学位論文要旨



No 217437
著者(漢字) 三枝,静江
著者(英字)
著者(カナ) サエグサ,シズエ
標題(和) 細胞培養系を用いた腸管における酵母の免疫応答刺激活性の解析
標題(洋)
報告番号 217437
報告番号 乙17437
学位授与日 2011.01.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17437号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 局,博一
 東京大学 教授 伊藤,喜久治
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 准教授 桑原,正貴
 東京大学 准教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

酵母は,主に単細胞の形態で増殖する真核生物で,地球上の広範な場所に生存している.酵母のいくつかの菌種は,発酵食品の製造,サプリメントや機能性食品,飼料等に用いられており,代表的なSaccharomyces cerevisiaeは,日本酒やワインの醸造,パンの発酵などに用いられる.また,生物の皮膚や呼吸器官,消化器官に常在する酵母も存在し,腸管常在性のCandida albicansは,宿主の免疫機能が低下・破綻したときに病原性をときに示す.

腸管には,酵母や細菌を含む数多くのさまざまな微生物が常在し,さらに,食物等と共に外部から摂り込んだ微生物も,通常は一時的ではあるものの腸管内に存在することとなる.宿主は,腸管内の微生物に対し,腸管上皮細胞や,近傍に存在する好中球やマクロファージ,樹状細胞,T細胞やB細胞などから構成される複雑な免疫系を制御して,サイトカイン産生等の免疫応答を示し,微生物の排除を行うとともに宿主の恒常性を維持している.その応答誘導には,宿主細胞に発現されているパターン認識受容体などを介した微生物の認識が関与しており,酵母を認識する受容体としては,Toll様受容体(Toll-like receptor:TLR)1,TLR2,TLR6,およびDectin-1などが挙げられる.

近年,腸内環境を整え,生体に有益な作用を及ぼす生きた微生物やそれらを含む食品であるプロバイオティクスが脚光を浴びている.特に,醗酵乳製品に用いられるLactobacillus属やBifidobacterium属などの細菌に関する研究が進んでおり,腸内細菌叢の改善,免疫機能への作用を介したアレルギーやアトピー,感染症の予防・改善などの効果が報告されている.しかしながら,酵母に関する報告は少ない.

そこで,本研究では,酵母を機能性食品やサプリメントの素材,プロバイオティクスとして利用することを考慮し,その摂取の安全性や機能を明らかにする目的で,酵母細胞が腸管においてどのような初期自然免疫応答を誘導するかの解明を試みた.方法として,S. cerevisiaeとC. albicans等に対し,腸管の最表層で腸管内の物質と数多く接触する腸管上皮細胞と,応答の初期段階に菌体排除で重要な役割を担う好中球が示す応答を解析することとし,各細胞のモデルであるヒト由来Caco-2細胞とHL-60細胞を用いて行った.

Saccharomyces cerevisiaeおよびCandida albicansに対するヒト腸管上皮様Caco-2細胞の各種サイトカイン産生応答

S. cerevisiaeおよびC. albicansに対して,Caco-2細胞がどのようなサイトカイン応答を示すかを検討する目的で,酪酸およびウシ胎児血清(FBS)添加または無添加培地を用いて培養したCaco-2細胞と各酵母との共培養時のIL-6,IL-8,IL-18,顆粒球-マクロファージコロニー刺激因子(GM-CSF),単球走化性因子(MCP)-1,幹細胞因子(SCF),腫瘍壊死因子(TNF)-α,トランスフォーミング増殖因子(TGF)-β1,TGF-β2,およびTGF-β3 mRNAの発現量と細胞外への分泌,およびアラキドン酸カスケード関連酵素シクロオキシゲナーゼ(COX)-1,COX-2のmRNA発現量と分泌量の変化を解析した.酪酸は腸内細菌の代謝産物であり,Caco-2細胞や腸管上皮細胞の分化を促す.

解析の結果,15% FBS含有DMEM培地で培養したCaco-2細胞は,10mM酪酸を加えた4日間の前培養により,酪酸無添加時と比較して,IL-6,IL-8,IL-18,MCP-1,SCF,TGF-β1,TGF-β3,TNF-α,COX-1,及びCOX-2のmRNA発現量が増加したが,GM-CSFとTGF-β2mRNA発現量には変化がみられなかった.タンパク質レベルでは,IL-8分泌促進がELISAにより確認された.また,10mM酪酸添加培地で前培養したCaco-2細胞をさらにS. cerevisiae及びC. albicans生菌体と共培養したところ,IL-6,IL-8,MCP-1,SCF,TNF-αのうち,IL-8のmRNA発現と分泌のみがさらに促進された.FBS非含有培地で培養したCaco-2細胞では,酪酸による上記のmRNA発現量の増加はみられたものの,酵母刺激によるCaco-2細胞からのさらなる応答変化はみられなかった.

