学位論文要旨



No 217440
著者(漢字) 猪飼,周平
著者(英字)
著者(カナ) イカイ,シュウヘイ
標題(和) 病院の世紀の理論
標題(洋)
報告番号 217440
報告番号 乙17440
学位授与日 2011.01.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 第17440号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 教授 佐口,和郎
 東京大学 教授 粕谷,誠
 東京大学 教授 小野塚,知二
 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 教授 武川,正吾
内容要旨 要旨を表示する

本稿は、次の3つの目的をもって書かれている。第1に、筆者が「病院の世紀の理論」とよぶ歴史理論によって、20世紀先進諸国において成立した医療に固有の性質を定式化するとともに、それら諸国の医療システムの間にみられる差異を説明することである。第2に、近代日本医療史を、病院の世紀のパースペクティヴに沿って再構成することである。これは、病院の世紀の理論が日本について妥当することを実証すると同時に、病院の世紀に基づいて、従来「医療の社会化」論による歴史を正統とする医療史を全面的に改定しようとするものである。第3に、日本の医療政策における長期的展望の重要性を示すとともに、病院の世紀の理論がその展望を拓く上で貢献をなし得ることを示すことである。

1.病院の世紀の理論・・・第1章

医療にとって20世紀とは、治療医学に対する社会的期待・信認が特に高くなった時代であったといえる。このことは、いいかえれば、20世紀が、医療供給システムに対して莫大な社会的・経済的資源を投入することを社会的に許容すると同時に、それによって医療供給システムが効果的な治療システムとなることを強く要請する時代であったということである。本稿では、上記の社会的要請が医療供給システムのあり方を強く規律した時代という意味で、20世紀を「病院の世紀」とよび、その「病院の世紀」において成立可能な医療供給システムの型に関する理論を「病院の世紀の理論」とよぶ。

病院の世紀においては、専門的で高度な医療機能であるセカンダリケアが生まれ、残余たるプライマリケアと機能的分業に入る。そして、この二つの機能領域に病院/診療所からなる医療施設、医師に体化された医学的知識・技能が配分されることになる。病院の世紀の理論によれば、20世紀の医療先進地域において、機能・施設・人的資源の3種を持続可能となるように組み合わせる方法は、3種類に限定される。第1にイギリスにおいて典型的にみられる「身分原理」であり、第2に日本において典型的にみられる「所有原理」であり、第3にアメリカにおいてみられる「開放原理」である。

これに基づいて病院の世紀の理論は、次の3つの仮説を提出している。第1に、医療の先進地たる国々の医療供給システムは、19~20世紀転換期ごろに上記の3つの原理のいずれかに基づく発展を選択した。第2に、各国の医療供給システムは、20世紀を通じて当初選択した原理を維持し、原理上の転換をおこなわない。第3に、20世紀の終焉とともに、原理的制約は解かれ、各国の医療供給システムはおよそ1世紀ぶりの構造変動の時代に入った(下図参照)。

2.20世紀日本における病院の世紀・・・第2章~第5章

病院の世紀の理論によれば、日本の医療システムは所有原理型システムである。所有原理型システムの原理的特徴は、第1に欧州等でみられるような専門医と一般医の身分差が形成されず、セカンダリケアとプライマリケアの両方の機能領域が、実質的な専門医一本でカバーされるということである。第2に、プライマリケアに従事する専門医に対して自ら病床を設置する道が開かれていることによって、彼らにセカンダリケアに対して接近することが保証されているということである。

第1の特徴に関して、戦前日本の医師のキャリアパスに関する実証研究を行い、日本においては1920年代までに、出身学歴にかかわらず卒後一定期間の病院勤務を経験するキャリアパターンが一般化していたことを確認した。このことは、同時期までに、日本において、原則としてすべての医師が病院を中心におこなわれるセカンダリケアに必要な能力=専門医としての能力を習得するキャリアを歩むようになっていたことを示している。これは、病院の世紀の初期において、日本の医療システムが所有原理型医療システムの第1の特徴を帯びたことを示している。

第2の特徴に関しては、戦前における衛生統計から多くの開業医が自前の施設に病床を設けていったことを跡づけることができる。本稿では、あわせて、主に20世紀前半における公立一般病院・病床と開業医による病院・病床がそれぞれ置かれていた経済的条件および与えられていた社会的役割について検討した。その結果、20世紀前半日本の開業医は、第1に、当時日本において存在していた公立一般病院に遜色ない公共的役割――とりわけ医療へのアクセシビリティへの貢献――を果たしていたこと、第2に、病院開業することが経営的に有利な条件の下にあったことを確認した。

