学位論文要旨



No 217415
著者(漢字) 豊福,実紀
著者(英字)
著者(カナ) トヨフク,ミキ
標題(和) 自民党長期政権下の租税政策をめぐる政治過程分析 : 自民党単独政権から自民党連立政権まで
標題(洋)
報告番号 217415
報告番号 乙17415
学位授与日 2010.09.30
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17415号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,淳子
 東京大学 教授 橋,直樹
 東京大学 教授 松原,隆一郎
 東京大学 准教授 内山,融
 東京大学 地方財政審議会会長 神野,直彦
内容要旨 要旨を表示する

自民党は1955年の結党から2009年の衆院選まで、衆議院での第1党であり続け、ほぼ一貫して政権の座にあった。この1955年から2009年までの自民党長期政権下で、日本の租税政策はめまぐるしく変化した。増減税を概観しただけでも、高度成長期には減税がくりかえされたが、1970年代半ばからは一転して増税が続けられた。1980年代には減税が再開され、1990年代にはより大規模な減税がくりかえされたが、2000年代に入ると減税はほとんど行われなくなった。このように自民党長期政権下では、減税や増税が特定の時期に集中して行われ、租税政策の振れ幅が大きかった。

自民党長期政権下のめまぐるしい租税政策の変化の背後で、政権内のアクターは、それぞれ租税政策についてどのような姿勢をとり、互いにどのような関係にあったのか。それを明らかにすることが本稿の目的である。

本稿では、自民党長期政権下で租税政策の決定にかかわった主なアクターとして、自民党リーダー(首相・閣僚・自民党3役など)・自民党税調幹部・大蔵省(財務省)主税局・自民党以外の与党を取り上げ、高度成長期から2000年代までの多数の税制改正・税制改革のケースに即して、これらのアクターそれぞれの姿勢と互いの関係を分析する。それにより、自民党リーダーの姿勢がたびたび変化し、1990年代以降は自民党以外の政党が政権に加わるという変化も生じた一方で、高度成長が終わったのちに自民党リーダー・自民党税調幹部・大蔵省主税局の間で構築された関係は、2009年に自民党が政権を失うまで存続したことを示す。その関係とは、「自民党リーダーが大蔵省(財務省)主税局と自民党税調幹部に税制改正案の立案を委ね、大蔵省(財務省)主税局と自民党税調幹部が連携しながらそれを担う」という関係である。

自民党リーダーや自民党以外の与党の姿勢を必ずしも反映しなかった、自民党長期政権下の租税政策の変化は、この関係が構築され存続したことを考慮してはじめて説明できる。自民党長期政権下の租税政策を扱った本稿の分析は、一般的に政策結果を説明するうえで、政権内で政策決定にかかわる複数のアクターの関係を探ることの重要性を示すものでもある。

本稿は4つの章から構成される。各章の要旨は、以下のとおりである。

第1章では、自民党長期政権下で租税政策がめまぐるしく変化し、なかでも1990年代の租税政策は大規模な減税がくりかえされるものとなったが、1990年代の租税政策は不況という要因だけでは説明できず、財政赤字の要因として支持獲得競争・政権交代・連立政権に着目した既存研究に即しても説明できないこと、同じく減税が集中的に行われた高度成長期の租税政策とはまったく異なる特徴をもつことを指摘する。自民党長期政権下の租税政策の変化は、租税政策の決定過程を捉えることによってはじめて説明できるのではないかと考えられる。しかしながら1980年代の税制改革のケースを除き、日本の租税政策過程に踏み込んだ研究はきわめてかぎられている。他方、日本の支出政策過程に関する既存研究を踏まえると、支出政策の決定過程においては支出政策の決定にかかわったアクターの姿勢および関係の変化が、支出政策の変化につながったと考えられる。そこで租税政策の決定にかかわったアクターそれぞれの姿勢と互いの関係を明らかにするという形で、自民党長期政権下の租税政策の決定過程を捉えることを、本稿の目的とする。

第2章と第3章では、高度成長期と1990年代の対比を軸に、高度成長期から1990年代までの租税政策の決定過程におけるアクターそれぞれの姿勢と互いの関係を分析する。

