学位論文要旨



No 217431
著者(漢字) 余傳,香奈子
著者(英字)
著者(カナ) ヨデン,カナコ
標題(和) 途上国における家庭用水の使用に関する分析 : ネパール・カトマンズの事例
標題(洋) Analysis of Domestic Water Use : A Case Study of Kathmandu, Nepal
報告番号 217431
報告番号 乙17431
学位授与日 2010.12.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17431号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堀井,秀之
 東京大学 教授 小澤,一雅
 東京大学 教授 滝沢,智
 東京大学 准教授 加藤,浩徳
 東京大学 准教授 佐藤,仁
 東京大学 准教授 澤田,康幸
内容要旨 要旨を表示する

背景

本稿は、ネパール・カトマンズ首都圏における一般家庭の水使用に関するデータを用いて、家庭用水の使用を多面的に捉えながら実態を把握し、またその決定要因を明らかにしたものである。途上国都市部における上水供給サービスは時間給水であるなどしばしば不完全であり、そのために上水へのアクセス提供が必ずしも適切な家庭用水の使用に結びつかないことがある。また、入手が容易だが健康リスクを有する代替水源が多く存在する環境下で、人々はしばしば高い健康リスクを認識しながらも代替水源に依存することが報告されている。

一方で、今日広く使われている安全な水の使用に関する指標は"安全な水へのアクセスの有無"を測定するものであり、水使用状況に踏み込んだものではない。同様に、多くの上水供給事業では安全な水へアクセスできる人の数(普及率など)の増加に主な関心が向けられるし、上水利用に関する多くの研究は安全な水へのアクセシビリティや安全な水の入手能力等の決定要因を明らかにすることによって将来の改善事業への示唆を得ようする。しかしながら、提供された安全な水が便益をもたらすかどうかは、人々がその水を適切に使用するかどうかにかかっているといっても過言ではない。実際に、安全な水へのアクセスが存在しながらも公衆衛生が改善しない例が少なからず報告されており、水使用状況に踏み込んだ分析の必要性が示唆される。

目的

本研究ではカトマンズ首都圏を事例とし、一般家庭の家庭用水使用実態と、水使用に関する様々な制約やその決定要因を明らかにすることを目的とする。上述のように、安全な水の便益は人々によって適切に使用されてはじめて発現する。よって、本研究では一般家庭の安全な水へのアクセスの有無だけではなく、水使用状況にも目を向けることとする。つまり、(1)どのような水が、(2)どのように使われるか、の二点-使用される水の性質と一般家庭の水使用行動、を観察し分析する。このような水というサービスの性質や水の使用をめぐる人々の特性に注意を払うアプローチによって、実際の改善事業や政策がターゲットとすべき世帯の特徴や、彼らが抱える制約に関する示唆を得られると考えられる。

分析枠組みの構築・データ収集

本研究では、以下のように途上国の一般家庭の上水使用の分析枠組みを構築した。2章では途上国開発における上水供給分野の過去の取り組み・論点・基準を、3章では研究対象地域の上水供給分野の過去の取組みや現状を概観し、途上国の家庭用水使用を分析する際に考慮すべき点を総括した。主に、(1)途上国の上水供給サービスが不完全であり、このことによって安全な水へのアクセスが適切な水使用を必ずしも保証しないこと、(2)複数の代替水源が存在し、多くの世帯が上水と併用していること、(3)不完全なサービスへの対応能力や、代替水源を適切に選択し使用する能力が世帯によって異なること、などを挙げた。

以上の点を踏まえて、4章では本研究で着目する家庭用水使用の範囲・側面・影響因子の三つの要素から成る分析枠組みを構築した。これは概念レベルのものであり、フィールドにおける観察のためにはこの枠組みを操作化する必要がある。従って、次に、調査方法を特定するために分析枠組みを操作化し、家庭用水使用に関する指標・基準・調査項目を決定した。

次に、分析枠組みに基づいて社会調査を設計・実施し、カトマンズ首都圏の一般家庭の水使用に関する詳細なデータを収集した(5章)。調査設計では、調査の母集団と標本の抽出方法を決定し、サンプル台帳を作成した後に、標本を抽出した。また、質問項目及び調査票を設計した。調査の実施にあたっては、現地の調査員を採用し、トレーニングを実施し、複数回の予備テストを経た後に、データ収集にあたらせた。データ収集時には念入りなモニタリングを行い、データの質の維持と調査員のインタビュースキルの向上につとめた。データ収集は、2005年5月から2007年8月の間に5回実施した。

