学位論文要旨



No 217413
著者(漢字) 平石,典子
著者(英字)
著者(カナ) ヒライシ,ノリコ
標題(和) 「西洋」を読み替えて : 煩悶青年と女学生の明治文学
標題(洋)
報告番号 217413
報告番号 乙17413
学位授与日 2010.09.30
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17413号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 菅原,克也
 東京大学 教授 井上,健
 東京大学 教授 杉田,英明
 東京大学 准教授 村松,眞理子
 お茶の水女子大学 教授 菅,聡子
内容要旨 要旨を表示する

本論は、明治中期から後期において、日本の文学の中で新しい若者像がどのように形成され たのか、ということを明らかにしようとしたものである。明治の日本は、突然世界の中に組み込まれ、「文明開化」といった旗印を掲げて近代化への階段を登り始めた。その中で、当時「近代 文明」の在り処とされていた「西洋」の文学が若者たちにどのような影響を与え、彼らの自己像及び他者像の形成に関わったのか、ということに焦点を当て、比較文学的なアプローチでの究明を試みた。

考察手法は基本的には文学テクストの分析であるが、翻訳をも含めたフィクションを分析す るにあたっては、同時代テクストの中に作品を置きなおし、その意味を考察することを心がけた。明治の知識人たちが触れたであろう外国語のテクストに関しては、できる限り原典を参照したが、イプセンの作品やロシア文学など、論者の能力を超えるものについては、現代の日本語訳に拠っている。また、本論で扱う「若者像」は、「煩悶青年」と「女学生」という言葉に象徴されるよ うに、あくまでも当時の文学に最も積極的に関わった階層である、高等教育を受けた知識階級の若者たちを指すものである。なお、本論において使用する「西洋」という言葉の用法は、主に西ヨーロッパと北アメリカの白人社会を指す明治期のものに準じており、そこにはヨーロッパ中心主義的認識が含まれているものとする。

以下、各省の概要を述べる。

第1章は、明治の開国以降、「立身出世」を追い求めるべきものとされていた知識階級の青年たちが、そうした価値観に背を向けて、自己の内面へと向かう様子を「煩悶青年」という呼称を軸に追ってみた。天下国家を論じることをやめ、恋愛などの個人的な問題を重視するようになる若者たちの姿からは、彼らが「西洋」の文学にあらわれた青年像をモデルにし、ハムレットやウェルテルに自己を擬することで、自己像の正当化を図ろうとする姿が見える。そして、「煩悶」が一種の流行となるにつれ、そこからは深刻さが薄れ、彼らの「煩悶」が恋愛のような個人的な問題へと向かっていったことがわかった。また、イプセンの『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』(1896年)が、煩悶青年の物語として読み替えられていく過程からは、この作品が本来の姿とは異なった形で、親の世代の価値観に背を向けて生を謳歌する若者の物語として日本で受容され、青年たちの自己像を投影すべき象徴的な作品としてとらえられる様相が明らかになった。

西洋文学を読み替えることによって出来上がったのは、新しい女性像でもあった。第2章で 扱ったのは、煩悶青年たちがパートナーとして選び取ろうとした、「新しい」女性たち、当時の女学生である。アメリカ合衆国の女子高等教育をモデルとした日本の女学校は、試行錯誤の末、良妻賢母主義教育を施す場所として定着した。新時代の女性として、西洋的な教養を身につけることを期待された女学生たちは、結局は家庭の中に戻る存在として認識され、男性知識人たちの恋愛と結婚の対象としてのみ表象されるようになっていく。女学生自身の戸惑いや諦めが描かれた三宅花圃の『藪の鶯』(1888年)を、同時代の文学作品の中において分析してみると、三宅花圃が描き出す、社会に貢献したいという女学生の願いは、当時の文壇からはほとんど顧みられなかったことが明らかになった。一方で、西洋風の男女交際や恋愛を説くことによって女学生を「啓蒙」しようとする『女學雑誌』(1885年創刊)の戦略は、精神性を称揚し、肉体性を排除するという、ロマンティック・ラブ・イデオロギーの日本的な受容をも推進した。同誌に掲載された西洋文学の翻訳などからも、このような姿勢は明らかになる。その結果、日本的なロマンティック・ラブ・イデオロギーは青年男女に刷り込まれていくが、他方で女学生の性的スキャンダルもメディアに登場するようになった。メディアと文学においては、西洋風の新しい教育を受け、ロマンティック・ラブの対象でありながら、同時に性的な存在としても語られる、という矛盾をはらんだ「女学生神話」が形成されるのである。当事者である女学生たちは、こうした言説の中に囲い込まれていく。

