学位論文要旨



No 217410
著者(漢字) 梅森,久視
著者(英字)
著者(カナ) ウメモリ,ヒサシ
標題(和) ミエリン形成に関わるシグナル伝達経路
標題(洋) The signaling pathway for myelination
報告番号 217410
報告番号 乙17410
学位授与日 2010.09.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17410号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡部,繁男
 東京大学 教授 谷口,維紹
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 宮園,浩平
 東京大学 准教授 伊藤,彰彦
内容要旨 要旨を表示する

A. 概略

ミエリンは神経軸索を一定の間隔をもって隙間を開けながら取り囲んでいる膜構造で、絶縁体として働くため、神経の活動電位はその隙間ごとに引き起こされる。その結果、いわゆる跳躍伝導が可能となって、情報処理速度の上昇がもたらされる。ミエリン形成の異常は脱随疾患として重大な神経機能異常を引き起こす。ミエリンの形成のためには、神経軸索にミエリン形成細胞(中枢神経系ではオリゴデンドロサイト、末梢神経系ではシュワン細胞)が接触し、それにより始まるミエリン形成細胞内のシグナルにより、ミエリンを構成する蛋白質が発現されていくことが必要であると考えられる。しかし、このシグナル伝達経路は今まで明らかにされていなかった。私は、ミエリン形成の初期に、Src癌遺伝子産物のファミリーであるFynチロシンキナーゼが、ミエリン形成に重要な細胞間接着分子であるミエリン関連糖蛋白質 (Myelin-associated glycoprotein; MAG)と結合しており、MAGへの刺激に伴い活性化されること、Fyn欠損マウスではミエリン形成が不完全であることをみいだし、ミエリン形成の初期にFynチロシンキナーゼを介するシグナル伝達が大切であることを明らかにした。さらに、活性化されたFynが、主要なミエリン構成蛋白質であるミエリン塩基性蛋白質 (Myelin basic protein; MBP) 遺伝子の転写を促進すること、MBPプロモーター上のFyn response sequenceに、Fynが活性化している時期に結合する蛋白質のあること、そして、Fyn欠損マウスではMBPの発現量が著明に減少していることを見いだし、MBPがFynのターゲット遺伝子の一つであることを示した。以上の結果は、ミエリン形成に、"MAGへの刺激-Fynの活性化-MBP遺伝子の発現"というシグナル伝達経路が重要であることを示し、ミエリン形成のメカニズムに光明を投じた。この研究は、脱随疾患の病態解明にも役立つであろうと考えられる。

B. 具体的な結果

1. Fynチロシンキナーゼはミエリン形成細胞に発現している

srcファミリー癌遺伝子に属するfyn遺伝子の産物は、非受容体型チロシンキナーゼで、特に血球系と神経系に発現が高い。血球系ではT細胞抗原受容体などの細胞表面蛋白質との相互作用が示されているが、神経系における機能はほとんど明らかにされていなかった。Fynチロシンキナーゼの神経系における機能解析を目的に、まずin situ hybridizationにて、神経系におけるfyn mRNAの分布を調べたところ、fyn mRNAは、神経細胞に加え、ミエリンを形成する細胞であるオリゴデンドロサイトに発現がみられた (Umemori et al., 1992)。そこで、Fynチロシンキナーゼのミエリン形成における役割を検討した。

2. Fynチロシンキナーゼはミエリン形成の初期に活性化されている

ミエリンは、哺乳類では出生後に形成される。ミエリン形成過程にあるマウスの脳(出生後4日目より56日目まで)よりミエリンを精製し、ミエリン形成過程における蛋白質チロシンリン酸化の変化を見たところ、特にその初期(生後4ー8日目)にいくつかのチロシンリン酸化した蛋白質が認められた。この中に、Fynチロシンキナーゼが含まれるのではないかと考え、次に、ミエリンにおけるFynの発現量・チロシンリン酸化・キナーゼ活性の変化を検討した。その結果、Fynは、ミエリン形成過程を通じほぼ一定の発現量を示したが、そのリン酸化とキナーゼ活性は、ミエリン形成過程の初期に高かった。すなわち、Fynチロシンキナーゼは、ミエリン形成過程の初期に活性化されていることがわかった。

