学位論文要旨



No 217418
著者(漢字) 磯前,順一
著者(英字)
著者(カナ) イソマエ,ジュンイチ
標題(和) 近代日本の宗教言説とその系譜 : 宗教・国家・神道
標題(洋)
報告番号 217418
報告番号 乙17418
学位授与日 2010.10.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第17418号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 教授 鶴岡,賀雄
 立命館大学 教授 桂島,宣弘
 愛知学院大学 教授 林,淳
 京都大学 准教授 高木,博志
内容要旨 要旨を表示する

本博士論文は各部3章構成の3部からなり、そこに各部一つずつの付論と序論・終章を加え、全部で14本の論文からなる。まず、序論「宗教概念および宗教学の成立をめぐる研究概況」において、1960年代から今日にいたる宗教概念と宗教学の歴史をめぐる研究状況を把握したうえで、第1部では「宗教概念の形成と近代的学知」、第2部は「宗教学の成立と展開」、第3部は「神道学の成立と国家神道」という主題を扱う。すなわち、第1部では、近代における宗教概念の定着過程から論述を始め(第1章「近代における「宗教」概念の形成過程-開国から宗教学の登場まで」)、明治中期代における宗教をめぐる哲学的言説の把握を井上哲次郎の著作を通しておこない(第2章「明治20年代の宗教・哲学論―井上哲次郎の「比較宗教及東洋哲学」講義」)、明治期からアジア・太平洋戦争期にいたる仏教概念の成立と展開を広汎に追う(第3章「近世「仏法」から近代「仏教」へ―多重化する近代仏教」)。そこに付論として、日本の宗教言説を考えるうえで社会制度的な前提をなす国家神道に対する概括を加えておく(「国家神道をめぐる覚書―西洋化のなかの日本社会」)。

ここでは、宗教概念を軸として神道・哲学・仏教の諸概念の言説編成が明らかにされることになろう。すなわち西洋の宗教概念が日本に移入され、受容・定着する。その結果、大日本帝国憲法の成立をひとつの画期として、「宗教/世俗(道徳)」という二分法が成立し、宗教は私的領域に、道徳は公的領域に割り当てられる。すなわち、仏教はキリスト教とともに宗教の範疇に属するものとされる一方で、哲学や神道は道徳の領域に属するものとみなされたのである。西洋に出自をもつ宗教概念の移入はその概念にとどまる問題ではなく、宗教をめぐる諸言説の布置そのものを変動させてしまったのだ。

第2部では、オウム真理教事件を契機とする今日的観点から宗教学的言説の問題点を分析し(第1章「宗教学的言説の位相―姉崎正治論」)、特に宗教学の始祖である姉崎正治の思想形成過程を明らかにしたうえで(第2章「西洋体験とナショナリズム―姉崎正治における国家と宗教」)、明治期からアジア・太平洋戦争期を経て現在にいたる宗教学的言説の特質が宗教学界全体の問題として論じられる(第3章「宗教学の展開過程―「宗教」という経験」)。そこに付論として、日本宗教史をめぐる研究史の総括を、近代史を中心に加えた(「<日本宗教史>の脱臼―研究史読解の一試論」)。

ここでは、姉崎をはじめとする東京大学の宗教学を軸に、日本の宗教学のもつ学問的構造が近代各時期の社会状況とのからみのなかで明らかにされることになろう。すなわち宗教学は自己の意識とは異なって、客観・中立的な純粋性を保持するものではなく、近代日本の社会状況のなかで、明確な一定の政治的役割を果たすものであった。それは一方で、「宗教/世俗(道徳)」という二分法にもとづいて成立した信教の自由を信仰者の立場にたって守ろうとするものの、他方でそこで確立した宗教的な回路を通して、個人の内面を国体イデオロギーに結びつけるものでもあった。そのような個人主義と国家主義のはざまで、宗教学は宗教とは何かという定義を通して、個人と国家のあいだに独自の仕方で介入することを試みた学問であったと言える。

第3部では、第1部の宗教概念、第2部の宗教学、それらの成立と展開の歴史を承けて、神道学と国家神道の歴史がどのように成立し展開していったのかが論じられる。すなわち、まず近代神道学の成立過程をその創始者である田中義能を通して明らかにし(第1章「近代神道学の成立―田中義能論」)、次いで近世神道から近代神道学への移行諸段階を東大神道学研究室の蔵書分析から素描し(第2章「近世神道から近代神道学へ―東大神道研究室旧蔵書を手掛かりに」)、最後に国家神道と天皇制の問題を日本における宗教概念のあり方をふまえて論述する(第3章「国家神道と天皇制―近代日本の「宗教/世俗」」)。そして、付論として、記紀と考古学の拮抗関係から天皇制をめぐる言説分析に補足を加える(「天皇制国家の言説空間―記紀と考古学」)。

