学位論文要旨



No 217432
著者(漢字) 仁木,和久
著者(英字)
著者(カナ) ニキ,カズヒサ
標題(和) 脳イメージングを用いた海馬を中核とする主体的行為の学習と記憶の研究
標題(洋)
報告番号 217432
報告番号 乙17432
学位授与日 2010.12.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第17432号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣瀬,明
 東京大学 教授 柴田,直
 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 教授 山口,陽子
 東京大学 教授 伊庭,斉志
 東京大学 教授 多賀,厳太郎
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、ヒトの主体的行為でみられる多様で柔軟な学習・記憶の脳メカニズムの解明を目指し、記憶の中枢「海馬」に焦点をあてた一連の脳イメージング実験を遂行することにより、ヒト固有の外界・社会に開かれた多様で柔軟な知能の速い形成とその優れた発揮を可能にする記憶の中枢「海馬」を中核とした脳システムを脳認知科学的に明らかにしようとするものである。

ヒトは目標や意図をもって行動する。そのような主体的行為は発見や納得を伴うことにより良く長期記憶され、その累積としてヒト知能が形成される。さらに、体験や行為の記憶が形成されると、同様な行為をいつでも再現できるようになる。このことは、われわれの体験していることであり、現代の教育原理としても重要視されている。この「行為を通した学習・記憶、知能の形成」は、ヒトが普通にもつ知能特性である。しかし、この解明が進んでいるとはいえず、脳認知科学的解明が求められている。そこで本研究では、ヒト知能を行為レベルの現象として捕らえるという発想で「主体的行為の学習と記憶」の脳イメージングによる研究を遂行した。またヒト行為を通して知能が形成され、知能の発揮が行為である、という「知能と行為の双対性」が成立する。本研究でこの視点に立ち、社会の中でヒト行為として発揮されるヒト知能特性を脳認知科学的考察に考察することも、研究の狙いとする。

以上で示したように、「知能と行為の双対性」を実現する海馬を中核とする脳システムのメカニズムを脳科学的に解明することにより、ヒト知能を脳認知科学的に理解し解明することを本論文の目的として設定した。このような研究の視点の導入によりわれわれは、社会の中でのヒトとヒトとの関係と相互作用として営まれる行為をヒト知能形成の核心と捉えることができ、「社会・文化の中で形成され、発揮されるヒト知能」を脳認知科学的に探求することを、可能にした。

本論文の構成と展開は次のとおりである。

第1章は「主体的行為の学習と記憶の問題提起」と題し、ヒト知能を解明しようとする研究分野における本研究の位置づけを行い、海馬-大脳システムのメカニズムを脳科学的に解明する必要性を明らかにしている。「主体的行為の学習と記憶」は体験の記憶「エピソード記憶」の一種である。われわれは、「主体性」と「意図」という「学習と記憶」のパフォーマンスに直結する認知機能に注目することにより、ヒト固有の知能の形成とその柔軟で多様な発揮特性を脳イメージング研究の対象とすることを可能にした。これまで、エピソード記憶は記憶理論の中に位置づけられず、「現象論」ともいわれてきた。しかし、われわれは「主体的行為の学習と記憶」のメカニズムを脳イメージングによって探求することにより、エピソード記憶を記憶理論的に議論する。これは、タルビングが提唱した「脳の上に成立する「心のシステム」」の理論構築にも寄与するものであると考えていることを述べる。

第2章から第7章が、本論文の主要な研究成果である。

第2章は「自伝的記憶の海馬傍回における経時的活動変化」と題し、自伝的記憶を想起する際の海馬傍回の活動の脳イメージング実験の結果を報告する。特に、最近2年(平均半年)以内のエピソードと5年以上前のエピソードでは想起メカニズムが異なり、最近の新しい記憶の想起には、海馬傍回の有意な活動が伴うことを明示する。海馬傍回で保持される記憶は、5年近くに渡り保持される長期記憶であることを明らかにする。