以上の作業から、20世紀日本の医療システムの歴史的展開が病院の世紀の理論に合致することが確認されたが、そこに見出された歴史は、従来、「医療の社会化」論によって提示されてきた正統的歴史観とは相容れないものでもある。そこで、本稿では、「医療の社会化」論による近代日本医療史観が、実証的に支持され得ないことを示すとともに、病院の世紀のパースペクティヴに基づく歴史に改訂することの必要性を主張した。

3.病院の世紀の終焉と長期的医療政策への含意・・・第6章~第8章

医療供給システムに対して病院の世紀による規律が作用するためには、1つの前提が存在していた。それは、上述のように治療医学に対する大きな社会的期待・信認が存在していることであった。病院の世紀による規律とは、治療医学に対する大きな社会的期待が医療供給システムに表現される際の条件にほかならない。とすれば、逆に、治療医学に対する社会的期待が減退したり、より有効な健康戦略を社会が見出したりすれば、病院の世紀を成立させる前提が崩れることになる。そして、そのような治療医学に対する社会的期待の絶対的あるいは相対的な減退という事態は、現実に進行している。この現象を本稿では「病院の世紀の終焉」とよぶ。この病院の世紀の終焉は、病院の世紀を共有してきた各国で経験しつつある現象であると考えられるが、本稿においては、日本に限定して検討を進めた。本稿では、日本における病院の世紀の終焉には、主に3つの意義が見出されることを指摘した。

第1に、これからの医療政策が長期的展望に基づいておこなわれることの重要性についてである。従来日本の医療供給システムの特徴をみなされてきた主要なもの(下図参照)は、いずれも日本の医療システムが所有原理型であったことに根拠を有してきた。したがって、病院の世紀の終焉は、それらの特徴の存在理由が失われることを意味する。このような時代にあっては、改めて医療供給システムを基本デザインからやり直さなければならない。本書ではこの点を指摘することによって、今後の医療政策には、基本デザインを長期的展望に基づいて構想することが必要であることを示した。

その際、日本の医療システムが病院の世紀において生み出してきた遺産をどのような形で引き継ぐことができるかについて、「社会的入院」と「医局制度の解体」という2つの問題を例として検討した。

第2に、「健康」概念の転換が伴うことである。病院の世紀の終焉は、従来治療医学によって定義されていた「健康」観が、<病気でないこと>から<生活の質が高いこと>転換することを意味している。これは、ある健康観が別のものにただ置き換わることを意味するのではない。というのも、前者においては、それが何を意味するかは、医学によって客観性をもって述べることが可能であるのに対し、後者においては、それは実用的にも一義的に規定することはできず、究極的には不可知であると考えられるからである。その意味において、病院の世紀の終焉後に形成される健康システムは、病院の世紀におけるとは異なる性格の目標概念を前提として構築されなければならない。

第3に、次代の健康システムとして包括ケアシステムが展望されることである。従来の治療医学の健康サービス全体における相対的地位が低下することで、医療は、人びとの健康を支える社会サービスのネットワークの中で、重要ではあってもあくまで1つの要素として機能するようになると考えられる。このような観点からみるとき、新たな健康システムは、包括ケアシステムとしての性格を帯びる可能性が高いといえる。本稿では、包括ケアシステム化することの意義として、上記「健康」概念の転換に加え、第1に、健康を支える諸活動の場が、生活の場である自宅寄りに重心を移ると考えられること、第2に、包括ケアの供給が、より地域的性格を強めてゆく斗考えられること、第3に、包括ケアシステムにおいては、サービスが多職種連携を前提とすることになるであろうことを指摘した。

審査要旨 要旨を表示する

1はじめに

高齢化、医療の高度化、財政制度の変化といった要因によって、世界各国で医療制度、社会保障制度、社会福祉制度の見直しが急務になっている。日本でも老人健康保険制度、介護保険制度が作られ、さらにどのように医療制度、介護制度、社会保障制度、社会福祉制度を変えていくべきかに多くの注意が向けられている。そうした中で、社会科学がこうした問題にたいしてどのようなパースペクティブを提示し、処方箋を書きうるのだろうかということが問われている。

