学位論文要旨



No 217422
著者(漢字) 佐藤,崇裕
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,タカヒロ
標題(和) 頭部顔面の形態形成におけるエンドセリン-1/エンドセリンA受容体シグナルの役割
標題(洋) The role of endothelin-1/endothelin type-A receptor signaling in craniofacial development
報告番号 217422
報告番号 乙17422
学位授与日 2010.10.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第17422号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉川,雅英
 東京大学 教授 岡部,繁男
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 准教授 渡部,徹郎
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
内容要旨 要旨を表示する

要旨

エンドセリン(endothelin; ET)システムはET-1、ET-2、ET-3の3つのアイソフォームからなるリガンドと、7回膜貫通型のGタンパク質共役受容体に分類される2つの受容体、即ちエンドセリンA受容体(ETAR)およびエンドセリンB受容体(ETBR)によって構成されている。中でもET-1は血管内皮細胞で産生され、強力な血管収縮因子として働くことが広く知られており、心不全や高血圧をはじめとする種々の心血管病や腫瘍など、多くの疾患の病態生理に関与すると考えられている。最近では特に、受容体拮抗薬の肺高血圧症に対する治療効果が注目され、世界各国で広く臨床に用いられている。

一方、胚発生においては、ET-1とET-3はそれぞれETARとETBRを介して、前者は頭部・心臓神経堤細胞の、後者は体幹部神経堤細胞の発生分化および形態形成に重要な役割を演じている。ET-3/ETBRシグナル欠損による腸管神経叢の形成不全は、ヒトにおいてHirschsprung病の原因となることが知られている。頭部神経堤細胞による顎顔面の形態形成においては、ET-1/ETARシグナルは下顎の形成に重要な役割を果たしており、そのシグナル下流では脊椎動物でのショウジョウバエDistal-lessホモログとして知られるDlx5/6ホメオボックス遺伝子の転写誘導と、Hand2をはじめとする下流遺伝子の転写活性化によって鰓弓における背腹軸を制御すると考えられている。この時期、上顎および下顎の原基となる第1鰓弓内では主に頭部神経堤細胞から派生する外胚葉性間葉組織と鰓弓上皮との間で生じる上皮間葉相互作用によって、その腹側および背側領域がそれぞれ下顎弓と上顎弓へと分化し、後の顎を形成する骨格が形成されていくと考えられている。これまでの研究から、ET-1/ETARシグナルは第1鰓弓の腹側に作用し、Dlx5/6の誘導によって下顎弓の領域特異性決定に寄与していると考えられているが、その分子メカニズムや領域決定に関わるシグナル間相互作用の中での位置づけについては、多くの点が明らかにされていない。本研究において、私は、頭蓋顔面の形成におけるET-1/ETARシグナルに関わる分子メカニズムを更に明らかにするために、ETAR遺伝子座に効率よく遺伝子をノックインし、遺伝子機能の系統的な解析を可能にする系としてCre-変異loxPシステムによる遺伝子交換(RMCE)の系を確立した。