第3章は「意味記憶想起とタスク目的の連合形成における海馬の寄与」と題し、意味記憶の想起における海馬活動の脳イメージング実験結果を報告する。特に、この意味記憶想記への海馬の寄与について「タスク関連の連合形成」に伴う活動であることを明示する。動物において空間的探索の為に働く海馬の機能が、ヒトにおいては意味空間の探索で働き、さらにタスク目的やタスク関連性という高次な認知特性を持つことを明示する。

第4章は「インサイト時の海馬活動に連携する脳領域」と題し、最も高次の認知活動の一つであるインサイト現象が起きている時の脳イメージング実験結果を報告する。特に、インサイト現象時に海馬の活動が伴うこと、さらには、このインサイト活動には、ACC(前帯状回)、TPJ(側頭・頭頂結合部)、扁桃体が連携して働くことを明示する。インサイトに伴う記憶は、既存の知識や知能を新しい視点から再構成して形成されることを我々は主張する。

第5章は「時間的離散事象の連合への海馬の寄与」と題し、海馬の基本機能といわれている時間的離散事象の連合の脳イメージング検出を報告する。離散的現象の連合の機能は、動物における現時点の入力情報に基づく実時間情報処理を時間、空間的に拡張し、ヒトの認知情報処理の高度化を支えていることを明らかにする。

第6章は「漢字チャンクの再構成における脳活動」と題し、漢字チャンクの再構成を観察した脳イメージング実験の結果を報告する。特に、視覚認識チャンクの再構成に伴い、漢字チャンクを構成すると考えられる視覚領域の構造的な抑制と、高次視覚野と前頭葉の興奮活動という対照的な活動を明示する。

第7章は「インサイト問題解決に感情が及ぼす影響」と題し、インサイト問題解決への感情の影響を国際感情画像のディストラクタを用いて調べた脳イメージング実験の結果を報告する。特に、ポジティブな感情の表示は、インサイト問題解決の反応速度を有意に促進し、インサイト問題解決に特有な脳活動パターンを有意に増加させることを明示する。ネガティブ感情は、反応速度を有意に遅くし、島領域前部を活動させ、インサイト問題解決の特有な脳活動パターンを増加させることは無いことを明示する。

第8章は「考察:『主体的行為の学習と記憶』を実現する海馬を中核とする脳システム」と題し、第II部のまとめとして「海馬を中核とする脳システム」を明示し、横断的な議論・考察を行う。特にその重要な特性である「構成性」の発現メカニズムについて、前部帯状回(ACC)と側頭と頭頂の接合部(TPJ)、扁桃体、海馬に注目して議論する。

第9章は「主体的行為の学習と記憶の脳認知科学の展望と含意」と題し、社会・文化のなかで発揮される「主体的行為」の特性について議論をおこない、本研究の展望と含意を検討する。われわれが本論文で追求した「主体的行為の学習と記憶」には「行為と知能の双対性」という重要な性質があるため、社会・文化の中での人間同士の行為の相互作用を通して、ヒト知能の形成や発揮が頻繁におこる。このヒト固有の知能特性を検討するため、海馬を中核とした脳システムを知能形成のエンジンとみなした脳認知科学モデル「構成的知能」を提案し、「外界に開かれ、多様で柔軟な、速い」ヒト知能の形成と、その柔軟で多様な機能の発揮について、本研究によって得られた知見をまとめる。本研究の成果を教育に適用することを検討し、「社会・文化の中で形成、発揮されるヒト知能」を探求することの重要性を強調する。

最後に、第10章において全体のまとめを行う。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は「脳イメージングを用いた海馬を中核とする主体的行為の学習と記憶の研究」と題し、ヒトの主体的行為でみられる多様で柔軟な学習・記憶の脳メカニズムの解明を目指し、記憶の中枢である海馬に焦点をあてた一連の脳イメージング実験を遂行することにより、ヒト固有の外界・社会に開かれた多様で柔軟な知能の速い形成とその優れた発揮を可能にする海馬を中核とした脳システムを、脳認知科学的に明らかにしようとするものであり、全10章からなる。