本研究で収集したデータには以下の特徴がある。一つ目は、水使用状況に関する直接的な情報を含む点である。これはセン(1981)が議論するところの直接法によるニーズの充足に関する情報であるといえるだろう。二つ目は、水使用についての多面的な情報を含む点である。具体的には、全ての使用水源について使用量・使用目的・入手コスト・満足度等の情報を得た。三つ目は、乾期・雨期・冬期のパネルデータを収集した点である。四つ目は、建物全体を調査単位とした点である。途上国都市部の特徴的な居住形態として、一つの家屋に複数の世帯が居住するケースが多い点が上げられる。一つの家屋には一つの上水接続が提供されるため、供給された上水がどのように使用されるかを理解するためには、建物全体の水使用状況を明らかにする必要がある。そのため、家屋をサンプル単位とし、抽出された家屋に居住する全ての世帯にインタビューを実施したのである。

分析方法

カトマンズ首都圏の一般家庭の水使用に関するデータを用いて、以下の方法で分析を行った。まず、6章と7章では、一般家庭の上水使用の実態を多面的に明らかにするために家庭用水の目的(飲料、料理、入浴、洗濯)ごとの使用量と使用水源を推計した。さらに、水使用と上水サービスや世帯の社会経済的特徴との関係を探った。

次に、家庭用水の重要な側面である量と質の決定要因を、定量分析を用いて明らかにした。8章では、ヘックマンの二段階推定法を用いて大家世帯の上水使用量の決定要因を推定した。その際、上水サービスのレベルによる決定要因の違いや、利便性が高い代替水源の影響を明らかにするために、複数のセレクション・モデルを構築した。9章では、共分散構造モデルを用いて賃借人世帯の上水使用量の決定要因を明らかにすることを試みた。10章では、順序選択モデルを用いて家庭用水の用途ごとの水源選択の決定要因を推定した。

結果

分析の結果、カトマンズ首都圏の一般家庭の水使用について、以下が明らかになった。まず、カトマンズ首都圏では、高い上水道普及率に反して一般家庭の水使用状況は非常に深刻である。上水使用量は極めて少なく、多くの世帯が代替水源の使用を余儀なくされている。しかしながら、低レベルの上水供給サービスだけが深刻な水使用状況の原因ではない。不完全な上水供給サービス下では、不完全なサービスへの対応能力が水使用に大きく影響するのである。例えば、不定期な時間給水下では、建物内に貯水タンクや配管を設備できないことは、水使用のあらゆる面に支障をきたす。特に、所得レベルが低く、教育水準が低く、世帯主が女性であり、低いカーストの世帯の水使用は、使用する水の量・質共に脆弱であることが明らかになった。

また、一般家庭の水使用において、利用可能な上水供給量が多いことは重要な条件ではあるが、それだけが水使用状況の決定要因ではないことが明らかになった。カトマンズ首都圏のように、利用可能な水資源が限られており短・中期的に上水供給量の著しい増加が望めない地域においても、家庭用水使用状況を改善するための対策はありうる。例えば、水質や供給の規則性を改善することは、上水利用の促進や上水使用量の増加につながる。

更に、首都圏において全体の70%近くを占める賃借人世帯の上水使用状況は、非常に深刻であることが明らかになった。彼らの上水利用は大家世帯によって大きく制限されているのである。また、上水サービスが改善してもその制限は取り除かれないことも明らかになった。つまり、サービス改善のトリクル・ダウン効果が期待できないことが示唆された。大家による制限と大家との水道料金支払いに関する契約の間には相関があることから、今後はこの点に踏み込んだ上水供給政策が望まれる。

まとめ

本研究では、カトマンズ首都圏の一般家庭を事例として、途上国の家庭用水使用を多面的に捉え、家庭用水使用実態を明らかにすると共に、その決定要因や上水供給サービスとの関係を定量的・定性的に明らかにした。最後に、国際開発における上水供給分野の事業や政策に対して、以下の三つの論点を提示して本稿のまとめとする。

まず、家庭用水使用は多面的である。つまり、しばしば用いられる「安全な水へのアクセスの有無」という指標は水使用の一側面を捉えているのに過ぎない。特に途上国では、アクセスの有無だけに着目することは、途上国特有の居住形態や上水サービス事情と上水使用との関連を無視することにつながる。よって、将来の途上国の上水供給分野の事業や政策は、多面性を考慮して策定される必要がある。

次に、不完全な上水供給サービス下では、安全な水へのアクセスの提供だけでは適切な家庭用水使用は必ずしも実現しない。不完全なサービスへの対応能力や代替水源を適切に選択し使用する能力が世帯によって異なるためである。よって、供給されたサービスが公衆衛生の改善などの便益を発現させるよう、アクセスの提供の先にある水使用にまで目を向けることが重要である。

最後に、本研究の特色は、使用される水の性質と一般家庭の水使用行動に着目した点であることを強調したい。上水供給サービスによる便益は、提供された水が適切に使用されてはじめて発現する。従って、適切な水使用を実現するためには、提供されたサービスが人々に使用されるプロセス -水と人との関係、を理解することが重要である。こうした分析によって、改善事業や政策がターゲットとすべき世帯の特徴や解決すべき問題に関する有益な示唆が得られると考えられる。