第2章では、まず高度成長期(1956年度-1975年度)と1990年代の租税政策を対比させ、両者がまったく異なる特徴をもつこと(高度成長期の租税政策は、控除の引き上げによる所得税の恒久減税を中心に減税がくりかえされるものだったのに対し、1990年代の租税政策は、消費税増税を伴うのでなければ、定率方式・定額方式による所得税の暫定的な減税を中心に減税がくりかえされるものだったこと)を確認する。そのうえで高度成長期の租税政策の決定過程におけるアクターそれぞれの姿勢と互いの関係を、具体的なケースに即して分析し、1990年代についても同様に分析する。それらの分析を踏まえて、高度成長期と1990年代では、租税政策の決定過程におけるアクターそれぞれの姿勢も互いの関係も、まったく異なることを示す。すなわち高度成長期には、自民党リーダーと大蔵省主税局がそれぞれに所得税減税を推進する姿勢をとったのに対し、1990年代には、自民党リーダーの姿勢は一貫せず減税を行うか否かで揺れ、大蔵省主税局は税収確保をめざす姿勢をとった。また高度成長期のアクターの関係は、大蔵省主税局が税制改正案を提案し、自民党リーダーがその可否を判断する、というものだったのに対し、1990年代のアクターの関係は、自民党リーダーや自民党以外の与党が大蔵省主税局と自民党税調幹部に税制改正案(税制改革案)の立案の多くを委ね、大蔵省主税局と自民党税調幹部が連携しながらそれを担う、というものだった。高度成長期から1990年代までの租税政策の変化の背後で、アクターそれぞれの姿勢と互いの関係は、大きく変化したことがわかる。

では高度成長期以降、租税政策の決定過程におけるアクターそれぞれの姿勢と互いの関係はどのように変化し、1990年代に至ったのだろうか。第3章では、高度成長期と1990年代にはさまれた期間を取り上げ、その変化を論じる。

高度成長期と1990年代にはさまれた期間のうち、1976年度-1981年度の租税政策は、既存税目の増税がくりかえされるものだったが、1982年度-1989年度の租税政策は、増税を伴いつつ、所得税の恒久減税を中心に減税がくりかえされるものだった。そこで租税政策の違いに基づき、高度成長期と1990年代にはさまれた期間を1976年度-1981年度と1982年度-1989年度の2つに区分し、1976年度-1981年度の租税政策の決定過程におけるアクターそれぞれの姿勢と互いの関係を、具体的なケースに即して分析し、1982年度-1989年度についても同様に分析する。それらの分析と第2章での分析を踏まえて、高度成長期から1990年代までの、租税政策の決定過程におけるアクターそれぞれの姿勢と互いの関係の変化を論じる。高度成長が終わったのちに、自民党リーダーと大蔵省主税局の租税政策についての姿勢はいずれも変化し、所得税減税を推進した自民党リーダーは増税を容認する姿勢をとるようになり、所得税減税を推進した大蔵省主税局は税収確保をめざす姿勢をとるようになったこと、また自民党リーダー・自民党税調幹部・大蔵省主税局の間では、「大蔵省主税局が税制改正案を提案し、自民党リーダーがその可否を判断する」という関係に代わり、「自民党リーダーが大蔵省主税局と自民党税調幹部に税制改正案の立案を委ね、大蔵省主税局と自民党税調幹部が連携しながらそれを担う」という関係が構築され、その関係が1990年代まで存続したことを指摘する。

最後に第4章では、2000年代の租税政策の決定過程におけるアクターそれぞれの姿勢と互いの関係を具体的なケースに即して分析したうえで、次のとおり本稿の結論と含意を示す。

自民党リーダーの租税政策についての姿勢は、あるときは減税を推進し、あるときは増税を容認するというように、たびたび変化した。1990年代以降は連立政権が成立し、自民党以外の政党が政権に加わるという変化が生じた。その一方で、高度成長が終わったのちに自民党リーダー・自民党税調幹部・大蔵省主税局の間で「自民党リーダーが大蔵省(財務省)主税局と自民党税調幹部に税制改正案の立案を委ね、大蔵省(財務省)主税局と自民党税調幹部が連携しながらそれを担う」という関係が構築されると、自民党が2009年に政権を失うまで、その関係は存続した。この関係が構築され存続したことは、高度成長が終わり租税政策において増税が課題となったとき、大蔵省(財務省)主税局と自民党税調幹部が、困難な利害調整を伴う税制改正案の立案を率先して引き受ける一方で、自民党リーダーや自民党以外の与党は、みずからの姿勢が全面的に反映されなくなるとしても、税制改正案の立案から距離を置いたことを意味する。