猪飼周平氏の博士号請求論文「病院の世紀の理論」は、20世紀の医療制度の在り方を総括する試みであり、現実を新たにとらえなおす理論的枠組みの提示と、そうした枠組みに従った実態の解明という、社会科学の二つの課題に誠実に向き合った作品である。

本論文が対象とする医療制度についてはイギリスのエーベル・スミスや合衆国のスティーブンスの分析など、堅実な歴史制度分析が少ないながら存在する。だが、各国についてそうした個別の研究が散見されるものの、各国の医療制度を共通の枠組みで理解しようとする試みはこれまでほとんど皆無であった。こうした先行研究の少なさは、新たな理論的枠組みの提示という課題に答える作業を極めて困難なものとする。本論文はそうした困難を乗り越えて、20世紀の医療において病院が占めるにいたった地位に着目することで、医療に関する新たな枠組みを提示し、さらに、そうした枠組みに基づいて、近代日本における医療制度の展開過程を実証的に解明しようとする。

本論文は以下のような構成をもっている。

序章 病院の世紀という構想について

第1章 病院の世紀の理論

第2章 所有原理型医療システムの原型-明治期日本における開業医の形成

第3章 専門医化する日本の医師-20世紀前半日本における医師のキャリア

第4章 「医療の社会化」運動の時代-20世紀前半日本における医師の地理的分布

第5章 開業医の経済的基盤と公共性-20世紀前半日本における開業医の病院経営

第6章 病院の世紀の終焉-健康戦略の転換の時代

第7章 治療のための病床-20世紀日本における病床の変遷

第8章 医局制度の形成とその変容

序章では本書の問題関が明らかにされ、第1章では著者が「病院の世紀の理論」と名付ける理論的な枠組みが提示される。第2章から第5章までは、第1章で提起された枠組みをベースに戦前の日本の医療供給制度を分析した歴史研究であり、第6章は現在起きている医療制度の変化を「病院の世紀の終焉」といった観点から総括したものである。第7章と第8章は、日本の病院制度を、それぞれ病床の在り方の変化、医局制度の変化といった点に焦点を合わせて明らかにした歴史研究で、第2章から第5章までの分析を補完している。

2 本論文の概要

本論文は序章と8つの章からなっている。次にやや詳しく各章の内容を紹介しよう。

序章 病院の世紀という構想について

本論文の目的が、20世紀の医療の特質を理論的に定式化(著者のいう「病院の世紀の理論」)し、それに基づく近代日本医療史の再構成を通じて、日本の医療政策の長期的展望を得ることであるとされる。20世紀になると治療医学への社会的期待が高まり、それに応えるために医療供給システムにはプライマリケアとセカンダリケアの機能分化が起きて、病院が後者の担い手となった。こうした医療供給の在り方は、イギリス、合衆国、日本の間で共通していたが、より具体的な制度の在り方は、3カ国はそれぞれ違った形を示していた。著者によれば、世界各国の医療はこの英米日の3つのタイプのいずれかを選択し、20世紀を通じてそれを維持してきたのであるが、21世紀になるとこれらの医療システムは解体の兆候を示すようになった。治療と治療医学に対する全幅の信頼は過去のものとなり、治療では解決できない生活の質に関心が集まり始め、保健、医療、福祉が統合された包括ケアシステムが登場してきた。20世紀の医療の共通した特徴と3つのタイプ、その生成と解体の構図。これが著者のいう「病院の世紀の理論」の骨格である。

第1章病院の世紀の理論

本章は、20世紀医療の編成原理を明らかにすることによって、医療供給制度に関する新たな理論的枠組の提示を行っている。19世紀から20世紀にかけての世紀転換期に医療の領域で高度で専門化した先端的領域が出現し、それに伴って、先端的領域を担うセカンダリケアとそれ以外のプライマリケアの分化が起きた。イギリスでは一般医が運営する診療所がプライマリケアを担当し、専門医を集めた病院がセカンダリケアを行った。アメリカや日本では病院がセカンダリケアを担うという点ではイギリスと同じであったが、アメリカでは診療所をもつ専門医が病院での治療も行うことで、また日本では開業医が病院を自ら開設することで、専門医がプライマリケアとセカンダリケアの双方を行うという医療のあり方が支配的となった。こうして出来上がった医療供給のタイプを、著者はイギリスについては一般医と専門医の身分格差に注目して身分原理に基づくものとし、アメリカについては診療所をもつ専門医が特定の病院でも医療活動を行うという点で開放原理とよび、日本については開業医が自ら病院を所有できるという点で所有原理と名付ける。イギリスでは19世紀以来顧問医と一般医の身分的格差があったこと、アメリカでは非営利の地域病院が強かったこと、日本では医師による病院開設が容易であったことによって、英米日でそれぞれ違った原理が選ばれたのである。