続く第3章では、女学生をめぐる否定的な言説が、ヨーロッパ世紀末文学の影響を受けなが ら、新しい女性表象を形成していくことを論じた。「女学生神話」の波及とともに、女学生たちの知性と身体は相反するものとして描かれ、結局彼女たちは身体的(性的)な存在として、その知性を剥奪されてきた。しかし、その中で、性的な側面ばかりが強調される女性たちの表象は、自らの性的魅力を利用して男性を誘惑する、悪女としての自覚を持つ女性像をも生み出していく。一方、煩悶青年のパートナーとして、新たな女性像をヒロインに据えようとする文学的想像力は、ヨーロッパ世紀末文学の中の「宿命の女」像にも魅力を感じるようになっていった。夏目漱石の『虞美人草』(1907年)や北原白秋の『邪宗門』(1909年)の分析を通して、日本文学にあらわれた「宿命の女」像が、都会的で西洋的な除籍であることが明らかになった。日本における「宿命の女」が、そのエクゾティシズムを「西洋」に求める、という図式は、大変興味深いものである。

第4章では、男性の価値観の変容の様子を、イタリアの詩人・作家であるガブリエーレ・ダンヌンツィオの作品との接触を軸にして考察した。明治後期の日本では、ヨーロッパ世紀末文学の旗手として名を馳せたダンヌンツィオの作品がよく読まれていたが、森田草平と平塚明子が1908年に起こした心中未遂事件と、その事件をもとにした森田の小説『煤烟』(1909年)によって、彼の作品は改めて注目されるようになった。『煤烟』が、ダンヌンツィオの小説に多くを負ったものとして、当時の知識人たちの興味をひいたからである。ダンヌンツィオの作品との関わりの中で『煤烟』を再読することによって、『煤烟』の男性表象が、自らの弱さを否定せず、「宿命の女」に翻弄されることにも喜びを感じる「新しい男」を描き出していることがわかった。そして、この新しい男性表象が、夏目漱石や森鴎外といった明治第一世代をも巻き込む形で、文学作品の中にさまざまな男性像を生み出したことも明らかになった。一方、ダンヌンツィオの『快楽』(1889年)に登場する日本人の描写の分析からは、ロティの作品などによって定着した、ヨーロッパにおける19世紀末から20世紀初頭にかけての日本のイメージが、ダンヌンツィオの作品にどのような影響を与えたのか、また、『快楽』に描かれた日本人像が、翻訳を経てどのように読み替えられていったか、ということを考察した。さらには、この西洋の日本(人)イメージを日本の知識人が内面化してゆく様子を、高村光太郎の例を取り上げて分析した。ここに見られる高村の苦悩は、「西洋」の文学に描かれた価値観を自分のものとして旧来の価値観に対抗する、という近代日本人の戦略の思わぬ陥穽としても認識できるものである。

最後の第5章では、これまで論じてきたような女性表象に囲まれながら、実際の女性作家たちが、どのような発信をしたのか、という点について考察した。その際、注目したのは、大塚楠緒子、田村俊子と、初期の『青鞜』に寄せられたフィクションである。大塚楠緒子は、女学生の「その後」の物語を数多く描いた作家だが、西洋の文学や文化に関する知識も作品の中に取り入れながら、女性の側からロマンティック・ラブ・イデオロギーを読み直し、これまでにはなかった女性の生き方をも模索している。田村俊子は、『あきらめ』(1911年)という作品において、女をめぐる言説に女の立場から参入するとともに、遊歩者(flaneuse)としての女学生と、同性愛的な世界を描くことによって、女学生が単に視線を注がれるだけの存在ではないことを示す。この作品において描かれるのは、主体的な存在であろうとする女学生なのである。大塚も、田村も、男性たちの作りだした女性表象を自分なりに解釈し、ある時は読み替えて、新しい女性表象を試みている。日本文学の中の「新しい女」は、男性たちの文学的想像力の産物でもあったが、女性たちも、その想像力を利用する形で、「新しい女」像を構築するのである。最後に分析したのは、1911年に創刊となった『青鞜』に寄せられたフィクションだが、これらの作品中に描かれる「フラッパー」や「ブッチ」の姿、あるいは「真の恋」の希求からは、大塚や田村の作品をうけて、さまざまな方向で女性の主体性を主張しようとする女性達の意気込みを感じることができる。

以上のような考察から、西洋の文学に描かれた特徴的な人物類型などが、時には読み替えられ、ねじれながら、日本の文学に広まっていく過程と、そうした文学に大きく影響されて出現した、明治後期の日本の知識階級の若者像の一端を明らかにすることができた。