自民党リーダーや自民党以外の与党の姿勢を必ずしも反映しなかった自民党長期政権下の租税政策は、この関係を考慮してはじめて説明できる。第1章で指摘したとおり日本の1990年代の租税政策は、財政赤字の要因として支持獲得競争・政権交代・連立政権に着目した既存研究に即して説明することはできないが、この関係が構築され存続したからこそ、減税を推進する自民党リーダーや自民党以外の与党の姿勢を反映した部分と、税収確保をめざす大蔵省主税局の姿勢を反映した部分が入り交じったものと説明できる。政権内には異なる姿勢をとるアクターが存在するが、異なる姿勢をとるアクターであっても対立的な関係にあるとはかぎらない。自民党長期政権下の租税政策を扱った本稿の分析は、一般的に政策結果を説明するうえで、政権内で政策決定にかかわる複数のアクターの関係を探ることの重要性を示している。

審査要旨 要旨を表示する

本論文「自民党長期政権下の租税政策をめぐる政治過程分析 : 自民党単独政権から自民党連立政権まで」は、1955年の保守合同から始まる自民党単独政権期から、1993年の自民党分裂を経て、2009年の民主党への政権交代で終わった自民党連立(少数与党)政権期までの、租税政策をめぐる政治過程を対象とし、分析を行った労作である。社会な多様な利益、集団、全ての有権者に直接間接の影響を与える租税政策は、経済政策の中でも極めて政治性が強い。一方、政策や制度の理解に租税に関わる専門知識が要求されるため、租税政策の実証政治分析は、政治学においても、内外の研究にかかわらず、いまだ数少ない。本論は1955年から2009年までの50年以上にわたる政治過程を、自民党(単独及び連立)政権と租税政策を管轄とする財務省(大蔵省)を中心に一貫した分析を試みる。具体的には、自民党リーダー(首相・閣僚・党三役など役職者)・自民党税調幹部・財務(大蔵)省主税局・自民党以外の与党といった形に、政策決定者を区別し、税制改正・税制改革という事例を時系列的に比較対照することで、租税政策の政治過程を分析する。

本論は4章から構成される。

第一章では、1990年代に大規模な減税が繰り返され、また高いレベルの政府累積債務を持つ日本の現在の財政状況から説き起こし、現在から過去を振り返る形で、問題設定を行っている。その上で、1990年代の租税政策は、不況という経済状況のみからは説明できないことを示す。また、支持獲得競争・政権交代・政権の連立といった政治的要因で財政赤字を説明しようと試みた既存研究も網羅的に総説した上で、既存の説明では、日本の財政赤字が説明できないことを示す。高度成長期と1990年代の減税が全く異なる経済状況を背景とするように、各時期の租税政策をめぐる政治過程を分析することによって初めて、自民党政権下の租税政策を理解できるのでないかと問題を設定し、これら時代をたどりながら、政策形成に携わった政策決定者の利害や決定者間の関係を見直し、政治過程を分析する視角を設定する。

第二章では、高度経済成長期(1956年度~1975年度)と1990年代の租税政策を対比させた上で、それぞれの時期に対応する政治過程が全く異なっていたことを示す。両者とも大規模な減税が繰り返される時期ではあったが、減税の内容は大きく異なる。高度経済成長期においては、控除の引き上げによる所得税の恒久減税が中心であったのに対し、1990年代は、定率方式・定額方式による所得税の暫定的な減税が繰り返されるものであった。1990年代のバブル崩壊後は、消費税率引き上げのあった1997年度を除いて、暫定的な措置ではありながら大規模な減税が繰り返された。それぞれの時期の経済状況を反映する租税政策と対応し、政治過程も全く異なっている。高度経済成長期には、大蔵省主税局が提案した税制改正案の可否を自民党リーダーが判断するという形で、政官とも所得税減税推進において合意していた。1990年代には、自民党内は減税の是非をめぐって揺れ、大蔵省は税収確保を優先し、税制改正(改革)案は、自民党税制調査会幹部と大蔵省主税局が主導するというものであった。高度経済成長期以降、自民党政権の安定から、自民党分裂を経て、自民党連立(或いは少数与党)政権が続く1990年代へと政党政治の状況はめまぐるしく変化して行った一方、租税政策をめぐる政治過程はどのように変化したのであろうか。