第1章は「主体的行為の学習と記憶の問題提起」と題し、ヒト知能を解明しようとする研究分野における本研究の位置づけを行い、海馬-大脳システムのメカニズムを脳科学的に解明する必要性を述べている。

第2章から第7章が、本論文の主要な研究成果である。

第2章は「自伝的記憶の海馬傍回における経時的活動変化」と題し、自伝的記憶を想起する際の海馬傍回の活動の脳イメージング実験の結果を報告している。特に、最近2年(平均半年)以内のエピソードと5年以上前のエピソードでは想起メカニズムが異なり、最近の新しい記憶の想起には、海馬傍回の有意な活動が伴うことを明示している。海馬傍回で保持される記憶は、5年近くに渡り保持される長期記憶であることを明らかにしている。

第3章は「意味記憶想起とタスク目的の連合形成における海馬の寄与」と題し、意味記憶の想起における海馬活動の脳イメージング実験結果を報告している。特に、この意味記憶想記への海馬の寄与について「タスク関連の連合形成」に伴う活動であることを明示している。動物において空間的探索の為に働く海馬の機能が、ヒトにおいては意味空間の探索で働き、さらにタスク目的やタスク関連性という高次な認知特性を持つことを明らかにしている。

第4章は「インサイト時の海馬活動に連携する脳領域」と題し、最も高次の認知活動の一つであるインサイト現象が起きている時の脳イメージング実験結果を報告する。特に、インサイト現象時に海馬の活動が伴うこと、さらには、このインサイト活動には、ACC(前帯状回)、TPJ(側頭・頭頂結合部)、扁桃体が連携して働くことを明示する。インサイトに伴う記憶は、既存の知識や知能を新しい視点から再構成して形成されることを主張している。

第5章は「時間的離散事象の連合への海馬の寄与」と題し、海馬の基本機能といわれている時間的離散事象の連合の脳イメージング検出を報告している。離散的現象の連合の機能は、動物における現時点の入力情報に基づく実時間情報処理を時間、空間的に拡張し、ヒトの認知情報処理の高度化を支えていることを明らかにしようとしている。

第6章は「漢字チャンクの再構成における脳活動」と題し、漢字チャンクの再構成を観察した脳イメージング実験の結果を報告している。特に、視覚認識チャンクの再構成に伴い、漢字チャンクを構成すると考えられる視覚領域の構造的な抑制と、高次視覚野と前頭葉の興奮活動という対照的な活動を明示している。

第7章は「インサイト問題解決に感情が及ぼす影響」と題し、インサイト問題解決への感情の影響を国際感情画像のディストラクタを用いて調べた脳イメージング実験の結果を報告している。特に、ポジティブな感情の表示は、インサイト問題解決の反応速度を有意に促進し、インサイト問題解決に特有な脳活動パターンを有意に増加させることを明示している。ネガティブ感情は、反応速度を有意に遅くし、島領域前部を活動させ、インサイト問題解決の特有な脳活動パターンを増加させることは無いことを明らかにしている。

第8章は「考察:『主体的行為の学習と記憶』を実現する海馬を中核とする脳システム」と題し、第II部のまとめとして「海馬を中核とする脳システム」について横断的な議論・考察を行っている。特にその重要な特性である「構成性」の発現メカニズムについて、前部帯状回(ACC)と側頭と頭頂の接合部(TPJ)、扁桃体、海馬に注目して議論している。

第9章は「主体的行為の学習と記憶の脳認知科学の展望と含意」と題し、社会・文化のなかで発揮される「主体的行為」の特性について議論をおこない、本研究の展望と含意を検討している。

最後に、第10章において全体のまとめを行っている。

以上これを要するに、本論文は、記憶の中枢である海馬に焦点をあてた一連の脳イメージング実験を遂行し、特にエピソード記憶の想起やインサイト問題の解決といった各種のタスクに対する海馬および関連領野の活性部位とその時間推移の異同を観測することにより、ヒトの主体的行為でみられる多様で柔軟な学習と記憶の脳メカニズムの一端を明らかにしたものであり、生体工学および脳認知科学に対する貢献が少なくない。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク