学位論文要旨



No 217400
著者(漢字) 村尾,誠一
著者(英字)
著者(カナ) ムラオ,セイイチ
標題(和) 中世和歌史論 : 新古今和歌集以後
標題(洋)
報告番号 217400
報告番号 乙17400
学位授与日 2010.09.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17400号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,泰明
 東京大学 教授 長島,弘明
 東京大学 教授 藤原,克巳
 東京大学 准教授 肥爪,周二
 東京大学 教授 市川,裕
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、「中世和歌史論」という論題のもとに、中世における和歌の史的な展開を、作品や事象に即して論じたものである。それを通して中世和歌とは何であるかを把握しようと試みた論である。具体的には、本論の部分において、おおよそ十三世紀から十五世紀まで、歌人としては後鳥羽院から正徹までを範囲に考察した。

『新古今和歌集』において古典主義を基調とした様式が中世和歌の時代様式として完成し、その様式を基本としながら様々な問題を含みつつ展開した以後の和歌を、史的に把握して論述しようとしたものである。「新古今和歌集以後」という副題を添える所以である。方法については、特定な理論的な枠組みに依拠するのではなく、それぞれの時代の作品そのものや言説を読みこみ、それが何を表現しようとしているのか、述べようとしているのかを理解することを重視しながら、論述を進めることを基本にしている。

本論に先立ち「和歌史における中世―その始発期をめぐって」と題する序章を置いた。十二世紀において、源俊頼により示された、過去における膨大な和歌の蓄積を重荷として意識するという時代の課題の自覚を経て、その重荷を、規範性を持った資産として意識しその上に立つことで新たな創造を生み出そうとする古典主義の成立に、中世和歌の時代様式の成立を見据えた。歴史上の中世の始発期に、主として藤原俊成・定家の手により、その理念を様式として確立させて行く過程を考察した。

本論に入り、第一章「後鳥羽院における新古今和歌集とそれ以後」では後鳥羽院を中心に考察した。俊成・定家の確立させた古典主義を引き継ぎ自らの和歌様式を形成し、その古典主義に基づく様式を時代様式として『新古今和歌集』という勅撰和歌集に開花させる中心となったのが院である。その意味でも中世和歌史の展開の上では、この歌人の存在は極めて重い。

第一節「後鳥羽院正治初度百首と勅撰和歌集への意志―『正治和字奏状』の再検討を発端に―」では、後鳥羽院が最初に主催した大規模な和歌会の成立過程を再考することで、院の勅撰和歌集編纂への意思形成の問題を問うた。院はその活動の始発から勅撰和歌集を意識していたことを明らかにした。第二節「建仁二年の後鳥羽院―歌風形成から中世和歌へ―」では、俊成・定家が確立させた方法を受け継ぎ、その成果をも参照しながら、短時間で時代にふさわしい歌人に成長した後鳥羽院の歌人形成の過程を考察した。第三節「建保期の後鳥羽院―藤原定家の本歌取方法論とのかかわりにおいて―」では、後鳥羽院の円熟期における作風を検討し、ディレッタント的な側面を明らかにした。第四節「後鳥羽院と本歌取」では、時代様式を支える本歌取という方法への後鳥羽院の意識の一端を考察した。以上の節を通して、時代様式が完成した後に形成された後鳥羽院の歌人としてのあり方を考察し、『新古今和歌集』を実現させる主体の文学的な基盤を問うとともに、完成した様式を展開させる中世和歌の先駆的な存在としての後鳥羽院の姿を明らかにした。

歌人としての後鳥羽院には、生涯の最後の二十年を承久の乱の結末の流罪により、離島隠岐で過ごすという、和歌が前提としていた宮廷社会を離れた環境での文学活動という問題がある。最後の二節ではその問題を考察した。第五節「後鳥羽院御口伝の執筆時期再考」では、後鳥羽院の個性的な歌論書の執筆時期を隠岐配流以後と改めて考えることを通して、この歌論書のもつ問題を時代との関連で考察した。第六節「隠岐の後鳥羽院―遠島百首雑部の検討を通して―」では、その作品に即しながら、中世における歴史的な体験に直面し、都から離れて詠作することを余儀なくされた院の文学のあり方を問うた。

