学位論文要旨



No 217394
著者(漢字) 衣笠,文貴
著者(英字)
著者(カナ) キヌガサ,フミタカ
標題(和) 新規histone deacetylase阻害剤FR276457の移植臓器拒絶抑制効果に関する研究
標題(洋)
報告番号 217394
報告番号 乙17394
学位授与日 2010.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第17394号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 八村,敏志
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 准教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

臓器移植は末期機能不全の臓器を、他者(ドナー)の臓器と置換することで生命を維持し、クォリティ・オブ・ライフ(QOL)の向上を目指す根本的治療法である。移植臓器は移植を受けた患者(レシピエント)からは「他人」と判断され、そのままでは強い拒絶反応(免疫反応)により拒絶に至る。この拒絶反応抑制が臓器の生着に必須であり、免疫抑制剤がその役割を担ってきた。1980年代以降、カルシニューリン阻害剤(Calcineurin inhibitors; CNIs)であるcyclosporin Aやtacrolimus (FK506)といった優れた免疫抑制剤が登場し、生着率は著しく向上した。しかし、CNIsには腎毒性等の副作用が報告されており、その使用は制限される。したがって、CNIsと同等の強い免疫抑制効果を有しかつ副作用がない、新しい基礎治療薬が移植医療現場で望まれている。さらに、アンメットメディカルニーズの一つとして、慢性拒絶の抑制が挙げられる。例えば腎移植では、慢性拒絶とは、間質の線維化、尿細管萎縮、血管内膜肥厚などに代表される病理像を伴いながら腎機能が失われていく拒絶反応で、移植後数ヶ月から数年後にかけて緩やかに起こることが知られている。しかし、CNIsも慢性拒絶には有効性を示さず、むしろCNIsが有する腎毒性が慢性拒絶を引き起こしていると考えられている。そこで、CNIsと同等な強い免疫抑制効果を示し、かつ慢性拒絶を抑制する新規化合物の探索を行った。その標的として、histone deacetylase(HDAC)を選択した。

HDACは遺伝子の転写を調節する酵素として知られている。その調節メカニズムとしては、DNAが巻き付いたヒストンのアセチル化レベルを調節することにより、クロマチン構造を変化させ、転写因子とDNAのプロモーターの結合を変化させることが考えられている。実際にヒストン蛋白質のアセチル化状態が細胞の機能、増殖、分化に影響を与えることが報告されており、HDAC阻害により、拒絶反応に関与する細胞の活性化を抑制できると考えた。これまでにHDAC阻害剤と免疫抑制効果に関する報告はあるが、移植医療に応用可能なHDAC阻害剤は未だ報告はされていない。本研究では強力なHDAC阻害作用を有するFR276457を見出し、その移植臓器拒絶抑制効果について明らかにした。

FR276457のin vitroにおける免疫抑制効果

ヒトにおいて、classical HDACは少なくとも11種類報告されており、系統発生的にclass I HDAC(HDAC1, 2, 3, 8, 11)とclass II HDAC(HDAC4, 5, 6, 7, 9, 10)に分類されている。今回、そのうちの6種類のHDAC酵素(HDAC 1、2、3、4、6、8)の活性に対するFR276457の阻害活性を検討した。その結果、FR276457はいずれのアイソザイムに対しても同等の阻害作用を有しており、pan-HDAC阻害剤と考えられた。また、T細胞増殖因子IL-2産生に必要な転写因子の一つNF-κBの活性化阻害作用を有することが明らかになった。本阻害作用は本薬剤のT細胞増殖抑制効果を期待させるものであった。次に、in vitroにおいてT細胞マイトジェンであるコンカナバリンAで刺激したラット脾臓細胞の増殖をtacrolimusと同様に抑制した。さらに、ヒトT細胞株Jurkat細胞の増殖も抑制し、ヒトにおいて免疫抑制効果を発揮することが期待された。

FR276457はラット異所性心移植モデルで移植心の生着を延長する

移植臓器に対する免疫抑制効果を明らかにするため、ラット異所性心移植モデルでFR276457の評価を行った。Vehicle投与群では、移植された心臓は1週間以内に全例拒絶され、拍動が停止した。それに対し、FR276457 20mg/kgあるいは40mg/kg投与群(投与期間14日間、1日1回投与)では、移植された心臓の生着日数の中央値(MST)はそれぞれ17、21日となり、FR276457は有意に移植心の生着日数を延長した。さらに単剤では十分な有効性を示さない用量のtacrolimus 0.032mg/kg(MST=16日)と併用することにより、FR276457は単剤では効果がない10mg/kg(MST=6日)以上の用量から有意に移植心の生着日数を延長し、顕著な併用効果を示した(MST=>28日)。FR276457が現在移植治療剤として最も使用されているtacrolimusと併用効果を示すことは、臨床応用を考えた場合、大変意味のある結果であった。さらに臨床において強い有効性とともに懸念されている毒性を有するtacrolimusを減量できることは、臨床的に意義があると考えられる。

