学位論文要旨



No 217428
著者(漢字) 中島,峻
著者(英字)
著者(カナ) ナカジマ,タカシ
標題(和) 核スピン偏極をプローブとする量子ホール系エッジ状態の研究
標題(洋)
報告番号 217428
報告番号 乙17428
学位授与日 2010.11.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第17428号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小宮山,進
 東京大学 教授 吉岡,大二郎
 東京大学 教授 前田,京剛
 東京大学 特任教授 山崎,泰規
 東京大学 教授 清水,明
 東京大学 教授 深津,晋
内容要旨 要旨を表示する

概要

GaAs/AlGaAsヘテロ接合界面に生じる二次元電子系に強磁場を印加し整数量子ホール効果を起こすと、試料端に沿って一次元状の電子状態が形成される。この状態は"エッジ状態"と呼ばれ、優れたコヒーレンスと制御性を兼ね備えているため、さまざまな量子デバイスへの将来的な応用が期待されている。さらに基礎物性物理の観点からも、近年、量子スピンホール効果やトポロジカル絶縁体といった広範な現象において類似のエッジ状態が本質的な役割を果たしていることが認識され、整数量子ホール効果の枠組みを越えてエッジ状態の基礎的な理解の重要性が増してきている。

エッジ状態の重要性が広く知られてから既に20年以上が経つが、一般的にエッジにおける電子状態は、交換相互作用を無視した一電子モデルで成功裡に理解されてきた。しかし近年、エッジ状態の干渉実験やエネルギー緩和の測定を通じて、エッジ状態においても多体効果が顕在化することが明らかになりつつあり、伝統的な描像の見直しがせまられている[1,2]。理論的には、交換相互作用を取り入れることによって"spin-textured edge"と呼ばれる状態が実現されるということが既に予想されていたが[3-6]、既存の実験方法ではこれを検証することができなかった。エッジ状態は試料の端に沿ってわずか数百ナノメートルの領域にしか存在せず、この微小な領域で電子スピンの空間分布を検出することは非常に困難だったのである。

筆者らはこれまでの研究で、エッジチャネル間の電子散乱を利用することにより、エッジ近傍の核スピン偏極を生成し、~30nmの分解能で核スピン偏極の空間分布を測定する技術を開発した[7,8]。本研究ではこの技術を応用し、核スピン偏極をプローブとして用いることにより、エッジにおける電子スピンの状態をナノメートルスケールの空間分解能で検出することに成功した。核スピン偏極がエッジ状態と特定の条件下で接触した際に、その緩和時間が劇的に促進されることが見出され、これはspin-textured edge状態の形成を示唆している。さらにエッジの閉じ込めポテンシャルをゲート電圧によって制御すると、ポテンシャル勾配が緩やかになるにつれて緩和が促進することが明らかになった。この振る舞いはspin-textured edge状態に期待される性質と定量的に一致しており、エッジの基底状態がspin-textured edge状態であることを示す極めて有力な証拠が得られた。

実験方法

図1aのように2つのフロントゲートとそれらに挟まれた1つのサイドゲートを備えたホールバー形状の試料を作製し、T=30mKの極低温でB=4.2Tの磁場をかけ、占有率ν=2の整数量子ホール効果状態とした。フロントゲート電圧を調節し、アップスピンを持った外側のエッジチャネルとダウンスピンを持った内側のエッジチャネルの化学ポテンシャルを個別に制御・検出できるようにした。このときサイドゲートに沿った領域では図1bのようなエッジチャネル間の電子散乱が起き、その際に超微細相互作用を通じてこの領域での核スピン偏極を生成・検出することができる。すなわち、エッジチャネル間に電圧をかけて電子スピンの非平衡分布を作ることにより動的核偏極を起こし、核スピン偏極の作る有効磁場によるエッジチャネル間散乱頻度の変化をホール抵抗測定で検出する。