第2章所有原理型医療システムの原型-明治期日本における開業医の形成

本章は大学出の医学士のキャリアに注目して、日本でどのように所有原理が確立したのかを明らかにする。1880年代前半までに、大学-医学専門学校(公立医学校兼病院)-医術開業試験という医師の養成経路が出来上がった。大学で最も高度な医学的知識を得た医学士が開業したのは、それまで有力な就職先とみなされた一般公立病院が不振になったといった理由によるが、これによって専門医が開業ししかも自ら病院を開設するという流れが形成され、やがてそれが主流となり、日本の医療システムでの所有原理の確立を見る。

第3章専門医化する日本の医師-20世紀前半日本における医師のキャリア

明治期には医師養成において学歴格差があったにもかかわらず、格差が縮小して医師が全体として専門医となった経路が描かれる。20世紀前半には医師免許を取得した後でも数年の修業期間が必要だとみなされるようになり、結果としてすべての医師がそうした修業を経て専門医になった。また、医学教育制度も変化して、医師の学歴格差が縮小した。そして多くの医師は、勤務医を経て開業医となるキャリアを踏んでいくことになる。このような医師のキャリアパターンが日本の医療供給の在り方(所有原理型)の形成に与ったのである。

第4章「医療の社会化」運動の時代-20世紀前半日本における医師の地理的分布

本論文に先行する医療史研究のパラダイムの一つは「医療の社会化」論である。それは日本の開業医が営利に立っているとして開業医制度に厳しい評価を与えたが、本章はこの考えは現実に照応していないし、しかも開業医のポジティブな側面を見落としていたと批判する。本章後半は、統計の分析などを通じて、医師の都市偏在が勤務医の増大によって引き起こされていたことを明らかにする。

第5章開業医の経済的基盤と公共性-20世紀前半日本における開業医の病院経営

日本でなぜ開業医による病院経営が優位性をもっていたのかを解明するために、本章はまずそれと競合する公立病院などの在り方を検討し、続いて開業医が開設した一般病院の役割の圧倒的な大きさを確認する。後半では、人々が医療サービスの購入に高い優先度を与えたこと、病院開業医の所得が開業医一般よりも高いこと、開業の病院はあまり設備に金をかけない「軽装備」のものであったことなどを明らかにする。

第6章病院の世紀の終焉-健康戦略の転換の時代

現在、高齢者や障害者の生活改善が問題となるに伴って、治療に対する社会的評価が低下し病院の世紀が終焉を迎えつつあると著者は判断し、既存の制度の漸進的改良にとどまることなく新しいシステムを構築する必要が出てきたと主張する。健康概念の意味転換が起きて保健サービスの地位が向上するといった中から、病院を中心とする20世紀の医療システムに代わるものとして包括ケアシステムが姿を現しつつあるとして、著者は病院中心の医療制度に代わる新しい制度の登場を説く。

第7章治療のための病床-20世紀日本における病床の変遷

1980年代以降高齢者の社会的入院が問題となったが、それは日本において病床が持ってきた機能を考えるならば必ずしも異常な状態ではなかった。日本でも病床は治療的要素の強い一般病床となる傾向が強かったが、開業医の開設する一般病院でプライマリケアとセカンダリケアが接続されていたこともあって、病床の利用法には高い柔軟性が見られ、病床が治療機能に純化することはなかったのである。

第8章医局制度の形成とその変容

医師のキャリアに対する医局制度の影響力の低下がなぜ起きたのかを理解するためには、日本の医局制度の歴史を知る必要がある。こうした問題関心に立って著者は医局制度を分析し、その中で、医局人事におけるローテーションの平等性が専門性の深さにおいて同質的な医師を生み出したことを明らかにする。そして、医学博士号取得が持った意味や専門医制度といった医局にかかわる諸制度についても関説し、専門医指向のさらなる高まりが医局の地位低下を招いていると指摘する。だが、医師がより高い専門性を指向するほど、包括ケアシステムの中での医師の役割はより限定されたものとなってくる。医局制度の崩壊もまた病院の世紀の終焉と深いつながりをもっていたのである。