第二章「新古今和歌集直後の諸相」では、『新古今和歌集』完成直後の和歌の状況について問うた。その編纂が一段落した十三世紀初頭のこの時期は、その代表的な年号から「建保期」と呼ばれる場合がある。一つの輝かしい達成の終わった、やや弛緩した亜流の時代と位置付けられることが多い。しかし、この時代を、後に長く続いて行く和歌史的状況の最初の時代と位置付け、論を展開した。

第一節「建保期の歌壇と藤原定家」では、様式の完成者である定家とこの時代の歌壇との関わりを論じた。第二節「新古今和歌集直後の和歌表現の一側面―土御門院百首を中心に―」では、時代の主流的な活動からは隔絶された存在が、時代様式を纏う様子を考察した。第三節「新古今和歌集直後の和歌の諸相に関する試論」では、この時期の和歌表現のあり方を、時代の随伴者である藤原範宗の詠作活動、その時代の指導的立場となった定家の批評活動、その時代の宮廷歌壇の主催者である順徳天皇の歌論から問うた。さらに、第四節「新勅撰和歌集論のために―花実論という視座―」では、その時代の後に編纂された『新勅撰和歌集』について、『新古今和歌集』との差違を語る言説である花実論に注目し、時代様式の確立期と継承期とのあり方の違いを論じた。

第三章「二条為世の時代」では、二条為世を中心に、主として十四世紀の問題を考察した。古典主義が守旧主義と化して、保守本流を自認する二条為世等により継承されると考えられている時代である。その中で生成する表現の活力を見ようとする意図でのものである。また、この時代には守旧主義に対立するものとして京極派の革新主義が注目されるが、対立よりもむしろ、為世和歌への影響や、時代の様式としての広がりの面に注目した。

第一節「二条為世試論」では、勅撰集撰者をつとめる時期の完成期の為世の表現と方法を問うた。第二節「初期二条為世論」では、初期の歌風形成期の為世について考察した。この両論を通して見えてきた京極派的なものとの接点について本格的に論じたのが第三節「中世和歌における京極派的なるもの―二条派和歌との接点からの試論―」である。そこでは、京極派的な革新的な歌風が、十四世紀における時代様式としての広がりも持つという把握を試みた。

第四章「勅撰和歌集の終焉期」では、勅撰和歌集が終焉を迎える十五世紀の問題を考察した。すでに自ら注釈を行った最後の勅撰和歌集となった『新続古今和歌集』の問題から始まり、従来十分論じられてこなかった勅撰和歌集の終焉という問題を考察した。また、この時代の特異な個性の歌人として注目される正徹についても論じた。特に、歌人として十分成熟しながらも勅撰和歌集に入らずに終わってしまった問題を集中的に論じ、勅撰和歌集により歌人が評価される時代から、そうした権威が失われる時代への結節点として考察した。

第一節は「新続古今和歌集」として、必ずしも一般的に注目されていない最後の勅撰和歌集についての概説を置いた。第二節「新続古今和歌集のなかの文学史―ふたつの宇津山―」では、撰者となった雅世の家である飛鳥井家代々の歌人達の作品を考察しながら、この歌集が古典主義の連鎖の中にあることを明らかにした。第三節「勅撰和歌集の終焉」では、挫折した二十二番目の勅撰和歌集に関して、撰者に下命された飛鳥井雅親に注目して、その挫折の様相を問い、応仁の乱が勅撰和歌集の終焉の直接の原因ではあるが、和歌史の内部にもその要因が存在することを明らかにした。

以下、『新続古今和歌集』の撰にもれた正徹について論じた。第四節「正徹と新続古今和歌集」では、この歌集の実質的な推進者である足利義教の忌避により撰入されなかったとされる、よく語られる見解に対して、落撰直後や、勅撰集撰集期の正徹の有様を考察することで、その期待と絶望の様を明らかにするとともに、勅撰和歌集の世界から遠い正徹の社会的なあり方も考察した。第五節「正徹和歌の特質―『前摂政家歌合』を視座に―」では、公家中の公家である一条兼良が主催し判詞を書いた歌合を中心に、正徹の公家的な世界からの逸脱の様子を考察した。第六節「正徹と新古今和歌集」では、中世和歌の始発となった勅撰和歌集と正徹との関係を考察し、彼に向かう和歌伝統の多様性について考えた。最後に第七節「残照の中の王朝的世界」では、正徹を視座に、十五世紀という時代にあって、王朝的な世界を継承しながらも、その世界の捉え方が、本来あったはずのあり方から変質している様を論じた。

