学位論文要旨



No 217406
著者(漢字) 金湖,富士夫
著者(英字)
著者(カナ) カネコ,フジオ
標題(和) 船舶安全対策のリスク評価手法に関する研究
標題(洋)
報告番号 217406
報告番号 乙17406
学位授与日 2010.09.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17406号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,克幸
 東京大学 教授 末岡,英利
 東京大学 教授 浦,環
 東京大学 教授 大和,裕幸
 東京大学 教授 青山,和浩
内容要旨 要旨を表示する

序論では、本研究の背景とその目的を述べ、本研究の基礎となるリスク評価について略述し、船舶の安全向上の必要性を示すために現状の船舶のリスクレベルを示し、さらに、安全対策、すなわちRCO(Risk Control Option)の設置を正当化するためにRCOによるリスク低減効果を高精度で推定する技術を開発し、リスクによる安全の主張を可能とする方法論の提案を目指した本研究の意義を示した。

今後の海事分野の安全基準、船舶設計のパラダイムはFSA(Formal Safety Assessment)、GBS(Goal Based Design)、そしてリスクベース設計と言える。それらに共通の方法論はリスク評価であって、リスクによる安全の主張を目的としている。リスク評価とはすなわち、評価対象の事故発生頻度と事故時の被害の程度を求めることによりその積の概念であるリスクを求め、リスクとALARP(As Low As Reasonably Practicable)領域を比較してその領域を超えているならば即座にRCOを考慮する、また、評価対象のリスクがALARP領域に入っているならばRCOを検討し、それらのRCOによるリスク減少の推定値とRCOのコストとを比較して費用対効果が良いと判定されるならばそのRCOを導入する、さもなくば費用対効果が良いRCOをさらに検討することを継続する、ということになる。何もしなくても良いのは評価対象の現状のリスクがNegligible領域に入っている場合のみである。現状船舶の安全向上の必要性を確認するため、LRFP(Lloyd's Register Fairplay)による海難および船舶要目データから、貨物船と旅客船の主要船種のリスクレベルの解析を実施した。

貨物船の7つの主要船種(LPG船、LNG船、タンカー、バルク/オアキャリア、一般貨物船、RORO貨物船、コンテナ船)においては、最近10年間のリスクレベルはALARP領域にあることが判明した。旅客船も、FN(Frequency vs Number of Fatality)線図による解析により、主要な旅客船3船種(貨客船、RORO旅客船、クルーズ客船)も現在はALARP領域であることが確認された。したがって、現状の船舶は貨物船、旅客船とも同様費用対効果が高いRCOを継続的に検討すべきである。

2章では、リスクによる安全の主張を可能とする船舶の高精度なリスク解析を目指して開発された手続きを示し(Fig.1)、事故発生シナリオおよび災害進展シナリオにおける人命損失リスク評価方法の詳細を説明している。

人命損失をもたらす主な事故として、1) 衝突、2)接触(岸壁への衝突等、固定された物に対する衝突のこと。海難審判庁による事故の区分では単衝突とされている)、3) 乗揚、4) 着火(爆発を含む)、5) 転覆、6) 船体損傷、7)開口生成を考慮した。機関損傷はそれ自体が直接人命損失をもたらすことは稀なため、ここでは人命損失をもたらす事故とはみなさないことにするが、操船不能となることにより衝突、座礁あるいは転覆や船体損傷の原因となる。転覆や大きな爆発は、避難のための時間のない瞬時災害として本研究では別扱いにしている。事故発生後、人命損失をもたらす主な災害として、浸水災害と火災災害がある。ここで提案した船舶のリスク評価手続きは、起因事象から事故発生に至るまで、事故発生後災害進展から死者が出るまでの過程を明示し、リスクを求めるために、それぞれの過程において重要な13の機能を上げて説明を加えた。3,4章で論じるRCOによるリスク削減効果を解析する手法はその手続きに基いている。