第三章では、この間の1976年度から1980年代までの時期を対象とする。この時期は、租税政策の内容に着目すれば、既存税目の増税が繰り返された1976-1981年度と、増税と所得税の恒久減税の両者が行われた1982-1989年度の、前期後期に大きく分けられる。この間の政策の変遷は、政治過程の変化と対応する。高度経済成長期に恒久減税を推進した自民党リーダーも大蔵省主税局も、赤字財政下の税収の確保や増税に腐心するようになる。自民党政権が長期化し、当選回数を重ねた議員は政策情報と政策知識に精通するようになり、赤字に転じた政府の財政状況の下で、予算配分や利害調整の細部にまでの介入が顕著となる。結果として、減税を伴わない租税政策に自民党リーダーが明示的な形で影響を与える意味はなくなり、税制改正立案は、政策専門家としての自民党税調幹部が、大蔵省主税局と連携して行う形に変質するのである。

自民党分裂、38年ぶりの非自民党連立政権を経て、自民党が連立によって政権を維持する形が定着した1990年代においても、1980年代の自民党政権の安定期に確立した租税政策過程が継続したことは、既に第二章で述べたが、第四章では、それを受けて、2000年代の変化を分析する。自民党が一党では政権を維持できなくなった結果、中核与党としての自民党以外の連立与党が、新たに潜在的に政策決定に影響を与える可能性のある行為者となり、連立政権内の政策合意も新たな課題となるはずであった。しかしながら、自民党税調幹部と大蔵省主税局を中心とする租税政策をめぐる政治過程は、自民党の独占的な政策への影響力に対し、公明党等、連立与党からの不満の表明がありながらも、2000年代も存続した。これは、他の連立与党との協力関係の維持という点から問題があったのみならず、自民党にとっても連立下の党運営に適応した形態とは言えなかった。小泉純一郎政権下では、自民党の影響力を首相の主導によりコントロールする官邸主導という形態への脱却が図られ、安倍晋三政権下では、その延長として政府税制調査会の役割の強化も試みられるが失敗に終わり、安倍政権以降、福田・麻生と短命政権が続き、2009年の政権交代を迎えるまで、自民党連立政権下の状況に対応する形で、租税政策をめぐる政治過程が変化することはなかった。

高度成長期の終焉による経済及び財政状況の激変に対応する形で、1980年代の自民党政権の安定は、租税政策の変容とともに、その政治過程の変化を支えた。しかしながら、1990年代以降、自民党が連立によって政権を維持する状況が長期化したにもかかわらず、租税政策をめぐる政治過程は、新しい政策決定方式を生むことなく、本質的変化を経験しないまま、2009年の民主党への政権交代を迎えたのである。

本論の貢献は、長期にわたる自民党政権下の租税政策をめぐる政治過程を、政党政治の変化という観点から分析したことである。長期間にわたる、租税政策の変化や税制改正の特徴づけの変化を追い、それを政党政治の変化と対応する形で分析している。しかも、租税政策は、自民党政権が安定した1980年代に顕著となった、いわゆる族議員現象においては、最も重要な事例の一つといってよい。社会の多様な利益に影響を与え、かつ専門性の高い政策分野において、政策に精通した与党議員と官僚との、対抗及び協調関係の長期的分析は、政策決定をめぐる政治家と官僚の関係の分析一般の理解に貢献する。本稿は、この1980年代を挟んで、高度経済成長期と1990年代以降を対比することによって、この時期に確立した租税政策をめぐる政治過程を、既存の自民党政権研究と異なる角度から分析している。

しかしながら、本論文にも問題はある。1955年から2009年という長い期間を対象とし、租税政策の内容や政党政治の変化を追跡したため、議論がやや記述に偏り、分析としては弱く、容易にかつ明確に理解できるように、必ずしも議論が展開されていない。章構成を、高度経済成長期と1990年代の対比から、その間の時期をあぶり出すと言った形に工夫を行っているが、各章における時代の租税政策や政治過程の特徴づけには、まだ工夫の余地がある。その結果、本論の最大の貢献であるはずの、租税政策をめぐる政治過程の分析が弱くなってしまった点は否定できない。しかし、これら問題も、長期にわたる政党政治の変化を追いつつ、専門性の高い租税政策について、その変容も含めて詳述するという難題に取り組んだことの表れでもある。さらに言えば、1990年代から2000年代までの日本の政党政治の変化自体もめまぐるしいものがあり、こうした政治的状況下の時期も含んだ上での50年以上にわたる政策過程の分析は困難を極めることは容易に理解できる。それにもあえて挑戦した本論の貢献をより重視したい。したがって、本審査委員会は、博士(学術)の学位を授与するのにふさわしいものと認定する。

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