まず始めに、私は変異loxP配列で挟まれたネオマイシン耐性遺伝子をETAR遺伝子座の翻訳開始コドンを含む領域と置換することによりETAR欠損マウスを作製した。その表現型としてET-1欠損マウスと同様で既知のものであるホメオティック変異による下顎の上顎化を期待通り再現することが出来た。次に、ETAR発現細胞においてRMCEによる遺伝子交換が機能することを確認するとともに、これらの細胞を可視化するために、最初のETAR遺伝子座のターゲティングによって得られたESクローンをにおいてRMCEによる第2段階の相同組み換えを行い、得られたLacZ遺伝子ノックインES細胞からETAR-LacZノックインマウスを作製した。ETAR-LacZノックイン胚のX-gal染色により、頭部および心臓神経堤細胞に由来する細胞群と一部の中胚葉由来の頭部間葉細胞群が可視化できた。次に、LacZ遺伝子のノックインと同様にRMCEによってETAR遺伝子のcDNA全長をノックインし、作製されたETAR-ETARノックインマウスではETAR欠損マウスで認められる頭部顔面奇形が完全に正常化されることを確認できた。これにより、このRMCEの系によって外来遺伝子を導入することにより、頭部顔面奇形を指標として遺伝子の機能解析を行うことが妥当であることが示された。ETARノックインとは対照的に、エンドセリンシステムのもう一つの受容体であり、リガンドであるET-1との結合親和性もETARと同等なものとして考えられているETBRcDNA全長のノックインでは下顎領域の切歯に近い遠位部位の骨格形態がわずかに伸長し、部分的に正常化された以外はETAR欠損の表現型の正常化には至らなかった。この場合、Dlx5、Dlx6およびそれらの下流遺伝子群の第1鰓弓領域での発現様式においてはETAR欠損胚との違いは認められず、更にETAR欠損胚と同様に下顎弓領域の近位部から遠位部に広がるアポトーシス細胞の局在が確認された。ETAR-ETBRノックインマウスにおける頭部顔面の骨格形態は、Offermannsのグループによって報告された神経堤特異的にGタンパク質のαサブユニット2つを欠損させたGq/G11ダブル欠損マウスと非常に良く似た骨格形態の表現型とほぼ同一であった。

これらの結果から、鰓弓領域の背腹軸形成はETAR特異的かつGq/G11依存的なシグナルが制御し、鰓弓の遠位部にはETAR特異的かつGq/G11依存的なシグナルが制御する領域があり、この遠位部の形成に必要なETARシグナルはGq/G11非依存的であり、そのシグナルはETBRによって代償され得るということが示唆された。これによって、ETARとETBRが、頭部神経堤細胞においては異なるシグナル伝達機能を示すことが明らかになった。

頭部鰓弓領域においては、ET-1発現が鰓弓腹側の上皮および一部の中胚葉由来間葉に限局するのに対して、ETAR陽性細胞は頭部神経堤由来細胞を中心に頭部・鰓弓の間葉に広く発現する。ETAR陽性細胞のET-1に対する反応性は領域によって異なるのか、鰓弓領域ではETARシグナルの活性化が下顎の領域特異性を決定する必要十分条件となりうるかどうかを検証するために、ETAR-ET-1ノックインマウスを作製し、オートクリン機構によるETARの恒常的な活性化を試みた。驚くべきことに、ET-1 cDNAのノックインによるETARの恒常的な活性化は上顎構造を下顎構造へと変異させ、結果として下顎の特徴であるメッケル軟骨の上顎領域への重複形成と、それに伴う左右上下合わせて4つの下顎骨の形成をもたらした。E10.5日胚を用いて実施したwhole-mount in situ hybridizationの結果から、ET-1ノックインによって上顎弓におけるDlx5, Dlx6およびHand2をはじめとする下顎マーカー遺伝子の異所性発現誘導が認められた。また、ETAR-ET-1ノックインマウスでは上顎領域に異所的な咬筋の形成が認められ、加えて三叉神経のうち下顎神経では上顎へ向かう過剰分岐が認められたことから、上顎の下顎化は骨格形態のみならず頭部顔面における神経系および筋肉系の再構築も伴っていることが示唆された。更に、Hand2のcDNA全長のノックインによって引き起こされた同遺伝子のETAR陽性細胞での異所的発現はET-1ノックインマウスで認められた上顎の下顎化と非常に良く似た表現型を呈し、上顎領域でのメッケル様軟骨の形成も認められた。したがって、上顎領域で異所的に働いたET-1/ETARシグナル下流では正常発生における下顎形成のシグナルと同様にHand2の関与を介して上顎の下顎化が生じることが示唆された。一方、器官形成期においてETARは多くの頭部神経堤細胞に発現するものの、ET-1ノックインによるその恒常的な活性化は第1鰓弓領域に限定して認められた。第2鰓弓においても背側領域の変化が認められたが、その他の頭部間葉領域では明らかな表現型は認められず、ET-1シグナルに対するETARの反応性は一様でなく、領域特異的に決定されていると考えられた。

