織の脱共役タンパクUCP-1 mRNA発現が低下し、肝臓においては脂質合成促進に機能する転写因子sterol regulatory element binding protein-1cの発現が上昇した。また白色脂肪組織においては、脂肪分解に機能するホルモン感受性リパーゼ活性が有意に低下した。これらのことよりY5受容体の持続的な活性化がエネルギー摂取、および末梢の代謝調節を介して肥満進展に寄与することが示唆された。

次に、高脂肪食摂餌肥満マウスにおけるY5受容体拮抗薬の抗肥満作用について検討した。Y5受容体拮抗薬は、高脂肪食摂餌肥満マウスに慢性投与することで、5-10%の摂食抑制と体重減少作用を示した。この抗肥満作用が、高脂肪食を与えたY5受容体欠損マウスでは消失したことから、抗肥満作用がY5受容体を介したものであることが示された。高脂肪食を長期間負荷したマウスでは重度の肥満とともに、血中のコレステロール、インスリン、レプチン濃度の増加、インスリン負荷試験時の血糖低下作用の減弱が認められた。この肥満マウスにおいて、Y5受容体拮抗薬の慢性投与は脂肪選択的に体重を減少させるとともに、血中インスリン、コレステロール、レプチン濃度を有意に低下させ、またインスリン負荷試験の血糖低下作用を有意に増強した。したがって、Y5受容体拮抗薬が脂肪選択的な体重減少作用と、肥満に付随して生じる各種血液パラメータの異常、インスリン抵抗性の改善作用を有することが明らかとなった。

次にY5受容体拮抗薬の摂食抑制以外の代謝調節に及ぼす作用を検討するため、拮抗薬投与群と同量に摂餌量を制限するペアフィーディング試験を行った。Y5受容体拮抗薬の約一ヶ月間の慢性投与が持続的に体重を減少させるのに対し、摂餌量制限のみのペアフィーディング群では、処置開始初期の数日間のみ体重が減少し、それ以降体重の減少は認められなかった。また、Y5受容体拮抗薬は脂肪重量、血中インスリン、レプチン濃度を有意に減少させたが、ペアフィーディング群ではこれらのパラメータの改善は認められなかった。ペアフィーディング群において、体重減少が観察されなくなっても、直腸温低下と甲状腺ホルモン・トリョードサイロニンT3の血中濃度低下が認められ、代償的なエネルギー消費の低下が示唆された。一方、Y5受容体拮抗薬投与群では直腸温度、および血中T3濃度に変化はなく、サイロキシンT4の血中濃度低下と、肝臓のI型脱ヨード酵索mRNAレベルの増加が認められた。T3は活性型の甲状腺ホルモンで、前駆体であるT4の代謝・変換により生成され、その代謝は主に肝臓のI型脱ヨード酵素が機能することから、Y5受容体拮抗薬が活性型T3の生成・維持を介したエネルギー消費亢進作用を有することが示唆された。化合物A投与群では、褐色、および白色脂肪組織における脱共役タンパク質UCP-1、-3mRNA発現が増加し、白色脂肪組織においては脂肪分解促進に機能するβ3アドレナリン受容体mRNAの発現が増加していた。また、肝臓では脂質合成酵素転写因子sterol regulatory element binding protein-1c mRNA発現が有意に低下していた。これらの成績から、Y5受容体拮抗薬が摂食抑制と共に、摂餌量減少により生じる代償的なエネルギー消費低下を抑制して抗肥満作用を惹起し、このエネルギー消費の維持・亢進には、甲状腺ホルモンを介した褐色脂肪組織、および白色脂肪組織での熱産生・代謝亢進が関わっていることが示唆された。

最後に、ヒト肥満症の薬物治療では、食事・運動療法といった生活様式の改善に抗肥満薬が併用されることから、Y5受容体拮抗薬の抗肥満薬としての可能性について、臨床使用を想定した摂餌制限との併用効果について検討した。また、ヒト肥満患者における既存の抗肥満薬単独の体重減少作用が小さいことから、現在臨床使用されている抗肥満薬の一つであるシブトラミンとの併用効果も検討した。高脂肪食を予め与えた肥満マウスにおいて、Y5受容体拮抗薬の慢性投与、10%の摂餌制限、およびシブトラミン投与は、いずれも単独で7-9%の体重減少を示した。Y5受容体拮抗薬の慢性投与に、10%摂餌制限、またはシブトラミン投与を併用することで、単独処置よりも体重減少作用の増強が認められ、Y5受容体拮抗薬がヒト肥満患者においても単剤、および既存の抗肥満薬であるシブトラミンとの併用薬として有用である可能性が示唆された。

以上、本研究より、肥満やエネルギー代謝におけるY5受容体の役割を明らかにし、Y5受容体拮抗薬がヒト肥満患者の治療薬として有用である可能性を示唆した。これらの研究成果は、博士(薬学)の授与に値すると判断された。

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