3. Fynチロシンキナーゼはミエリン関連糖蛋白質 (MAG)に結合し、MAG刺激により活性化される

ミエリンの形成のシグナルは神経軸索にミエリン形成細胞が接触することで始まると考えられるが、この接触に重要な細胞間接着分子の一つに、ミエリン関連糖蛋白質 (myelin-associated glycoprotein; MAG) がある。MAGは、免疫グロブリンスーパーファミリーに属し、神経細胞とオリゴデンドロサイト間の接着に関与していることが示されている分子で、脱随疾患との関連が示されている。Fynは、ミエリン形成過程の初期に活性化されているので、Fynと相互作用する蛋白質として、このMAGを考え、MAGとFynとの結合様式を免疫共沈法にて検討した。その結果、MAGとFynは、マウスの脳においても、COS細胞にco-transfectionした場合にも、お互いに結合していた。その結合には、FynのSH2とSH3ドメインが必要であった。

次に、MAGとFynをCOS細胞にco-transfectionし、機能的な関連を検討した。共発現後、MAGを抗MAG抗体でクロスリンクすることにより刺激し、Fynのキナーゼ活性の変化を検討したところ、Fynチロシンキナーゼの活性は、MAG刺激後1ー3分以内に、3ー5倍に上昇した。すなわち、MAGとFynは、機能的にも関連していることがわかった。

さらに、in vivoで、MAGとFynとの結合を確認するために、ミエリン形成期のマウスの脳でMAGとFynの局在が一致し、MAGにFynの活性が伴われているかを検討した。ミエリン形成初期のマウス(生後7日目)では、MAGとFynはともにミエリンを形成しているfiber tractおよびオリゴデンドロサイトに発現がみられた。また、免疫共沈法の結果、生体内でもMAGにチロシンキナーゼ活性が結合しており、V8マッピングの結果からそのチロシンキナーゼは、Fynであることが示された。

以上の結果から、FynチロシンキナーゼはMAGと物理的にも機能的にも相互作用しており、MAGからのミエリン形成のシグナルを伝えていることが示唆された (Umemori et al., 1994)。

4. Fyn 欠損マウスのミエリン形成異常

私はさらに、Fyn欠損マウスでのミエリン形成を検討することにより、ミエリン形成における、Fynを介するシグナルの意義について検討を加えた。Fyn欠損マウスでは、ミエリンの形成量が正常マウスに比べ、40ー60%に減少していた。また、電子顕微鏡による観察の結果では、Fyn欠損マウスのミエリンは正常より薄く、不揃いであった。従って、ミエリン形成にFynチロシンキナーゼが重要であることが確認された 。

5. Fynチロシンキナーゼはミエリン塩基性蛋白質 (MBP) 遺伝子の転写を刺激する

私は次に、Fynチロシンキナーゼのターゲット遺伝子を検索した。私は、ミエリンの主要な構成蛋白質である、ミエリン塩基性蛋白質 (myelin basic protein; MBP)に注目した。MBP遺伝子のプロモーターをクロラムフェニコールアセチルトランスフェラーゼ (CAT) 遺伝子とつないだconstructを、細胞に、Fyn発現ベクターあるいはコントロールベクターとともに導入し、FynのMBPプロモーターに対する効果をみたところ、Fynは、MBPプロモーターの活性を約7倍活性化した。MBPプロモーターのdeletionをつくることで、Fynに反応する塩基配列が、MBP遺伝子の転写開始点から-675から-656塩基の部分(Fyn response sequence)にあることがわかった。このFyn response sequenceは、それだけでFynによる転写の活性化に十分であった。さらに、私は、この配列に結合する蛋白質があることを、ゲルシフトアッセイを用いて発見し、この結合蛋白質が、ミエリン形成の初期、すなわちFynが最も活性化されているときに、最も強くFyn response sequenceに結合することを見いだした。これらのことから、Fynは、この結合蛋白質を介してMBPのプロモーターに作用して、MBPの転写を促進することが示唆された。実際、Fyn欠損マウスでは、MBPの蛋白質量が著明に低下しており、FynからMBPへのシグナル伝達経路がミエリン形成に重要であることが示された (Umemori et al., 1999)。