このとき、サイドゲート電圧によってエッジ付近の局所的な電子濃度n(x)が図2に示すように変化するので、エッジチャネルの位置(ν=1となる位置X)と局所的な閉じ込めポテンシャルの勾配(∂n/∂xに比例)の両方を任意に制御することができる。したがって、エッジチャネルの位置を変えながらホール抵抗を測定することにより、ほぼ磁気長で決まる~30nmの分解能で核スピン偏極の空間分布を得ることができた[7,8]。核スピン偏極の生成後エッジ状態をある位置XRに移動し、エッジ状態と核スピンとを相互作用させることによって核スピン偏極は緩和する。この緩和させる時間tを様々に変えて時刻tでの核スピン偏極分布の"スナップショット"を記録し、緩和時間の変化を調べた。

結果と考察

核スピン偏極空間分布のt=0からt=512sまでの時間変化の典型的な測定例を図3に示した。サイドゲートにVG=-2.5Vの電圧をかけエッジ状態の電子をx > 724nmの領域に追いやると、核スピン偏極は図3上のように減衰時間τ1~30sの比較的遅い減衰を示した。この減衰時間は位置xに依らず、二次元電子面から垂直な方向に核スピンが拡散する効果であると理解することができる。次にエッジ状態をXR=258nmに置き、x > XRの領域でエッジ状態の電子と相互作用させながら核スピン偏極を緩和させると、図3下のようにτ1~1sのオーダーにまで緩和が劇的に促進されることがわかった。さらに詳しく調べてみると、このような緩和の促進は単純に核スピン偏極に接するエッジ状態の電子濃度だけによって決まっているのではなく、図4に示すように局所的なポテンシャル勾配に強く依存することが明らかとなった。

そもそもこのような緩和の促進が測定されたν > 1のエッジ領域においては、一電子モデルに基づけばアップスピンの電子状態とダウンスピンの電子状態がゼーマンエネルギーによって完全に分離されており、核スピンとの相互作用は無視できる程小さいはずである。一方、バルクの二次元電子系では多体効果によってspin textureが形成されると電子スピンの揺らぎが生じ、これが核スピン偏極の緩和に寄与することが広く知られている[9-12]。本研究の結果はこのspin textureがエッジ領域で形成されることを示唆しており、特にポテンシャル勾配への強い依存性はspin-textured edge状態に特有の性質である[3-6]。さらに、核スピン偏極の緩和促進が実験的に見られなくなったポテンシャル勾配及びゼーマンエネルギーの値は、spin-textured edge状態が形成されなくなるとされる臨界値に良く一致することがわかった。

このようにして、エッジの電子状態は一般的に仮定されているような一電子モデルでは説明ができず、交換相互作用を取り入れたspin-textured edge状態になっていることを示す実験的な証拠を初めて得ることができた。また、本研究の結果はサイドゲート電圧によってエッジにおける電子状態を様々に変えることができることを意味しており、エッジ近傍での核スピンや電子スピンを制御する技術としても将来の応用が期待される。

[1] I. Neder, M. Heiblum, Y. Levinson, D. Mahalu, and V. Umansky, Phys. Rev. Lett. 96 016804 (2006).[2] C. Altimiras, H. le Sueur, U. Gennser, A. Cavanna, D. Mailly, and F. Pierre, Nature Physics 6 34 (2010).[3] J. H. Oaknin, L. Martin-Moreno, and C. Tejedor, Phys. Rev. B 54 16850 (1996).[4] A. Karlhede, S. A. Kivelson, K. Lejnell, and S. L. Sondhi, Phys. Rev. Lett. 77 2061 (1996).[5] M. Franco and L. Brey, Phys. Rev. B 56 10383 (1997).[6] J. Sjostrand, A. Eklund, and A. Karlhede, Phys. Rev. B 66 165308 (2002).[7] 小林泰子, Master's thesis, 東京大学大学院 総合文化研究科 広域科学専攻相関基礎科学系 (2006).[8] T. Nakajima, Y. Kobayashi, S. Komiyama, M. Tsuboi, and T. Machida, Phys. Rev. B 81 085322 (2010).[9] R. Cote, A. H. MacDonald, L. Brey, H. A. Fertig, S. M. Girvin, and H. T. C. Stoof, Phys. Rev. Lett. 78 4825 (1997).[10] R. Tycko, S. E. Barrett, G. Dabbagh, L. N. Pfeiffer, and K. W. West, Science 268 1460 (1995).[11] K. Hashimoto, K. Muraki, T. Saku, and Y. Hirayama, Phys. Rev. Lett. 88 176601 (2002).[12] J. H. Smet, R. A. Deutschmann, F. Ertl, W. Wegscheider, G. Abstreiter, and K. von Klitzing, Nature 415 281 (2002).