FR276457は抗原特異的な細胞傷害活性を抑制する

移植後5日時点のvehicle投与群、FR276457 40mg/kg投与群とFR276457 10mg/kgのtacrolimus併用群の移植した心臓の病理像を比較した。その結果、vehicle投与群では、炎症性細胞の浸潤並びに心筋構造の破壊が観察された。TacrolimusとFR276457の併用群では、炎症性細胞の浸潤が抑制され、心筋構造が保持されていた。一方で、FR276457投与群では心筋構造が保持されていたが、vehicle投与群と比較して抑制されているものの炎症性細胞の浸潤が観察された。さらに免疫染色を行った結果、FR276457投与群ではvehicle投与群と比較してマクロファージの浸潤は抑制されていたが、T細胞の浸潤は抑制されていなかった。そこで、vehicle投与群、FR276457投与群から移植心に浸潤した細胞を回収し、それぞれの細胞傷害活性を検討した。その結果、vehicle投与群由来の浸潤細胞は、自己抗原やthird party抗原に対しては細胞傷害活性を示さずに、アロ抗原に対してのみ強い細胞傷害活性作用を示し、抗原特異性を有していた。一方、FR276457投与群由来の移植心浸潤細胞の細胞傷害活性は強く抑制されていた。さらに、浸潤細胞をCD8陽性T細胞、CD8陰性T細胞に分離し、それぞれの画分の性質を検討した。その結果、FR276457投与群由来のCD8陽性T細胞の傷害活性は、vehicle投与群のそれと比較して細胞傷害活性が抑制されていた。FR276457投与群由来CD8陰性T細胞による細胞傷害活性抑制効果は認められなかった。以上の結果から、FR276457は抗原特異的なCD8陽性T細胞の分化抑制により拒絶を抑制していると考えられた。さらに、vehicle投与群由来CD8陽性T細胞の細胞傷害活性をFR276457のin vitro添加により抑制したことから、傷害活性を有する細胞に直接作用し、抑制している可能性も考えられた。

FR276457はイヌ腎移植モデルで移植腎の生着を延長する

FR276457の臨床での効果の予測性を高めるため、イヌ腎臓移植モデルにおける効果を検討した。その結果、無処置群では移植腎は移植後2週間以内に拒絶されたが、FR276457投与群では腎機能が改善され、MSTが29日となった。次に、単剤では効果を示さないtacrolimus 0.04mg/kg(MST=15.5日)との併用効果について検討を行ったところ、FR276457は併用効果を示し、長期間移植腎が生着した(FR276457 5mg/kgとの併用投与群のMST=>88日)。HDAC阻害剤が大動物の移植モデルで有効性を示した報告はなく、本研究により初めてHDAC阻害剤の移植薬として有効性を示した。

FR276457はラット尿管片側結紮障害モデルにおいて線維化を抑制する

ラット片側尿管結紮障害モデル(UUOモデル)を用いてFR276457の線維化に対する作用を評価した。病理組織学的解析により、vehicle投与群に比べて、FR276457 20mg/kgあるいは40mg/kg投与により、間質の線維化面積は減少した。また、線維化の指標となるハイドロキシプロリンの産生、TGF-β1やcollagen type 1 α1のmRNAの発現なども抑制されていた。これらは、転写因子NF-κB阻害作用に基づくケモカインの1つMCP-1の産生抑制により、線維化を引き起こすマクロファージの浸潤が抑制されたためと考えられた。以上の結果から、FR276457は慢性拒絶の特徴の一つである間質の線維化を抑制することが明らかになった。

総括・まとめ

本研究において、HDAC阻害剤FR276457がラット異所性心移植モデル、イヌ腎移植モデルにおいて、単剤並びにtacrolimusと併用することにより急性拒絶を強く抑制することを示した。本結果は、臨床においてtacrolimusの減量の可能性を示し、現在問題となっているtacrolimusの毒性を軽減できる可能性を示した。また、これら拒絶抑制効果は、抗原特異的な細胞傷害活性を抑制することにより発揮されていることが考えられた。ラットUUOモデルの結果から、未だ治療薬のない慢性拒絶の特徴の一つ腎の間質の線維化に対してもFR276457は抑制効果を有する可能性を示した。以上の結果より、HDAC阻害剤FR276457は既存の薬剤とは全く異なるメカニズムを有する、急性拒絶だけでなく慢性拒絶をも抑制しうる新しい治療薬になる可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