3章では、衝突リスクを削減するためのRCOとして航行環境整備による衝突事故発生防止対策を取り上げる。まず、衝突事故発生頻度を求める新たな確率論的推定法を提示した。次に、効果的な衝突事故防止対策として航行分離があるが、現在日本内海に設定されている航行分離航路の例として浦賀水道航路を取り上げ、同航路において航行分離が大幅な衝突発生頻度の減少をもたらしたことを本研究で開発した方法を用いて確率論的に可能な限り厳密に示した。浦賀水道航路の設置により、衝突危険発生数が3分の1になることが浦賀水道航路航行船の観測結果と本研究で開発した理論的方法により推定された。また、事故データより浦賀水道航路の設置により衝突頻度が約7分の1になることが示されたが、この理由を航行方向による衝突回避失敗確率の違いを考慮することにより、説明可能であることを示した。また、衝突防止RCOとして、航行分離に加えて速度管理を実施した場合の効果についても検討した。その結果、浦賀水道航路航行船舶の速度分布の標準偏差を現状の10%にするよう速度管理を行うことにより、さらに衝突危険発生数がさらに4分の1になることが推定された。さらに、それら衝突防止RCOのリスク削減効果を評価した。その結果、航行分離により、1日1回浦賀水道航路を往復すると仮定した場合は、1隻1年当たりの人命損失リスクの減少分は1.57×10-3 [人/(隻・年)]であり、1隻のライフタイムを25年とすれば、人命損失リスク減少分は1隻当たり3.93 ×10-2 [人/隻]となり、FSAガイドラインによれば、1隻当たり最大0.118 million US$(=1,180万円, 100円@US$)のRCOが正当化され、その額は浦賀水道航路設置によるリスク減少値に見合う浦賀水道航路通航船舶の負担額の最大値とみなすことができる。また、速度の平均値は現状のままで、速度の標準偏差を現状の10%にした場合の1隻1年当たりの人命損失リスクの減少分は1隻当たり4.96 ×10-3[人/隻]となり、1隻当たり最大0.0149 million US$(=149万円, 100円@US$)のコストが正当化されることになる。

4章では、対象船舶としてクルーズ客船、そして対象災害として居室火災を取り上げ、火災および避難シミュレーションを行い得られた人命損失数の推定結果より火災進展防止RCOのリスク評価を行う手法を示し、例題として、消火器による初期消火、スプリンクラ、防火扉、消火栓を考慮し、それらの火災災害進展防止RCOによるリスク削減効果を評価した。この方法の一部として、成功時間確率密度関数が定義された火災対処の一般化イベントツリーが開発された。また、一般化イベントツリーと成功時間を区分してイベント毎の成功時間の区分の組合せの避難成功における順序関係を定義することにより、火災および避難シミュレーションを実施すべき火災進展シナリオの数を大幅に削減する手法が開発された。これらの手法を乗船者120人の小型旅客船に適用して種々の火災のRCOの組合せの人命損失リスクを求めることができた。また、リスクの上限と下限を求めることができ、リスク評価の不確実さの評価を実施してリスク評価結果の信頼性を高めることが可能となった。

この手法により得られた小型旅客船の居室火災リスクの推定値(PLL)は3.57×10-6[人/(隻*年)])である。1993年以降はすべての船舶の乗船者数は乗客定員の相乗平均値(259人)で、死者数は乗船者数に比例するとの仮定を置くと、ここで得られた小型旅客船の居室火災リスクから推定した1993年以降のクルーズ客船の居室火災の平均的な人命損失リスクは7.71×10-6 [人/(隻*年)]となり、この値は1993年以降のクルーズ客船の居室火災の人命損失リスクの半分弱程度となる。これより、ここで開発した手法は居室火災リスクの推定の点である程度妥当性があると言えると思われる。

5章では、まとめとして本論文の意義を示し、本論文で提案された各種の手法の概要をまとめた。本論文の最も重要な結論は、対象船舶のリスクを求める包括的な手続きが得られ、同手続きの例題への適用により、リスクによる船舶の安全の主張が可能であることが示されたことである。

本論文では船舶というハードウエアの設計のリスク評価だけでなく、船舶外部の航行環境まで含めた運航時のリスク評価を実施して、リスクによる船舶の安全を主張することが可能であることを示した。リスクによる安全の主張は、基準の順守による安全の主張より多くの時間と労力が求められるため、比較的安価な船舶には適用しづらいかもしれないが、その方法論が確立すれば、未だ基準による安全の主張が現実的であるタンカーやバルクキャリア等の従来型船舶でもリスクによる安全の主張が可能となり、結果として海事分野全体の安全が向上することが期待できるとともに、新たな技術の導入、あるいは新たなコンセプトの船舶の開発、運航をこれまでより容易に可能とする道が開かれることになり、設計自由度の拡大により海事分野の経済性の更なる向上も期待できると思われる。

Fig.1 船舶設計のリスク評価過程

審査要旨 要旨を表示する

本論文の目的は、著者により開発された船舶の安全対策の高精度なリスク評価手法を提示し、開発された手法を例題に適用することによってその手法の有効性を示すことである。

本論文は5章からなり、第1章は序論、第2章は船舶のリスク評価の方法論について、第3章は航行環境整備による航行安全対策の評価手法の開発について、第4章は船舶火災安全対策のリスク評価手法の開発について、そして第5章で結論が述べられている。

第1章では、本研究の背景としてFSA(Formal Safety Assessment)、GBS(Goal Based Design)、そしてリスクベース設計に顕著に見られる最近の海事分野におけるリスク評価の導入、およびそれによる安全基準や設計におけるパラダイムの変化、すなわち船舶の安全を明示するために、これまでの基準による安全の主張からリスクによる安全の主張への変化が示されている。また、本研究の基礎となるリスク評価が概説され、船舶の安全向上の必要性を示すために現状の船舶のリスクレベルがLRFP(Lloyd's Register Fairplay)による海難および船舶要目データによる解析により示され、現状の主要船種のリスクレベルがALARP(As Low As Reasonably Practicable)であることが示されている。さらに、安全対策、すなわちRCO(Risk Control Option)の設置を正当化するためにRCOによるリスク低減効果を高精度で推定する技術を開発してリスクによる安全の主張を可能とする方法論の提案を目指した本研究の目的が示されている。