今回の私の研究から、顔面の形成過程において、頭部神経堤細胞のシグナル応答性は必ずしも全て均等ではなく、遊走に伴って段階的に決定されていくものであることが示唆された。さらに、第1鰓弓内における頭部神経堤細胞は下顎構造と上顎構造の両方を形成しうる分化能を併せ持ち、ET-1スイッチがそのいずれかの形態形成を選択するために重要な役割を果たすことが示された。また、これらの結果を通して、本研究で樹立したRMCEによる遺伝子交換システムが、本研究において私が当初目的とした「頭蓋顔面の形成におけるET-1/ETARシグナルに関わる分子メカニズム解明」に有用であることが実証された。今後、このシステムを用いて、ETARサブタイプ特異的なシグナル機構やDlx5/6の誘導機構、さらには形態形成に関わる分子メカニズムの解明をさらに進めていく予定である。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は頭部顔面の形態形成において重要な役割を果たすと考えられるエンドセリン-1(ET-1)/エンドセリンA受容体シグナル(ETAR)のシグナル経路を明らかにするために、Cre-変異lox系を用いたマウスにおけるin vivo遺伝子交換系(Recombinase-mediated cassette exchange; RMCE)を確立し、ETAR遺伝子座に関連遺伝子をノックインすることで認められたマウスの表現型の解析から下記の結果を得ている。

1.はじめに変異lox配列で挟まれたネオマイシン耐性遺伝の導入によって作製したETAR遺伝子欠損マウスにおいては、既報にもあるホメオティック変異による下顎の上顎化という表現型が予想通り示された。

2. lacZ遺伝子ノックインマウスを用いたlacZ染色からは胎生期のETAR陽性細胞を可視化することが出来、頭部および心臓の神経堤細胞に由来する細胞群と中胚葉由来の頭部間葉細胞群におけるETAR発現細胞の局在を明らかにできた。

3. ノックアウトの表現型の正常化を見込んでETAR遺伝子のノックインを実施した。胎齢18.5日の頭部骨格標本の形態観察からETAR遺伝子欠損によって認められるホメオティック変異による下顎の上顎化が完全に正常化していることが確認された。

4. エンドセリンシステムにおいてETARとリガンドを共有するエンドセリンB受容体(ETBR)遺伝子のノックインによってETAR遺伝子欠損の表現型である下顎の上顎化の正常化は認められず、下顎領域に形成された切歯を持つ骨化領域の伸張が認められ、部分的な正常化であると考えられた。同様の表現型は神経堤細胞特異的なGq/G11遺伝子欠損マウスにおいても認められ、この表現型がGq/G11タンパクに依存しない経路によるものであることが示された。

5. ETARのリガンドであるET-1遺伝子のノックインによって引き起こされるETARの恒常的な活性化が頭部顔面形成におよぼす影響を検討した。ET-1遺伝子ノックインにより上顎の下顎化というET-1/ETARシグナル欠損マウスの表現型(下顎の上顎化)とは逆の表現型が得られた。

6. ET-1/ETARシグナル下流遺伝子であるHand2遺伝子のノックインは、ノックインキメラの致死性によりキメラベースの解析の実施に留まったものの頭部顔面領域の表現型についてはET-1遺伝子ノックインマウスと共通点が多く見出され、特に上顎領域の遠位部における骨格形態が酷似していた。

以上、本論文はETAR遺伝子座に対するRMCEによって得られた種々のノックインマウスの表現型の解析から、in vivoでの頭部顔面の形態形成におけるET-1/ETARシグナルの役割について明らかにした。本研究は今後のET-1/ETARシグナル伝達機構や生理的役割の更なる解明に有用なRMCEの確立や、頭部顔面の形態形成におけるETARおよびETBRの互換性に関する知見のみならず、上顎および下顎の特性を決定するための分子スイッチとして働くET-1/ETARシグナルの役割を明確に示したことからも学位の授与に値するものと考えられる。

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