学位論文要旨



No 217412
著者(漢字) 森田,敦郎
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,アツロウ
標題(和) 機械の民族誌 : タイ中小工業における人とモノの動態についての人類学的研究
標題(洋)
報告番号 217412
報告番号 乙17412
学位授与日 2010.09.30
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17412号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福島,真人
 東京大学 教授 山下,晋司
 東京大学 教授 末廣,昭
 東京大学 教授 船曳,建夫
 東京大学 准教授 名和,克郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、第二次大戦後のタイで発展した独自の機械技術とそれに関わる人々についての民族誌である。19世紀末に誕生した広東人の機械工場にルーツを持つタイ土着の機械工業は戦後の経済成長の中で農村部へと広がり、農業機械を中心にした独自の技術を発展させてきた。この産業で生産されている機械は先進国の機械とは異なった奇妙なもので、それを生みだしてきたのは中小工場で働く機械工たちである。本論文は機械工たちの世界と彼らが作り出した機械に焦点を当てて、現代のテクノロジーを研究することの人類学的意義を考察する試みである。

タイの機械の奇妙なあり方は、自然の単一性を前提に文化の多様性を論じる従来の人類学の枠組みでは捉えきれない。この二項対立の中では、人間の創作物であると同時に自然の力を利用する技術は中間的な位置を占めており、多くの人類学者はこの中間性を伝統的な技術を文化の側に近代的な技術を自然の側に割り振ることで解決してきた。だが、こうしたやり方では機械のような近代的な技術の多様性を捉えることは困難である。タイの機械技術の独特のあり方を捉えるためには、文化の多様性を最終的な落としどころにする人類学のあり方を再考する必要がある。

この考察の助けになるのはマルセル・モースの技術論である。モースは、技術を「物質的、機械的な効果をもたらす効果的な伝統的行為」と定義するとともに、機械工学の祖であるフランツ・ルーローの影響を受けた関係論的な道具論に基づいて、人とモノの関係にアプローチしてきた。モースは道具を、タガネやクサビのような単一の物質からなる「ツール」と、柄と刃からなるナイフのように複数の物質からなる「器具」に分類し、さらに器具が組み合わされたものとして「機械」を定義する。モースは道具のこの入れ子状の構成に焦点を当てて、そこに道具を製造する分業関係がいわば集約されていることを指摘した。

モースの技術論は、マリリン・ストラザーンの議論を重ね合わせることで拡張することができる。ストラザーンは、モースがとくに焦点を当てた「効果」が、人やモノに内在する「能力」をあらわにする役割に注目する。機械工たちの能力は、機械の修理や開発の成功が生み出す「きちんと動く機械」という目に見える効果によって可視化される。この能力は、さらに機械工と顧客の間の社会関係の土台となる。加えてこの関係は相互的なものでもある。開発の成功をもたらした機械工の能力やチームワークなどは、その産物である機械そのものの中にいわば畳み込まれている。本論文では、このような目に見える効果と機械に畳み込まれていく諸関係に焦点を当てて、タイにおける機械技術と社会関係の錯綜するあり方を描き出していく。

本論文では、第一部で上記の理論的枠組みとタイ土着の機械工業の概況を紹介したあと、第二部でモノの世界と社会関係が行為の目に見える効果を介していかに結びついているのかを描き出す。続く第三部では先進国からタイへの機械の移動に焦点を当てて、タイ独特の機械のあり方がいかにして形成されたのかを明らかにする。

第二部では、まず第三章で工場の作業の様子を記述し、そこで用いられる言葉や範疇を紹介する。続く第四章では機械工たちが仕事の中で用いる「見る」ことの技法に焦点を当てる。彼らの視覚は、個別の状況で形成される身体、モノ、言語などの密接な関係に基づいている。さらに、視覚は徒弟の学習でも重要な役割を果たす。弟たちの視点は、分業の枠組みをとおして仕事の細部に引きつけられ、熟練工が語る経験をとおしてそれを見るようになる。こうして徒弟たちは、自分の行為を熟練工たちが語りの中の過去の行為と結びつけていく。

続く第五章では、この視覚の陰に隠れた身体とモノの密接な関係を明らかにする。工場の現場のルーティン作業では機械工の身体とモノの挙動、それらの移動は密接な連鎖を形作っている。この連鎖を可能にするのが、作業に不可欠な部品や道具を配置した現場の空間とそれをもたらすモノの頻繁な移動である。ここでは機械工たちの身体は複雑に結びつけられたモノの流れによってグローバルな流通と結びつけられている。一方、このような身体の調整とモノの移動は、普段の機械工たちの視点からは見えない死角になっている。