第2章では、リスクによる安全の主張を可能とする船舶の高精度なリスク評価手続きが提示され、事故発生シナリオおよび災害進展シナリオにおける人命損失リスク評価方法の詳細が説明されている。また、提案されているリスク評価手続きにはリスクを削減するためのRCOとして事故発生防止、災害進展防止、そして避難支援があり、それらがリスク評価過程にどのように組み込まれるのかについて示されている。

人命損失をもたらす主な事故として、1) 衝突、2)接触(岸壁への衝突等、固定された物に対する衝突のこと)、3) 乗揚、4) 着火(爆発を含む)、5) 転覆、6) 船体損傷、7)開口生成が考慮された。また、人命損失をもたらす主な災害として、浸水災害と火災災害を上げている。本章で提案された船舶のリスク評価手続きは、起因事象から事故発生に至るまで、事故発生後の災害進展から死者が出るまでの過程を明示し、リスクを求めるために、それぞれの過程において重要な13の機能が説明されている。第3章では事故発生防止のRCO,そして第4章では災害(火災)進展防止のRCOによるリスク削減効果が推定されているが、そのための手法は2章で示された手続きに基いている。

第3章では、衝突リスクを削減するためのRCOとして航行環境整備による衝突事故発生防止対策が取り上げられている。まず、衝突事故発生頻度を求める新たな確率論的推定法が提示されている。次に、効果的な衝突事故防止対策として航行分離があるが、航行分離航路の例として浦賀水道航路が取り上げられ、同航路において航行分離が衝突発生頻度を1/7と大幅な減少をもたらしたことが確率論的に可能な限り厳密に示している。また、衝突防止RCOとして、航行分離に加えて速度管理を実施した場合の効果についても検討している。その結果、浦賀水道航路航行船舶の速度分布の標準偏差を現状の10%にするよう速度管理を行うことにより、さらに衝突危険発生数がさらに4分の1になることが示された。その後、それら衝突防止RCOである航行分離と速度管理のリスク削減効果が評価された。

第4章では、対象船舶としてクルーズ客船、そして対象災害として居室火災を取り上げ、火災および避難シミュレーションを行い得られた人命損失数の推定結果より火災進展防止RCOのリスク評価を行う手法が示され、例題として、消火器による初期消火、スプリンクラ、防火扉、消火栓が考慮され、それらの火災災害進展防止RCOによるリスク削減効果が評価された。この方法の一部として新たに開発された成功時間確率密度関数が定義された火災対処の一般化イベントツリーが示された。また、一般化イベントツリーと成功時間を区分してイベント毎の成功時間の区分の組合せの避難成功における順序関係を定義することにより、火災および避難シミュレーションを実施すべき火災進展シナリオの数を大幅に削減する手法が提案された。これらの手法を乗船者120人の小型旅客船に適用して種々の火災のRCOの組合せの人命損失リスクを求められた。また、同手法によりリスクの上限と下限を求めることができ、リスク評価の不確実さの評価を実施してリスク評価結果の信頼性を高めることが可能となった。さらに、この手法により得られた小型旅客船の居室火災リスクと現実のクルーズ客船のリスクとの比較によりその妥当性が示された。

第5章では結論として本研究にて提案された方法により、船舶というハードウエアの設計のリスク評価だけでなく、船舶外部の航行環境まで含めた運航時のリスク評価を実施して、リスクによる船舶の安全を主張することが可能となったことが言及されている。また、リスクによる安全の主張は、基準の順守による安全の主張より多くの時間と労力が求められるが、その方法論が確立すれば、未だ基準による安全の主張が現実的であるタンカーやバルクキャリア等の従来型船舶でもリスクによる安全の主張が可能となり、結果として海事分野全体の安全が向上することが期待できるとともに、新たな技術の導入、あるいは新たなコンセプトの船舶の開発、運航をこれまでより容易に可能とする道が開かれることになり、設計自由度の拡大により海事分野の経済性の更なる向上も期待できることを示唆している。

本論文は、船舶の安全基準や設計へのリスク評価の導入という近年国際的に顕著になりつつある動向、すなわち基準による安全の主張からリスクによる安全の主張へのパラダイムシフトという動向に着目し、それを可能とする技術について包括的に論じ、一部については新たな技術の開発を行ってリスクによる安全の主張を例示しており、学問的、社会的にも重要な意義がある。よって、本論文は博士(工学)の学位を授与できると認める。

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