種々の酵母および菌体成分に対するヒト腸管上皮様Caco-2細胞の応答

S. cerevisiaeとC. albicans,およびS. cerevisiae由来細胞壁粗画分のザイモサン,細胞壁構成成分のグルカンおよびマンナンに対して,Caco-2細胞(10mM酪酸および15%含有DMEM培地にて培養)がどのような応答を示すかを検討した.

Caco-2細胞からのIL-8分泌量は,菌体濃度依存的に,S. cerevisiaeあるいはC. albicans生菌体との共培養により増加した.S. cerevisiaeによるIL-8産生の増強の程度は,C. albicansによるものより小さく,同時に測定したCaco-2細胞の経上皮電気抵抗(TER)値の減少も,S. cerevisiaeのほうが緩慢であった.また,マンナンを除くザイモサンとグルカンが同様にIL-8の分泌を濃度依存的に促進した.種々の酵母,Candida kefyr,C. utilis,C. versatilis,Kluyveromyces lactis,K. marxianus,Shizosaccaharomyces pombe,Zygosaccharomyces rouxii,Candida glabrata,C. krusei,C. parapsilosis,C. tropicalisは,いずれもCaco-2細胞からのIL-8分泌を促進した.

以上の結果から,実際の腸管において,管腔内の酵母は腸管上皮細胞を刺激してIL-8産生を増強し,さらに広範な腸管免疫機能への作用を及ぼす可能性があると考えられる.

Saccharomyces cerevisiaeおよびCandida albicansに対するヒト好中球様HL-60細胞のサイトカイン産生応答

腸管において,上皮細胞から産生されるIL-8は好中球を動員する.好中球は,酵母を含む微生物の貪食・分解・除去に重要な役割を果たす細胞である.好中球の酵母に対するサイトカイン応答を検討する目的で,1μMレチノイン酸または1.25% DMSOで分化誘導したヒト好中球様HL-60細胞と,S. cerevisiaeまたはC. albicansを共培養し,HL-60細胞のサイトカイン応答を検討した.その結果,S. cerevisiae生菌体および加熱死菌体による刺激は,レチノイン酸で処理した好中球様HL-60細胞からのIL-1β,IL-6,IL-8,IL-12,IL-18,MCP-1,TNF-αの分泌および遺伝子発現を促進した.一方,C. albicans生菌体はIL-1β,IL-8,IL-18の分泌のみを促進したが,その活性はS. cerevisiaeよりも弱かった.C. albicans加熱死菌体は,IL-6,IL-8,IL-12,MCP-1,TNF-αの分泌を促進した.

これらの結果から,S. cerevisiaeは,好中球のサイトカイン産生応答をC. albicansとは異なる様式で誘導して,生体の免疫系に作用することが示唆された.

ヒト腸管上皮様Caco-2細胞または好中球様HL-60細胞と酵母を共培養した際の酵母菌体成分認識受容体の遺伝子発現変化

腸管上皮様Caco-2細胞および好中球様HL-60細胞における酵母認識受容体の遺伝子発現に対して,それぞれの細胞の種々の培養条件および酵母菌体による刺激が与える影響についてmRNAレベルで検討した.

酵母菌体による刺激を行なわない状態について,Caco-2細胞では,10mM酪酸添加培地での4日間の培養により,TLR1,TLR6およびDectin-1 mRNAの発現量が増加した.また,HL-60細胞においては,1μMレチノイン酸含有培地で6日間前培養することにより,TLR1,TLR4,TLR6およびDectin-1のmRNA発現量が増加し,1.25% DMSO含有培地で培養した場合には,TLR1,TLR2,TLR6およびDectin-1 mRNAの発現量が増加した.さらにレチノイン酸とDMSO間では,受容体TLR1,TLR2,TLR4,TLR6およびDectin-1 mRNAの発現量に差がみられた.

酵母細胞と各ヒト細胞の共培養時には,Caco-2細胞については,酵母細胞共存による明瞭な変化は認められなかった.HL-60細胞については,レチノイン酸またはDMSOで処理したHL-60細胞で,S. cerevisiae加熱死菌体との共培養によりTLR2 mRNAの発現量が増加した.

これらの受容体の遺伝子発現の変化により,Caco-2細胞およびHL-60細胞の酵母認識機構と,それに続くサイトカイン産生等の応答が変化した可能性がある.

本研究では,酵母とヒトの腸管免疫機能との関わり合いを,代表的な菌種S. cerevisiaeおよびC. albicansと,腸管上皮細胞および好中球のヒト由来モデル細胞を用いて解析することで,その機序を科学的に解明することに成功した.これまでの食経験に基づく酵母摂取の生体への効果と,本研究での成果を複合的に考えることで,酵母やその成分を利用した安全で効果的な機能性食品や動物用試料の開発がますます進むものと考える.