続く第六章では機械工たちの「能力」や仕事の「正しいやり方」が、仕事の成果や出来映えといった目に見えるものとの関係をとおして可視化されるプロセスを明らかにする。試運転の場で順調に動く機械のような、機械工たちの行為が生み出す目に見える効果は、機械工本人と周りの人々にとって、機械工の内に秘めた能力の証である。機械工の能力は、こうした目に見える徴を介してあらわにされ、評価される。一方、徒弟に対する親方のアドバイスは、徒弟の行為と親方の過去の行為を両者が共有する目の前のモノを媒介にして結びつけ、仕事の「正しいやり方」を浮かび上がらせるという効果を持つ。工場の組織の中では、仕事の中で可視化される正しいやり方と機械工たちの能力は相互的な関係にある。さらにこうした目に見える効果を介して可視化された能力は、工場の組織の中では賃金や地位へと翻訳されていく。

しかしながら、機械工たちの間に見られるヒエラルキーは工場の垣根を超えた技能に基づくものである。タイの機械工たちはひとつの工場にとどまらず、工場から工場へと頻繁に移動する。この移動の一因になっているのは、熟練工と一般の労働者との間の技能のギャップである。ほとんどの職種では一般の労働者がルーティン的な作業を担当するのに対して、熟練工は監督、試作や改造といった非ルーティン的な作業を行う。そのため、ひとつの工場で働き続けても熟練工の仕事を学ぶことは難しい。機械工たちはそのため工場から工場へと移動して技能の幅を広げることで熟練工の仕事内容に近づこうとする。さらに彼らの多くは、比較的資金が少なくてすみ、農業と兼業できる農村部で起業することを目指している。農村で工場を経営するためには、一人ですべてを修理できる万能的な技能が必要なため、彼らの間ではこうした技能が高く評価されている。彼らの頻繁な移動は、こうした万能技能を形成する手段でもあるのである。

機械工たちの行為と社会関係に焦点を当てた第二部に続いて、第三部ではタイの機械の独特のあり方に焦点を当てる。ここではとくに、先進国における機械のあり方を支える諸制度の役割と、それらが不在だったタイにおける機械の変容に焦点を当てる。

先進国のメーカーは機械のデザインに対して特許権や意匠権といった知的財産権を持っている。機械はこの権利をとおして特定のメーカーに結びつけられ、いわば「アイデンティティ」を持つ。このブランドに基づく機械のアイデンティティを守るためにメーカーは模倣に対して訴訟で対抗したり、ユーザーが購入したあとも機械が同一の品質を保つようにアフターサービスを供給してきた。先進国で確立されている機械とメーカーのこのような関係を本稿ではオーサーシップと呼ぶことにする。

一方、かつてのタイではアフターサービスが不在だったために、機械は予期せぬ変容を被ることになった。この変容はさらに人々の新しい行為を促し、土着の機械工業の独特のあり方を生み出したのである。第九章では、タイの環境に適応でなかった輸入機械の故障が農民や機械工たちからさまざまな行為を引き出していったことを明らかにする。先進国と環境が大きく異なる途上国では、輸入した機械を動かすために改造は不可欠である。このことが各地で独学の修理工の誕生を促した。そして、その登場は戦前の機械工業に新たな発展をもたらし、今日の分業体制を作り上げていった。

さらに正規のアフターサービスが欠けている状況の中で、地元の工場では幅広く中古部品が利用されるようになった。このことは土着の機械工業の技術的特徴に深い影響を与えた。地元の工場では図面がほとんど使われず、代わりに中古部品を再加工した実物見本が設計情報の伝達に使われている。このような実物見本のやり取りは地元工場間の分業を調整する媒体になる一方で、図面を用いる多国籍企業の工場との間に断絶をもたらすことになった。

続く第十章では、この独特の環境で生まれてきたオーサーシップのあり方を明らかにする。地元で行われた修理や改造は機械を変容させ、もともとのメーカーとの関係を希薄化してきた。さらにこの延長線上に、地元工場では先進国の知的財産法とは異なるオーサーシップが成立することになった。機械工たちはしばしばユーザーである農民たちと協力をとおして技術的問題を解決しており、彼らは新しい機械の開発への農民の貢献を広く認めている。そのため、ここではオーサーシップは機械工たちだけでなく、農民をはじめとする開発に参加したすべての人々に開かれている。このようにオーサーシップが多くの人々に開かれた結果、機械のデザインは誰も占有できないいわば「コモンズ」となっていった。さらにこれがイノベーションを公共物と見なすタイ農業省の独特な農業機械化政策と結びつき、自然発生したデザインを各工場が自由に利用する独特の体制が生じたのである。