3 総合評価

本論文は、「病院の世紀の理論」という包括的な枠組みによって20世紀の医療の構造を取り出す試みである。そしてそれは現在我々が直面している問題の性格を理解し、問題解決の手掛かりを提出するという実践的な問題関心によって導かれている。歴史分析を行うことと現実の問題への処方箋を書くこと。この一見かけ離れた課題を両立させることに著者の並々ならぬ決意が込められていたと思われるが、それが成功したかどうかの最終的判断は、今後の歴史研究の進展と現実の問題への対応がどのように進行するかにかかっている。しかし、現時点でも、我々はこうした大きな図式を提起することが今後の学問的探求に資するところが大きいと判断する。

とくに本論文は、治療を担う病院の登場に焦点を当てることで、複雑極まりない20世紀の医療の在り方を分析する手法を見事に提示した。その中で、著者は、各国の医療が、身分原理、開放原理、所有原理に分岐する構造を理論的にも明らかにしている。そして日本で所有原理が成立する過程を様々な側面から実証的に解明した。とかく理論分析が歴史を無視し、他方理論的配慮のない歴史分析が続出する中で、理論の上では定式化を志向し、歴史分析の上ではあり得る史料を渉猟し、しかも理論的枠組みをもって歴史を解明し、さらにそれを実践的課題に結び付けようとする著者の努力は極めて称賛に値するといわざるを得ない。

こうした大きな構想に立った包括的な研究は、よりち密な分析を必要とする部分や言及してほしかった事柄をどうしても持たざるを得ない。著者の試みが称賛に値すると思いつつも、審査委員はそこにはさらに深められるべき論点があると考えている。以下では、そうした論点のいくつかを紹介しよう。

病院の世紀の理論は20世紀の医療全体に関する理論であり、どの国にも当てはまるものとして構想されているが、著者は実践的関心から日本における病院の世紀を描き出すことに腐心している。所有原理と著者の名付ける医療の在り方が日本で選択された理由として、合衆国のように非営利の地域病院の弱さや病院開設の容易さなどが指摘されているものの、どうしてアメリカのような開放原理が選択されなかったのかはまだ十分説明されていないように思われる。また英米との対比でいえば、どうして日本では病院に慈善目的の資金が流れなかったのもまだ十分には解明されていない。

また本論文は、イギリス(身分原理)、アメリカ(開放原理)、日本(所有原理)といった形で各国の医療を丸ごと一つの類型に押し込んでいるが、むしろ、各国の医療はこうした3つの原理や、プライマリケア/セカンダリケア、一般医/専門医といった概念を組み合わせて分析されるべきだとの立場もありえる。日本の医療の中には身分原理に近いものもあるし、診療科によってはプライマリケア/セカンダリケアの分類が有効ではないものもある。そもそも日本ではプライマリケアと呼び得るものが一般的であったのかという疑問もありえよう。

一般医/専門医の違いがはたして身分と呼びうるものなのか、そもそも本書にいう身分とは何かについても検討の余地がある。また本書の立場に立ったとしても、日本に身分原理が成立しなかった根拠を医学士の開業ということで十分に説明できるかも問題となろう。

包括的ケアの中で果たして医療の地位が低下しているのかについても異なった見解があり得る。さらに、日本の医療に影響を与えたと思われるドイツの医療制度の分析がない点や、戦後の社会保障制度の発展が病院の世紀の理論で位置づけされていないという点、看護職の地位が明らかでない点など今後さらに深められるべき論点も指摘できる。また、先行業績との関係をもっと明確にするべきだとも考えられる。

もとよりこうした疑問は本論文の学問的価値に対する疑問というよりも、本論文の問題提起の重要性を認めたうえで、そこになお残るあいまいな点に関する疑問というべきものであり、それらはこのような本格的な問題提起の書にたいする共感に根ざすものである。

以上のように、本研究は若干の問題を含みながらも、全体としては、全く新しい構図を提示し、それに基づいて綿密な実証を積み重ねて、20世紀の医療の在り方、特に日本の医療の在り方をとらえた研究として高く評価されるべきだと考える。

平成22年4月23日に論文の提出を受けて審査委員会(審査委員:小野塚知二、粕谷誠、佐口和郎、武川正吾、谷本雅之、森建資(主査)、)が設置され、提出論文について検討した。平成22年11月19日に口頭試問を行い、慎重に審議し、その結果、審査委員一同、猪飼周平氏に博士(経済学)の学位を授与するのが妥当であるとの結論に達した。

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