本論を承けて、十六世紀とそれ以後への展開を視野に、和歌史における中世の終焉の問題を考察したのが終章「和歌史における中世―その終焉をめぐって」である。応仁の乱以後の状況を正徹の弟子の正広の活動から考察することからはじめ、和歌史の上での十六世紀の位置付けや、明治期までを視野にいれて古典主義の行方の問題を論じ、徳川幕府の成立に至るまで、和歌史の中世の終焉の問題をオムニバス式に論じて、全体を閉じた。

以上、古典主義を基調としながらも大きな振幅で作品が作られ続ける中世における和歌の展開の、通史的な見通しを立てることを意図したのが本論文である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、後鳥羽院と『新古今集』、二条為世、『新続古今集』、正徹らをめぐり、中世和歌史の本質を追究したものである。まず冒頭の「序章」において、「古典主義」を鍵概念として和歌史における中世の始発期を『新古今集』に見出したうえで、その後、本論を四章計二十節および終章に分かって分析を進める。

第一章「後鳥羽院における新古今和歌集とそれ以後」は、後鳥羽院の歌人論。正治初度百首の催行の背後にすでに勅撰集撰集への意図があったことを推定し、その根拠として『正治和字奏状』という新視点を提案する(第一節)。建仁二年の後鳥羽院の歌風を、時代様式を受け止めた上での急速な成熟という側面から捉え(第二節)、建保期の院に、古歌と戯れるような機知的な詠作法を見出し(第三節)、『後鳥羽院御口伝』の本歌取論を新古今以後の時代背景の中で捉え(第四節)、同書の隠岐述作説を歌壇の権力構造の視点から補強し、かつ宛先として藤原基家を提案し(第五節)、『遠島百首』は宮廷における感情伝達を目指す王朝の文学伝統を志向するものと規定する(第六節)。

第二章「新古今和歌集直後の諸相」は従来軽視されてきた『新古今集』から『新勅撰集』の間の和歌活動を論じる。建保期の定家の和歌に創造性を認め、その背後に和歌の正統性への希求を想定し(第一節)、『土御門院百首』をもとに、表現の時代的流行を主体的に利用する歌人土御門院の方法を跡づけ(第二節)、建保期の手法の特徴を『新古今集』で規範化した表現の再構成に見(第三節)、『新勅撰集』を「実」の集と規定する中世的言説は、「花」よりも「実」を尊ぶ中世的な花実論に基づくものであるとする(第四節)。

第三章「二条為世の時代」は鎌倉時代後期の和歌宗匠二条為世の論。古典世界の再構成という新古今時代を起源とする中世和歌的な「型」のあり方を、為世の作品から抽出し(第一節)、その初期の作品に、古典主義的ながら巧みに差異化を図る方法を認め(第二節)、二条派・京極派に共通の時代的構図があることを指摘する(第三節)。

第四章「勅撰和歌集の終焉期」においては、まず勅撰二十一代集の掉尾を飾る集でありながら本格的研究のなかった『新続古今集』につき、第一節の概括の後、撰者飛鳥井雅世の家の歴史への意識と古典主義の連鎖の方法を読み解き(第二節)、飛鳥井雅親の挫折した勅撰集の試みに対し、勅撰集の担い手の変化をその背景として指摘する(第三節)。同章後半は正徹を扱う。正徹が勅撰集作者となれなかった経緯をたどりつつ、彼の「実」をも捨てない詠歌態度を浮かび上がらせ(第四節)、古典を材料にして実感的世界を表現するその特異な発想(第五節)や「幽玄」と名づけられた新古今的表現の継承点を明らめ(第六節)、現実から乖離し観念化されたと見なされる宮廷文化の流れの中で捉える(第七節)。

終章では、古典主義に新たな要素が加わる形で変質してゆく近世初期和歌史への理解を通して、中世和歌史の終焉を見定める。

本論文は、主要な中世歌人・和歌作品を緻密に読み解くことで、それらの新たな和歌史的意味づけを成し遂げつつ、なおかつそれらを総合して新鮮な中世和歌史の全体像を提示しえている。取り上げなかった主要作品も少なくなく、それらはさらに今後論じられる必要があるが、本審査委員会は上記のような研究史的意義を認め、本論文が博士(文学)の学位に十分値するとの結論に至った。

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