本論文は、タイにおける独特の機械技術に焦点を当てて、技術的実践におけるモノの世界と人の社会関係の相互的なあり方を描き出す試みである。技術的実践の場では、モノの挙動が人々の間に社会関係を生み出すと同時に、その関係が再びオーサーシップという形でモノの中に畳み込まれていくという相互的なプロセスが見られる。先進国と大きく異なるタイにおける機械技術のあり方は、こうした独特の関係を反映しているのである。

審査要旨 要旨を表示する

森田敦郎氏の論文『機械の民族誌―タイ中小工業における人とモノの動態についての人類学的研究―』は、タイ東北部を中心とした2001年から2004年にわたる人類学的フィールド調査によって得られたデータに基づいて、第二次大戦後のタイで発展した独自の機械技術とそれに関わる人々の相互関係についての民族誌的研究である。19世紀末に誕生した広東人の機械工場にルーツを持つタイ土着の機械工業は戦後の農村部へと広がり、農業機械を中心にした独自の技術を発展させてきた。この産業で生産されている機械は先進国の機械とは異なった奇妙なものである。本論文は機械工たちの世界と彼らが作り出した機械に焦点を当てて、現代のテクノロジーを研究することの人類学的意義を考察する試みである。

本論文の第一部は、タイの機械技術の独特のあり方を捉えるため、今まで比較的等閑視されてきた、モースの技術論および、ルーローの機械概念、そしてストラザーンの民族誌論等によって、機械の作動と、社会関係が相互に成立する在り方を理論化する。この理論的問題設定に続いて、タイ土着の機械工業の概況を紹介し、続く第二部第三章では工場の作業とそこで用いられる言葉や範疇を紹介する。第四章では機械工たちが仕事の中で用いる「見る」ことの技法に焦点を当て、それが身体、モノ、言語などと密接に関係することを明らかにする。徒弟的学習もある意味、観ることの訓練であるといえる。

続く第五章では、この視覚の背後にある、モノの配置に着目する。機械工のルーチンは、部品や道具を配置した現場の空間とそれをもたらすモノの頻繁な移動と密接な関係があり、それを詳細に分析する。第六章では機械工たちの「能力」が、仕事の成果や出来映えといった形で視化されるプロセスを明らかにする。第七章では工場を越えた機械工たちの移動と、万能技能の形成を分析する。

第三部は、タイの機械の独特のあり方に焦点を当てる。第八章では、先進国における機械のあり方を支える諸制度、特に知財やブランドの役割を論じる。第九章では、こうした制度が不在なタイで起きたこと、つまり図面を使わすに中古品を再加工するという独自のシステムの成立を分析する。第十章では、この独特の環境で生まれてきたデザインが、開発に参加したすべての人々に開かれたいわば「コモンズ」と見なされており、それがタイ農業省の独特な農業機械化政策と結びついていることを明らかにする。結論では、これらを総合し、技術と社会への新たなアプローチを提唱している。

本研究の学術的意義は、次の三点にまとめることができる。第一に、これまでタイ研究および文化人類学の文脈において、ほとんど詳細な研究が存在しなかった、修理・機械工の世界の細密な民族誌的研究という点である。文化人類学の文脈において、工場労働のように人と機械が緊密に連携する場面において、その最も重要な、人と機械の複雑な相互作用は、従来それを分析する手法も乏しく、多くは労働者の社会関係等を分析することでその代用とされてきた。森田氏はこの技術的実践の世界に関して、その当事者の世界を内側から深く理解し、その内実を機械とのかかわりで見事に描いてみせた。こうした民族誌的調査は国際的にも類例がないものである。

第二に、こうした人と機械のかかわりを、単にミクロの相互作用に限定せず、それをより大きなモノの流通のシステムの文脈と接合することによって、単に機械が人にとっての道具的存在に限定されず、それ自体がより大きなネットワークの中で流通するあり方を分析した点である。と同時に、タイ人の独自の知財概念を明らかにすることによって、日常的なレベルに現れるタイ独特の技術観が、よりマクロの政策とも密接に関わる様子を喝破し、民族誌的なミクロな視点をマクロの技術政策的な側面とつなげる可能性を示唆したという点である。

第三はこうしたテーマを扱う際に、それを文化人類学の理論的プログラムに深く由来するものとして、モースおよびルーローという先達の業績と接合することによって、こうした技術へのまなざしが、文化人類学そのものの古典的アプローチの中に内在されていたものであるという形で、過去の歴史的理論プログラムを再発見し、現在の科学技術論の文脈と見事に接合してみせたという点である。

審査委員からは、タイ語の記述についての表記の不統一や、こうしたタイ人独自の技術へのアプローチが、タイ全体の技術発展への制約になっている可能性についての議論の不足という指摘もあったが、しかしこれらは本論文の独創性を損なう程の瑕疵ではないと審査員全員が確認した。従って本審査委員会は、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいと認定する。

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