審査要旨 要旨を表示する

酵母は機能性食品やサプリメントの素材,プロバイオティクスとして幅広く利用されているが、腸管における酵母の自然免疫応答様式に関しては未解明な面が多く残されている。本研究は、腸管内において食餌由来性の高いSaccharomyces cerevisiaeおよび常在性が高く病原性も有すCandida albicansを中心に、ヒト腸管上皮由来のCaco-2細胞とヒト由来好中球様細胞であるHL-60細胞を用いて、インターロキンなどのサイトカインの誘導性や酵母菌に対する抗原認識性を明らかにしたものである。

Saccharomyces cerevisiaeおよびCandida albicansに対するヒト腸管上皮様Caco-2細胞の各種サイトカイン産生応答

15% FBS含有DMEM培地で培養したCaco-2細胞は,10mM酪酸を加えた4日間の前培養により,酪酸無添加時と比較して,IL-6,IL-8,IL-18,MCP-1,SCF,TGF-β1,TGF-β3,TNF-α,COX-1,及びCOX-2のmRNA発現量が増加したが,GM-CSFとTGF-β2mRNA発現量には変化がみられなかった.タンパク質レベルでは,IL-8分泌促進がELISAにより確認された.また,10mM酪酸添加培地で前培養したCaco-2細胞をさらにS. cerevisiae及びC. albicans生菌体と共培養したところ,IL-6,IL-8,MCP-1,SCF,TNF-αのうち,IL-8のmRNA発現と分泌のみがさらに促進された.

種々の酵母および菌体成分に対するヒト腸管上皮様Caco-2細胞の応答

Caco-2細胞からのIL-8分泌量は,菌体濃度依存的に,S. cerevisiaeあるいはC. albicans生菌体との共培養により増加した.S. cerevisiaeによるIL-8産生の増強の程度は,C. albicansによるものより小さく,同時に測定したCaco-2細胞の経上皮電気抵抗(TER)値の減少も,S. cerevisiaeのほうが緩慢であった.また,マンナンを除くザイモサンとグルカンが同様にIL-8の分泌を濃度依存的に促進した.種々の酵母,Candida kefyr,C. utilis,C. versatilis,Kluyveromyces lactis,K. marxianus,Shizosaccaharomyces pombe,Zygosaccharomyces rouxii,Candida glabrata,C. krusei,C. parapsilosis,C. tropicalisは,いずれもCaco-2細胞からのIL-8分泌を促進した.以上の結果から,実際の腸管において,管腔内の酵母は腸管上皮細胞を刺激してIL-8産生を増強し,さらに広範な腸管免疫機能への作用を及ぼす可能性があると考えられた.

Saccharomyces cerevisiaeおよびCandida albicansに対するヒト好中球様HL-60細胞のサイトカイン産生応答

1μMレチノイン酸または1.25% DMSOで分化誘導したヒト好中球様HL-60細胞と,S. cerevisiaeまたはC. albicansを共培養し,HL-60細胞のサイトカイン応答を検討した.その結果,S. cerevisiae生菌体および加熱死菌体による刺激は,レチノイン酸で処理した好中球様HL-60細胞からのIL-1β,IL-6,IL-8,IL-12,IL-18,MCP-1,TNF-αの分泌および遺伝子発現を促進した.一方,C. albicans生菌体はIL-1β,IL-8,IL-18の分泌のみを促進したが,その活性はS. cerevisiaeよりも弱かった.C. albicans加熱死菌体は,IL-6,IL-8,IL-12,MCP-1,TNF-αの分泌を促進した.これらの結果から,S. cerevisiaeは,好中球のサイトカイン産生応答をC. albicansとは異なる様式で誘導して,生体の免疫系に作用することが示唆された.

ヒト腸管上皮様Caco-2細胞または好中球様HL-60細胞と酵母を共培養した際の酵母菌体成分認識受容体の遺伝子発現変化

酵母菌体による刺激を行なわない状態について,Caco-2細胞では,10mM酪酸添加培地で,TLR1,TLR6およびDectin-1 mRNAの発現量が増加,HL-60細胞においては,1μMレチノイン酸含有培地でTLR1,TLR4,TLR6およびDectin-1のmRNA発現量が増加,1.25% DMSO含有培地では,TLR1,TLR2,TLR6およびDectin-1 mRNAの発現量が増加した.しかしながら、酵母細胞と各ヒト細胞の共培養時には,Caco-2細胞については,酵母細胞共存による明瞭な変化は認められなかった.一方、HL-60細胞については,レチノイン酸またはDMSOで処理したHL-60細胞で,S. cerevisiae加熱死菌体との共培養によりTLR2 mRNAの発現量が増加した.この受容体の遺伝子発現の変化により,Caco-2細胞およびHL-60細胞の酵母認識機構と,それに続くサイトカイン産生等の応答が変化した可能性が考えられた。

以上を要するに,本研究は酵母がヒトの腸管免疫機能に及ぼす作用に関する基本的な機序を明らかにしたものであり、学術上、応用上寄与する面が少なくない。よって審査委員一同は本論文が学位(獣医学)を授与するにふさわしいものと認めた。

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