カルシニューリン阻害剤(CNIs)のtacrolimus等の登場以降、移植臓器への急性拒絶の抑制が可能となり、1年生着率は向上した。しかし、移植腎において間質の線維化等を伴う慢性拒絶が原因で、移植後10年以降の生着率は満足できていない。現在、慢性拒絶抑制剤はなく、CNIsはその腎毒性のため慢性拒絶の原因の一つと考えられている。したがって、CNIsと同等の強い免疫抑制効果を有しかつ副作用がなく、慢性拒絶をも抑制する基礎治療剤が望まれている。

本論文では、免疫抑制剤の標的として、histone deacetylase(HDAC)を選択し、強力なHDAC阻害活性を有するFR276457を見出し、その移植臓器拒絶抑制効果について明らかにしたものである。HDACはヒストンあるいは転写因子のアセチル化レベルの調節により転写を制御し、細胞の増殖や分化に影響を与えることが報告されており、HDAC阻害により拒絶反応に関与する細胞の活性化を抑制できると考えた。

研究の背景と意義について述べた緒言に続き、第1章では、HDAC阻害剤FR276457のin vitro活性を検討した結果が述べられている。HDACアイソザイム11種のうち、HDAC1、2、3、8(class I HDAC)及びHDAC4、6 (class II HDAC)に対してFR276457は同等の阻害活性を示し、pan-HDAC阻害剤と考えられた。さらに、FR276457がT細胞増殖因子IL-2の転写因子NF-κBの活性化及びヒトT細胞株Jurkat細胞の増殖を阻害することを示した。

第2章では、ラット異所性心移植モデルでのFR276457の急性拒絶抑制効果について検討した。Vehicle投与群では、移植心は1週間以内に拒絶されたが、FR276457 20mg/kgあるいは40mg/kg投与群では、移植心の生着日数中央値(MST)は17、23.5日となり、生着日数を有意に延長した。さらにtacrolimus 0.032mg/kg(MST=16日)との併用により、FR276457単剤では無作用量の10mg/kg(MST=6日)から生着日数を有意に延長した(MST >28日)。FR276457がtacrolimusと併用効果を示したことから、本組合せにより臨床においてtacrolimusを減量できる可能性が示唆された。移植5日後のvehicle投与群及びFR276457 40mg/kg投与群の移植心の病理像を検討した結果、vehicle投与群では心筋構造が破壊されていたが、FR276457投与群では保持されていた。しかし、細胞浸潤は両群共に観察された。そこで、移植心浸潤CD8陽性T細胞の細胞傷害活性を検討した結果、vehicle投与群ではアロ抗原特異的な細胞傷害活性を示したが、FR276457投与群では強く抑制されていた。以上の結果から、FR276457の急性拒絶抑制メカニズムとして、抗原特異的CD8陽性T細胞への分化抑制が考えられた。

第3章では、臨床効果予測性が高いイヌ腎移植モデルでのFR276457の急性拒絶抑制効果について検討した。無処置群では移植腎は移植後2週間以内に拒絶されたが、FR276457投与群ではMSTが29日と延長した。さらに、tacrolimus 0.04mg/kg(MST=15.5日)と併用効果を示し、長期間移植腎が生着した(FR276457 5mg/kgとの併用群のMST >88日)。HDAC阻害剤の大動物移植モデルでの有効性を初めて示し、臨床で有効性を示す可能性が示唆された。

第4章では、ラット片側尿管結紮障害モデル(UUOモデル)でのFR276457の腎の線維化抑制効果について検討した。病理組織学的検討及び腎含有ハイドロキシプロリン量の測定結果から、FR276457 20mg/kgあるいは40mg/kgは、vehicle投与群と比較して、間質の線維化を抑制した。線維化抑制メカニズムとして、NF-κB活性化阻害に基づくMCP-1産生抑制によるマクロファージの浸潤抑制が示唆された。

総合討論では本研究で得られた新知見の意義についてまとめられている。

本研究により、HDAC阻害剤FR276457は急性拒絶だけでなく慢性拒絶をも抑制しうる新しい治療薬になる可能性が示唆された。また、その機構について新知見が得られ、学術上、応用上の意義は少なくない。よって審査委員一同は、博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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