Sen, A. (1981). Poverty and Famines: An Essay on Entitlement and Deprivation. New York: Oxford University Press.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、ネパール・カトマンズ首都圏における一般家庭の水使用に関するデータを用いて、家庭用水の使用を多面的に捉えながら実態を把握し、またその決定要因を明らかにしたものである。途上国都市部における上水供給サービスは時間給水であるなど不完全であり、上水へのアクセス提供が必ずしも適切な家庭用水の使用に結びつかないことがある。今日広く使われている安全な水の使用に関する指標は"安全な水へのアクセスの有無"を測定するものであり、水使用状況に踏み込んだものではない。提供された安全な水が便益をもたらすかどうかは、人々がその水を適切に使用するかどうかにかかっており、水使用状況に踏み込んだ分析が必要である。

本論文はカトマンズ首都圏を事例とし、一般家庭の家庭用水使用実態と、水使用に関する様々な制約やその決定要因を明らかにすることを目的としている。

途上国開発における上水供給分野の過去の取り組み・論点・基準、及び、研究対象地域の上水供給分野の過去の取組みや現状を概観し、途上国の家庭用水使用を分析する際に考慮すべき点を総括している。主に、(1)途上国の上水供給サービスが不完全であり、このことによって安全な水へのアクセスが適切な水使用を必ずしも保証しないこと、(2)複数の代替水源が存在し、多くの世帯が上水と併用していること、(3)不完全なサービスへの対応能力や、代替水源を適切に選択し使用する能力が世帯によって異なること、などを挙げている。これらを踏まえて、着目する家庭用水使用の範囲・側面・影響因子の三つの要素から成る分析枠組みを構築し、その分析枠組みに基づいて社会調査を設計・実施し、カトマンズ首都圏の一般家庭の水使用に関する詳細なデータを収集している。

得られたデータを用いて、一般家庭の上水使用の実態を多面的に明らかにするために家庭用水の目的(飲料、料理、入浴、洗濯)ごとの使用量と使用水源を推計し、水使用と上水サービスや世帯の社会経済的特徴との関係を明らかにしている。さらに、ヘックマンの二段階推定法を用いて大家世帯の上水使用量の決定要因を推定し、共分散構造モデルを用いて賃借人世帯の上水使用量の決定要因を明らかにしている。また、順序選択モデルを用いて家庭用水の用途ごとの水源選択の決定要因を推定している。

高い上水道普及率にもかかわらず、上水使用量は極めて少なく、多くの世帯が代替水源の使用を余儀なくされているが、深刻な水使用状況の原因は、低レベルの上水供給サービスだけでなく、不完全なサービスへの対応能力が大きく影響していることを明らかにしている。また、水質や供給の規則性を改善することにが、上水利用の促進や上水使用量の増加につながるなど、短・中期的に上水供給量の増加が望めない地域においても、家庭用水使用状況を改善するための対策がありうることを示している。更に、首都圏において全体の70%近くを占める賃借人世帯の上水使用状況が非常に深刻であり、その原因が大家世帯による上水利用の制限にあることを明らかにしている。

本論文の特徴は、次のようにまとめられる。

第一に、従来、途上国の上水関連開発プロジェクトにおいて水供給量が重要な評価指標と考えられてきたのに対して、水の使用状況こそが世帯の水に関する効用を考える上で重要であることを示した点で、一定程度の新規性が認められる。

第二に、現地関係者と密接に協力する中で、緻密な計画に基づいて現地調査を実施し、世帯行動に関する情報を収集していることから、使用されているデータの信頼性は高いと言える。また、調査データをもとに、計量経済モデルを丁寧に推定し、推定結果の頑強性にも十分配慮しながら、慎重に結果を導いている点でも、分析結果の信頼性はかなり高いと考えられる。

第三に、同一建物内の属性の異なる世帯間(家の持ち主と賃借人)での水使用特性の違いを示したこと、世帯内のタンクやポンプなどの施設が水使用に大きな影響を与えることを示したこと、居住者の教育水準が水使用に影響を及ぼすことなど、カトマンズだけでなく、他の途上国においても重要と考えられる事実を見出している点で、新規性が高く、また関係する研究者、実務者にとっても有用性が高いと思われる。

第四に、関連する既往研究のレビュー、分析手法の記述、分析結果および考察の説明等について、丁寧な記述がなされており、論文の完成度は一定水準以上だと言える。

以上のように、本論文は、途上国の家庭用水使用を多面的に捉え、カトマンズ首都圏の一般家庭を事例として、家庭用水使用実態を明らかにすると共に、その決定要因や上水供給サービスとの関係を定量的・定性的に明らかにした。新規性、有用性、信頼性、完成度の観点から見て、十分な水準にあるものと判断される。本論文は、途上国都市部の上水供給に係わる研究に新しい方向性を提示するとともに、途上国都市部の上水供給に係わる問題の解決に資する新たな知識を提供している。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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