ここでは、神道という言説が、宗教概念との対抗関係を通して、どのようなかたちで土着的なものを表象するに至ったかを考察する。すなわち、神道を原始・古代から連綿と続く超歴史的な伝統体と見るのではなく、近代西洋化の文脈のなかで再編された作られた伝統という見解をとる。だが、それをたんに西洋近代化の産物として片付けるのではなく、そのような西洋化に対する土着側の対抗の試みとして、西洋の論理に浸蝕されながらも、その言説空間の内部においていかにして西洋の「宗教/世俗(道徳)」という二分法、ひいては「信教の自由」の権利を抹消するかという保守層側の試みであったと捉える。そのような近代西洋化と土着側の対抗関係は、宗教学と神道学というともに近代に設立した言説の角逐を通して確認することができるが、あくまでもそこでの論争点は神道が宗教か道徳かといった議論にとどまり、神道がその権威の背景とする天皇制自体を戦前の日本社会は、ごく一部のマルクス主義者を除いて問題することはできなかった。それを批判したマルクス主義陣営とて、天皇制の世俗的側面に焦点を当てたにとどまり、天皇制自体のもつ、「宗教/世俗(道徳)」という二分法を超越した性格そのものを論理的に究明することはできなかったのである。

さらに全体の結びとして、終章「日本宗教史の成立―内面をめぐる言説布置」を置き、宗教をめぐる言説が文学と歴史学の言説とどのような関係性のもとに展開されていったのか、広く人文学一般を視野に収めた叙述のなかで、日本宗教史という言説が1930年代から1940年代にかけてどのように成立していったのかを論じる。ここに宗教概念は宗教学・神道学・仏教学など宗教言説だけでなく、歴史学という世俗的言説とも結びつき、宗教史という新たな言説を生み出していくことになるのである。

審査要旨 要旨を表示する

磯前順一氏の「近代日本の宗教言説とその系譜──宗教・国家・神道」は、明治維新以後、西洋から輸入された「宗教」概念が定着し、「宗教」や「神道」をめぐる学問的言説が宗教学や神道学などの形で広められていく過程をたどった言説史研究の成果で、この分野のパイオニア的業績というべきものだ。1980年代ごろまでは、「religion=宗教」の概念は自明のものとして受け止められていた。だが、その後、欧米の研究者により、この概念は西洋近代という特定の文化的環境の下で形成され、それが世界に広められていったものであることが明らかにされてきた。磯前氏はこうした宗教概念論をめぐる、ここ数十年の世界的な研究史を振り返り、その要点を手際よく紹介している。

この宗教概念論の視座から近代日本の宗教言説に光を当てようとした業績は乏しく、本論文は未開拓の領野に取り組むものであることが示される。明治維新後の日本でも、キリスト教、とりわけプロテスタントの思想構造を濃厚に反映し、実践の側面を軽んじて言語化された信念体系としての宗教に高い価値があるとするとともに、宗教を内面の事柄として捉えようとするような近代的宗教概念が広められていく。そのおおよそをたどりながら、磯前氏は近代的宗教言説の定着に大きく貢献した宗教学の形成過程に光をあてている。明治20年代に井上哲次郎が行った「比較宗教及東洋哲学」の講義では哲学に劣るものとして宗教が克服されるべきものとして扱われているが、1900(明治33)年の姉崎正治の『宗教学概論』では人間の心に本来的に具わった高次の権能として宗教が捉えられている。姉崎の場合、このような宗教への好意的理解と国家のための諸宗教の協力体制の構築が表裏一体のものだった。

近代日本国家体制における宗教学と宗教言説の機能は、宗教学とともに神道学の形成過程をたどることでさらに見えやすくなる。そこで磯前氏は姉崎と同様、井上哲次郎門下で学問的自己形成を行い、最初は国学研究や国民道徳論の形成に尽力した田中義能が、神道学の形成に寄与し、大正期には東京帝国大学の神道研究室の教官として神道学の主要な担い手となっていく経緯を明らかにしている。その際、宗教と道徳を区分し神社を道徳に類別していく議論や、神道を宗教として論ずることと「神社非宗教」説を両立させる議論に宗教学、神道学がどう関わっていったかも詳細に検討されている。

以上のように、明治20年代から昭和初期に至る時期の宗教学・神道学の形成過程が主要な分析対象となっているが、それだけでなく、近世までの「仏法」から近代の「仏教」という言説への変化、「日本宗教史」という学知枠組みの成立、「国家神道」の歴史をどう捉えるか、記紀を弁証する学としての考古学の展開、オウム事件に至るまで日本の宗教学的な宗教理解が抱え込んだ問題など、宗教言説に密接に関連する論題がいくつか取り上げられ、日本に定着した近代的宗教言説をめぐって検討されるべき問題の広がりが見渡されている。

取り上げられている事例がどこまで代表的であるか、それぞれの事例を関連づける包括的な枠組みがどこまで明瞭に示されているかなど、設定された問題への解答の密度、深度という点ではなお多くの課題を残しているが、近代日本の宗教言説についてのパイオニア的な仕事として創意に満ちた画期的な意義をもつ業績であることは確かである。よって、審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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