審査要旨 要旨を表示する

平石典子氏の「「西洋」を読み替えて―煩悶青年と女学生の明治文学」は、明治二十年年代以降の若い高学歴の人々の精神と風俗が、ヨーロッパ文学を媒介とする「西洋」の強い影響のもと、「煩悶青年」と「女学生」という姿に典型としてあらわれたことを、文学作品とこれに隣接するジャーナリズムのテクストのなかに辿り、明治文学をめぐる一つの文学史的展望を示した論文である。参照される文献の言語は、日本語の他に、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語に及ぶが、「煩悶青年」と「女学生」の成立過程を、ヨーロッパ文学の様々な作品との対照と、原典とのずれを含む翻訳受容の場において描き出した手続きは、明治期の文学をより広い視野のもとに収めることを可能にした。とくに、イタリアの作家ガブリエーレ・ダンヌンツィオの作品が明治期の文学に対して持った意味を改めて検証したこと、ヨーロッパ文学の影響を「読み替え」として具体的に記述した点は、比較文学研究への貢献として評価できる。

本論文は、第一章「明治の「煩悶青年」たち」、第二章「Etudianteの憂鬱」、第三章「「堕落女学生」から「宿命の女」へ」、第四章「「新しい男」の探求――ダンヌンツィオを目指して」、第五章「女たちの物語」と、序章及び終章からなる。以下、論文の構成に従って概略を記す。

第一章では、「煩悶青年」が時代の注目を集めるにいたった経緯を、明治三十六年の藤村操の自死事件から説き起こし、これと前後するいくつかの小説作品のなかの煩悶する青年たちの姿、そしてイプセンの戯曲として日本で最初に上演された『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』の作品解釈をめぐる大きなねじれに着目して描く。

第二章では、明治二十年代頃から「女学生」の風俗と世態をめぐる性的関心を核とする言説が、新聞ジャーナリズムを中心に「女学生神話」として成立し、機能していったことを確認した上で、『女学雑誌』の評論や、三宅花圃『藪の鶯』及び小杉天外『魔風恋風』等の小説に言及しつつ、その社会的広がりを論じる。

第一章と第二章は、それぞれ「煩悶青年」と「女学生」という用語自体の吟味を行いつつ、明治期における「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」の影響力を改めて確認する叙述になっている。

第三章は、「女学生」が「堕落女学生」として悪女に傾斜し、さらには「宿命の女」の様相を帯びてゆくさまを、小栗風葉『青春』、夏目漱石『虞美人草』、上田敏『みをつくし』、北原白秋『邪宗門』等の作品を中心に、数多くの文学作品を引用しながら、時代的な背景をもあわせて記述する。

第四章は、森田草平と平塚明子によるいわゆる「塩原事件」と、事件に取材した草平自身による小説『煤煙』にみられる新しい青年の類型を、上の世代に属する漱石の『三四郎』、森鴎外の『青年』との対照のなかに描く一方、ダンヌンツィオと高村光太郎によって描かれる日本人の姿、とくにその醜さの文学的表現が検討される。

第五章では、大塚楠緒子、田村俊子、及び『青鞜』に拠った女性作家の作品を中心に、明治期末の文学において、「女学生」の末裔たる女性たちがどのように描かれたかを具体的に辿る。そこには結婚制度との葛藤と、性をめぐる女性の側の様々な反応が、同性愛的世界を視野に入れつつ論じられる。

以上五章を通じて、言及される作品は厖大な数に及ぶが、特筆すべきは、十九世紀及び二十世紀初頭にかけてのヨーロッパの芸術作品が、図像とともに丹念に紹介されていることである。明治期の文学の叙述が、ヨーロッパ文学との関連のなかで、豊かな文脈を獲得し得ていると言える。

以上のように要約される本論文に対して、審査委員からは、第四章後半の、ダンヌンツィオによる醜い日本人の描写を論じた箇所は、論文全体の叙述の流れから外れることになるのではないか、第三章における白秋の引用において、詩作品そのものの読みが示されていないのでないか、といった指摘があった。また、叙述に相前後する部分があること、言及される個々の作品について先行研究へのさらなる目配りが必要であること、引用、書誌等に改善すべき点があること、一部に用字の不統一が見られることなども指摘されたが、これらはいずれも本論文が持つ本質的な学問的価値を損なうものではないことが確認された。

よって本審査委員会は、平石典子氏の学位請求論文が、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものであると認定することに、全員一致で合意した。

UTokyo Repositoryリンク