図1:試料のセットアップ

図2:局所電子濃度のサイドゲート電圧依存性

図3:核スピン偏極の緩和過程。

図4:緩和時間のポテンシャル勾配依存性。

審査要旨 要旨を表示する

半導体中の2次元電子系が強磁場下で示す基本的な伝導現象として量子ホール効果と呼ばれる現象が存在する。量子ホール効果状態を示す2次元電子層の端に沿ってエッジ状態と呼ばれる1次元的な電子状態が生成する。従来、このエッジ状態のスピン自由度まで含めた固有状態について十分理解が進んでいなかった。その理由は、スピン状態がナノメートルオーダーで空間的に変化する一方、それを検知可能な空間分解能を有する実験手法が存在しなかったためである。本論文の内容は、エッジ状態の電子スピンが半導体母体結晶(GaAs/AlGaAs単一へテロ構造)の核スピンとの間に超微細相互作用を持つことを巧みに利用して、電子スピンに対するナノメートルオーダーの空間分解能と感度を持つ測定系を構築し、エッジ状態の電子スピン状態の実験的理解を深めたものである。特に、エッジ状態におけるスカーミオンと呼ばれる電子スピン系の形態を初めて実験的に実証した。(通常、電子スピンの状態は磁場に対して平行か反平行かによってエネルギーが異なり、電子スピンを一つ反転させるためにはゼーマンエネルギーを要するが、スカーミオン生成下では多体効果のために実効的にエネルギーギャップが消失する。)研究の主な成果は以下の2つからなる。第一の成果は、非平衡分布したスピン分離エッジ状態によって生成した核スピン偏極の(エッジ状態に垂直方向の)空間分布を初めてナノメートル精度で明らかにし、かつ、核スピン偏極の生成・減衰の時間的ダイナミクスを核スピン偏極の拡散を含めて詳細に明らかにしたことである。これら第一の成果は、この研究のハイライトとも言うべき第二の研究に進むための実験手法の構築という意味がある。第二は、第一の研究で明らかになった核スピン偏極を、エッジ状態の電子スピン状態をナノメートルスケールで精密に調べるための微細プローブとして用いている。エッジ状態の電子スピン状態が静電ポテンシャルの勾配の大きさや磁場強度によって系統的に大きく変化することを明らかにし、その結果を理論的予測と比べることにより、15年以上前から理論的に存在が予測されながら確認されなかったスカーミオンが生成されていることを実験的に初めて明らかにした。以上をまとめ、本研究は強磁場中2次元電子系の基礎的理解の進展に大きな寄与を与えたと認められる。

本論文は7章からなる。第1章は序論で、エッジ状態の基本と核スピン偏極生成の物理的機構に触れたうえで本論文の目的を記している。第2章は量子ホール効果の一般的な解説に当てられ、第3章は試料や電気的測定系を含めた実験系を解説している。第4章―6章は実験結果と考察に当てられる。まず第4章でエッジ状態の電子スピン系で核スピンを生成して検出する基本的実験結果が示され、第5章で核スピン偏極の空間分布と、生成後の時間的減衰の特徴が明らかにされ、生成メカニズムとともに減衰のメカニズムが明らかにされる。第6章は第5章、6章で明らかになった核スピン偏極の時空的特性を利用して、エッジ状態の電子スピン状態を解明する実験結果が記述され、核スピン偏極の減衰時間の詳細な測定より、スカーミオンの生成(Spin-textured edge statesの出現)が結論される。第7章は結論のまとめとともに、さらなる発展的課題が記されている。

結び

なお、本論文の第5章と6章は、小林氏と小宮山氏との共同研究だが、論文の提出者が主体となって測定法の開発に当たりかつ実験を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本審査委員会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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