C. まとめ

ミエリンの形成の初期に、Fynチロシンキナーゼが、ミエリン形成に重要な細胞間接着分子のひとつであるMAGと結合しており、MAGからのシグナルをうけて活性化されていること、Fyn欠損マウスではミエリンの形成が不完全であることを私は見いだし、ミエリン形成の初期に、Fynチロシンキナーゼを介するシグナル伝達が大切であることを明らかにした。さらに、Fynが、主要なミエリン構成蛋白質であるMBPの転写を刺激し、その結果、ミエリンが作られていくことを示した。以上の結果は、ミエリン形成のシグナル伝達経路を初めて明らかにしたもので(図1参照)、ミエリン形成のメカニズムの解明、そして、脱随疾患の予防や治療にも役立つことが期待される 。

Umemori H, Kadowaki Y, Hirosawa K, Yoshida Y, Hironaka K, Okano H, and Yamamoto T. (1999). Stimulation of myelin basic protein gene transcription by Fyn tyrosine kinase for myelination.J Neurosci. 19,1393-1397.Umemori H, Sato S, Yagi T, Aizawa S, and Yamamoto T. (1994).Initial events of myelination involve Fyn tyrosine kinase signalling.Nature 367, 572-576.Umemori H, Wanaka A, Kato H, Takeuchi M, Tohyama M, and Yamamoto T. (1992).Specific expressions of Fyn and Lyn, lymphocyte antigen receptor-associated tyrosine kinases, in the central nervous system.Brain Res Molec. Brain Res. 16, 303-310.

図1:ミエリン形成のシグナル伝達経路

神経細胞とオリゴデンドロサイトが相互作用し 、MAGが刺激されると、MAGに結合しているFynチロシンキナーゼが活性化される。Fynは、細胞内チロシンリン酸化そして下流のシグナルの活性化を引き起こし、MBPの転写が刺激される。その結果として、ミエリン形成が促進される。実際、Fyn欠損マウスでは、ミエリン形成の異常が認められる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、神経軸索を取り巻く膜構造であり神経伝達速度を飛躍的に高めるために必要不可欠な役割を果たすミエリンが、どのような分子機構により形成されるかを解析したものであり、下記の結果を得ている。

1、非受容体型チロシンキナーゼであるFynの脳内での発現を調べ、FynのmRNAがミエリンを形成する細胞であるオリゴデンドロサイトに、そしてFyn蛋白質がミエリンに発現していることを見いだした。

2、ミエリンに存在するFyn蛋白質のキナーゼ活性を調べ、Fynチロシンキナーゼが、ミエリン形成過程の初期に著明に活性化されていることを発見した。

3、ミエリン形成初期に、Fynチロシンキナーゼが活性化される分子機構を調べ、その結果、Fynが、ミエリン形成に重要な役割を果たす細胞間接着分子であるミエリン関連糖蛋白質(myelin-associated glycoprotein: MAG)と結合していること、そして、MAGが刺激されると、それに応じてFynチロシンキナーゼが活性化されることをin vitroならびにin vivoの系で示した。

4、活性化されたFynチロシンキナーゼのターゲット遺伝子を検索し、その結果、ミエリンの主要な構成蛋白質であるミエリン塩基性蛋白質(myelin basic protein: MBP)をコードする遺伝子の転写がFynチロシンキナーゼによって促進されることを発見した。また、MBP遺伝子のプロモーター内にFyn response sequenceがあり、そのsequenceにミエリン形成の初期に強く結合する蛋白質が存在することを見いだした。

5、Fynチロシンキナーゼのin vivoでのミエリン形成における重要性をFyn欠損マウスを用いて解析し、Fynが欠損していると、ミエリンが正常より薄く不揃いであり、ミエリンの形成量ならびにMBP蛋白質の量が著明に減少することを示した。この結果、Fynを介するシグナル伝達経路が生体内でミエリン形成に重要であることが証明された。

以上、本論文はミエリンの形成に、ミエリン形成細胞内での「MAGの刺激(神経軸索とミエリン形成細胞との相互作用による)--> Fynチロシンキナーゼの活性化 --> MBP遺伝子の発現」というシグナル伝達経路が重要であることを生体内で示したもので、ミエリン形成の分子機構を世界で初めて明らかにしたものである。ミエリン形成の異常は脱随疾患として重大な神経機能異常を引き起こすが、本研究は、そのような脱随疾患の病態解明、そして、予防や治療にも役立つであろうと期待され、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク